奈良文化財研究所が17日、古代の渡来系有力氏族、東漢氏の氏寺とされ明日香村の檜隈寺跡で、7世紀前半~中頃の「L字形カマド」の石組のある竪穴住居跡が見つかったと発表した。
かまどは排気用の煙道がL字形をした渡来系特有の構造。後の檜隈寺につながる仏堂のような建物が造られたころとみられ、同研究所は「生活の痕跡も少なく、造営にあたった工人が詰めた事務所だったのではないか」としている。
竪穴住居跡は檜隈寺の講堂跡(7世紀後半造営)から北西約25mで見つかり、4.8m×3.5mの長方形。南西隅の壁際に人頭大の石を積み重ねて、かまどを設けていた。かまどの上部は崩れていたが、本来は粘土で覆われていたとみられる。
煙道はたき口から延びて壁で直角に曲がり、長さ2・1m。煙道の幅はたき口約50cm、L字屈曲部約35cm、終点部約25cm。かまどのそばには壁を掘り込んで棚を作っていた。
L字形カマドは、煮炊きした煙がすぐに屋外に出ないように煙道が設けられている。床下に煙道を設けた朝鮮半島の床暖房「オンドル」と同様に暖房の役割があるとされる。国内では4~8世紀の約40遺跡で確認されているが、石組みのものは滋賀県内の2遺跡(7世紀末と8世紀初頭)でしか確認されていない。
カマドからは7世紀前半の瓦も出土。竪穴式建物は7世紀中ごろには埋め戻されていた。
周辺でほかに住居跡が見つからないことから、一般の集落ではなく、寺にかかわる特殊な建物と判断した。
日本書紀などによると、檜隈寺は7世紀後半から金堂や講堂を整備し、本格的な寺院になったとされる。
[参考:共同通信、産経新聞]
過去のニュース・情報
2008.11.30 明日香村・檜隈寺跡 「呉」の異体字記した瓦出土
2008.6.11 明日香村・檜隈寺跡 白鳳-天平期の金銅仏出土
かまどは排気用の煙道がL字形をした渡来系特有の構造。後の檜隈寺につながる仏堂のような建物が造られたころとみられ、同研究所は「生活の痕跡も少なく、造営にあたった工人が詰めた事務所だったのではないか」としている。
竪穴住居跡は檜隈寺の講堂跡(7世紀後半造営)から北西約25mで見つかり、4.8m×3.5mの長方形。南西隅の壁際に人頭大の石を積み重ねて、かまどを設けていた。かまどの上部は崩れていたが、本来は粘土で覆われていたとみられる。
煙道はたき口から延びて壁で直角に曲がり、長さ2・1m。煙道の幅はたき口約50cm、L字屈曲部約35cm、終点部約25cm。かまどのそばには壁を掘り込んで棚を作っていた。
L字形カマドは、煮炊きした煙がすぐに屋外に出ないように煙道が設けられている。床下に煙道を設けた朝鮮半島の床暖房「オンドル」と同様に暖房の役割があるとされる。国内では4~8世紀の約40遺跡で確認されているが、石組みのものは滋賀県内の2遺跡(7世紀末と8世紀初頭)でしか確認されていない。
カマドからは7世紀前半の瓦も出土。竪穴式建物は7世紀中ごろには埋め戻されていた。
周辺でほかに住居跡が見つからないことから、一般の集落ではなく、寺にかかわる特殊な建物と判断した。
日本書紀などによると、檜隈寺は7世紀後半から金堂や講堂を整備し、本格的な寺院になったとされる。
[参考:共同通信、産経新聞]
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