福井市と鯖江市にまたがる文殊山(365m)の中腹にある寺跡が、奈良時代後期から平安時代中期にかけてのものであることが確認された。 文殊山を開いたとされる泰澄の生存時期とも重なるという。
字名から「奥山萩谷廃寺(おくやまはぎたにはいじ)跡」と名付けられた。
三年ほど前に、この付近で須恵器や土師器の破片を大量に発見され、調査したところ、八世紀後半から十世紀にかけての土器片であることが判明した。中には「寺」と墨書された土器片も出土した。
文殊山は、泰澄の生誕地とされる福井市三十八社町の泰澄寺から約3kmと近い距離にある。
[参考:中日新聞]
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泰澄関連
字名から「奥山萩谷廃寺(おくやまはぎたにはいじ)跡」と名付けられた。
三年ほど前に、この付近で須恵器や土師器の破片を大量に発見され、調査したところ、八世紀後半から十世紀にかけての土器片であることが判明した。中には「寺」と墨書された土器片も出土した。
文殊山は、泰澄の生誕地とされる福井市三十八社町の泰澄寺から約3kmと近い距離にある。
[参考:中日新聞]
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