世界の使い方

2019年03月12日 04時50分13秒 | 社会・文化・政治・経済
 

商品の説明

内容紹介

旅に理由はいらない――すぐわかるはずだ。

旅は、旅であるというだけで十分なのだから。

名著『ソングライン』に続く、
「オン・ザ・ムーブ」シリーズ第2弾。
自費出版から「旅のバイブル」とまで
呼ばれるようになった、幻の旅行記が待望の邦訳。

1953年、ニコラ・ブーヴィエはポンコツのフィアットに乗ってジュネーブを発つ。
旅の手持ちは2年という月日と4か月分の現金。ベオグラードで親友の画家
ティエリと落ち合い、ロマの旋律に導かれるように東へ東へとつき進む。
旧ユーゴスラビア、トルコ、イラン、アフガニスタン・・・・・・
世界から世界へ、道はどこまで続いていくのか。
「世界は水のように身体のうちをすり抜け、わずかな時間だけ、その色を貸してくれる」
みずみずしい旅の記憶は色褪せることなく、いまもなお旅人に熱く語りかける。

 内容(「BOOK」データベースより)

「僕らは世界を見るために旅に出た」1953年、ニコラ・ブーヴィエはポンコツのフィアットに乗ってジュネーブを発つ。旅の手持ちは2年という月日と4か月分の現金。

ベオグラードで親友の画家、ティエリと落ち合い、ロマの旋律に導かれるように東へ東へとつき進む。

旧ユーゴスラビア、トルコ、イラン、アフガニスタン…世界から世界へ、道はどこまで続いていくのか。

「世界は水のように身体のうちをすり抜け、わずかな時間だけ、その色を貸してくれる」みずみずしい旅の記憶は色褪せることなく、いまもなお旅人に熱く語りかける。約半世紀にわたって「旅のバイブル」と称される幻の旅行記。

著者について

 [著者]

ニコラ ブーヴィエ Nicolas Bouvier

1929年、スイス・ジュネーブ生まれ。旅行家、作家、写真家、図像調査士。幼い頃から読書をとおして世界へ焦がれ、1953年6月、24歳のときに画家ティエリ・ヴェルネとともに旅に出る。

旧ユーゴスラビアからトルコ、イラン、パキスタン……約1年半におよぶこの旅の記録は、処女作『世界の使い方(L'usage du monde)』として1963 年に自費出版され、後年ヨーロッパ圏ではカリスマ的人気を博し、いまもなお多くの旅人に影響を与えている。本書はカイバル峠で幕を閉じるが、その後ブーヴィエは独りでセイロン、日本へと旅を続けることになる。主な著作の抄訳は『ブーヴィエの世界』(みすず書房、高橋啓訳)に収められている。1998年2月17日没。

[絵(本文イラスト)]

ティエリ ヴェルネ Thierry Vernet

1927 年、スイス・ジュネーブ生まれ。画家、イラストレーター、舞台デザイナー。インテリアデザイナーと画家のもとで修行をつづけ、1953 年、ブーヴィエよりひと足先にベオグラードへ旅立つ。旅のあいだに描かれた数々の絵は、旅や現地の様子を知る貴重な資料となっている。本作ではカブールでブーヴィエと別れ、恋人に会うためにセイロン島へ渡り、1955年3月16日にフロー(Floristella)と結婚。帰国後、しばらくジュネーブで活動したのち、パリへ拠点を移し、コメディジュネーブをはじめ多くの舞台デザインを手がけながら、創作活動を続ける。1993年10月1日没。

[訳者]

山田 浩之 Hiroyuki Yamada

1966 年、兵庫県生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒。主な訳書に『森の中のアシガン』(青山出版社)、『太陽の王ラムセス』シリーズ(角川書店)、『時間を超えて』(PHP 研究所)など。

[カバー装画]

下田 昌克 Masakatsu Shimoda

1967 年、兵庫県生まれ。桑沢デザイン研究所卒。アジアをはじめ世界各国を放浪したのち、絵描きとして活動を始める。『PRIVATE WORLD』(山と渓谷社)、『ヒマラヤの下インドの上』(河出書房新社)、『辺境遊記』(英治出版)などの旅行記のほか、絵本や挿絵なども手がける。

