バッハへの旅

2019年03月20日 21時38分54秒 | 社会・文化・政治・経済
 

その生涯と由縁の街を巡る


商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

我が国ではまだ紹介されていないバッハの足跡を、最新の現地取材をもとに、数多くの貴重な写真と、その人間性の深い理解に基づいたエッセイでたどる、バッハ入門者にも、そしてバッハを極めた人にも必携の一冊!あなたの知らないバッハがここにいる。

「私のような勤勉だったら、誰だって私のようになれるでしょう」

10歳で孤児となった<音楽の父>バッハは雌伏の頃を振り返り、こう述懐したという。

学術書、文献の類いではないのですが、加藤さんの文章には何ともバッハを身近に感じている「愛」のような感情を感じます。あくまでも、バッハを一人の人間として捉え、たとえバッハ没後250年の年に書かれたという「堅苦しさ」や「荷の重さ」などは微塵も感じさせない作品です。若月さんの写真もすばらしく、特に教会やオルガンの映像には圧倒されます。東京書籍さんは再版しないのでしょうかね。

1685年にアイゼナッハに生まれ、1750年にライプツィヒに死んだヨハン・セバスチャン・バッハの音楽人生を、旧東独を中心とする現在のドイツの各地に探ってみようという、何とも贅沢で、気ままな物見遊山風な観光旅行・・・・

 加藤センセの文章は、なかなかに楽しく、多少なりとも気障で困るう!風なところがなきにしもありや。で、ところどころ1989年のあの歴史的大事件前後の東独の感慨も未練たっぷりに盛り込んでの書きぶりは、これはこれでなかなかに面白い。

 しかし何と言ってもバッハ由縁の地を、見事な美しさで切り取った若月氏の写真力、本書の魅力はそこに尽きるだろう。これらの写真がなければ、この本の魅力は半減!どころか、意味がないとも言っていい。文章を読むのが「かったるい!」と思う向きには、写真だけでも見ていれば、ああ、それだけでも、本書を手に取った意味はある。

 冒頭の〈バッハ関連地図〉の部分をコピーして、さあ、現地へ・・・・っていう気にさせる好読み物。 クラシック音楽好き、歴史好き、旅行好きにはチョーおすすめ。

特にケーテンとライプツィッヒに行ってしばらく滞在したくなりました。ケーテンは特にアンナ・マグダレーナと結婚したり、平均律の第1巻を完成した街です。本当はもっと詳しく知りたかったのですが、バッハゆかりの街は多いのです。何年か先に自分で訪問してみたいと思います。
ケーテンに関しては私のバッハの平均律のページ「聖律の音楽」のなかで、「アムーザ」(音楽嫌い)とバッハにはからずも命名されてしまっているケーテンのお妃についてのことを書いています。彼女の名誉回復ができないものかという、門外漢のおせっかいのようなものでしょうが、いろいろ調べて書きました。その他、ケーテン時代の平均律などの自筆譜に手のかかった表紙がついていることについても想像をたくましくしております(アンナ・マグダレーナのページにあります)。

写真が綺麗であることは大いに評価できるが,文章が主観的(史料に基づいた記述もあるものの,我々には知り得ないバッハの感情をあれこれ推量する傾向がある)で,少なくとも私には合わなかった。

史料に基づいたことを書くときにも出典を明記して欲しかった。「バッハへの旅」という題名にするからには,旅行ガイドのような実用的な情報(交通機関,宿泊施設,詳細な地図など)も含めるべきであった。314ページの「カール・フィリップ・エマヌエル」とされている挿絵は誤りで,実は「ヨハン・クリスティアン」か「ヨハン・クリストフ・フリードリヒ」のどちらかである。しかしながらバッハ旅行を楽しみたいバッハファン(私もその一人であるが)には便利な1冊ではある。

 

 

 

 


粉体の科学 (おもしろサイエンス)

2019年03月20日 15時57分03秒 | 社会・文化・政治・経済
 
内藤 牧男 (著), 野田 直希 (著), 牧野 尚夫 (著)
 

商品の説明

内容紹介

粉体は、基盤産業から先端産業まで幅広い産業分野において用いられており、研究者、技術者以外でも粉体に興味をもつ人が多くなっている。本書は、粉体のつくり方とつかい方の本質を一般の人たちにも理解してもらえるように平易に解説する。



粉体の工学

天然岩絵具と先端粉砕技術

可能性は異分野交流

物理学者であり、随筆家の寺田虎彦が初めて使った「粉体」という言葉。
自然も含めて世の中の大半のものは、どこかの時点では「粉」であった。
日本画も、顕微鏡で拡大すれば、<粉の集まり>。
人類の誕生と同時に、粉にする技術も進化したのではないだろうか。
資源やエネルギーを得て、人間社会は発展してきた。
粉にする技術がなければ人は生きていけない。
薬も粉である。
小麦粉、コーヒー、カレー粉、洗剤、化粧品。
携帯電話の内部の部品やタイヤなどの製品も粉が固まって形態を作ったものだ。
粉体は、生きるために欠かせないものだ。
ラスコーの洞窟壁画は「芸術の始まり」といわれている。
岩絵の具を作るためには岩石や鉱物を採集し、紛糾する過程がある。

粉体の工学

天然岩絵具と先端粉砕技術

可能性は異分野交流

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

内藤/牧男
大阪大学接合科学研究所教授。1982年3月、名古屋大学大学院修士課程修了。工学博士(1987年、名古屋大学)。2002年6月より現職。2002年、Richard M.Fulrath賞(アメリカセラミックス学会)、2010年よりアメリカセラミックス学会フェロー。2011年よりWorld Academy of Ceramicsアカデミー会員。上海交通大学客員教授、上海珪酸塩研究所客員教授など。研究分野は微粒子の複合化などによる構造制御 

