歴歩

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柏原市・鳥坂寺跡 国史跡指定へ向けて再調査 金堂階段などが再び姿を現す

2009年10月27日 | Weblog
 大阪府柏原市教委は、7世紀中頃に建立された鳥坂(とさか)寺跡(同市高井田)の国史跡化を目指して、再調査を始めた。
 半世紀前の発掘調査後に埋め戻された、金堂基壇北面の階段などが再び姿を現した。階段は昭和36~37年に行われた府教委や奈良文化財研究所の発掘調査で見つかった。4段分が現存しているが、基壇面との位置関係から、さらに上に2~3段が存在していたと考えられている。
 府教委と奈文研による調査では階段を含めた基壇の一部のほか、講堂、塔の礎石を検出。基壇は凝灰岩の切石を組み合わせた貴重な遺構で、奈良の平城宮大極殿の復元などの際に資料に使われている。いずれも調査後に埋め戻されていた。
 市教委では国史跡指定の申請に向けた準備を進めており、再調査で掘り起こした基壇の位置などを正確に測るほか、航空測量を行いって各建物の位置関係を正確に記録した測量図を作成する予定。
 鳥坂寺は「続日本紀」にも記録が残る寺(注1)で、聖武天皇や孝謙天皇とゆかりが深い、河内地方にあった「河内六寺」の一つ。
 大正14年から昭和元年にかけて行われた近鉄大阪線の敷設で遺跡が見つかり、昭和58年の調査では井戸から「鳥坂寺」と書かれた土器が見つかっている。
 注1: 続日本紀 天平勝宝八年(756) 2月25日 天皇幸智識。山下。大里。三宅。家原。鳥坂等六寺礼佛。
[参考:産経新聞]




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京都府大山崎町・大山崎瓦窯跡 新たに一基を発見 31日に現地説明会

2009年10月27日 | Weblog
 町教委は26日、平安宮の瓦を生産した国史跡「大山崎瓦窯跡」の北側で、新たに窯跡1基が見つかったと発表した。
 同瓦窯跡は平安時代初期に平安宮の大極殿へ瓦を供給したとされ、昨年までに7基が確認されていた。
 町教委は今年9月末から史跡の範囲確認調査を実施。最北の7号窯からさらに北約6mの崖で瓦窯の燃焼室の焚口を見つけた。崖の下に焼成室が続くと想定し、8号窯と名付けた。大きさは他の窯と同じ全長3・9m、最大幅2mとみられる。7号窯との間隔も2~6号窯と同じ。いずれも焚き口は東向きで南北一直線に並んでおり、計画的に建設された大規模な官営工房であるとみられる。
 現地説明会が31日午前10時半から開かれる。
[参考:京都新聞]
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