支部の会合で小堀(おおほり)へ

2019年03月24日 12時21分24秒 | 日記・断片

午前8時40分に待ち合わせをして、小堀(おおほり)の赤峰宅の支部の会合へ行く。
利根川大橋から富士さんが見えた。
風の強い日で風が冷たいが、皆さんは昨日の方が寒かったと言っていた。
当方は自宅に居たので、その寒さが分からなかった。
午前4時の散歩は、厚着なので何時もの感じで、それほどの寒さを感じなかった。
他の会合もあるので、参加者は8人であった。
会合後のお茶の時間の懇談途中で、3人が退席。
半年ぶりに参加したい友もいたが、常時来ていた人も第一線を退くと姿をみせなくなるのは寂しい。
各人の活動報告が参考になった。
会合後、月曜日の活動で午前11時20分から佐々田さんと打ち合わせをヤオコウの喫茶室で行う。
鶴田さんの奥さんの昨日の告別式の様子を聞く。
家族葬・友人葬の形式で行われたという。
鶴田さんの奥さんには、亡くなる数日前に佐々田さんが会っていた。
何時も、玄関には出て来ない奥さんが「ご苦労さん」と挨拶したそうだ。
棺に花を入れた時に、鶴田さんが涙を流したそうだ。
「いい夫婦関係だったのでしょうね」と佐々田さんが感想を述べる。
ご夫婦とも認知症が進んでいたそうだ。
鶴田さんは1年以上、敢闘会の会合に姿を見せない。
お洒落な鶴田さんの姿を取手駅西口で見かけたのは、いつであっただろうか?
鶴田さんはランドセルメーカーの東京の元支店長で、ベンツに乗っていた。
「年金は月に、38万円くらいもらっていたのではないかでしょうかね」と佐々田さんは言う。それでも。「年金が少なくなった」とぼやいていたそうだ。

なお、当方は取手映画祭に、これから顔を出す予定だ。


たけし イチロー「偏屈ですごいね」

2019年03月24日 04時13分14秒 | 社会・文化・政治・経済

…馬鹿な質問をしたとたんにガラッと変わる

ビートたけしが23日、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」に出演し、引退を表明した元メジャーリーガーのイチローについて、「偏屈ですごいね」と独特の言葉で業績をたたえた。

 番組ではイチローが樹立した記録を振り返った。

たけしは「天才だって分かるね。記者の言うことなんかばかにしてるもんね」と深夜の会見について言及。

「なんで同じようなことを聞くんだって顔をするし。記者が一番聞きたいことは分かってるくせに絶対言わないんだよね。頭いい。これくらい偏屈でないとあんな打者にはならないんだろうね。天才はすごいよ」とたたえた。

たけしはまた、「なんか感動したことはとか、そんなばかな質問をしたとたんにガラッと変わるね。よくそういう質問をするねっていう」とイチローをよく観察している様子。

「われわれも、今度の映画はどんな映画ですか。オレが口で言えるくらいなら映画、撮らないだろう、ばか野郎とかね」と自身も次作映画について質問された場合はイチローのように答えることを冗談まじりで述べた。

 「慣れたもんだけど、引退を決めてもこれくらいの偏屈ですごいね、イチロー選手」と繰り返したたえた。

デイリースポーツ


イチローの取材は「地獄でした」 求められていたのはプロフェッショナル

2019年03月24日 04時06分50秒 | 社会・文化・政治・経済

イチローの取材は「地獄でした」 求められていたのはプロフェッショナル

 場内一周を終え大声援に両手を広げて応えるイチロー

 マリナーズのイチロー外野手(45)が21日、現役引退を発表した。

同日行われた東京ドームでの、アスレチックスとの開幕第2戦でも前日に続き「9番・右翼」で先発したイチロー。

日米両球界で記録と記憶に残る活躍を演じた大選手のラストプレー。一つの歴史が終わった。
  ◇  ◇
 「地獄でした」
かつてイチローにそう言ったことがある。
メジャー1年目の01年。初めて野球を担当する記者に27歳の青年は容赦なかった。「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。
記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。

