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雲南市・郡垣遺跡 1辺が45mの「コ」字形に配置の建物跡 旧大原郡家の政庁とほぼ断定

2011年12月14日 | Weblog
 雲南市教委が13日、旧大原郡家(ぐうけ)の可能性がある同市大東町仁和寺の郡垣遺跡(こおりがきいせき)で、全容を示す柱穴跡が新たに見つかったと発表した。 柱穴跡を結ぶと、長さ45mにおよぶ巨大な建物跡が「コ」の字型でつながり、中庭の配置とともに、奈良時代(8世紀頃)の郡役所の特徴を備える。
 11年度の調査では、北、東側の柱穴跡に加え、新たに南側で6つの柱穴跡を確認。 いずれも柱穴跡(直径約30cm)は2・7m間隔で3本ずつ、幅4・2mで2列平行に並んでいた。
 3方の建物はそれぞれ長さ45mとみられ、「コ」の字形(注1)につながり、中庭を形成していたと推測される。 建物跡が真北でなく、約30度ずれて斜め向きになっているため、8世紀前半までに建てられたとみられる。 8世紀以降の郡衙などは一般的に、方位を東西南北に合わせて建てられている。
 「出雲国風土記」(733年成立)に記された古代の役所・旧大原郡家の政庁にほぼ間違いないとみている。
 現地説明会が17日(土)午後1時30分からを開かれる。
[参考:山陰中央新報、2011.12.17読売新聞]

(注1) 北に本殿、その南側の左右に西殿、東殿が「コ」の字形に配置される。
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