共産党の<愚民政策>?

2019年03月18日 22時36分36秒 | 沼田利根の言いたい放題

興味がなくとも、社会の一員として、<知っておくべきこと>がある。
嗜好に応じて情報を選択して提供するSNSの普及。
もしかして、誰かが意図するように、情報を限定して流す場合もある。
情報戦略では、典型的なのが、日本共産党が流す情報。
実績がないのに、他の党の情報を横取りして、あたかも自分の党の実績として刷り変える。
この狡猾さの、基本にあるのは、<愚民政策>。
情報不足の国民を騙せるという、狡猾さなのだ。
共産党の愚民政策は、害毒では?!
沼田利根

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上野高志県議 県営ギャンブル 取手競輪場は廃止を 「憩いの場に転換を」と提案

 上野議員は総務企画委員会で「百里基地と共用で危険な茨城空港への税金投入はやめよ」と主張。

また、自民党が紹介議員となった『憲法改正の早期実現を求める請願』は、戦争する国づくりをすすめるものとして強く反対しましたが、賛成多数で採択となりました。

 さらに、戦後の復興事業として始まった県営取手競輪場の問題を提起した上野議員。

来場者数も収益も減り続け、取手市への収益金は年間わずか2千万円程度です。競輪はスポーツとして発展させるべきであり、「ギャンブル事業は廃止して、子どもや若者、女性も気軽に利用できる憩いの場に転換を」と求めました。

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なぜ共産党は競輪に反対するのか?

競輪、競馬などのギャンブルどう考える?

 〈問い〉 読者から「共産党はなぜギャンブル産業に反対しないのか。競輪・競艇もぜんぜん反対していない」と言われました。日本共産党のギャンブル・賭け事に関する見解を教えてください。(静岡県・一読者)

 〈答え〉 日本共産党はギャンブルもその産業も肯定するものではありません。今日の社会の矛盾の中で、ギャンブルにささやかな楽しみを求めている人々も少なくありませんが、健全なスポーツに発展させる政策を実行して、これらの人々がギャンブルをしなくてもすむような社会をめざします。

 競馬や競輪、競艇などは、賭博・富くじ販売禁止の唯一の例外として、競馬法や自転車競技法などで国、都道府県、指定市町村に限って、公営ギャンブルが定められています。この法律が誕生する背景としては、戦後の窮乏した地方財政、戦災都市の復興をはかるためであり、1948年にできました。

 しかし、1980年代以降、各ギャンブルとも、売り上げが減り、赤字経営に陥るなど地方自治体の足かせになっているところも出てきました。政府はその売り上げを伸ばすために、「競輪・オートレース法改正案」(2002年)、「競馬法改正案」(04年)を出してきました。日本共産党は、この法案がギャンブル事業の業務を民間事業者に委託できるものであり、競馬で重勝式投票方法でのギャンブル性の拡大、学生の購入制限の解除などが盛り込まれていることから、反対しました。

 反対討論では、公営ギャンブルの場外車券売場の設置をめぐるトラブルが全国各地で頻発しているにもかかわらず、地域住民の意思を反映する仕組みがないままで法定化することを批判し、競輪の施行者の自治体の半数が赤字に転落する一方、運営する日本自転車振興会には500億円を超える内部留保があり、補助金が天下りの温床になっていることにメスを入れる改革こそ必要と迫りました。

 日本共産党は、ケイリンがオリンピック種目に採用されているように、競馬や競輪などが健全なスポーツとして発展していく可能性を尊重し、そのための努力が大事だと考えています。(鳥)

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年々減少、取手市への繰入金  平成21年度は500万円
 取手市営競輪事業収益は、年々減り続け、平成21年度競輪事業特別会計から、一般会計へ繰り入れされる額は、前年度の1000万円をさらに下回る500万円となりました。
 平成22年度予算では、2000万円の繰り入れを見込んでいますがその保障はありません。日本共産党は、歴史的な役割を終えた競輪場の「計画的廃止」を求め、「特別会計」予算に反対しました。
取手競輪事業の入場者数(取手市開催分)と取手市への繰入金