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ブーヴィエ,ニコラ
1929年、スイス・ジュネーブ生まれ。旅行家、作家、写真家、図像調査士。幼い頃から読書をとおして世界へ焦がれ、1953年6月、24歳のときに画家ティエリ・ヴェルネとともに旅に出る。旧ユーゴスラビアからトルコ、イラン、パキスタン…約1年半におよぶこの旅の記録は、処女作『世界の使い方(L’usage du monde)』として1963年に自費出版され、後年ヨーロッパ圏ではカリスマ的人気を博し、いまもなお多くの旅人に影響を与えている。1998年2月17日没 

ヴェルネ,ティエリ
1927年、スイス・ジュネーブ生まれ。画家、イラストレーター、舞台デザイナー。インテリアデザイナーと画家のもとで修行をつづけ、1953年、ブーヴィエよりひと足先にベオグラードへ旅立つ。旅のあいだに描かれた数々の絵は、旅や現地の様子を知る貴重な資料となっている。カブールでブーヴィエと別れ、恋人に会うためにセイロン島へ渡り、1955年3月16日にフロー(Floristella)と結婚。帰国後、しばらくジュネーブで活動したのち、パリへ拠点を移し、コメディジュネーブをはじめ多くの舞台デザインを手がけながら、創作活動を続ける。1993年10月1日没 

山田/浩之
1966年、兵庫県生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

内容(「BOOK」データベースより)

「僕らは世界を見るために旅に出た」1953年、ニコラ・ブーヴィエはポンコツのフィアットに乗ってジュネーブを発つ。旅の手持ちは2年という月日と4か月分の現金。ベオグラードで親友の画家、ティエリと落ち合い、ロマの旋律に導かれるように東へ東へとつき進む。旧ユーゴスラビア、トルコ、イラン、アフガニスタン…世界から世界へ、道はどこまで続いていくのか。「世界は水のように身体のうちをすり抜け、わずかな時間だけ、その色を貸してくれる」みずみずしい旅の記憶は色褪せることなく、いまもなお旅人に熱く語りかける。約半世紀にわたって「旅のバイブル」と称される幻の旅行記。

 

 

 

 

 

 
 

高年向きの愉しみ

2019年03月12日 03時12分18秒 | 投稿欄

2014-10-24 11:07:02 | 投稿・寄稿欄

医科歯科通信の写真と銀司の文を読んでいて想い出しました。

最近、よいカメラを持ってハイキングや山登りをする中高年の男女が増えたようですが、
個人のHPなどでも綺麗な写真を載せる人も多くなりました。
下記のサイトの写真などは写真撮影に出かけたくなるようなレポートでした。
Http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20140901/270606/ 

写真が多くて開くのにちょっと時間のかかるサイトでしたが、
時々、見てみたくなるようなページがあります。
(馬太郎)

この日経のHPの中のJAGZYというコーナーは、中高年向きの愉しみを
日経の記者、OBなどが紹介するコーナーのようです。
暇なとき見てみては。












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調剤医療費増大が課題 - 経済財政白書


新陳代謝は世の常

2019年03月12日 03時06分07秒 | 投稿欄

2015-06-10 01:49:46 | 投稿・寄稿欄

山本さんも歯科の取材は引退とのこと。
今風に言えば“卒業”でしょうか。
引退よりも卒業のほうが、次に何かが待っている気が
します…。

新陳代謝で生きのいい若者ジャーナリストが出てきて
ほしいものですが、歯科では無理でしょうか…。

ものの見方、考え方がしっかりしていないと、
また経験がないと、世の中の流れや、リーダーの思惑を
しっかり掴んで報道することはできないでしょうから、
歯科界のメディアもそういう記者が生まれて欲しいですが…。

歯科ばかりでなく、一般紙も、憲法学者が言う前に、
しっかり指摘し、キャンペーンを張るくらいのジャーナリスト、
メディアがなくてはいけないでしょう。
本来は平和政党の公明党が真っ先に言えるのですが…。
ずる賢い安倍さんは早く引きずり下ろさないと、日本が危ないと
思います。そう思っている人は結構いるはずです。

地球規模の大義、志がないと、この時代、米国に中国に
引きずられてしまいます。ここで安倍の流れを本気で変えないと
危ないです。

未来予測学的には、自然科学的なこと以外は、ほとんど
人の心、欲望が未来への流れを作っていると思います。
誤解を恐れずに言えば、歴史にしても、ギャンブルにしても
同等です。

