歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

岡山市・造山古墳 石棺に線刻が認められ装飾古墳の一つに

2012年09月08日 | Weblog
 岡山市北区の造山(つくりやま)古墳(全長350mの前方後円墳、5世紀)で、墳丘上にある石棺に線刻があったことが文化庁によって認められ、装飾古墳の一つに含まれることになった。 装飾古墳としては国内最大となる。
 石棺は、長さ約1・5m、幅約80cmの蓋の破片に、長さ5~15cm、深さ1~2mm、間隔約1cmの平行な線などがあることが確認されていた。 線刻は風化が激しく、何が描かれていたのか復元するのは困難という。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 造山古墳




キーワード: 岡山市・造山古墳

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三次市・松ヶ迫矢谷遺跡 3世紀前半の方形周溝墓から出土したガラス玉はローマ帝国産か

2012年09月08日 | Weblog
 広島県立歴史民俗資料館(三次市小田幸町)は7日、松ヶ迫矢谷(まつがさこやだに)遺跡(同市東酒屋町)の方形周溝墓(1辺9.5m、3世紀前半)から出土した3つのガラス小玉が、ローマ帝国領内(地中海沿岸から中近東)で作られていた可能性が高いと発表した。同様のガラス玉の発見は、中国地方で2例目。
 ガラス小玉は、1977年の発掘調査時に周溝墓の埋葬施設から3個並んだ形で発見された。直径8.8~9.9mm、長さ7.3~7.9mmで、コバルトを着色剤に用い、鮮やかな青い色が特徴。 穴が開いていて、ネックレスなど装身具に使われていたとみられる。
 奈良文化財研究所(奈良市)の蛍光エックス線分析で、約1800年前のローマ帝国で流通したガラスの特徴であるナトロン(蒸発塩)という物質が主成分と分かった。ナトロンを使ったガラス玉は、西谷2号墓(島根県出雲市、ガラス管玉)や御茶屋通遺跡(神奈川県南足柄市、ガラス小玉)などの遺跡でも見つかっている。
 ガラス玉3点は、14日から11月4日まで、同館で開催される特別企画展「中国山地の原始・古代~その時、山は輝いていた~」で展示される。
[参考:中国新聞、朝日新聞、産経新聞、時事通信、広島県HP]

過去の関連ニュース・情報
 2012.6.22 長岡京市・宇津久志1号墳(5世紀前半) 副葬品として出土していた重層ガラス玉が古代ローマ製



キーワード:松ヶ迫矢谷遺跡、ナトロン
로만 글라스 ローマン・グラス ローマガラス Roman Glass 
유리 琉璃 ガラス
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茨城県美浦村・陸平貝塚 縄文早期約7000年前の大規模貝塚を発見

2012年09月07日 | Weblog
 美浦村が進めている県内最大の縄文貝塚遺跡「陸平(おかだいら)貝塚」(同村土浦)の報道機関に対する発掘調査報告が5日、同村土浦の現地で行われた。
 調査の結果、縄文時代早期(約7000年前)の貝塚が、幅10m以上、厚さ50cm以上の規模で斜面を埋めるように堆積していることが確認された。 ハマグリなどの貝殻に加え、当時の土器片も見つかった。
 一般向けの現地説明会が、8日(土)午前10時半と午後1時半の2回行われる。 (雨天中止。)
[参考:茨城新聞、東京新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.9.2陸平貝塚 縄文時代後期(3~4千年前)の貝層が見つかる
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新潟県胎内市・城の山古墳 未盗掘の古墳から畿内的要素を持つ副葬品が出土

2012年09月06日 | Weblog
 胎内市教委は6日、同市大塚にある4世紀前半の城(じょう)の山古墳(東西41m、南北35m、高さ5mの楕円墳)から、長大な舟形木棺や弓(注1)、靫(ゆぎ)(注2)、刀剣、銅鏡、勾玉、管玉、ガラス玉、大刀、銅鏃、鎗、鉇(やりがんな)、斧などの副葬品100点以上が未盗掘の状態で出土したと発表した。 城の山古墳は同時期の古墳では日本海側で最も北にある。 北部日本海側では例のない、ヤマト政権期の畿内的要素を持っており、市教委は「初期ヤマト政権と同盟関係にあった王の墓」とみている。
 大和政権の直接的な影響が及んだ範囲はこれまで、石川県能登半島の国分尼塚1、2号墳(七尾市)や雨の宮古墳群(中能登町)が北限と考えられてきた。
 今春より、古墳上部にある長さ約10.5m、幅約5mの墓坑の調査を行っていた。
 主体部から長さ8m、幅1・4~1・8mの舟形木棺が見つかった。人骨片も残り、頭部を北東に向け、木棺やそれを覆う粘土には多量の赤色顔料(水銀朱とベンガラ)がまかれていた。
 副葬品には小型銅鏡(直径9cm)や大刀(長さ67cm)、ヒスイの勾玉、凝灰岩製管玉、ガラス玉、銅鏃など畿内の古墳にみられる遺物が残っていた。靫は黒漆塗りだった。 築造時期は4世紀第2四半期(316年-330年)とみられる。
 現地説明会が8、9両日の午前10時と午後1時に開かれる。

(注1)弓は2張が見つかっており、黒と赤の漆の塗料が付着していた
(注2)靫は革製で表面には刺繍で描かれた菱形の模様が残っていた。塗られていた黒漆も確認された。
[参考:産経新聞、時事通信、共同通信、毎日新聞、朝日新聞]