アンケートのお願い 「取手競輪場を将来にわたってどうするか」は取手市のまちづくりにとって重要な問題です。

日本共産党は、みなさんと「競輪場問題」を考えたいと、市民のみなさんへのアンケートを企画し、取り組んでいます。

ご協力よろしくお願いいたします。
アンケート用紙については日本共産党取手市委員会にお問い合わせ下さい。
 

 

 

 



二十六人の男と一人の女ゴーリキー傑作選

2019年03月18日 12時43分18秒 | 社会・文化・政治・経済

文庫|詳細

ゴーリキー/著 中村唯史/訳

社会の"どん底"で、這うように生きる人々の活力と哀愁。

100年の時を経て、いまこそ読まれるべき文豪の短篇集。

二十六人の男と一人の女ゴーリキー
その日も、ふだどおり彼女が現れる。
「皆、どんぐりまなこで彼女を見ていたが、何を話せば良いのか、わからなかったのだ。俺たちはターニャの前に、黙りこくった暗い群れとなって突っ立っていた」
どんぐりまなこは久しぶりに見たことばなので、僕は楽しい気持ちになった。
行き届いた人間観察、弾けるような美しい会話から生まれる、ゆたかな世界は格別なものだ。
深刻な状況に直面しても、作品を書く楽しさを忘れてはいない。
それがゴーリキーの文学のとてもすてきなところだ。(荒川洋治さん評)

作品

本書に描かれた十九世紀後半のロシアは、(中略)既存の社会機構の動揺や明確な価値観の喪失等で、現代のグローバル化した世界にも通じている。流動化した世界に生きる私たちは、ゴーリキーの手を経て本書に立ち現れた群像の中に、自分たちに類した絶望や希望、感情や思考の屈託と流露を見いだすだろう。(解説より)


物語

半地下の部屋で一日中パンを作らされている俺たちには、毎朝やってくる小間使いターニャの存在だけが希望の光だった。だが、伊達男の登場で......。底辺で生きる男たちの哀歓を歌った表題作、港町のアウトローの郷愁と矜持を生き生きと描いた「チェルカッシ」など、初期・中期の4篇。

収録作品
  • 二十六人の男と一人の女─ポエムー
  • グービン
  • チェルカッシ
解説

中村唯史

マクシム・ゴーリキー
[1868−1936] ロシアの作家・ジャーナリスト。ニジニー・ノヴゴロド(1932-90年まで彼にちなみゴーリキーと呼ばれた都市)の商人階層の家に育つ。
困窮のため11歳から働き始め、20代まで各地を放浪した後、その経験を基にした短篇を次々と発表。
1898年には作品集『記録と短篇』が刊行され好評を博す。
革命運動にも関与しつつ、戯曲『どん底』、長編『母』などを執筆し、「プロレタリア文学の父」とも呼ばれた。
革命後は、ボリシェヴィキ政権と対立してイタリアに移るが、やがて擁護に転じ、1933年に帰国。
その後はソ連の文化政策に協力する一方、体制に順応できない知識人の擁護にも尽力した。
[訳者]中村唯史
1965年北海道生まれ。東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻博士課程退学。モスクワ大学留学、山形大学教授などを経て、現在、京都大学教授。専門はロシア文学・ソ連文化論。共編著に『再考ロシア・フォルマリズム』『映像の中の冷戦後世界』『自叙の迷宮』ほか。翻訳に『オデッサ物語』(バーベリ)、『恐怖の兜』(ベレーヴィン)、『ハジ・ムラート』(トルストイ)、『トレブリンカの地獄』(グロスマン、共訳)など 

拗ね者たらん 本田靖春 人と作品

2019年03月18日 12時16分09秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 後藤 正治  (著)

新聞は言葉を介したジャーナリズムの主流だ。

優越性があるのは(読者からの)信頼性だ。
それを記者として体現したのが朝日新聞の深代惇郎(天声人語)の筆者ーであり、本田だったと考えている。
ずっと本田の仕事が好きだったと著者は言う。
客観性が求められる新聞で、主観を前面に出したキャンペーン報道をした。
「自由にはばたいた社会部のやんちゃ坊主です」
それだけに、今の新聞に対して「言葉の力が落ちている気がする。中心軸を持ってほしい」と訴える。

