歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

高岡市・下佐野遺跡 古墳時代初期の前方後方墳(長さ20m)が出土

2009年09月11日 | Weblog
 富山県文化振興財団による発掘調査で8日までに、下佐野遺跡(高岡市佐野)から古墳時代初期(約1700年前)とみられる前方後方墳が出土し、その中に「主体部」と呼ばれる遺体を埋葬した穴が見つかった。
 出土した前方後方墳は長さ約20mで中央の主体部は長さ2.8m、幅1.3m。副葬品は出ていない。当時の権力者の墓とされる前方後方墳の主体部の発見は北陸地方では珍しい。
 庄川扇状地に位置する下佐野遺跡は弥生時代から中世までの遺構とされ、弥生土器の出土地として知られる。
 ほかに、弥生後期から古墳時代前期の溝で四角く囲んだ5m前後の方形周溝墓や弥生後期の竪穴住居跡、土師器の破片約30点などの遺物も出土した。
 12日午前9時から現地説明会が行われる。
[参考:北日本新聞、中日新聞]
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佐賀市・三重津海軍所跡 船渠は修理が主目的か、遺構を報道人に公開

2009年09月11日 | Weblog
 佐賀市教委は10日、三重津海軍所跡で初めて確認された船渠(ドッグ)跡の遺構とみられる木杭護岸を報道陣に公開した。
 木杭護岸は直径15cm程度の杭を一列に並べ、壁の崩落を防ぐため横木を渡すほか、護岸の強度を上げるため捨て石替わりに石炭が置かれていた。胴木2本も護岸と直交する形で組み込まれていた。
 船渠跡は当初、蒸気船「凌風丸」建造の可能性も考慮されたが、船の建造には水を完全に取り除く必要がある。木杭では水の浸入が防げず、市教委は主に修理に使われたドックと推測した。
[参考:佐賀新聞]

2009年09月10日 三重津海軍所跡 ドック護岸跡を確認、蒸気船建造の遺構か 
 佐賀市教委は9日、新たにドック跡の遺構とみられる木杭護岸を確認した。ドック跡は国産初の実用蒸気船「凌風丸」を建造した遺構の可能性も高い。
 調査場所は早津江川河川敷の一角約400㎡。三重津海軍所絵図によると、一帯は船渠とされ、奥行き70m、幅は最大で50mと推定される。
 見つかった護岸跡は、その一部で、地表から約1・6m掘り下げた地点で確認。長さ約3mの間に、約20本の木杭(長さ約80cm、直径約15cm)が直線に並んでいた。護岸とともに、船を固定し作業のため橋をかける胴木2本も見つかった。木杭は横木を渡し縄で固定されていた。
 周辺では既に金属加工設備の存在が裏付けられている。
[参考:佐賀新聞]

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 三重津海軍所跡
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