歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

福井市・寄安遺跡 「竜」を描いたとみられる絵画土器片が出土

2012年02月24日 | Weblog
 福井市栗森町の寄安遺跡(よりやすいせき)から、ヘラ状の道具で「竜」を描いたとみられる絵画土器片(縦約5cm、横約9cm)が出土した。
 絵画土器は過去に県内で3例見つかっているが、いずれも人物やシカが描かれ、空想上の動物である竜が描かれた土器の発見は今回が初めて。 弥生時代後期から古墳時代にかけてのものとみられる。
 土器の表面に朱色に着色された跡が残っており、当時の寄安遺跡の近くには川が流れていたことから、祭祀用の道具として使われたのではとみている。
[参考:福井新聞]
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金海市・良洞里遺跡 4世紀の円筒形鉄器(儀器)が出土

2012年02月24日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立金海博物館は24日、金海良洞里遺跡Ⅳ-1号木槨墓(양동리유적 Ⅳ-1호 목곽묘)で収集した遺物を整理する過程で4世紀頃の伽耶文化圏の古墳で集中して出土する円筒形青銅器(注1)と似るが、材料は鉄を鍛造して作った円筒形鉄器(長さ15.2㎝)一点を確認と発表した。
 長い木の柄の先に挿して使う一種の儀器と判断されるとしている。 円筒形鉄器の内部には鉄で作った短い棒が入っていて揺らすと音が鳴る。
 これと類似する円筒形金属遺物は、金官伽耶時代王たちの共同墓地として知られる金海大成洞遺跡をはじめとして良洞里古墳、金海望徳里古墳、釜山福泉洞遺跡などの地で、これまで全部で45点が出土したが、材料は全て青銅である。 この他にも国立慶州博物館に寄贈された遺物も良洞里出土品と伝わるがこれまた青銅製品だ。
 このような円筒形青銅器は、日本でも同じ形の遺物が集中出土するという点で、三国時代韓半島と日本列島の文化交流の遺物と見られる。
[参考:聨合ニュース]

(注1)筒形銅器のこと。
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淡路市・田井A遺跡 条里制に基づく国内最古級の方形水田が見つかる

2012年02月24日 | Weblog
 兵庫県立考古博物館が23日、淡路市志筑の「田井A遺跡」で、「条里制」に基づいて造られたとみられる飛鳥時代(7世紀後半)の方形水田跡が見つかったと発表した。
 約1700㎡の調査地から水田18枚(東西55m、南北20m)を確認。うち8枚が、大畦1本と、小畦で、四角形に区割りされていた。 大畦と小畦は、ほぼ垂直に交差。人と牛の足跡も見つかり、牛耕農業の様子もうかがえる。
 条里制は、大化の改新(645年)による律令制度に基づき施行され、平安時代初期(8世紀後半)に全国に広まったとされる。興戸遺跡(京田辺市)や水垂遺跡(向日市)などの水田でも、飛鳥~奈良時代(7~8世紀)の区割りが確認されている。
 淡路島での条里制の始まりは8世紀後半が定説だっただけに、さらに詳しく調査したいとしている。
 この時期の水田跡で条里制による区割りが確認されたのは県内初で、全国でも最古級という。大和政権にとって、淡路が重要な場所だったことを裏付ける貴重な発見としている。
 同遺跡からはこのほか、奈良時代(8世紀)に祭礼に使用した木製の人形(横4・5cm、縦21cm)と馬形(横4・4cm、縦10cm)の一部が、島内で初めて出土した。 古墳時代前期~中期(4~5世紀)とみられる銅鏡(直径4cm)も見つかった。
 現地説明会は、25日(土)午後1時30分~3時30分に開かれる。
[参考:神戸新聞、読売新聞]
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野洲市・辻町遺跡 5世紀前半の円墳(直径30m)が見つかる

2012年02月24日 | Weblog
 野洲市教委は23日、同市辻町の辻町遺跡で、墳丘部を削られた円墳(直径約30m)が見つかったと発表した。 円筒埴輪などが出土し、形式から古墳時代中期(5世紀前半)の築造と判断した。
 近くの大岩山古墳群のうち大塚山古墳(5世紀初め)(注1)との関連から、後に一帯を支配した安(やす)氏に通じる豪族が首長墓を築き続けたことがわかったとしている。
 現地説明会は26日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:読売新聞]

(注1)野洲市HPでは5世紀中葉としている。全長72mの帆立貝式前方後円墳。
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釜山市・蓮山洞古墳群 韓国最大古墳群築造技術究明

2012年02月24日 | 韓国の遺跡・古墳など
 釜山博物館は22日、整備と復元のために昨年7月から第2次発掘調査を行っている釜山蓮堤区(부산박물관)にある蓮山洞古墳群(연산동 고분군、釜山市記念物第2号)で、M3号墳の精密発掘調査をした結果、全長16m、幅4mに達する韓国で最も大きい規模の主・副槨竪穴式石槨墓(주ㆍ부곽 수혈식 석곽묘)を確認し、また、長さ25.2m、高さ4m以上の巨大な封墳を築く方法として小さい粘土塊を整然と積み重ねる古代の墓築造技術の秘密も明らかにしたと伝えた。