商品の説明

内容紹介

『現代家系論』『日本ネオ官僚論』『私のなかの朝鮮人』『誘拐』『私戦』『不当逮捕』『疵』『警察回り』『「戦後」美空ひばりとその時代』『我、拗ね者として生涯を閉ず』・・・読売新聞社会部エース記者として名を馳せ、独立後は『不当逮捕』『誘拐』などの名作を生んだ孤高のジャーナリスト・本田靖春の生涯を、その作品群と新聞記者・編集者など多くの関係者のインタビューから浮かび上がらせた人物ノンフィクション。

『現代家系論』『日本ネオ官僚論』『私のなかの朝鮮人』『誘拐』『私戦』『不当逮捕』『疵』『警察回り』『「戦後」美空ひばりとその時代』『我、拗ね者として生涯を閉ず』・・・読売新聞社会部エース記者として名を馳せ、独立後は『不当逮捕』『誘拐』などの名作を生んだ孤高のジャーナリストの生涯を、その作品群と新聞記者・編集者など多くの関係者のインタビューから浮かび上がらせた人物ノンフィクション。

本田靖春(ほんだ・やすはる)とは――1933年、旧朝鮮・京城に生まれる。

早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業し、55年、読売新聞社に入社。

社会部記者、ニューヨーク特派員などとして活躍。とくに精力を傾けた連載「『黄色い血追放』キャンペーン」では、日本の献血制度確立に多大な貢献を果たした。
71年に退社、フリーのノンフィクション作家となる。84年、『不当逮捕』で講談社ノンフィクション賞を授賞。
代表作に『誘拐』『私戦』『村が消えた』など。『我、拗ね者として生涯を閉ず』連載最終回を残して、2004年12月4日死去。享年71。

著者について

後藤 正治
1946年、京都市に生まれる。ノンフィクション作家。
『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞、『清冽』で桑原武夫学芸賞受賞。近著に『天人』『奇蹟の画家』(ともに講談社文庫)、『言葉を旅する』(潮出版社)、『後藤正治ノンフィクション集』(全10巻、ブレーンセンター)など。


 

 
 

田沼武能写真展  東京わが残像

2019年03月18日 11時53分19秒 | 社会・文化・政治・経済

4月14日まで「田沼武能写真展  東京わが残像 1948-1964」がはじまりました。

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」会場入り口

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」会場入…

2月9日(土)から始まった展覧会「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」では、今年90才を迎える写真家・田沼武能氏の活動を、戦後の1948年から1964年の東京オリンピック開催の年にかけて撮影された写真180点をご紹介します。そして会場のところどころには、懐かしい記憶がよみがえる、当時の「すごろく」や「めんこ」、東京オリンピックの記念品などが展示されています。

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」…


第一部のテーマは「子ども」。
路地や街角の子どもたちの生きいきとした表情や、戦後の子どもたちの暮らしをご紹介します。

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」…


続く「下町」をテーマとした第二部では、祭りや出店などに集まる人で賑わう街の様子が並びます。

「街の変貌」をテーマとした第三部では、急速な変貌を遂げる東京の街と暮らしを撮影した作品をご紹介します。

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」…


会場最後のコーナーでは、「特別展示 世田谷の文化人」として、20代の田沼武能氏にとっては出世作となり、現在もライフワークとして続く、肖像写真の中から、世田谷にゆかりのある文化人の姿をとらえた作品を展示しています。

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」…


開館時間:
10:00~18:00(入場は17:30まで)

休館日:
毎週月曜日
※ただし2月11日(月・祝休)は開館、翌2月12日(火)は休館。

会場:
世田谷美術館 1階展示室

主催:
世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)
後援:
世田谷区、世田谷区教育委員会、公益社団法人日本写真家協会、公益社団法人日本写真協会
協賛:
東京工芸大学、株式会社ニコン、株式会社ニコンイメージングジャパン
助成:
公益財団法人朝日新聞文化財団
企画協力:
株式会社クレヴィス