野田/直希
一般財団法人電力中央研究所主任研究員。1998年3月名古屋大学大学院修士課程修了。博士(工学)(2012年、名古屋大学)。1998年4月、財団法人電力中央研究所入所、現在に至る。これまで微粉炭火力発電所の環境対策技術を中心に、集塵技術や排ガス計測技術の研究などに従事 

牧野/尚夫
一般財団法人電力中央研究所首席研究員。1979年3月、京都大学大学院工学研究科化学工学専攻・修士課程修了。工学博士(1995年、京都大学)。1979年4月、財団法人電力中央研究所入所、現在に至る。現在、九州大学客員教授、群馬大学客員教授、粉大工学会・会長、(一社)日本エネルギー学会・副会長。これまで、火力発電所、特に微粉炭火力発電所関連技術を中心に、微粉炭の燃焼技術、集塵技術、石炭高品位化技術および粉体計測技術などに従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 
 
 

 

犯罪に遭う不安を感じる場所、「ネット空間」が過去最高に

2019年03月20日 15時21分25秒 | 社会・文化・政治・経済

2017/11/20 マイナビニュース>御木本千春

内閣府はこのほど、「治安に関する世論調査」の結果を発表した。

調査期間は2017年9月14日~24日、有効回答は18歳以上の日本国勢保有者1,765人。
「日本は治安がいい」、過去最多の8割超
現在の日本が、治安がよく、安全で安心して暮らせる国だと思うか尋ねたところ、80.2%が「そう思う(どちらかといえば含む)」と回答。2012年の前回調査と比べて20.5ポイント増加し、2004年の調査開始以降で最多を更新した。一方、「そう思わない(どちらかといえば含む)」は同20.5ポイント減の18.9%となった。
自分や身近な人が犯罪に遭うかもしれないと不安になる場所を聞くと、「インターネット空間」が同19.2ポイント増の61.1%と過去最高を記録し、初の首位。
以下、「繁華街」が54.3%、「路上」が47.6%、「電車、バス、飛行機などの乗り物の中」が34.6%と続いた。

 

不安を感じる場所(出典:内閣府Webサイト)

 

被害に遭うかもしれないと不安になる犯罪は、「インターネットを利用した犯罪」が同18.4ポイント増の60.7%。「振り込め詐欺や悪質商法などの詐欺」が同6.8ポイント増の50.2%と、共に過去最多を更新。次いで「空き巣などの住宅などに侵入して物を盗む犯罪」が50.1%となった。

 

警察に力を入れて取り締まってほしい犯罪は、「ネットを利用した犯罪」が51.2%、「殺人、強盗などの凶悪犯罪」が51.1%で、ほぼ同率となった。


 

 

 


輪子の競輪日記 無謀な突っ張り先行

2019年03月20日 13時57分21秒 | 未来予測研究会の掲示板

スタートで各選手たちが牽制し合う中、ためらいながら、3-7ラインは押し出されるように、無理に前を取らされた展開に。
輪子は3番の嶋田誠也選手に向かって「我慢するのよ」と叫びたくなる。
先頭誘導員はすでに向正面に向かっている。
慌てるように追走するのに、100㍍以上も車間が開いてしまう。
先頭誘導員との車間を詰めるために、3-7ラインは大きな脚のロスを負うことにも。
さらに、悪いことに3番選手は突張り先行となる。
「ああ、ダメね」と落胆しながらレース展開を観戦することは実に空しい!
取手競輪で、残り1周以上を逃げ切って勝った選手を、輪子は未だに見たことがない。
3-7の1番人気の2車単は3・1倍、裏の7-3が7・0倍の支持。
輪子は3-7は買わずに、7-31000円 3-2、3-4、3-5、3-9 3-8を各300円買っていた。
3番が逃げてしまうことなど、全く想定していなかった。
「ああ、車券は紙クズね」第4コーナーで輪子は諦めてしまう。
案の定、3番の島田選手は5着に沈む。

取手競輪9レス準決勝戦

並び予想 3-7 6-1 2-4-8 5-9

レース評

初日特選は後ろを連れ込めなかった嶋田。

準決は早めの巻き返しで松尾と決める。スピード豊かな川越、千葉勢の浮上も。

2車単 2-7 3690円(13人気)
3連単 2-7-8 6万20円(142人気)



選手名着差上り決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 2 川越 勇星   11.8   好位で一気
2 7 松尾 透 1車身 12.0   嶋田を利し
  3 8 宿口 潤平 1/2車輪 11.7     直線中伸び
4 4 長井 優斗 1/4車輪 11.8     川越続けず
5 3 嶋田 誠也 1/4車輪 12.1   B 突張りタレ
6 5 大関 祐也 2車身 12.1     仕掛け遅く
7 9 河上 陽一 3/4車身 12.0     大関と共倒
  8 1 田中 俊充 1車身 12.1     江端が不発
  9 6 江端 隆司 8車身 12.8     叩けず後退

消費者被害に「不安」64%

2019年03月20日 13時34分25秒 | 社会・文化・政治・経済

成人年齢引き下げで内閣府調査
2019/3/15 共同通信社
 内閣府は15日付で、2022年4月に始まる成人年齢の引き下げに関する世論調査の結果を発表した。

16~22歳の世代で、悪質商法などの消費者被害に遭うかもしれないとの不安を「感じる」との答えは25.0%で「どちらかといえば感じる」の39.2%と合わせて64%余りに上った。

 20歳から18歳に成人年齢が引き下げられた後は18、19歳で親の同意なしに契約を結んだり、ローンを組んだりできる。

 不安に感じる理由を複数回答で尋ねると「どのような被害に遭うか分からない」が最も多く59.4%。「契約や取引に関する法律や制度を詳しく知らない」は58.9%だった。


カナリアの会

2019年03月20日 13時20分33秒 | 社会・文化・政治・経済

カナリヤの会(カナリヤのかい)とは、1995年6月8日に結成したオウム真理教脱会信者による組織。脱会者が気軽に集まれる場を提供すべく、オウム真理教被害者対策弁護団の滝本太郎弁護士によって組織化された。

