兵庫県立考古博物館は16日、猪名川町広根の「広根遺跡」で鎌倉時代(13世紀ごろ)の掘立柱建物跡5棟や水田跡が見つかったと発表した。
清和源氏の祖とされる平安時代の武将、源満仲(912?-997)が開発した広大な荘園「多田荘(ただのしょう)」の一角にあり、13世紀に土地を管理していた地方武士が住んだ集落跡とみている。
当遺跡から東南約5kmにある多田院(注1)を中心として源氏の勢力が北摂(摂津国北部)一帯に広がっていたことは知られており、その一端を裏付ける発見という。
建物跡は最小で12㎡、最大で約70㎡(幅約7m、長さ約10m)あり、北側の低い場所に水田が広がっていた。 井戸や墓とみられる石組みの跡もあり、土地に根づいた生活を送った地方武士の屋敷跡ではないかという。 中国製の陶磁器の壺や碗が出土していることから、荘園の経営を任された名主クラスの武士がいたと考えられるという。
現在の川西市や猪名川町などで荘園を開発した多田源氏の勢力範囲を知ることができるとしている。
他にも室町時代の石組みの井戸や、宋銭が出土した柱穴が見つかった。
現地説明会は18日(土)午前10時~正午に開かれる。
[参考:神戸新聞、毎日新聞、朝日新聞]
(注1) 多田院こと鷹尾山法華三昧寺、現在の多田神社。 川西市多田院多田所町に鎮座。
清和源氏の祖とされる平安時代の武将、源満仲(912?-997)が開発した広大な荘園「多田荘(ただのしょう)」の一角にあり、13世紀に土地を管理していた地方武士が住んだ集落跡とみている。
当遺跡から東南約5kmにある多田院(注1)を中心として源氏の勢力が北摂(摂津国北部)一帯に広がっていたことは知られており、その一端を裏付ける発見という。
建物跡は最小で12㎡、最大で約70㎡(幅約7m、長さ約10m)あり、北側の低い場所に水田が広がっていた。 井戸や墓とみられる石組みの跡もあり、土地に根づいた生活を送った地方武士の屋敷跡ではないかという。 中国製の陶磁器の壺や碗が出土していることから、荘園の経営を任された名主クラスの武士がいたと考えられるという。
現在の川西市や猪名川町などで荘園を開発した多田源氏の勢力範囲を知ることができるとしている。
他にも室町時代の石組みの井戸や、宋銭が出土した柱穴が見つかった。
現地説明会は18日(土)午前10時~正午に開かれる。
[参考:神戸新聞、毎日新聞、朝日新聞]
(注1) 多田院こと鷹尾山法華三昧寺、現在の多田神社。 川西市多田院多田所町に鎮座。