そこまで厳しくされる理由が分からなかった。
 年間262安打のメジャー記録を樹立した04年のオフ。

初めて単独インタビューに応じてくれた。

イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る。
 イチローがマリナーズでの1年目を終えた後だったと記憶している。
親しい知人に贈った言葉がある。
 「人は必ず障害に出会う。誰もが負けそうになる。そこで頑張れる人間になりたい。前向きな姿勢で夢を持って歩いていきたい」
 毛筆でつづられた美しい字体。それを目にした時、『イチロー』が凝縮されていると思った。
 イチローから教わったのは「野球」だけではない。
生き方、思いやり、人としての振る舞い、物事への取り組み方、…。
稀代の選手を追いかけた19年の歳月は大きな財産であり、宝物だ。
イチローには感謝の言葉しかない。(デイリースポーツ・MLB担当・小林信行)

 


イチローが3つ年上の記者を「小林君」と呼ぶ理由

2019年03月24日 03時56分17秒 | 社会・文化・政治・経済

スマートフォンの時計は「1:14」を表示していた。

午後11時56分から始まったイチローの引退発表会見。

200人を超える報道陣を前にひな壇上の背番号「51」はイチロー節を交えながら矢継ぎ早に飛んだ質問に答えていった。

 記者は挙手し続けていたが、機会を得られずにいた。

用意していた質問「弓子夫人と愛犬一弓への思い」はすでに聞かれてしまっていた。

「あとお二人とさせていただきます」。

司会者の声に緊張感が高まる。

その時だった、記者にマイクが回ってきたのは。
 残り時間を考えれば、長い質問は避けたい。

「プロ野球人生を振り返って誇れることは何ですか?」。

こう問うと選手からすかさずツッコミが入った。
 「これ、先ほどお話しましたよね。小林君もちょっと集中力切れてんじゃないの」
 全身の血の気が引いた。

毛穴という毛穴から汗が噴き出た。

会見の空気をぶち壊した申し訳なさ、自分自身への不甲斐なさ、恥ずかしさ。

担当19年の時間は何だったのか。気が遠くなりそうになる自分がいた。
 記者が想定したのは、練り上げた打撃技術や誰にも真似できないルーティンの確立など、長い時間をかけて取り組んできたものに対する選手の言葉。

質問の拙さを猛省した。
 実は記者は氏より3つ年上。にもかかわらず、ずっと「小林君」と呼ばれている。

ずいぶん前に「ずっと僕の中では小林君なんだよねぇ」と言われたことがある。

なかなか成長しない記者。叱咤激励と受け止めて前に進んでいきたい。(デイリースポーツ・小林信行)


袴田巌さん再審無罪へ姉が訴え 集会で「100年頑張る」

2019年03月24日 03時44分57秒 | 社会・文化・政治・経済

3/23(土) 共同通信

袴田巌さんの再審開始決定を最高裁に求め、集会で発言する姉秀子さん=23日午後、東京都千代田区
 静岡県で1966年、一家4人が殺害された強盗殺人事件で、死刑が確定した袴田巌さん(83)の再審開始決定を最高裁に求めている姉秀子さん(86)は23日、東京都千代田区で開かれた集会で「50年でだめなら100年頑張るしかない」と語り、再審無罪を勝ち取るまで訴え続ける姿勢を示した。

 支援者や弁護士ら約170人が参加し、早期の再審を求める声明を採択した。声明は「検察が無実を示す多くの証拠を隠している」とし、最高裁が「疑わしきは被告の利益に」との刑事裁判の鉄則に沿って結論を出すべきだとしている。

袴田さんが恩赦出願=新天皇即位見据え
3/20(水) 時事通信
 静岡県で1966年、一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌さん(83)の弁護団は20日、静岡地検に恩赦を出願した。

 袴田さんは静岡地裁の再審請求審で再審開始が認められたが、東京高裁で昨年、取り消された。ただ健康状態などを考慮し、死刑と拘置の執行停止は維持されている。

 袴田さんはこれまでに恩赦を2回出願しているが、回答は得られていないという。今回の出願は新天皇即位も見据えたもので、弁護団の小川秀世事務局長は「最高裁での収監という危険を少なくしたいというのがわれわれの考えだ」と話した


