ミャンマーで日本人フリージャーナリストが治安部隊の銃撃で殺された。反軍政デモを取材中の出来事だった。殺されたジャーナリストのご冥福を祈る。
タイトル画像は今日の新聞一面トップの写真の一部である。写真には3人の治安部隊の兵士と思われる人物が写っている。左端に警棒で民衆を追う警官?、中央右で物陰から様子を窺う警官?、右端で銃を構える兵士だ。元の写真では左側に逃げ惑う民衆の姿が写し出されている。
さて、なぜこんな画像を出したのかということである。
銃を構えた兵士の履いているのは軍靴ではなくゾウリだ!さらに警官が持っている楯らしき物は、日本の機動隊のような高価なジュラルミン製ではない、な、なんと籐かなにかを編んだものではないか!なんとまあ、環境に配慮された装備であることか。この画面に銃さえなければ、不謹慎だがほほえましささえ感じたかもしれない。ミャンマーの治安部隊がエコを考えて装備を揃えているとは思えない。承知の通り国自体のビンボーさがなさせる業ではあるだろう。しかし、「ビンボー=環境負荷が少ない」ということを、この写真ははからずも示してくれているように思えた。
最も非生産的で、いかに効率的に環境を破壊することができるかということのみに機能を特化された物が戦争のための武器である。金持ちの先進国、あるいは先進国になろうとしている国々ほど、概して環境への負荷も高く武器・兵器の生産高も高く、経済の武器産業への依存度も高い。イラクでアフガンで一体どれだけ無意味で大量の二酸化炭素がばら撒かれたことだろう。何十億もする戦闘機を何百機も作るのにどれだけの資源とエネルギーが浪費され、二酸化炭素が排出されたのだろうか。
エコ、環境保護の最も対極にあるものは戦争であることは誰も異論はないだろう。本来、環境保護を言うならまず兵器をなくすことを最大の課題とすべきではないのだろうか。しかし、環境問題の活動家や団体から「戦争を無くすこと=武器を無くすこと」に関して通り一遍のスローガン的表明はあっても、具体的な行動を見聞きすることはあまりない。「地球上から戦争をなくせ」というのは当たり前すぎてエコや環境運動の対象(エコビジネスの対象)にはならないからだろう。せめて「環境にやさしい武器を使おう」くらい言ってみてはどうだろうか。