和泉寺跡(同市府中町)で、奈良時代(8世前半紀)の人名が刻まれた瓦が府教育委員会の発掘調査で見つかっていたことが27日、分かった。
寺を建立する際に寄進した貴族や、僧侶の名前とみられるという。和泉寺跡一帯ではこれまで、地元の人が瓦を採取したことなどから寺院の存在が推定されていたが、文献にも記録がなく幻の寺院とされていた。今回の調査で初めて存在が裏付けられることになった。古代の役所「和泉国府」推定地の東にある同寺は7世紀後半の創建で、一帯の中心的な寺院だったとみられる。和泉郡司の茅渟県主(ちぬのあがたぬし)氏が建立したとの説もあるが、文献に登場せず実態はわかっていない。
調査では、瓦の破片が200点以上出土し、そのうち3点で文字が確認された。文字は、瓦を焼く前にくぎのような先端のとがったもので刻まれており、ひとつの瓦の破片(幅15cm、長さ17・5cm、厚さ2cm)には「坂合マ連前」と刻まれていた。ほかに「讃美」と「寺」の文字の一部が確認された。
「坂合マ(=部)連前」(さかいべのむらじまえ)は、氏族の階級を示す「連」の文字があったことから、当時の都・平城京(奈良市)にいた中央貴族で坂合という名の氏族の可能性があるという。
「讃美(もしくは善)」は僧侶の名とみられるという。
ほかに屋根飾り「鴟尾」の破片1点が出土した。
発掘現場一帯ではこれまでに、白鳳~奈良時代(7世紀後半~8世紀)の瓦が複数見つかっているが、発掘調査もほとんど行われておらず、実態が全く分かっていなかった。
現地公開は28日、30日、12月1日のいずれも午後1時~3時。
[参考:読売新聞、産経新聞、大阪府HP]
寺を建立する際に寄進した貴族や、僧侶の名前とみられるという。和泉寺跡一帯ではこれまで、地元の人が瓦を採取したことなどから寺院の存在が推定されていたが、文献にも記録がなく幻の寺院とされていた。今回の調査で初めて存在が裏付けられることになった。古代の役所「和泉国府」推定地の東にある同寺は7世紀後半の創建で、一帯の中心的な寺院だったとみられる。和泉郡司の茅渟県主(ちぬのあがたぬし)氏が建立したとの説もあるが、文献に登場せず実態はわかっていない。
調査では、瓦の破片が200点以上出土し、そのうち3点で文字が確認された。文字は、瓦を焼く前にくぎのような先端のとがったもので刻まれており、ひとつの瓦の破片(幅15cm、長さ17・5cm、厚さ2cm)には「坂合マ連前」と刻まれていた。ほかに「讃美」と「寺」の文字の一部が確認された。
「坂合マ(=部)連前」(さかいべのむらじまえ)は、氏族の階級を示す「連」の文字があったことから、当時の都・平城京(奈良市)にいた中央貴族で坂合という名の氏族の可能性があるという。
「讃美(もしくは善)」は僧侶の名とみられるという。
ほかに屋根飾り「鴟尾」の破片1点が出土した。
発掘現場一帯ではこれまでに、白鳳~奈良時代(7世紀後半~8世紀)の瓦が複数見つかっているが、発掘調査もほとんど行われておらず、実態が全く分かっていなかった。
現地公開は28日、30日、12月1日のいずれも午後1時~3時。
[参考:読売新聞、産経新聞、大阪府HP]