「冤罪犠牲者の会」設立へ 桜井さんら40人 

2019年03月24日 03時39分14秒 | 社会・文化・政治・経済

2019/2/9 茨城新聞社

「冤罪犠牲者の会」を3月に結成することを発表する桜井昌司さん=東京・霞ケ関の司法記者クラブ
1967年に利根町布川で男性が殺害された「布川事件」で再審無罪となった桜井昌司さん(72)らが8日、東京・霞ケ関の司法記者クラブで会見し、冤罪(えんざい)被害者やその家族ら約40人で「冤罪犠牲者の会(仮称)」を結成すると発表した。

捜査機関が持つ証拠の全面開示などを目指す。

3月に都内で結成総会を開き、活動を本格化させる。

同会には、足利事件で再審無罪になった菅家利和さん(72)や大阪市の小6女児焼死事件で再審無罪となった青木恵子さん(55)らが参加を表明。青木さんら3人が共同代表に就く。

同会は、警察や検察による証拠隠しを防ぐため、証拠を全面開示させるための制度改正や、冤罪捜査に関わった警察官や検察官らの責任を問い処罰できる法整備などを目指し、国会議員らに働き掛けていくとしている。

桜井さんは「警察や検察、司法は冤罪が明らかになっても、誰も責任を取らない。悪いことをしたら責任を取ってほしい」と訴えた。 (高岡健作)


「稲むらの火」

2019年03月24日 03時14分42秒 | 社会・文化・政治・経済

かつての国語教科書や、ラフカディオ・ハーンの小説でも伝えられなかった本当の「稲むらの火」です。
濱口梧陵の偉業「百世の安堵を図れ」はこの実話の中に生きています。

1 枯れた井戸の水

枯れた井戸の水

今から150年ほど前のある冬の朝、広村に地震(※)が起こりました。
いつもと違う海に、村人たちは津波を心配して広八幡神社に避難しましたが、被害がなかったことを喜びあいました。
ところが次の日のお昼過ぎ、あわてて梧陵さんの家にかけ込んできた村人が言いました。
「えらいこっちゃ、井戸の水が枯れているぞ!」
※1854年(安政元年)12月23日午前10時に起こった、のちに安政東海地震とよばれた地震です。全国で2000~3000人がなくなりました。

2 大地震だ!津波だ!

夕方の4時。きのうの地震とは比べものにならない大きな地震(※)が起きました。
家が倒れ、かわらが吹き飛びました。ドーッという、大砲がとどろくような音が何度も聞こえ、黒いすじ雲がみるみる広がっていきました。
そしてついに大きな津波が押し寄せてきました。「にげろ!丘にあがれ!津波が来たぞ!」
梧陵さんは波にのまれながらも必死で村人たちにそう叫んで、広八幡神社へと避難を呼びかけました。
※この地震はのちに安政南海地震とよばれ、全国で数千人がなくなりました。

大地震だ!津波だ!

3 命の火、「稲むらの火」

命の火、「稲むらの火」

津波は川をさかのぼって家や田畑を押し流したあと、今度はすごい勢いで海へ引いていきました。
あたりはひどいありさまで、おとなも子どもも家族をさがして叫びまわっています。
梧陵さんは、暗やみでどこへ逃げればいいのかわからずさまよっている人がいるにちがいないと考えました。
とっさに、「そうだ。もったいないが、あの丘の稲むらに火をつけよう」と、積み上げられた稲の束に火をつけてまわりました。すると、逃げおくれた村人が次から次へと火を目指して丘にのぼってくるではありませんか。「ああ助かった、この火のおかげや」9人目の村人が避難を終えたそのときです。さらに大きな津波(※)が押しよせて、稲むらの火も波に消されていきました。
※このときの津波がいちばん大きく、この後も何度も津波が押し寄せては引いていきました。

4 生きる希望

生きる希望1

生きる希望2

津波で家族や家、仕事を失った村人たちはうろたえるばかりでした。
村を捨てて出て行こうとする人もいました。梧陵さんは考えました。「このままでは村がほろびてしまう。広村で生きていける方法はないものだろうか…。よし、浜に堤防を築こう。村人に働いてもらってお金を払い、生活に役立ててもらおう。そうすればきっと、生きる希望もわいてくるはずだ。」

地震のあとの炊き出しで、蔵の米もすっかりなくなっていましたが、梧陵さんは家族や店の人(※)に村を守りぬくための協力を求めました。
※梧陵さんの家は、広村と千葉県の銚子というところで昔からしょうゆを造っていました。店や工場ではたくさんの人が働いていました。
 