山本さんの歯科報道は卒業しても、人生修業は卒業しない
でしょうから、若い人に真似のできない“言葉”と“花”の
ブログを続けて下さい。



























という訳で、これからは医科歯科関連のニュース拾い読みも、
面白いもの、考えさせられるものだけを、投稿しましょう。
コメント

第三の顔

2019年03月12日 02時56分45秒 | 創作欄

2015-06-15 22:39:58 | 創作欄

「人間には三つの顔がある」と犯罪被害者について詳しいある精神科医は分析する。
家族が知っている顔。
学校の友人たちが知っている顔。
さらに、家族や友人たちすら知らないまさかの隠された顔である。
15歳の鳳美智子の顔は、性の衝動に突き動かされた第三の顔であった。
「あんた、可愛い顔しているね、まけてやるよ」14歳の年の夏祭りの日に、美智子は刺青が法被姿の袖口から見える露天商の男から言われ、心がくすぐられたのだ。
「そうか、私は可愛いのか」取手の夏祭りは忘れられない年となった。
1本の焼き鳥におまけの1本の焼き鳥に満足した。
「可愛いことは、得もするんだ」美智子は浮かれた気分になった。
女の武器に目覚めたのだった。
援助交際などという言葉がない昭和40年の頃、美智子は15歳で男の求めに応じて、5000円で処女を売った。
東京・渋谷の交差点でサラリーマン風の40代の男から声を掛けられた。
「おねいさん、可愛いね」美智子が背後を振り返ると濃紺のスーツ姿の黒ブチのメガネをかけた男は柔かに微笑んでいた。
バリトンのよく通る声で耳障りも良かった。
美智子が知っていたNHKのアナウンサーの声を彷彿させた。
「デートしようか?」男はナンパに慣れていた。
相手は日替わりで女を抱いている男であった。
美智子は性の体験を欲していた。
それは夫を交通事故で失しなってから、男狂いとなった祖母真子の血の流であっただろうか?
美智子は父親の徹からとても可愛がられ、育ってきた。
「お父さんのようは人と結婚したいな」13歳の美智子は親友の仁美に打ち明けたことがある。
「私は嫌だな。取手競輪に凝っているお父さんは大嫌い!」仁美は陰鬱な顔をした。
都立高校の数学教師であった美智子の父親は、競輪などとは無縁の立場であった。
「大工さんなど、大嫌い!」仁美の父親は大工の棟梁で、自宅に大工たちが呼ばれて来て、昼間から酒を飲むこともあった。
仁美は酔った大工の一人から胸の膨らみを触らてから大工たちの不遜さを嫌悪していた。
「胸触られて、どうだったの?」美智子は聞いてみた。
「ゾッとしたわ。大工はひどい人たちなの」仁美は眉間にシワを寄せて首を振った。
美智子は一度、男から胸を触ってほしいと夢想したことがあった。
一人湯舟に浸かりなだが、自らの乳房を揉んでみた。
「気持ちいい。男から揉まれたら、もって気持ちいいのんだろうな?」美智子は恍惚となっていた。
父は渋谷の高校へ勤めており、その日は文化祭で、「一度、文化祭を見に来いないか?帰りにおまえが好きな寿司をご馳走するよ」と父親に誘われていたのだ。
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一郎の従弟幸雄の恋