「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」展の会期中に設置されるエントランスのバナーは、自由に撮影できます。田沼武能写氏の作品《路地裏の縁台将棋》[佃島]1958年 とともに記念写真をどうぞ。

「写真はしまっておくだけでは意味が無い。見ていただかないと。」とは、開会式での田沼武能氏のお言葉。
ご来場の皆様も、ぜひ、フォトスポットでの写真撮影で展覧会ご来場の思い出をお知り合いにご紹介してください。

 

 

輪子の競輪日記 競輪は展開の利

2019年03月18日 10時28分40秒 | 未来予測研究会の掲示板

輪子はレース票を読み、2日間の新人宮本隼輔選手の強さに感嘆していたことから、宮本選手を軸に車券を買った。
はじめは、初日のレースで上がりの一番時計を出してだしていた荒井崇博選手を軸にすることも考えていた。
同時に山本伸一選手も好調であったので、外せないと思った。
でも、桐山敬太郎選手を全く軽視していた。

結局、輪子は 8-5 8-3 8-1 8-6の車券を買った。
改めて、競輪が展開次第であることを輪子は思い知らされた。
レース票にあった<桐山の一発>を重視していなかったことを、悔やむ。
結束する中国ラインも紛糾されるほど、中断にいた桐山選手の捲り脚のスピードが光っていた。
先行争いをした選手たちの中で、絶好調であったはずの宮本選手は大差の7着に沈む。

レース評

期待のルーキー宮本が格上3人を背にブン回せば、河端がHS付近から番手捲りを放って別線をシャットアウト。
決め脚冴える桑原が渾身の差し切りVで地元ファンの声援に応える。
荒井が中国勢の後ろを固めて本線が強力。高久保が意地の抵抗なら、桐山の一発。

並び予想 2-7 6-8-1-5 4-9-7

防府競輪 国際自転車トラック競技支援競輪(GⅢ)12レース決勝戦




選手名着差上り決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 2 桐山 敬太郎   10.1    
2 5 荒井 崇博 5車身 10.2    
3 9 山本 伸一 1/4車輪 10.7      
4 1 桑原 大志 1車身1/2 10.7      
  5 3 松岡 健介 1車身1/2 10.8      
6 6 河端 朋之 1車輪 11.0   B  
  7 8 宮本 隼輔 大差 12.0      
  8 4 高久保 雄介 大差 13.0      
7 竹内 智彦      
 
2 車単 2-5 1万1720円(40人気)
3連単 2-5-9 8万8770円(246人気)

レース後記

レース後記写真

 注目の決勝戦は大方の予想通り、近畿と中四国勢で激しい先行バトルが繰り広げられた。

これで桐山敬太郎にとっては絶好のまくり頃。

豪快に前団を飲み込み、14年の小田原以来、5年ぶり2度目のG3制覇を果たした。
 「もがき合うのは見えていたので、外に踏み出せる時にしっかり行こうと。踏み込んで、行けるとは思いました。3日制(のG3)とはいえ、うれしいですね。小田原記念を獲って、次の年にG1決勝に2回乗ったんですけど、その次の年からボロボロでしたからね。長かったけど、腐らずにやってきてよかったです。ずっとG1決勝から遠ざかっているので、またG1決勝に乗って、狙えるようにしたい」
 中国勢との連結を外してしまった荒井崇博だが、最終3コーナーから外をまくり上げて2着に入った。
 「本当は付いていかないといけないけど、もう降りてしまっていた。河端の仕掛けがどうなるか分からなくて、反応できなかった」
 自力型3車が並んだ近畿勢は高久保雄介が前受けから突っ張って逃げる。