5 広村堤防

広村の人たちは、梧陵さんの決断に心の底から感謝しました。畑の仕事や漁の仕事をしながら、一所けん命に働いて堤防を造っていきました。

4年がかりで大きく立派な堤防が完成し、海側には松の木を、土手には、はぜの木を植えました。
長い年月がたちました。

広村に大波がおそってきましたが、村は堤防のおかげで守られました。

大きい地震(※)があったときにも、津波は村に入ってきませんでした。
今も広村堤防は広川町の人びとを守り続けてくれています。
※1946年(昭和21年)12月21日に昭和南海地震が起こり、4mの津波がおそいましたが、堤防に守られた地域は無事でした。

広村堤防

 


災害は待ってくれない

2019年03月24日 03時09分34秒 | 社会・文化・政治・経済

想像力で人は救える

地震があったら津波が来る。
高台へ避難する。
過去の歴史、教えを街、地域ぐるみの取り組みで受け継いでいく。
非常時にはリーダーの倫理観、大局観といった精神性が問われる。
総合的な視野が求められる。

過去を知って、自分が何をできるかを考える。
家族や近所の人を守るにはどうするか。

そこから想像力が広がり、一人でも多くの人を、地域を救うことにつながると信じます。


小4女児いじめを「重大事態」に認定 茨城・牛久市

2019年03月24日 02時51分49秒 | 社会・文化・政治・経済

2019.3.18 産経新聞

茨城県牛久市の染谷郁夫教育長は18日、同市立小4年の女児(10)がいじめを訴えて不登校になり、市教育委員会がいじめ防止対策推進法が規定する「重大事態」と位置付け、原因を解明するための調査委員会の設置を決めたことを明らかにした。

 市教委によると、女児は昨年4月ごろから同級生にトイレ掃除の床拭きを要求されたり、鉛筆で額をたたかれたりした。

同12月には女児が学校を欠席するようになり、市教委は関係者からの聞き取りも踏まえて「重大事態」に認定した。
染谷教育長は18日の記者会見で「いじめで泣く子を見逃さない姿勢で教育に当たる」と述べた。
調査委の人選を進めているほか、保護者会の開催を検討するとしている。

 いじめ防止対策推進法では、いじめで児童や生徒の生命や心身、財産に重大な被害が生じた疑いがあるときや、相当の期間の欠席を余儀なくされたときに「重大事態」とするよう定めている。


取手いじめ自殺 情報を隠ぺい?「違法」と指摘 

2019年03月24日 02時45分07秒 | 社会・文化・政治・経済

取手いじめ自殺 市教育長が会見「報告書を厳粛に受け止め」
3/23(土) 7:55配信 産経新聞
 平成27年11月に起こった取手市立中3年の女子生徒=当時(15)=の自殺が「同級生のいじめと学校の指導が要因」とする20日の県調査委員会の報告書を受け、同市の伊藤哲教育長は22日に記者会見し、報告書の内容を「厳粛に受け止める」とした上で「再発防止に全力で取り組み、学校教育の信頼回復に努める」と述べた。

 いじめ問題に対応する市教育委員会設置の専門委員会で検討するなどして、再発防止策をまとめる考え。会見に同席した藤井信吾市長は、遺族の「娘のような生徒を一人も出さないという実績を積むことに力を向けてほしい」との要望に応え、市教委と連携して再発防止に取り組むとした。

 県調査委の報告書によると、いじめ防止対策推進法に基づく第三者委員会の設置をしなかった市教委の対応を「違法」と指摘。

同法が規定する「重大事態」に該当しないとの議決を導くため、教育委員に都合の悪い情報を提供せず「ミスリードするような姿勢が認められる」とした。


人工透析中止は、自殺ではないだろうか?