2019年03月12日 02時43分12秒 | 創作欄

2015-07-06 20:13:06 | 創作欄


牛田一郎と従弟の幸雄は誕生日が1日違いであった。
歌人であった叔父の影響であろうか、高校生になってから2人は競うように短歌を作りだした。
短歌のレベルは残念ながら初心者のレベルの域に留まっていた。
師と仰ぐ人が身近にいたわけではないし、歌壇に残されている優れた歌人の歌集を読んでもいなかった。
ただ、指をおりながら5、7、5、7、7と言葉を並べて満足していた。
○ 夕闇の金木犀の香に想う君が面影文にどどめん
幸雄が下校途中の彼女と出会ったのは、材木町の街角であった。
秋は恋心が芽生えるような予感をさせる季節であった。
「一郎、俺、恋をした。一度、彼女のこと見てくれや」幸雄は高揚した気持ちを打ち明けた。
一郎は未だ恋いらしい恋の機会には巡り合っていなかったので、「羨ましいな、ユキが恋をしたんか。本気か」と確認した。
「出会って、不思議な気持ちになった。俺、彼女と結婚するよ」一郎の目は常になく真剣である。
「結婚、まだ早すぎるよ」一郎は呆れた。
「早くなんか、ないよ。姉やんは15歳で結婚した。俺は17歳、来年は18歳なるよ」一郎は語気を強めた。
「そうか、それではその彼女に1度会ってみよう」一郎は半信半疑であったが、どのような相手なのか興味も湧いてきた。
翌日、材木町で下校する沼田女子高等学校の生徒たちを2人は待っていた。
2人は沼田農業高校に通学していて、母親たちの母校の生徒に多少は親近感を抱いていた。
伯母の松子は沼田女子高等学校1期生、一郎の母は7期生、幸雄の母は5期生であった。
「おい、彼女が来たよ。3人連れの真ん中が彼女だよ」幸雄の声が高くなっていた。
一郎は幸雄が恋をした女子高生を認めた。
彼女の視線が幸雄に注がれていた。
彼女は笑顔になっていた。
だが、一郎は両側の女子高生と比べ彼女が見劣りすると思ったのだ。
面食いの一郎は右端の子を見て「何て可愛いのだ」と視線が釘付けとなっていた。
「一郎、彼女どうだ。可愛いだろう。気持ちも好きになれそうなんだ」
「あれが惚れた彼女か。そうなんだ」一郎は頷いたが拍子抜けがした。
幸雄は歌を添えて恋文を彼女に手渡した。
「これ、読んでくれや」幸雄は気持ちが高揚していた。
「ありがとう」彼女は恥じらいと多少の戸惑い期待感から笑顔を赤らめた。
彼女に気持ちが通じて幸雄は有頂天になった。
「こんなに、うまくいくんか」と幸雄は恋の勝利者の気分に染まっていく。
「後で読むからね」
姫木典子は渡された封筒を鞄に収めた。
2人は初めてのデートを楽しむように沼田城址へ向かって肩を並べ歩いて行く。

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実はこの創作は、午前11時ころ入力したが、何の間違いか消えてしまった。
さらに、パソコンがフリーズして復帰したのが午後6時である。
同じような文を再現した。
再現してからアップの段階でまたパソコンがフリーズする。
その間、囲碁、将棋で時間を潰す。










「私の歯科人生」は 「詩的真実」創作でした

2019年03月12日 02時29分02秒 | 日記・断片

2015-07-28 16:03:16 | 医療と介護

脚色が色濃かった「私の歯科人生」は、人生そのものではなく、「詩的真実」を狙ったもので、想えば駄作でしたね。
元同僚のMさんからも「娘が読むかもしれないので、削除してほしい」と依頼されました。
30代の日々ですが、彼と当方が同じ女性を愛したことやその後、彼が妻子を棄てた経緯まで書く必要があったのかと、反省もしました。

山本 嗣信 (やまもと つぐのぶ)

東日本大震災とそれに続く原発事故に潜む「詩的真実のようなもの」

2019年03月12日 02時24分27秒 | 社会・文化・政治・経済
評者◆添田 馨さん
「人間の言語」を超えた世界の側からの声──東日本大震災とそれに続く原発事故に潜む「詩的真実のようなもの」
No.3076 ・ 2012年09月01日




 『夢よりも深い覚醒へ──3・11後の哲学』(岩波新書)のなかで大澤真幸は、東日本大震災とそれに続く原発事故に関して、そこには「詩的真実のようなもの」があると述べている。「詩」とは言語でありながら、言語自身を超え出ていくものであり、しかしその表出力はあくまで言語に内在しているものと見なすことができよう。