名前の由来は、童謡の『かなりや』(作詞:西條八十)の歌詞が脱会者の置かれている立場に合っていることと、サティアンの強制捜査の際に捜査員が毒ガスの検知のためにカナリアを携行していたのが印象的だったことから命名されたという。
構想そのものは前年の1994年からあったが、当時の状況は極めて緊迫化しており、麻原彰晃の逮捕後になってようやく結成の運びとなった。
年に何回か集まって、雑談などの交流をしたり、機関誌『カナリヤの詩』を発行している。
1994年5月9日には滝本太郎弁護士サリン襲撃事件が発生している。
1980年代後半からオウム真理教の出家信者と家族の関係などが社会問題化し、これに対処するために弁護士坂本堤が被害対策弁護団を結成、その助言によって当時の信者の親たちが1989年に「親の会」を組織していた。
しかしながら事態は収束せずにその後一連のオウム真理教事件が発生し、マインド・コントロールや宗教カルトが孕む危険性や被害の深刻さが明るみに出た。

これに契機として1995年6月以降、宗教家、弁護士、カウンセラーや精神科医、社会心理学者らが独自に交流をもって情報交換を始め、これを母体として同年

 

オウムに殺された方の命日

お 名 前

命日

享 年

事 件

・落田耕太郎さん

1994年1月30日未明死去

享年29歳

絞殺リンチ

・田口修二さん

1989年2月10日死去

享年21歳

首折りリンチ

・仮谷清志さん

1995年3月1日午前11時過頃

享年69歳

監禁薬物致死

・岩田孝子さん

1995年3月20日午前8時05分頃

享年33歳

地下鉄サリン

・坂井津那さん

1995年3月20日午前10時20分頃

享年50歳

地下鉄サリン

・和田栄二さん

1995年3月20日午前10時02分頃

享年29歳

地下鉄サリン

・小島肇さん

1995年3月20日午前10時30分頃

享年42歳

地下鉄サリン

・高橋一正さん

1995年3月20日午前9時23分頃

享年50歳

地下鉄サリン

・渡邉春吉さん

1995年3月20日午前8時10分頃

享年92歳

地下鉄サリン

・菱沼恒夫さん

1995年3月21日午前4時46分頃

享年51歳

地下鉄サリン

・中越辰雄さん

1995年3月21日午前6時35分頃

享年54歳

地下鉄サリン

・藤本武男さん

1995年3月22日午前7時10分頃

享年64歳

地下鉄サリン

・田中克明さん

1995年4月1日午後10時52分頃

享年53歳

地下鉄サリン

・伊藤愛さん

1995年4月16日午後2時16分頃

享年21歳

地下鉄サリン

・越智直紀さん

1993年6月6日死去

享年25歳

逆さ吊り死

・岡田三夫さん

1996年6月11日午前10時40分頃

享年52歳

地下鉄サリン

・瀬島民子さん

1994年6月28日午前0時15分頃

享年35歳

松本サリン

・阿部裕太さん

1994年6月28日午前0時15分頃

享年19歳

松本サリン

・伊藤友視さん

1994年6月28日午前0時15分頃

享年26歳

松本サリン

・安本三井さん

1994年6月28日午前0時15分頃

享年29歳

松本サリン

・室岡憲二さん

1994年6月28日午前0時15分頃

享年53歳

松本サリン

・榎田哲二さん

1994年6月28日午前2時19分頃

享年45歳

松本サリン

・小 林 豊 さん

1994年6月28日午前4時20分頃

享年23歳

松本サリン

・富田俊男さん

1994年7月上旬死去

享年27歳

虐殺リンチ殺人

・中村徹さん

・河野澄子さん

1994年7月15日死去

2008年8月5日午前3時4分

享年34歳

享年60歳

50度温熱刑傷害致死

松本サリン

・真島照之さん

1988年9月22日死去

享年25歳

リンチ水死

・坂 本 堤 さん

1989年11月4日未明

享年32歳 

坂本一家殺人

・坂本都子さん

1989年11月4日未明

享年29歳

坂本一家殺人

・坂本龍彦さん

1989年11月4日未明

享年1歳と71日

坂本一家殺人

・濱口忠仁さん

1994年12月22日死去

享年28歳

VX溶剤殺人


 


SNSでの犯罪被害が低年齢化

2019年03月20日 13時08分14秒 | 社会・文化・政治・経済

進む低年齢化と性被害・・・“SNS被害”の子ども年間1,800人超 被害児童・生徒がフィルタリングをかけない理由

FNN 山下高志

2019年3月14日

SNSをきっかけに事件に巻き込まれた小学生が激増
被害者の9割近くがスマホ等に「フィルタリング利用せず」
フィルタリングをかけない理由は「知らなかった」が多数
今や多くの人が利用しているSNS。便利な一方、そこには危険も潜んでいる。

神奈川県座間市で9人が殺害された事件もSNSが発端だったように、SNSを使って事件に巻き込まれるケースが相次いでいる。

小学生が激増!SNSから性犯罪に巻き込まれる子供たち

去年1年間にSNSをきっかけに事件の被害者となってしまった18歳未満の子どもは1,811人に上っている。
2009年と比べると700人近く増えていて、過去最悪だったおととしとほぼ横ばいで推移している。

殺人や誘拐などの凶悪犯罪に遭うケースもあるが、その多くは児童買春や児童ポルノ禁止法違反、青少年保護育成条例違反など「性」に関する犯罪が多くを占めている。

被害にあった子どもたちを見てみると、高校生が991人で被害者の約半数を占め、次いで中学生が624人。
中・高生で全体の約9割に上っているが、ここで注目すべきは被害にあった小学生だ。

2009年に14人だった小学生は去年55人にまで増えている。
これは決して少なくないし、スマホの普及で被害に遭う子どもたちの低年齢化が進んでいるともいえるだろう。
では、なぜ被害に遭ってしまうのだろうか。

