奈良文化財研究所が12日、飛鳥時代の迎賓館とされる明日香村の石神遺跡で、7世紀前半-中ごろの掘っ立て柱建物跡2棟や別の建物の周辺を巡るとみられる溝跡が見つかったと発表した。
遺跡の東端約480㎡を調査。南北に延びる掘っ立て柱塀(長さ約25m)や建物跡(南北5.4m、東西8.1m)、瓦が大量に埋まった溝(長さ約16m、幅1.5m、深さ20cm)などが見つかった。
掘っ立て柱建物から南に向けて塀の跡が延びていた。東側は幅16-17・5mの通路に面しており、建物は門と推定した。いずれも東門だったようで、溝跡からは大量の屋根瓦が出土。数十年間で3回建て替えられ、最盛期の斉明天皇(在位655-661年)の時代に瓦葺になったらしい。一緒に出土した土器から時期は7世紀前半~中ごろと推定。
瓦が多数出土したが軒先に飾る瓦はなく、棟の周囲だけ瓦葺にし、後は檜皮(ひわだ)などをふいたのではとみている。
宮殿に瓦が使われるのは694年の藤原宮(同県橿原市)が最初とされる。寺を除くと、その50年近く前の瓦葺建物は極めて異例。石神遺跡中央部でも瓦葺建物は見つかっていない。
日本書紀などによると、蝦夷(えみし)や新羅の外交使節をもてなしたとされ、同研究所は「内部の施設の整備に合わせ、門も改築して見栄えを良くしたのだろう」としている。
現地説明会は14日午後1時半から行われる。
なお当日は、飛鳥京跡で「飛鳥浄御原宮の北限とされてきた溝の北側から大型建物跡が出土」と発表された遺構の現地説明会が同日午前10時30分~午後3時30分に行われることになっている。
[参考:共同通信、日経新聞、朝日新聞]
遺跡の東端約480㎡を調査。南北に延びる掘っ立て柱塀(長さ約25m)や建物跡(南北5.4m、東西8.1m)、瓦が大量に埋まった溝(長さ約16m、幅1.5m、深さ20cm)などが見つかった。
掘っ立て柱建物から南に向けて塀の跡が延びていた。東側は幅16-17・5mの通路に面しており、建物は門と推定した。いずれも東門だったようで、溝跡からは大量の屋根瓦が出土。数十年間で3回建て替えられ、最盛期の斉明天皇(在位655-661年)の時代に瓦葺になったらしい。一緒に出土した土器から時期は7世紀前半~中ごろと推定。
瓦が多数出土したが軒先に飾る瓦はなく、棟の周囲だけ瓦葺にし、後は檜皮(ひわだ)などをふいたのではとみている。
宮殿に瓦が使われるのは694年の藤原宮(同県橿原市)が最初とされる。寺を除くと、その50年近く前の瓦葺建物は極めて異例。石神遺跡中央部でも瓦葺建物は見つかっていない。
日本書紀などによると、蝦夷(えみし)や新羅の外交使節をもてなしたとされ、同研究所は「内部の施設の整備に合わせ、門も改築して見栄えを良くしたのだろう」としている。
現地説明会は14日午後1時半から行われる。
なお当日は、飛鳥京跡で「飛鳥浄御原宮の北限とされてきた溝の北側から大型建物跡が出土」と発表された遺構の現地説明会が同日午前10時30分~午後3時30分に行われることになっている。
[参考:共同通信、日経新聞、朝日新聞]