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明日香村・飛鳥京跡 飛鳥浄御原宮の一部か、石組み溝と石敷き出土

2011年01月21日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が20日、明日香村の飛鳥京跡にある天武、持統両天皇の宮殿、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)跡の内郭の北側で、同宮と同時期の7世紀後半の石組み溝と石敷き、塀跡とみられる柱列が見つかったと発表した。周辺は役所群があったと想定され、計画的な区画整備が明らかになったとしている。
 内郭の北約100mの場所が調査され、出土した石組み溝(幅40cm、深さ10cm)は直角に東に曲がっており、南北5m、東西1m分を確認。石敷きはその周囲など東西、南北各5mの範囲であり、こぶし大の石を使っていた。 石敷きの20~30cm下層には小石敷きがあり、さらに下層は、黄色い山土で厚さ20~30cmに整地していた。 同宮の造営で土地利用が変更された可能性がある。また、柱穴は水路部を隔てて南北に5基見つかった。板塀だったとみられ、石組み溝と同様、同宮の建物群と同じ方位を向いていた。
 今回の調査地の東側では、昭和34年(1959)の奈良国立文化財研究所(当時)による試掘調査で発掘された石敷きとつながり、石敷きの面積は東西32m、南北40mに広がることが明らかになった。
 また、石敷きの西側で、南北16・5mに並ぶ柱穴5基が出土。石敷き遺構の西端を区画する塀だった可能性がある。
 宮の北側には、役所などの施設があったとみられているが、建物跡は見つからなかった。
 今回の調査は、農業用水「吉野川分水」の改修工事に伴って実施されたが、半世紀前の同分水の整備で、石敷きや柱跡が壊されていたことが明らかになり、公共事業と文化財保護のあり方が改めて問われている。
 現地説明会はなく、成調査果は橿考研付属博物館(橿原市)の速報展(2月11日~3月6日、月曜休館)で展示される。
[参考:読売新聞、産経新聞]

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