男たちは、あの手この手を使って、被害者の懐に入り込んでくる。
“SNS被害例”①:「レアの人気スタンプをあげるから」

「スタンプをあげる」というやりとりから始まり、時間をかけて信頼関係を築く。

被害者から「秘密」を聞き出したのち、「裸の写真を送れ。さもなくば秘密をばらす」などと脅し、裸の自撮り画像を送らせる。

“SNS被害例”②:女性に成りすまして安心感を与える

インターネット上などで拾った女性の顔写真などを送り、同性だと相手を信用させる。
スタイルに関する話などから、成りすました女性の下着写真などを送る代わりに、被害者の下着写真を送らせる。

こうしたやり口から子どもたちは「自撮り」要求に応えざるを得なくなり、被害に遭ってしまうケースがあるという。

なぜ?被害者の9割は「フィルタリングかけず」

こうした子どもたちの被害をどう防いでいけばいいのか。
被害者の多くに共通していること、それは「フィルタリング」つまり「閲覧制限」をかけていないケースが多かったということ。

警察が被害にあった子どものフィルタリングの利用状況を調べたところ、利用の有無が判明した1,559人のうち、1,372人(88%)が被害を受けた際には「フィルタリング」をかけていなかったことが判明した。

多くはこの「フィルタリング」機能を知らなかったという。

さらに細かくみると「契約時から利用していなかった人」は1,264人、全体の81.1%。

契約時は利用していたものの、被害にあった際は利用していなかった人は108人で6.9%。
途中でこの機能を外してしまうということは、言い方を変えれば犯罪にあうリスクを高めてしまったということでもある。

「フィルタリング説明」義務付けも・・・結局、親の判断次第

インターネット上で子どもたちが犯罪の被害に遭う事案が相次いだことなどを受けて、去年施行された改正青少年インターネット環境整備法では、スマホなどの販売店に対し、契約の際に18歳未満の子どもが使うかの確認をしたうえで、子どもが利用する場合はフィルタリングの説明をし、設定してから渡すことを義務付けた。

ただ、親が「つけなくても大丈夫」と申告した場合は、設定の必要はないという。

確かに「閲覧制限」で多少利便性が落ちることもあるだろうが、犯罪から子どもの身を守るためには、親と子どもの二人三脚で考え、「フィルタリング」などの機能を最大限利用し、対策していく必要があるだろう。

ある警察庁の幹部は、「便利なツールは、一方で悪用されてしまうと被害に遭ってしまう危険性がある。親と子どもの両者がその問題点ををよく理解して、与え、使う。フィルタリングなどの機能をうまく使って被害に遭わないようにほしい」と話している。

(執筆:フジテレビ社会部警察庁担当・山下高志)


地下鉄サリン事件から24年

2019年03月20日 12時53分49秒 | 社会・文化・政治・経済

 被害者遺族「死刑に重み」

3/20(水) 共同通信

13人が死亡、6千人以上が重軽症を負った1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件から24年となった20日、多くの被害が出た東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)で、同駅助役だった夫を亡くした高橋シズヱさん(72)や職員らが献花した。

昨年7月、教祖麻原彰晃を名乗った松本智津夫元死刑囚=執行時(63)=ら、教団による一連の事件に関わった計13人の死刑が執行された。高橋さんは「執行があり、今までとは違う気持ちで来た。半年たち、死刑というものの重みが増してきた」と話した。

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「大きく道を踏み外した結果なのだが…」。言葉の端々に怒りと無念さがにじんだ。

 男性は岩手日報社の取材に対し「ヨガをもっと極めたいとの思いで門をたたいた」と入信のきっかけを明かす。

同教は1984年に松本死刑囚が東京に設立したヨガサークル「オウム神仙の会」に端を発する。

入信から間もなくして違和感を覚えたが、命の危険を感じ、逃げ出せなかった。

 

 


 

つながり孤独にならないように

2019年03月20日 12時43分44秒 | 社会・文化・政治・経済

社会の「個人化」によって、人間関係が「与えられるもの」から「選択できるもの」になった。
その結果、人は「他者が自分にとってプラスかマイナスか」を選択し続けなければならなくなった。
そうした生き方について、「しんどいと思います」と石田光規さん(早稲田大学教授)は語る。
確かに、と思う。
例えば、SNS。
自分の投稿に対するリアクションの数に一喜一憂した経験は、多くの若者が持っているだろう。
気になるなら、やめればいい。
でも、みんなやっているから、やめられない。
<しんどさ>を抱えて生きているのが、今の若者かもしれない。
真のつながりは、自分にとってプラスかマイナスかという選択だけで始まるわけではない。
共に励まし語り合う<場>を与えられることは、大きな意味があるではないか。
さまざまな友人、知人との触発がある。
励ましがあるから、人は強くなり、成長できる。
人間関係を選択できる時代だからこそ、生きる活力の源泉ともなる。
<与えれた人間関係>の中に、意義を見出すこともできるだろう。


孤立不安社会

2019年03月20日 11時59分40秒 | 社会・文化・政治・経済
 
つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖

互いの根本の目的

2019年03月20日 11時55分49秒 | 社会・文化・政治・経済

いがみ合ったり、争い合うということは、互いの境涯が低いからだ。
相手の幸福を願っていくことが、自分の境涯を大きく開いていくことになる。
また、誤解から、感情の行き違いを生むことも多いから、心を開いて、よく話し合うことだ。
勇気をもって、対話することだ。
互いの根本の目的(自他共の幸福・社会の繁栄・平和)が明確であれば、共鳴できないはずがない。
境涯とは:この世に生きていく上でおかれている立場。 身の上。境遇。
生命の状態。


自身の可能性を信じる

2019年03月20日 11時26分24秒 | 社会・文化・政治・経済

どういう一念で臨むかで人生の勝負は決まる。
人間はいざ眼前に苦難が襲いかかってくると、目先の利害や一時の感情に振り回されてしまうものだ。
だからこそ、なぜ苦難に遭うのかを知ることが重要である。
その時には理不尽としか思えない試練でも、後になってみれば、それが幸福の道を開く契機になっている場合もある。
絶対絶命の窮地に思えても、自身の可能性を信じることだ。

