歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

明日香村・石神遺跡 迎賓館の門が瓦葺?

2009年02月12日 | Weblog
 奈良文化財研究所が12日、飛鳥時代の迎賓館とされる明日香村の石神遺跡で、7世紀前半-中ごろの掘っ立て柱建物跡2棟や別の建物の周辺を巡るとみられる溝跡が見つかったと発表した。
 遺跡の東端約480㎡を調査。南北に延びる掘っ立て柱塀(長さ約25m)や建物跡(南北5.4m、東西8.1m)、瓦が大量に埋まった溝(長さ約16m、幅1.5m、深さ20cm)などが見つかった。
 掘っ立て柱建物から南に向けて塀の跡が延びていた。東側は幅16-17・5mの通路に面しており、建物は門と推定した。いずれも東門だったようで、溝跡からは大量の屋根瓦が出土。数十年間で3回建て替えられ、最盛期の斉明天皇(在位655-661年)の時代に瓦葺になったらしい。一緒に出土した土器から時期は7世紀前半~中ごろと推定。
 瓦が多数出土したが軒先に飾る瓦はなく、棟の周囲だけ瓦葺にし、後は檜皮(ひわだ)などをふいたのではとみている。
 宮殿に瓦が使われるのは694年の藤原宮(同県橿原市)が最初とされる。寺を除くと、その50年近く前の瓦葺建物は極めて異例。石神遺跡中央部でも瓦葺建物は見つかっていない。
 日本書紀などによると、蝦夷(えみし)や新羅の外交使節をもてなしたとされ、同研究所は「内部の施設の整備に合わせ、門も改築して見栄えを良くしたのだろう」としている。
 現地説明会は14日午後1時半から行われる。
 なお当日は、飛鳥京跡で「飛鳥浄御原宮の北限とされてきた溝の北側から大型建物跡が出土」と発表された遺構の現地説明会が同日午前10時30分~午後3時30分に行われることになっている。
[参考:共同通信、日経新聞、朝日新聞]
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京都市下京区 木戸門跡とみられる柱穴が見つかる

2009年02月12日 | Weblog
 市埋蔵文化財研究所は、下京区の発掘調査で、室町時代に土一揆などから地域を自衛するために京の交差点などに設けられた木戸門のものとみられる柱穴が見つかっていたことが11日までに分かった。戦国時代の洛中洛外図などには多く描かれているが、遺構として見つかるのは京都市内では初めて。
 柱穴は、当時の町小路(現・新町通)と楊梅小路(現・楊梅通)の交差点付近で見つかった。
[参考:京都新聞]
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古河市・本田遺跡 平安時代9世紀の権力者の遺構が出土

2009年02月12日 | Weblog
 市教委は15日、同市五部(ごへい)の奈良時代から中世にかけての本田(ほんでん)遺跡の現地説明会を開く。
 平安時代の9世紀ごろ、身分の高い人が使用したとされる食器「緑釉陶器」の破片、権力者、仏教関係者が用いたと思われる「古瀬戸」の壷の破片が出土した。
 遺跡は古代(奈良・平安時代)の集落跡であると考えられていたが、発掘調査が進むにつれて遺跡は縄文時代や中世(室町時代)、近世(江戸時代)など、幅広い時期にまたがることが判明している。
 昨年12月から本格的な発掘調査が行われ、約4200㎡を調査した。
 その結果、15軒の竪穴住居跡が見つかり、出土物から大部分が平安時代の9世紀のものと推測される。
 中世の遺跡からは、南北にわたって溝跡が掘削されていた。県西地区では珍しい中世の遺構群の全体像を見ることができる。他にも、井戸跡3基、掘っ立て柱建物跡3棟などが見つかった。も出土した。中国産の白磁も出土した。
現地説明会:
 日時:2月15日(日) 10時半~正午。 出土品も展示する。(雨天中止)
 場所 本田遺跡 (県立三和高等学校西側隣接地) 
[参考:毎日新聞、広報古河No41-2009年2月1日号]

備考: 遺跡の場所には誰が住んでいたかを想像するのが面白いが、9世紀の半ば以降であると平高望、国香、良将あるいは源護などの関係も考えられる。

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