 蓮山洞古墳群は三国時代の釜山地域唯一の高塚古墳群である。 1次調査(2009年12月~2010年12月)では、それまで知られていた10基の高塚古墳の他に6基が新たに確認され、今回の2次調査でさらに2基の古墳が確認された。
 墓内部と封土から、三国時代の札甲片と板甲片も出土した。(注1)
 27日午後3時から、蓮山洞古墳群発掘調査現場で市民公開説明会が開催される。
[参考:聨合ニュース]

(注1) 東京国立博物館には、小倉コレクションとして、下記2点の同古墳群からの出土品を所蔵している。
 鉄製眉庇付冑 1個 伝釜山市東莱区蓮山洞出土 (三国時代・5世紀)
 鉄製短甲 1領 伝釜山市東莱区蓮山洞出土 (三国時代・5世紀)

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.2蓮山洞古墳群 110基を越える墓を確認、墓築造中の食事を提供する野外露地施設も
 三国時代遺構: 時期的には福泉洞古墳群の後に出現し、5世紀後半から6世紀半ばに築造されたとみられる。盃山から北に延びた50m前後の稜線頂上部に沿って封墳の大型古墳10余基が一列に並び、周辺の丘陵傾斜面には中小型古墳が配置されている。大型古墳は既に調査された4号と8号墳の場合、石槨の長さが11mに達する
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用明陵(春日向山古墳)と推古陵(山田高塚古墳) 学会が立ち入り調査

2012年02月24日 | Weblog
 日本考古学協会など16学会の研究者が23日、宮内庁が推古天皇陵に指定する山田高塚古墳(大阪府太子町)と、用明天皇陵に指定する春日向山(むかいやま)古墳(同町)への立ち入り調査をした。
 学会側の要望に応えて、宮内庁が両陵墓の墳丘外側に限って観察を許可した。 古代の天皇陵に研究者が正式に立ち入るのは、昨年の応神陵古墳(誉田御廟山〈こんだごびょうやま〉古墳、同府羽曳野市)に次いで2度目。
 山田高塚古墳は東西約63m、南北約56mの方墳で、東西に並ぶ石室2基の存在が推定されている。
 春日向山古墳は東西約67m、南北約63mの方墳で、墳丘の周囲には幅10mの空堀と高さ2mほどの外堤がある。

 この日、日本考古学協会の茂木雅博・茨城大名誉教授(考古学)ら16人が参加し、ともに3段ある墳丘の1段目を歩いて調査し、古墳の墳形や保存状況などを観察した。 両古墳とも残りがとても良い。 頂上部は、用明陵はピラミッド形、推古陵は平らであることが確認され、斜面が急勾配なため、盛り土を棒で突き固める「版築」工法を用いた可能性が指摘された。
 山田高塚古墳の墳丘南側斜面では、約20年前の宮内庁の調査で見つかった石材2点が、東西に3~4m間隔で埋まっていたのを確認し、2つの石室が存在した可能性が高まった。 石材には加工された痕跡もあったという。
[参考:共同通信、朝日新聞、読売新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2012.2.17 用明陵(春日向山古墳)と推古陵(山田高塚古墳) 宮内庁が調査のための立ち入りを許可
 2011.11.12 大和郡山市・郡山新木山古墳 陵墓参考地を公開 築造時期は5世紀前半
 2011.2.24 羽曳野市・応神天皇陵 初の立ち入り調査、内堤に2列にわたる円筒埴輪列
 2010.11.12 奈良県広陵町・新木山古墳(三吉陵墓参考地)を公開 襟付き短甲形埴輪片が出土
 2010.2.19 松原市・羽曳野市・河内大塚山古墳 陵墓参考地を立ち入り調査、古墳が未完成の可能性が浮上
 2010.2.13 松原市、羽曳野市・河内大塚古墳 陵墓参考地、18日より府内初調査
 2009.12.4 奈良市・コナベ古墳 宮内庁、調査現場を報道陣に公開
 2009.9.18 橿原市・植山古墳 墓域の周囲に高さ2mの柵が100m続く柱列を確認
 2009.7.14 藤井寺市・津堂城山古墳 墳丘調査を開始
 2009.2.21 佐紀陵山古墳・桃山陵墓地の伏見城跡 宮内庁が立ち入り調査を許可
 2008.12.10 松原市・河内大塚山古墳 発掘中の陵墓参考地を考古学研究者らが見学 周濠浅かった
 2008.11.29 御廟山古墳・全長200mと判明

キーワード:誉田御廟山古墳、御廟山古墳、応神天皇陵、応神陵、春日向山古墳

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