逆境にも耐えていける強さをもつことだ。


“煽動者”の事例 マッカーシー

2019年03月20日 11時04分22秒 | 社会・文化・政治・経済

世界的には、米国におけるジョセフ・R・マッカーシー(1908~57)などに見ることができる。

“米国の最初の全国的煽動政治家”あるいは“米国が生んだ最も天分豊かなデマゴーグ”といわれたマッカーシーが、上院議員だった1950年、ウィーリング(ウエストバージニア州)という場所で、国務省にいる205人分の共産主義者のリストを手にしているとの“爆弾演説”を行なった。

以来、4年に及ぶ“マッカーシー旋風”が吹き荒れることになる。
 マッカーシーは思いつくままに嘘をついた。「205人」といった最初の数字はその後、「81人」「57人」「多数」と変わっていったが、マッカーシーは数字をあげる以前に嘘をついていた。

そもそもリストなど持っていなかったのである。
演説の際に掲げたリストなるものも、実は何の関係もない紙切れにすぎなかった。

 その上で、無実の人々を国会に召喚し、“査問”を手がけた。いまとなっては“冷戦の副産物”ともいえる現象であったろうが、東西冷戦下においてスパイ事件が続発し、動揺する国民心理につけこむ形でマッカーシーは登場した。米国社会においてさえ、時流に乗じ、このような嘘つきがまかり通った時期がある。

 彼は一時期、大統領に匹敵する権勢を誇り、多数の良心的・進歩的分子が政府部内だけでなく、芸術・映画などの分野で追放された。当時、この問題を取材したジャーナリスト、R・H・ロービアは『マッカーシズム』(岩波文庫)にこう書き残している。

 「マッカーシーは確かに嘘つきのチャンピオンだった。かれは思うままに嘘をついた。恐れることなく嘘をついた。白々しい嘘をつき、真実に面と向かって嘘をついた。生き生きと、大胆な想像力を用いて嘘をついた。(中略)トマス・グリフィスは『その墓の墓碑銘にはただ「この男に真実はなかった」と書くがよい』と書いた」

 さらにこう指摘する。

 「マッカーシーは多くの人びとに、この男は大切な真実を語っていると思いこませた。かれはうずまく雲のような大量の煙をもくもくわき上がらせたので、異常にだまされやすいとはいえない多くの人びとが煙の下には火があるに違いないと信じるようになった」

 マッカーシーは米国政治の一時期を席捲したが、注目すべきは、彼がマスコミ利用に“並外れた才能”を発揮したという点にある。『マッカーシズム』には次のくだりがある。

 「パブリシティ(マスコミ利用)にかけては彼は今世紀のいかなる政治家に及ばない才能を持っていた。

あるいは、本能といってもよかった。とにかく、マッカーシーはパブリシティが何から成り立っているかを――この貴重な物の肌ざわりまで知っていた。

彼は新聞記者を知り、新聞記者がいつどのように仕事をするか、何を欲しがっているか、締切り時間はいつか、なにが記事の『頭』にくるか、なにが『翌日まわし』になるか、なにが『側面記事』になるかを知っていた。

自分に不利な記事を『おさえ』たり『もみ消したり』するコツも心得ていた」

 マッカーシーは事件を作り出せないときでも、無から記事を生み出す方法を知っていたという。

米国文明史家のダニエル・J・ブーアスティンが書いたメディア論の古典的名著『幻影の時代~マスコミが製造する事実』によると、マッカーシーは「ニュースとなるような出来事を創造することにかけては、生まれながらの天才であった」という。さらにこう書く。

 「ニュースに飢えた新聞記者にとって、マッカーシーは悪魔的な魅力と、ほとんど催眠術的といってよいほどの力をもっていた。新聞記者は、彼のおかげで記事が書けたので、いやいやながらも感謝していた。かくも少しの材料から、かくも大量のニュースを作り出すマッカーシーの手腕に驚嘆した。(中略)マッカーシーも新聞記者もともに、同じ人工合成物のおかげで繁盛したのである」

 煽動者と自らの役割を失ったメディアが結託するとき、「偽りの事実」がマスコミによって“製造”されるというわけだった。

 ほかにも、「彼は魅力たっぷりの男であった」「とても愛想がよかった」「猥雑汚猥な言葉の名人だった」「本能的にも低俗人種であった」「自分がひき起こした騒動を平然と観察し、楽しんでいる」などの記述(『マッカーシズム』)は、いずれも山崎の性質と共通するものである。R・H・ロービアは、マッカーシーについて次のように喝破している。
「自らの罪をかくも俊敏に他者に帰属せしめる罪人の例を私は他に知らない」


 
マッカーシズム 


 
 







本質は逆恨みの感情

2019年03月20日 10時40分47秒 | 社会・文化・政治・経済

波田地克利の虚実――創価学会内部に発生した分派活動

■プライドだけ高く、信心は弱い

 組織内組織の構築をはじめとする分派活動や情報漏洩など教団内で会則違反行為を重ねたことで2013年12月29日(最終的には2014年4月26日)、創価学会を除名処分となっていた元本部職員の波田地克利(58)が、宗教法人創価学会に対し会員資格の地位確認(=除名の無効)を求めて訴えていた裁判で2016年7月、審理が終結し、一審判決が同年10月27日に言い渡される運びとなった。

 この裁判で、本人尋問が行われたのは同年4月26日のことだった。東京地裁408号法廷の狭い傍聴席を埋めたのは10人ほど。黒縁メガネに白髪まじり、年相応ながらやけに太った姿が目に入る。2時間近く行われた尋問の中で、印象に残った場面を一つだけ挙げよう。