2019年03月24日 02時28分57秒 | 医科・歯科・介護

延命拒否により血液透析を自己中止した1症例の検討

石田俊哉、鈴木直子、阿部明彦、冨樫寿文、松尾重樹、佐々木秀平 近藤みか※、川上美和※、鎌田雅子※、工藤麻美※、松橋満弥※※ 市立秋田総合病院 泌尿器科 同 透析室※、同 臨床工学室※※

<緒言>
 透析中止という決断は多くの施設で経験されている。
しかしその大半は,末期癌の合併や心不全による血圧低下などによる透析継続が困難な症例である。
 今回我々は、患者自らの意思表示、いわゆる尊厳死を望む形での透析中止症例を経験したので報告する。
<症例>
患 者:54 歳、男性、公務員
家族歴:特記すべきことなし(妻、長男との3人暮らし)
既往歴:特記すべきことなし(病気になったことがない)
現病歴:40 歳、糖尿病を指摘されたが放置
    50 歳、糖尿病の治療開始(経口血糖降下剤)
    52 歳、糖尿病性腎症の悪化により血液透析導入
<経過>
 透析導入後も現状をなかなか受け入れられない様子が度々見られたが、週3回の維持透析は継
続していた。透析を開始して約2年、突然透析の自己中止を宣言した。
○月○日(Day1)透析終了後、「もう透析はしたくない」との訴えあり。理由を聞くと「生きていてもしょうがない。ただつらいだけ」との返答。
うつ状態と判断し、精神科頼診を勧めたが、受診せず帰宅した。
(Day3)「体調が悪いので透析に行かない」との電話があり、説得にも応じず来院せず。
(Day4)妻のみ受診。透析を行わないと命にかかわることを説明し、妻からの説得も依頼。妻
も困惑しており、「本人の意思が固くて説得できるかどうかわからない」との返答。
(Day5)妻のみ受診。「透析中止の意思は固く、説得できなかった」との返事。
(Day9)「このまま透析を受けないで意識がなくなり搬送された場合は、透析を行うことになる」と連日電話をかけて、やっと本人が受診。
話し合いを行った結果、透析中止の強固な意思表示を確認。
事前指定書(表1)への署名をしてもらった。
 その後、度々自宅へ電話したり、妻に来院してもらうなどして、状態を確認した。元々尿量が保たれている方であったため、意識状態はしっかりしており、透析拒否の意思に変化は見られず。
(Day34):呼吸苦を訴え受診。
うっ血性心不全(図 1)、尿毒症の進行を来していた。
酸素投与だけは了承し、緊急入院となった。(入院時採血データ:BNP 2122,WBC 7300,Hb 6.1,BS
97,Na 137,K 7.4,BUN 148,Cr.23.0,Alb 3.3)
 連日、透析再開を勧め、心境の変化を確認したが、透析中止の意思は固いままであった。
(Day49)徐々に呼吸状態、意識レベル低下し、永眠された。