最終ホームから番手まくりを放った山本伸一だが、3着に入るのがいっぱいだった。
 「(高久保が)突っ張ってくれたんですけどね。僕の判断ミスかな。もう少し早く出ればよかったかもしれないけど、難しいところですね。もうちょっと勉強します」
 宮本隼輔を見切って打鐘の4コーナーから自力に転じた河端朋之だが、2段駆けの近畿勢を乗り越えられなかった。
 「宮本がもっとポンと行くと思っていたんですけど、ずっと合わされる感じだったので、僕も後ろでフワフワしてました。桑原(大志)さんも付いてくれてるんで、見切りをつけて行きましたけど、(山本に)番手まくりをされてキツかったです。内と外から行かれて力が抜けました」



小説 日清戦争: 甲午の年の蜂起

2019年03月18日 06時52分01秒 | 社会・文化・政治・経済
 
金 重明 (原著, 著)

商品の説明

内容紹介

「古阜(コブ)の蜂起からのことを思い出してください。民が、おのれの力でこの世をつくり変えたのです」
朝鮮の支配をめぐり対峙する日本と清。
腐敗し統治能力を失なった朝鮮王朝。
背後で蠢く列強諸国……。
貪吏の酷政に蜂起し全羅道をほぼ掌握した全琫準(チョンポンジュン)率いる東学農民軍は、日本の侵略軍に対し、二度目の蜂起に立ちあがった――
「朝鮮の独立」を大義名分とした日清戦争。その戦端はしかし、日本軍の「朝鮮王宮占領」によって開かれた。
「文明と野蛮の戦争」とされたこの戦争。はたして「野蛮」だったのはどちらか。
日本・清・朝鮮の三者の視点から、近代日本の方向を決定づけた「日清戦争」を多角的に描き、最新の研究成果をふまえつつその本質に迫る1500枚に及ぶ大作。
明治150年。『坂の上の雲』の司馬遼太郎史観を塗り替えるスペクタクル歴史長篇、ついに登場!

内容(「BOOK」データベースより)

戦端は日本軍の「朝鮮王宮占領」によって開かれた。「文明と野蛮の戦争」とされた日清戦争。はたして「野蛮」だったのはどちらか。日本・清・朝鮮の三者の視点から近代日本の方向を決定づけた「日清戦争」を多角的に描き、最新の研究成果をふまえつつその本質に迫る1500枚に及ぶ大作。

著者について

1956年東京都生まれ。1997年『算学武芸帖』(朝日新聞社)で朝日新人文学賞、2005年『抗蒙の丘―三別抄耽羅戦記』(新人物往来社)で歴史文学賞、2014年『13歳の娘に語るガロアの数学』(岩波書店)で日本数学会出版賞を受賞。
主な著書(上記を除く):『幻の大国手』(新幹社)、『戊辰算学戦記』(朝日新聞社)、『皐(みぎわ)の民』『巨海に出んと欲す』『悪党の戦』『北天の巨星』『やじうま入試数学』『方程式のガロア群』(以上、講談社)、『叛と義と』(新人物往来社)、『物語 朝鮮王朝の滅亡』『13歳の娘に語るガウスの黄金定理』『13歳の娘に語るアルキメデスの無限小』『ガロアの論文を読んでみた』 (以上、岩波書店)、他
主な訳書:『シュリ』『JSA』『友へ チング』(以上、文春文庫)、『被告人閣下 全斗煥・盧泰愚裁判傍聴記』(文藝春秋)、『キム・ミンギ 韓国民衆歌謡の「希望」と「壁」』『地下鉄1号線』(新幹社)、『夏の香り』(竹書房)、『天国の階段』(角川書店)、『宮廷女官チャングム』(PHP研究所)、『トンイ』『王女の男』(以上、キネマ旬報社)、『奇皇后』(講談社)他

 



水戸城の歴史

2019年03月18日 03時17分31秒 | 社会・文化・政治・経済

茨城県水戸市は『水戸黄門』で有名な水戸光圀(みとみつくに)が生まれた地です。

かつてそこに建っていた水戸城は、徳川御三家のひとつである水戸徳川家の居城でした。現在は城跡に茨城県庁が建てられていますが、藩校として建設された弘道館は今も残されています。