 それは1991年4月、創価学会の学生部に在籍していた波田地が、金褒賞(教団内で功労のあったものに与えられる称号)を表彰されたくだりだ。このとき同人は、「副会長がまだほとんどいただいていない時代に、池田名誉会長から(直接)いただいた」と自慢げに語った。

  第二次宗門問題の際、同人が教団側で活躍したことは事実で、その際、副会長クラスでもまだほとんどもらっていない≪特別の賞≫をオレはいただいたんだという自慢めいた話だった。実際、本人にとって、その頃が人生の絶頂期だったということだろうが、「今とこれから(=現在と未来)」の姿勢が常に大切となる信仰の世界において、過去の栄光にすがる後ろ向きな姿に、強い違和感を覚えたのも事実である。

  例え過去の宗門問題で一定の功績があったとしても、現実には、同人は自ら日蓮正宗の阿部日顕などを訴えた民事裁判で、当初意図したような「勝訴」を得ることができていない。阿部日顕や妙観講講頭の大草一男の盗聴関与の事実を裁判所に認めさせることができなかっただけでなく、そうできなかった原因について、自身の責任はすべて棚上げし、いまだに他人のせいにばかりしている。

  仮にまともな信仰者なら、「自分の祈りが足りなかったからこうなった」などある程度は自省するものだが、同人の口からそんな殊勝な言葉が飛び出すことはまずありえない。なぜならそれが同人の信仰観であり、物事の原因をすべて自分以外の「環境」に転嫁し、自己責任とするだけの基盤が内面に存在しないからだ。所詮は、“未熟な信仰者”の形であり、特に≪退転者≫に共通する姿ともいえる。

  比較するには波田地は小物すぎるが、晩年の10年ほど私も取材で関わることになった元弁護士・山崎正友も、その点では全く同様だった。自分が不利益を被っているのはすべて他者のせいであり、相手への憎悪が募り、結局、“逆恨み”の人生で終わってしまった。彼らの辞書には「反省」の二文字が欠落しているため、結局は除名されるような結果すら生んでしまう。また、除名された後も、すべて相手への批判を繰り返すだけだ。そんな姿は、「山崎正友」という過去の≪大先輩≫がいるので、我々としては特に驚く必要もない。

■「宿坊」掲示板に群がる者たち

 波田地克利を中心とする通称・波田地グループが教団内に一定の組織内組織を形成し、分派活動を行ってきたことは知る人ぞ知る。何をもって分派活動とするかは線引きが難しい場合もあるかもしれないが、このグループは度を過ぎていたというしかない。

  波田地は2016年4月に行われた先の本人尋問で、会内の波田地グループの分派活動の“情報拠点”であった専用メーリングリストや専用ツイッターなどが現在、インターネット上の公開掲示板「宿坊」に事実上、そのまま移行していることを認めた。その上で、自身ではそこに一切「書き込みをしたことはない」「全く関与していません」などと供述していた。

  この掲示板を観察していると、およそ事実かどうかの裏付けの確認さえ取れていないようなあやふやな情報が、投稿者の感情をまじえ、ごちゃまぜに投稿されていることがわかるだろう。言うなれば、“公衆便所の落書き”に近い状況である。

  中でも特定幹部に対する攻撃は、常連投稿者を中心に執拗なまでになされていて度を超している。こうした行動の根底にあるのが、波田地を中心とするメンバーの「感情」に発するものであることは、思慮分別のある者が見ればすぐに明らかとなろう。問題は、それらの攻撃が明確な証拠に基づかず、“噂話”の次元でなされていることである。

  大なり小なり、組織というものを預かった者なら容易に理解できることだろうが、事実にすら立脚しない意図的な噂話をもとに、組織を“攪乱”する者が出てきたらその組織はどうなるか。これは明確に「組織破壊行為」そのものであり、処分の対象となることは、あらゆる組織体において当然のことである。根拠のない分派活動がどれほど組織の活力を失わせるか、わかっていない者たちがこの「宿坊」板に集まっているというほかない。

  過去に教団は、山崎正友・原島嵩という2人の脱会者を出した。いずれも利用し合う関係の2人であり、亡くなる年(2008年)まで同じだった。歴史は繰り返すとはよく言ったもので、かなりミニチュア版ではあるものの、今も似たような状況が生まれている。そうした者たちによって利用されているが、現状の「宿坊」掲示板なのだ。

  山崎・原島の時代はインターネットなどという文明の利器は存在しなかったのでこうした問題は生じなかったものの、「宿坊」板をめぐる現状は、あたかもかつての山崎・原島が影響力を持っている掲示板で、わけのわかっていない者たちが自身の教団に関する不平不満を開陳し、さも正当性をもって他を教育せんかのような浅薄な知識人気どりの者たちが結集しているのと同じことである。

  そもそも教団は、このような有象無象の情報によって、よりよく変革されることなどありえない。もしそのような志を持つのであれば、組織の「内側」において、自身の熱意と行動で身の回りから地道に変えていく作業を続けるしかあるまい。


■本質は逆恨みの感情

 波田地尋問の続きに言及しよう。2時間近くかけて行われた本人尋問の中で、ほかにも注目すべきやりとりがあった。一つは2013年秋に講談社発行の写真週刊誌『フライデー』に掲載された「創価学会『池田大作後継候補』を襲った怪文書騒動」と題する2ページの記事について、波田地が被告側代理人から反対尋問を受けた際のやりとりである。
この記事は、波田地本人のもとを警視庁四谷署の刑事が訪問し、任意同行を求めた際の記述から始まり、同人が教団の本部職員としてどのような仕事をし、どのような経緯がこれまであったかなど、波田地本人を中心とする記事にほかならない。署名入りの記事であり、取材・執筆者は「高橋篤史(ジャーナリスト)」となっている。