大和政権、新潟まで影響力? 城の山古墳から銅鏡や勾玉(朝日新聞) - goo ニュース



キーワード: 城の山古墳、槍鉋、やりがんな、ヤリガンナ

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鹿児島県大崎町・天神段遺跡 西日本最古の石剣出土

2012年09月06日 | Weblog
 
 鹿児島県教委は5日、同県大崎町野方にある天神段(てんじんだん)遺跡から今年6月に縄文時代前期(約5000年前)の磨製石剣が出土したと発表した。西日本最古の石剣であり、東日本との交流の可能性を示す貴重な資料という。
 石剣は長さ35cm、幅2・9cm、厚さ1・5cm、重さ約300gで、材質は南九州に分布する頁岩(けつがん、堆積岩の一種)である。形状は東日本の縄文前期の石剣と似ているという。 同じ地層から出た土器の年代から、年代を推定した。
 日本最古の石剣は、東京都日野市の神明上(しんめいうえ)遺跡で発見された7500年前のものとされている。
[参考:西日本新聞、共同通信、大分合同新聞、南日本新聞]
過去の関連ニュース・情報
 2008.9.14 志布志市大崎町・天神段遺跡 現地説明会予定

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上高田社宮子原遺跡および中里下原遺跡ほか 現地説明会9/8

2012年09月06日 | Weblog
 富岡市教委は、同市妙義町上高田の上高田社宮子原(かみたかたしゃぐじはら)遺跡から、弥生時代中期(約1900年前)の竪穴住居跡約20軒が確認されたと発表した。
 11年度から今夏まで、同遺跡と中里下原遺跡、中里中原遺跡、中里宮平遺跡を調査し、その結果、縄文時代から奈良・平安時代にかけて建てられたとみられる住居跡約200軒や、空堀の大溝が発見された。
 上高田社宮子原遺跡からは1軒が3〜5m四方の大きさの弥生中期の竪穴住居跡が1万5000㎡の範囲に点在して見つかった。 住居内からは壺が出土した。
 中里下原遺跡からは縄文時代の集落跡や配石墓群が一緒に見つかった。
現地説明会が、9月8日午前9、10、11時の計3回に上高田社宮子原遺跡と中里下原遺跡を中心に開催される。集合場所は妙義庁舎近くの現地事務所。
[参考:毎日新聞、産経新聞、富岡市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.6上高田社宮子原遺跡および上高田熊野上遺跡 現地説明会9/11
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木津川市・浄瑠璃寺 12世紀半ば、造立当初の石組み発見

2012年09月05日 | Weblog
 木津川市教委は4日、平安時代の浄土式庭園を代表する特別名勝・史跡浄瑠璃寺(木津川市加茂町)で、12世紀半ばの遺構が初めて見つかったと発表した。庭の池の縁から石組みが出土し、時期が寺に伝わる記録と一致し、庭が平安末期に築かれたことが裏付けられたとしている。
 市教委が6月から池の周囲を発掘したところ、池の南岸で池に下りる階段状の花崗岩の石組み(長さ2m、幅90cm)が見つかった。 遺構からは、平安時代末期の瓦器椀が見つかった。 池の管理に使った階段か、雨水を流す水路だったとみられる。
 浄瑠璃寺は記録によると12世紀に本堂の九体阿弥陀堂(国宝)や三重塔(同)が整備され、久安6年(1150)に、「池を掘り石を立てる」と庭池に関しての最初の記述があり、12世紀半ばから数十年かけて整備されたと考えられていた。
 浄土式庭園は仏の世界(浄土)を境内に表現したもので、池を海に見立て、西側にある来世(極楽浄土)を東側から拝んだとされる。 今年2月には、池の西側で長さ40mと推測される鎌倉時代以前の州浜(すはま)跡が見つかっている。
 また、東岸では幅2mにわたって玉石を敷き詰めて浜辺のようにした州浜跡も見つかった。出土した瓦から14世紀初め(鎌倉時代後半)以前とみられる。州浜の真下が地山なので、当初の平安末期に築かれた可能性もあるという。
 現地説明会は8日午前11時と午後2時の2回に開かれる。
[参考:京都新聞、朝日新聞、毎日新聞]

小田原山浄瑠璃寺(真言律宗)
 寺に残る「浄瑠璃寺流記事」(1350年に転写したとの記述がある)によれば、浄瑠璃寺の創建は永承2年(1047)という。小規模の本堂を造立したらしい。 久安3年(1147)に興福寺一乗院門跡であった摂政藤原忠通の子恵心が入寺し、池を掘ったという。

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向日市・長岡宮 小安殿と大極殿結ぶ廊下の遺構を確認

2012年09月01日 | Weblog
 向日市鶏冠井町の長岡宮・小安殿跡(注)で、大極殿とつながる廊下の一部の遺構が見つかった。地覆石(底石)が敷かれていたとみられる溝の幅が、後期難波宮のそれと一致し、長岡宮が後期難波宮を移築して造られたことをあらためて裏付ける発見としている。 大極殿との間をつなぐ廊下の存在は想定されていたが、実際に確認されたのは初めて。
(注) 小安殿: 天皇が政務を執る大極殿に入る前に控える休憩所。
[参考:京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
長岡宮
2010.12.8 長岡京 続日本紀に記述の西宮の複廊跡を発見か
 大極殿などが長岡宮へ移築された後期難波宮の複廊と一致。
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