近くには梅の名所である偕楽園(かいらくえん)があり、多くの観光客で賑わいを見せています。そうした水戸城の歴史と魅力について紹介します。

水戸城の歴史

水戸城の歴史

水戸城は、鎌倉時代初期に常磐国の馬場資幹(すけもと)が築城したとされています。

それ以降、200年以上にわたり「馬場城」ともよばれ馬場氏の居城となっていました。

しかし、室町時代の1416(応永23)年になると、足利幕府の江戸通房(みちふさ)に攻略されます。

江戸氏が城主であった時代はそれから7代続きますが、1590(天正18)年、小田原征伐の際に豊臣秀吉側として参戦した佐竹義宣(よしのぶ)が北條氏側の江戸重通(しげみち)を破り、それにより義宣が入城します。

本拠を太田城から水戸城へ移した義宣は水戸城の大改修に着手します。

その際に城の名は馬場城から水戸城へと改められました。

しかし改築の最中に義宣は秋田へ転封となり、水戸城は武田信吉に与えられることとなりました。

信吉の死後は徳川順宣(よりのぶ)が入城し、その後1609(慶長14)年に入城した水戸徳川家の頼房(よりふさ)により、再度水戸城は改修されることになります。

その後、水戸城は幕末まで水戸藩の居城として受け継がれました。「真の日本人の育成」を目的とした弘道館は、9代藩主の徳川斉昭(なりあき)により1841(天保12)年に開館され、梅の名所である偕楽園は、同じ斉昭によりその翌年につくられました。

水戸城の特徴

水戸城は北の那珂川(なかがわ)、南の千波湖(せんばこ)に挟まれた丘陵を利用した平城です。

本丸、二の丸、東二の丸、三の丸が連なる連郭式縄張りで、天守はなく、二の丸の御三階櫓が天守の役割を果たしていました。また、石垣を設けず土塁と空堀で築かれているのも特徴的です。

このように徳川御三家の城でありながら質素なつくりになっている理由には諸説あり、ひとつには徳川家が関東の大名に石垣の建設を認めなかったとも、水戸藩主自体は主に江戸で生活をしているため、築城に石垣をつくる必要がなかったとも言われています。

いずれにしても、江戸城との結び付きの強い水戸藩の居城としての特徴が際立つのがこの水戸城です。


女子中学生の遺書は「くたばれ」 東尋坊パトロールで保護

2019年03月18日 02時38分39秒 | 社会・文化・政治・経済

(2018年2月12日福井新聞)

東尋坊で自殺防止のパトロールをする茂幸雄さんら。
「未成年者の自殺の動機は抗議」と話す=2017年12月、福井県坂井市
 福井県外のある高校3年生男子は、クラス全員から「体臭が強い。近寄るな」と言われた。
廊下を歩くと、他の生徒は端に寄り、かに歩きのようにしてすれ違った。
担任に相談すると「朝シャン(朝の洗髪)して来い」と逆に注意された。
生徒は毎日“朝シャン”をしていた。
いじめられていることを父親に話すと「男のくせに、何だ」と怒鳴られた。
どこにも逃げ場はなかった。
2013年11月、身を投げるために坂井市の東尋坊にやって来た。
雨が降る中、東屋で休んでいるところを、自殺防止活動をするNPO法人「心に響く文集・編集局」のスタッフに保護された。

 2学期が始まったばかりの昨年8月31日午後6時半ごろ、高校2年生の女子生徒は東尋坊の岩場の先端に座り込んでいた。「宿題が提出できず恥ずかしい思いをした」。
県外の進学校に通っていた。勉強についていけないと両親に言っても「退学なんて恥ずかしい」の一点張り。
暗くなったら、海に飛び込もうと考えていたところ、同NPOの茂幸雄代表(73)に声を掛けられた。

 連絡を受けた学校は「今年も勉強についていけない生徒20人が退学した。彼女の親にも退学を勧めた」。
現場に駆け付けた父親は娘を見て「やっぱり」と言った。
茂さんは、娘が追い詰められていたことを分かっていた父親の言葉に怒りを感じた。
「なぜ娘の味方になってやれなかったのか」。娘には漫画家になる夢があった。