  もともと波田地が教団を除名される原因となった一つに、マスコミへの情報漏洩が挙げられていた。だが、そうした疑いを払拭する意図と思われるが、除名無効を求めたこの裁判で同人は、この記事の取材を一切受けておらず、取材執筆者は本人に確認もしないで記事を書いたと、法廷内で堂々と供述したのである。マスコミで仕事をする者の一般常識として、こうした記事を書くのに、当事者本人に取材しないで書くということは通常ありえない。だが、波田地本人はあくまでそのように言い張った。後日、私のほうから高橋氏に確認してみたところでは、「取材源に関することはお答えできない」との回答だった。

  この日の尋問の終わりころで、波田地は谷川佳樹副会長について、谷川氏が学生部長のころから「波田地の地方講演を中止にしろ」などのさまざま妨害を受けてきたなどと供述。同人が谷川副会長に対し、個人的に敵意を抱いている様子がうかがえた。波田地は代理人から質問もされていないのに、一方的に自身の主張をまくしたてる場面も見られ、裁判官から「待ってください」とたしなめられる姿も。

  結論として、波田地問題の本質は、理屈というより、表面上はそのように擬制されているとはいえ、その根底に私的な「感情」があることは明らかである。上記『フライデー』記事において、「噂話に明確な証拠はない」と記述されているにもかかわらず、同人は裏付けのない噂話を教団幹部を攻撃する材料に使ってきた(現在も同じことが「宿坊」掲示板で行われている)。

  「法」に基づくのではなく、「特定の人」を中心とした分派グループ。教団内において、いつしか分派活動が局地的に発生し、教団内部を“攪乱”する主体と化してきた。何も知らない会員からすると、表面的な主張からはその本質は容易にうかがいにくい面もあるかもしれないが、彼らの行動が私的感情に根差すものであり、教団の発展を純粋に求める行動でないことを指摘しておかなければならない。

【2016年8月24日掲載】

ジャーナリスト 柳原滋雄(やなぎはら・しげお)さん

1965年1月、福岡県久留米市にて出生。
佐賀県の小・中・高校を卒業後、83年早稲田大学(法学部)入学のため上京。
87年同大学卒業後、"マスコミ底辺"を転々。
93年11月、子どものころから馴染みのあった「社会新報」で勤務。
96年12月までの3年間を政党紙記者として過ごす。
97年1月に独立後、フリーランス。

主な著書に
カンボジアPKO体験記(社会新報 1994年)
拉致被害者と日本人妻を返せ─北朝鮮問題と日本共産党の罪─(未来書房 2002年)



映画 かわいい毒草

2019年03月20日 09時48分57秒 | 社会・文化・政治・経済

PRETTY POISON 1968年 / アメリカ / 91分 / サスペンス ・ ラブロマンス

町山智浩さん推薦。
妄想癖のある青年が一目惚れした美少女の正体は…美しい撮影で綴られる、これぞトラウマ映画

放送日時
2019年03月19日(火) 深夜 01:30 - 04:00 
2019年03月28日(木) 深夜 03:45 - 06:00 
解説

町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。

主演のパーキンスは『サイコ』のノーマン・ベイツ役をそのまま引きずる続編的な役どころ。

魔性の少女チューズデイ・ウェルドのハマリ役っぷりは町山解説で詳述。

ストーリー

デニス青年は精神科病院を出て社会復帰した。

放火で人を死なせた過去があるのだ。

今も妄想癖は完治しておらず、「僕は秘密工作員だ」等の虚言を繰り返す。

彼は校庭の女子高生をジッと見つめる。

その美少女スー・アンに「CIAの極秘任務に協力してくれ」などと言って接近し、スパイごっこのようなことを続けながら次第に親密になっていく。

だが、彼の妄想癖などは、その美少女女子高生の正体に比べたら、大した問題ではなかった。

製作・監督

ノエル・ブラック

出演

 アンソニー・パーキンス 

チューズデイ・ウェルド 

出演者

 拾い物の面白さ。

 すべては主役二人の、魅力である。

パーキンス、チューズデイ・ウェルド、二人の持ち味と、それを逆手にとったストーリーの面白さ。  ベストテンの10位くらいには並べたい。

60年代を代表する衝撃的な問題作『サイコ』に出演して、世界中の映画ファンに強く印象を残したアンソニー・パーキンスが主演を務め、再びタイプの違ったサイコ野郎役にチャレンジしたのがこの『かわいい毒草』です。

 冒頭の精神病院でのパーキンスと医師のやり取りを聞くだけで、この映画もまた気分爽快になったり、ハッピーエンドで幕を閉じる作品ではないことが理解できます。

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病院を退院した後に世話をしてもらった化学工場での仕事に馴染めなかったパーキンスはふたたび妄想世界に逃げ込んでいくのですが、その世界では彼はシークレット・エージェント・マン、つまりCIAの工作員なのだと思い込んでいきます。

 環境を破壊し続けるこの工場はテロリストの巣窟であり、ここを叩くことが自分に与えられた使命なのだという妄想を膨らませていく。

実際の工場破壊工作も進めていき、汚染水を垂れ流すパイプに細工をして、工場を操業不能状態に追い込んでいく。

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そのためには一人では出来ないので、協力者が必要となる。その協力者がチューズデイ・ウェルドです。

自分が諜報部員だという虚言癖、もしくは妄想を地元高校のチアガールのイカれた女の子(チューズデイ・ウェルド)に聞かせ、彼女を犯罪に巻き込んでいく様はとても奇妙に思える。

 職場での言動、ボンヤリした仕事態度、赤い液体を見ると血を連想する心理描写が多々出てきます。このようにいかにも奇天列なパーキンスになぜノコノコと付いていくのだろう。

この時点でチューズデイ自身もイカれているのだろうと推測できます。

犯罪に巻き込まれていく彼女に本来ならば観客の同情が集まりそうなのですが、そうはならない。

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パーキンスよりも、この女の子の方がより悪質で、性格が破綻していることが徐々に観客には分かる仕掛けになっている。最初は興味本位でパーキンスに近づいていった彼女が一番凶悪で、警備員に破壊工作を見つけられるとすぐさま彼を殺害し、拳銃まで奪ってしまう。

