歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

魚津市・魚津城 発掘調査を開始

2009年08月05日 | Weblog
 魚津市教育委員会は3日、魚津城跡の発掘調査を今月24日から31日の間に行うと発表した。
 NHKの大河ドラマ「天地人」で魚津城の戦いが注目を集めたことを受けて、実施を決めたという。
 同城に関する資料は少なく、今回の試掘調査で江戸時代以前の遺構や遺物の出土に期待している。
 市教委などによると、明治初期ごろまで堀や土塁が残っていたが、撤去され、詳しい規模や構造は分かっていない。
 試掘調査は2000年に市立大町小学校グラウンド横の空き地で一度実施しており、明治、大正時代の遺物が見つかっている。今回は二度目の試掘になるが、グラウンド内を掘るのは初めて。
[参考:中日新聞、朝日新聞]
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岡谷市・榎垣外遺跡 平安期の緑釉陶器出土

2009年08月05日 | Weblog
 榎垣外(えのきがいと)遺跡(同市長地地区)で、平安時代の住居跡から、緑釉陶器などが見つかった。これまでにも同種の出土品が確認されており、役所がなくなった後も有力一族や関係者が住み続けていたことを裏付けることになりそうだとする。
 発掘調査は7月3~24日に住居跡4棟、約200㎡で行った。出土品は鉄鏃5点、土師器6点など計約20点。緑釉陶器は4つの破片で見つかった。
 住居跡は、すでに役所の機能が松本へ移った10世紀ごろのものだが、役人として地元一帯を支配していたとされる有力一族の居宅の周辺に位置し、出土品から、有力一族に仕えるなど何らかの関係がある人物が、この時期も一定の生活水準で住んでいたと考えられる。
 住居跡の1つからは3点とまとまった数の鉄鏃が見つかっているため、住んでいた人物が武人的な性格を帯びていたこともうかがえる。
[参考:中日新聞]

過去の情報・ニュース
 2008.7.30岡谷市と東京・府中市で出土した平安の青銅鏡「八花鏡」 同じ工房で製作か
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宮崎市・下北方塚原第2遺跡 「宮崎郡衙」の建物跡?を発見

2009年08月04日 | Weblog
 下北方遺跡群塚原第2遺跡(同市下北方町塚原)で、9世紀前半の「宮崎郡衙」とみられる大型掘立柱建物2棟の跡が見つかった。
 2棟とも長方形の建物とみられ、幅が12mを超える大きさで、見晴らしの良い高台に位置し、当時は公的施設にしか使われなかった瓦が約700点も出土するなど、立派な建築物だったことがうかがえる。
 建物を支える柱を立てていた柱穴は、2棟で計16個確認された。1棟では直径約80cm、もう1棟は同約1m。同じ時代の一般的な柱穴が約30cmだったことと比較すれば、大きな柱を使っている。
 日向国には宮崎郡など5つの郡があったとされるが、これまで、宮崎郡衙の場所は判明していなかった。
 7月19日市教委が開いた現地説明会には、考古学ファンなど約100人が参加した。
 同遺跡は奈良―平安時代(8~10世紀)の遺跡とされ、これまでに大型掘立柱建物や祭祀場とみられる遺構、竪穴式住居跡などが見つかっている。
[参考:読売新聞、2009.7.19宮崎日日新聞]
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奈良市・新薬師寺 奈良三彩の破片が出土

2009年08月03日 | Weblog
 奈良教育大学の調査で、新薬師寺旧境内の平安時代に埋まった幅約2.5mの溝から緑色釉薬が残る奈良三彩の容器片が出土した。
 確認された破片は7点で、最も大きな破片は約8.5cm。鉢などの容器で法要に使ったとみられる。同寺が創建された奈良時代中―後半の遺物という。 
 昨年10月には、北側に約50m離れた金堂とみられる建物跡の雨落ち溝から、創建瓦と見られる複弁八弁蓮華紋軒丸瓦や均整唐草紋軒平瓦とともに、奈良三彩の破片が出土している。
[参考:奈良新聞]

関連ニュース・情報
 2009.6.24 奈良市・新薬師寺旧境内 焼けた瓦が入った溝が見つかる
 2009.1.19 木津川市・馬場南遺跡
 2008.11.24 新薬師寺 8世紀の金堂跡
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南国市・士島田遺跡 弥生時代後期後半の壺棺21基が出土

2009年08月01日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターは31日、南国市東崎の士島田遺跡で、壺の中に子どもを埋葬したとされる弥生時代後期後半(3世紀)の壺棺が21基出土したと発表した。1か所からの出土は県内最多という。
 集落の中心部に18基が集中していた。集落からは32軒の円形の竪穴住居跡が見つかり、うち8軒が直径8~10mの大型。この時期の集落で、これだけ多くの大きな住居跡が見つかるのは珍しいという。集落の開始時期は後期中葉で、住居跡の大部分が後期後半に含まれる。
 壺棺は、壺の口を割って別の土器で蓋をしたもの、壺に一回り大きな土器を覆い被せて入り子にしたものなどがあり、最も大きい壺は直径70cm、高さ63cmで、壺棺としては県内最大。子供を埋葬したものとみられるが、埋葬者の年齢などを推測する材料はない。
 これまで、香美市土佐山田町の伏原遺跡で十数基見つかったが、これを大幅に上回った。通常は集落の周辺に出土することが多い。
 現地説明会は2日午後1時30分から行われる。大型の住居跡に復元した竪穴住居も見学できる。
[参考:読売新聞、高知県埋蔵文化財センターHP]

過去のニュース・情報
 
2008.10.11古代の南海道の道路遺構が見つかる




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