震災と原発事故には、これと類似した本質が宿っている。

しかも、それは見かけ上のことではなく、これら一連の出来事の根底つまり余計なものを削ぎ落とした「台座」の部分で、まさにそうなのだと言っている。 

 大澤の視点は徹底していて、原発の問題は単に“原子力発電”の問題なのではなく、わが国の戦後=後の社会システム全体の問題、つまり普遍的な課題としてそれは現在に浮上しているのだという。
原発事故という個別の「出来事」を通して、それをはるかに超越した神のような“普遍”がそこに顔を覗かせるのだ。こうした特異な相を捉えて、大澤は「詩的真実のようなもの」と述べているのだろう。
耳慣れない語法だが、私にはきわめて妥当なリテラシーと映る。 
 恐らく、これと表裏のことを瀬尾育生は『純粋言語論』(五柳書院)で展開している。
同名のエッセイのなかで、瀬尾はハイデガーとベンヤミンを援用しつつ、今般の震災は実は「純粋言語の問題」だったと述べている。
一体どういうことか? 「普段は人間が自然の状態をコントロールしていると思っているから、「純粋言語」は「人間の言語」に翻訳され取り込まれている。ところがそれが制御できなくなって、「純粋言語」が直接語りだすということが起こった。
それが地震であり、津波であった」(17頁)。
──そして、こうした事態はわれわれの内面においても共時的に引き起こされたはずであり、それを瀬尾は「存在災害」という概念で描きだしている。 
 「存在災害」が人間の言語に翻訳できない、いわば内部化された「純粋言語」としての“外傷”であるなら、大澤のいう「詩的真実のようなもの」と、それはどこかで恐らく重なり合う。
3・11以降、私たちの意識と行動に変化をもたらしているのは、「人間の言語」を超えた世界の側からの、こうした呼びかけ(声)に他ならない。 
(詩人・批評家)

文学からみた農村

2019年03月12日 02時15分28秒 | 社会・文化・政治・経済

詩人たちは農村に何をみてきたのか (特集 農業・農村のエンタテインメント・デザインを考える)
山下 裕作さん

自然科学的な客観的真実とは別に、人間が五感で感じ取り、主観の中で整理する真実である。
人間として生きる限り、この真実は重い意味を持つ。
詩人が描き出す「村」は、現実の農村とは客観的には異なるであろう。
しかし、人間として生きるうえで無視することができない「詩的真実」にあって、「村」はさまざまに美しく語られる。
農村の多面的機能ということが盛んに言われているが、実は、村とは、そこにあるということだけで、さまざまに生きる人々の心の支えとなっているのかもしれない。
そうした村の姿を、詩の中から探っていこうと思う。

PDFファイル (3556KB) 


英詩の技巧―詩的真実の表現

2019年03月12日 02時08分32秒 | 社会・文化・政治・経済

 

 
 
 
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内容(「BOOK」データベースより)

いわゆる詩的技巧を駆使した表現は、科学の目からみれば「うそ」であり、「うそ」でないまでも一種のトリックであり、そこには誇張があり、逆説があるということになろう。

だがロゴスの世界ではなくマゴスの世界では、そのような擬似叙述でもって真実がより真実に伝達されることになるのだ。

 

 
 
 
 

推敲を終えるめどは?

2019年03月12日 01時54分26秒 | 社会・文化・政治・経済

56歳・女性の相談

毎日新聞「人生相談」回答は作家の高橋源一郎さん

「毎月、ミニコミ誌のコラムを執筆しています。原稿執筆後、2日ほど寝かせておいてから推敲すると、元の原稿より良く仕上がっているように思います。
さらに、再々推敲すると、もっと良く仕上がっているように思えるので、締め切りまで推敲を続けます。締め切りが無ければキリがないのでは、と思うのです。職業作家の方々はどの段階で推敲を終えるのでしょうか。

おっしゃる通り、たいていの文章は推敲すればよくなります。
ですから、時に、「泥沼」に陥るほど、わたしたちは文章を直したくなるのです。
それが特にうまくいくのは、「論説」の類いの文章です。
わたしは長く「論説時評」を続けてきましたが、担当記者の、作家とは異なる視点からの鋭い指摘に冷や汗をかきながら修正すると、明らかに「良く」なっていくことに驚いたのです。
しかし、あらゆる文章が「推敲」によって「良く」なるわけではありません。
作家の小島信夫さんは、晩年、文章の修正を拒否したことで知られています。
その結果、小島さんの晩年の作品では、通常あり得ないような間違いが見つかります。
固有名詞や事実の間違い。
文法上や表記の間違い。
いや時には、3人しかいない場所で4人がしゃべっているような法外の事態さえ起こりました。小島さんは、その時わたしはそう思ったのだから直す必要はありません、とおっしゃったそうです。
つまり、「人生」を。
そして、「人生」において、人は「推敲」することができません。
やり直すことができないのです。
どんなに後悔しても。
小島さんの作品を読んで異様な感銘を受けるのは、そこに「人生」そのものであるような文書があるからです。