 誰もいない公園で何を考えているのか見当も付かないが、ひとりでブランコを漕いでいる様子はまるで二階の窓から覗きこんでいたノーマン・ベイツです。このように『サイコ』のパロディのようなシーンもあり、映画ファンをクスクスッと笑わせてくれます。

 しかしまあ、パーキンスはなぜいつも女に振り回される役ばかりなのだろうか。『サイコ』ではババアに振り回され、この作品では小娘に翻弄される。

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チューズデイは拳銃を使い、自分の母親をパーキンスに殺害させようとするが、腰抜けの彼に処理できないと悟ると、自分で母親を射殺し、遺体を彼に始末させようとする。

 当然すぐにパーキンスは逮捕されるものの、放火殺人の前科(実際には精神病患者が起こした事件なので、精神病院送りにされて、退院してくる。)があるために、誰に真実を語っても信じられることはなく、チューズデイも被害者を装い、彼を犯人に仕立て上げる。見事な悪女ですが、誰も気づかない。

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 結果、パーキンスのみが裁かれ、鉄格子のある刑務所送られていく。

そこでふたたび病院関係者と面談して、実際の犯人は彼女ではあるが、現実世界では社会生活を送れないと理解しているパーキンスは自分が刑務所に行く道を選ぶ。

事情をほのめかす彼は謎の笑みを浮かべつつ、彼にチューズデイの監視を頼む。

 解き放たれたのは見た目は可愛らしいものの、本性は覚醒された悪魔なのです。

フィルム・ノワールの要素であるファム・ファタールをチューズデイは演じています。

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 実際のチューズデイ・ウェルドも薬物やアルコール漬けの相当荒んだ生活を送っていくうちにお決まりの転落人生を歩んでいったようです。

日本ではあまり馴染みのないセブンアップはアメリカではメジャーな清涼飲料水なので、例えていくとポカリスエットやアクエリアスのCMに出ていた頃の宮沢りえや内田由紀がグレて、スキャンダルを起こし続けるイメージなのでしょうか。

 この映画のキャラクターもかけ離れた役柄ではない、現実の自分に近い感覚だったので、こういう気味の悪いリアルさで演じられたのでしょう。

演技派という括りではなく、“地”で普通に出演しているだけなので、とても自然にフィルムに写っているのでしょう。

映画の撮り方も夜の暗闇や薄暗い森の中でのシーンが多く、ノエル・ブラック監督が目指したのは暗黒映画だったのだろうと察します。

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 まだ公害などの環境問題に今ほど大衆の興味がなく、あまり注意が払われていない時代の作品なので、ドギツイ色の工場廃水がドバドバと川に流されており、通りかかったホットドッグ屋のニイチャンも平気でゴミを川に捨てている。つまり、当時の世相がそれほど荒んでいたということなのでしょうか。

 工場から流れまくる汚水も毒であり、街に放たれるチューズデイも毒である。今の目で見ると二つの毒の話にも思えますが、監督の意図は可愛い毒であるチューズデイに焦点を絞っており、環境問題のほうはあくまでも嫌なものを見せてやろうという程度の付け足しだったのでしょう。

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 こういう映画が世に出ていたというのはこのような荒んだ描写がそれほど突拍子もない表現でもなかったから、そして普通にロケしているだけなので制作費も安上がりだったので、普通にB級と呼ばれる作品でも使われていたのでしょう。

 リアリズム描写とは飾らずにありのままを切り取ることだとしても、あまりにも汚い映像を見続けるのは観客としては楽しくはない。

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 ひねくれた一部のファンのためだけに映画が製作されているわけではないので、こういう作品を送り出してくる監督の深層世界の鏡が垣間見えているのでしょうか。

 前に書いた『小人の饗宴』と同じで、共感できる登場人物は誰一人いません。パーキンスはホモ・セクシャルだったはずですが、のちに女性と結婚します。

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 結局、パーキンスは90年代初頭にエイズで死亡するので、バイ・セクシャルだったのでしょう。亡くなった時にも、そんなに騒がれたわけでもないので、歴史的な映画に出演した有名なスターの死に様としては寂しい部類に入ります。

 映画史に残るような名作に出演しても、誰もそのあとに長く続いていく役者人生を保証してはくれません。本人の努力と関係者のサポート、そして強運があってこそはじめて彼の役者人生は輝かしいものになるのでしょう。

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 映画の最後で、犯罪に加担させる(おそらく自分を監視している精神病院関係者を殺害する。)ための新しいカモを見つけ、薄ら笑いを浮かべるチューズデイ・ウェルドが嫌な気分を倍増させる。

 このあとどれほど多くの阿呆な男たちが彼女の毒に当てられて、人生を誤るのだろうか。映画では語られることはないが、これから起こるであろう残忍で自己中心的な犯罪の顛末が予想できる。

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 悪女映画やサイコ野郎が活き活きしてくる異常犯罪映画もまた数多い映画ジャンルのひとつであり、この作品もその二つの系譜に繋がっているのでしょう。なかでもフィルムノワールへの憧れを思い起こさせる。昔はくせのある映画がたくさんありました。

 たぶん今でも、世界中の好き者監督によりこういった作品は製作されているのでしょうが、売れ筋ばかりを追い求め、画一化された作品ばかりしか目にすることができない普通の地方シネコンではこういうくせのある映画はなかなか見ることが出来ない。

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 そのためぼくらは県をまたいで、京都や大阪に行かねばならない。ただ残念ながら、年々仕事が忙しくなっているので、ゆっくりと映画館の暗闇の中でワクワクできる時間が少なくなってしまいました。

 地上波テレビの映画番組もあまり過激なものを放送しなくなりましたので、CSの有料チャンネルで見たいのをチェックしなくてはいけません。そうしてお目当ての、もしくは掘り出し物を探し出す作業はなんとなく、かつて東京12チャンネルや地方局の深夜枠、国営放送の土日の夕方に見たような映画を求めていた日々を思い出させる。

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