   ■  ■  ■

 2004年に立ち上がった同NPOが、これまでに救った609人(1月22日現在)のうち、未成年者は22人。
その中には自転車で来た県内の高校生も含まれている。

 スタッフは、とにかく声を掛け、嫌がって逃げる人でも捕まえて、事務所に連れて行く。
すると、ぽつりぽつりと話し始めるという。「飛び込む寸前になっても、本当に死にたいと思っている人はいない」。
茂さんがたどりついた結論だ。
断崖に立ってなお、救いを待っていた。

 警察庁によると、16年の自殺者数は2万1897人で7年連続の減少。
しかし5歳ごとに区切った年齢階級別でみると、15歳から39歳までの5階級で、死因の1位だった。
自殺対策白書は「若い世代の自殺は深刻」と指摘する。

   ■  ■  ■

 「私はいつもおびえている。早く楽になりたい」。
ある女子中学生の遺書は「くたばれ!」の文字で締めくくられている。
保護されたある高校2年の女子生徒は「この世から消えたい。家にも学校にも私の居場所はない」と泣き叫んだ。

 茂さんは「未成年者の自殺の動機は周囲に対する抗議に尽きる」と話す。
そして「たった一人でいい。家族でも友達でも先生でもいい。たった一人、味方がいれば自殺をすることはない」と断言する。

 昨年、アパートで9人の遺体が見つかった神奈川県座間市の事件。
容疑者は自殺願望がある女性たちに「一緒に死のう」と誘った。
茂さんは「女性には容疑者がたった一人の味方に見えたんだろう」と話す。

 行き場をなくし、吸い込まれるように東尋坊にやって来る若者たち。
しかし、こんな言葉で、救われる命もあるという。
「おーい、めし食ったか」

介護施設5人死傷、元職員の男を傷害致死罪で追起訴

2019年03月18日 02時27分36秒 | 医科・歯科・介護

3/18(月) TBS

おととし、岐阜県高山市の介護施設で入所者5人が死傷した事件で、傷害罪で逮捕・起訴されていた元職員の男が、傷害致死罪で追起訴されました。

 追起訴されたのは、高山市の介護施設「それいゆ」の元職員、小鳥剛被告(33)です。

 小鳥被告はおととし8月、入所者の中江幸子さん(当時87)に暴行を加えて肋骨などを折り、死亡させた罪に問われています。

 小鳥被告は、同じく「それいゆ」に入所していた横山秀子さん(当時91)に肋骨を折るなどの大けがをさせた傷害の疑いで、先月、逮捕・起訴されていました。

 小鳥被告が勤務していた「それいゆ」では、おととし7月から8月にかけて入所者あわせて5人が死傷していることから、警察は慎重に調べを進めています。(17日22:39)

 


リハビリの力を示す時ではないだろうか

2019年03月18日 01時54分07秒 | 医科・歯科・介護

33歳の理学療法士の方の毎日新聞の投稿が、参考になった。
「人工透析は延命治療に過ぎないのか?」と問い掛ける。
私たちリハビリテーションスタッフは、医療の中でも患者さんと一対一で長い時間を持てる。
その中で「生きていいても」や「もう楽しみはない」という悲観的な感情など、さまざまな気持ちを聞く機会が多い。
その一つ一つに耳を傾け、どう答えるかはとても難しい。
療法士の養成校でも習うことはない。
ましてや何倍も人生経験が豊かな先輩たち相手に、自分たちが言えることなんてあるかどうか怪しい。
ただ、患者さんの笑顔が見たい。
その思いが常にあるから、誠実に真摯に向き合える。
私たちの強みは、患者さんができるようになったことをその場で共感できるところにある。
その喜んでいる姿を見ることが、何年臨床をしていても、最高のご褒美だ。
超高齢化社会で人と人とのつながりが薄れる今こそ、リハビリの力を示す時ではないだろうか。
医療だけじゃない。
コミュニケーションには人を救える力がある。