<考察>
 透析を行わないという選択には、①透析非導入、②透析導入後の中止、の2つの状況がある。
さらに透析導入後の中止には、全身状態悪化による中止と患者の意思表示による中止(身体的に
は透析継続可能)とがある。高齢のため患者本人も家族も透析導入を希望しない、あるいは心不全や悪性腫瘍の末期であり全身状態が不良のため透析を継続できない、などの原因で透析を行わないという選択は稀なことではない。
しかし今回の症例は、いわゆる尊厳死を望む形での透析中止であり、対応に困惑した。患者の精神状態は正常だったのだろうか、適切なサポートを行えば透析を継続したのだろうか、透析を中止したい本当の理由があったのだろうか、法的には問題なかったのか、など今でも疑問に思うことが多々ある。
 現在アメリカをはじめ諸外国では,患者の自己決定を尊重し、事前指定書による尊厳死が法的に認められ、医師はその決定を尊重しなければならないというガイドラインがある1)。アメリカでは、「死亡に先行した透析中止:withdrawal from dialysis before death」が死亡例の22.0%。フランスでは 20.4%、スペインでは 25.8%、イギリスでは 38.0% と報告されている2)。
これは純粋な尊厳死のみの割合ではないと推察されるが、それでもかなり多い。
 一方日本では、尊厳死に関する法律もガイドラインも整備されていないのが現状である。日本透析医学会の死亡調査分類に、「透析中止による死亡」の項目はないが、「自殺・拒否」という項目は,過去 10 年1% 前後で推移している。
大平らの北海道での調査では、「透析中止による死亡」は1〜3% と報告されており3)、公には公表されなくても尊厳死は現実問題として存在している。
 日本における尊厳死の法的問題を歴史的にみてみると、1976 年、日本安楽死協会が設立され、1983 年に日本尊厳死協会に改称し、尊厳死する権利主張の普及に努め、末期医療に特別措置法の立法化を目指してはいるが、未だ法案化はされていない。
1991 年、東海大学医学部附属病院で、家族の要望により末期癌の昏睡患者へカリウムを静注するという事件(積極的安楽死)は、殺人罪で起訴され、懲役2年(執行猶予2年)の実刑判決をうけた。1994 年、日本学術会議の「死と医療特別委員会」は、尊厳死をある条件下では容認するという判断を示した。2005 年、北海道立羽幌病院で、人工呼吸器を取り外して延命治療を中止(消極的安楽死)した事件は、殺人罪で立件されたが実刑判決は受けず。
 2007 年、厚生労働省が国の初めての指針である「終末期医療およびケアの方針手続き」を発表したが、結局医師の刑事訴追の免責基準には触れられていない4)。
厚生労働省の日本国民への意識調査 (1998) では、延命よりも緩和医療を望む国民は 88% と高い。
また岡田らの透析医への意識調査 (2003) では、「透析中止」を患者が申し出て、さらに事前指定書がある場合、79% の医師が透析を中止するとの結果が示されている。法的な整備は、まだまだ年月がかかるであろうが、とりあえず学会主導でガイドラインを作成してもらうことが、現場の医師にとっては支えとなると思われる。
表2に岡田の透析中止のガイドライン私案5)を示す。
表 2.
「透析中止」の<まとめ>
・ 今回我々は、患者自らの意思表示いわゆる尊厳死を望む形での透析中止症例を経験した。
・「透析中止」の希望があった場合、患者や家族との話し合いを十分に行うことが前提であり、実際に透析中止を決断しなければならない状況になった場合は、主治医一人で判断することなく、チームとしての判断や倫理委員会の承認も不可欠である。
・日本において尊厳死は法的に認められていないが、海外では患者ならびに家族の透析治療への希望を書面にした「事前指定書」が治療方針を決めるうえで重要視される。もし透析中止の確固たる意思がある場合は、刑事訴追免責保証はないものの、しっかり書面にして残しておくことが必要である。
・「透析中止」は、どの施設でも、明日にでも起こりうる問題であり、ガイドラインならびに法的整備が早急に必要である。



イチロー選手の引退に思いを重ねる人々

2019年03月24日 02時09分54秒 | 社会・文化・政治・経済

「僕は最低でも50歳までプレーをする」とイチロー選手(45歳)が言っていたそうだ。
「野球人生で貫いたことは野球を愛したこと」。
常に求道者のような姿を貫いていたような姿を漂わせていた。
ストイックな姿勢で野球に取り組んできた。
「孤高の努力の天才」とも表現されている。
父親の鈴木宣之さん(76歳)と、二人三脚で近所の公園やバッティングセンターで練習に明け暮れた小中学生時代。
「一番頑張ってくれたと思います」と妻弓子さん(53歳)について引退会見で語っていた。
米国でプレーした19年間、本拠地での試合前は弓子さんが握ったおにぎりを食べていたと言い、その数は「2800個くらいだった」と明かした。
今後については「僕はゆっくりする気はないんですけど、妻はゆっくりしてほしい」と労りの言葉。
また、将来の野球監督については、「人望がないので無理でしょう。それはない」と否定した。
延長戦の試合後の深夜の会見に、200人余の報道陣。
「こんなにも多いの」と目を丸くした。
「後悔などあろうはずがありません」と会見で言い切っていた。
日本での公式戦が最後のプレーとなり、試合終了後も数万人のファンが、今一度イチロー選手がグランドに姿を現すのを待ち続けていた。
その光景にイチロー選手は感動して「あれを見たらね。後悔などあろうはず」の発言につながった。
これまでのイチロー選手の言葉の数々は示唆に富み深みを感じさせた。
野球に真摯に取り組み、求道者のような姿勢に映じていた。
何時か引退の日が来る。
試合に出る資格がない中での練習を続ける。
「使ってもらえなけれ、ベンチをあたためる他ない」精神的にも辛いものがあっただろう。

<生活の全てが、野球のために>・・・そんな野球人生を思われた。