各本部合同の敢闘会総会

2019年03月27日 14時17分28秒 | 日記・断片

取手、取手中央、西取手、藤代各本部合同の敢闘会総会の日程。

5月13日に開かれることが決まった。

そのため、昨日は午前10時30分から相田宅で打ち合わせがあった。
春川会長が仕事のために、合同の協議会の内容については代理出席した米田さんから報告があった。
取手本部としては20名ほどの出席を目指す。
活動報告は各本部1名。
推されて当方が活動報告をすることなる。
「他にいると思いますがね」と当方は言うが、「いるようで、いない」と春川会長と副会長の米田さん推すので受けた。
「活動報告は10分ほどですが、原稿を用意してください」と春川会長から念を押された。
過去にも総会で活動報告をしているので、別の話にする予定だ。
なお、敢闘会のモットーが決まった。
「何事にも挑戦する敢闘会・訪問対話で波を起こす敢闘会」
最近、孤独死して発見されたメンバーもいたことから、安否の確認や、取手市の包括支援センターとの連携のもと、悩み事の相談などがあればセンターへ連絡するこことなる。
月間のリズムと年間のリズムとして、定期的に協議会を持つことに。
取手本本部以外は、定期的な協議会は開かれていないので・・・。
また、他の会合とも連携し、出席率50%以上を目指す。
このほか月1回だった家庭訪問は、ペア、トリプルで数回の訪問とする、などを確認した。
ところで、協議会の連絡がなく過去に3回ほど欠席しているので、今後、寺川さんをあてにせず、佐々田さんに連絡を依頼した。
電話に出ないので寺川さんは困ったものだ。
「詐欺が多いし、実際に変な電話があると寺川さんが言うが、留守電にしておけばいいのだ。
彼は頑なで、家庭の固定電話も出ないし、肝心な携帯電話にも出ない。
一方通行の状態に等しいなのだ。


大関貴景勝、誕生=「武士道精神を重んじ精進」-大相撲

2019年03月27日 12時38分45秒 | 社会・文化・政治・経済

大関昇進の伝達式で口上を述べた貴景勝=27日、大阪市中央区
 日本相撲協会は27日午前、エディオンアリーナ大阪で大相撲夏場所(5月12日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、関脇貴景勝(22)=本名佐藤貴信、兵庫県出身、千賀ノ浦部屋=の大関昇進を満場一致で決めた。

「さらに上を目指す」=貴景勝との一問一答-大相撲

 出羽海理事(元幕内小城乃花)と審判部の西岩親方(元関脇若の里)が、大阪市のホテルに設けられた会場で昇進を伝えた。

師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)とともに使者を迎えた貴景勝は「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」と口上を述べ、決意を表明した。

 ジョージア出身の栃ノ心が2018年夏場所後に昇進して以来の新大関で、国内出身では17年夏場所後の高安以来。兵庫からは2代目増位山以来39年ぶりとなる。


~自殺を防ぐために私たちができること~

2019年03月27日 10時50分57秒 | 社会・文化・政治・経済

かけがえのない命を守る 東京都青少年問題協議会

自殺の背景には、その人の心理的な問題(性格や死生観など)だけでなく、生活上のさまざまな問題(経済・生活問題(倒産、失業、多重債務など)、健康問題(こころやからだの病気の悩みなど)、人間関係の問題(愛憎の悩みなど)、家庭・職場・学校・地域の問題など)が複雑に関係しています。
およそ5人に3人が思っているように、自殺は、その多くが防ぐことのできる社会的な問題といえます。
周りに自殺した人がいる方がおよそ5人に2人。
自殺は、家族・学校・会社など社会に大きな傷を残します。
上記のような「生きることの阻害要因」を減らして、「生きることの促進要因(自己肯定感・信頼できる人間関係・危機回避能力など)」を増やしていくことで、誰も自殺に追い込まれることのない社会が実現できるのではないでしょうか。
生きづらさを抱える若者の
社会的自立に向けた支援について

相互のコミュニケーションについては、急速なスマートフォンの普及が進み、高校生では88.8%、中学生では65.2%、小学生高学年で23.4%、小学生低学年でも14.6%がスマートフォンを利用しており、年齢が高いほど利用割合が高くなっている。
また、スマートフォンの使用に当たり、中学生、高校生は、SNS等のコミュニケーションアプリの使用割合が最も高くなっている。

インターネットは外部とつな、がるためのツールであり、知識の取得やコミュニケーションの機会を増やす一方でトラブルが増加するなど負の側面も併せ持っている。
このような生活環境の中で、自分自身に満足している、「自己肯定感」を有する若者の割合は5割弱となっており、諸外国と比べて自己を肯定的に捉えている若者の割合が低い。
自己肯定感については、その高さと自分の将来に明るい希望を持てるかどうかは相関関係が高いとされている。
また、若者においては、出会いの多彩性や多様性が失われ、実際の社会でもネット上の交流においても自分の環境と似通ったところで生活圏を閉じてしまうという「内閉化」の傾向が強まってきている。

閉じた世界の中で濃密な関係性を構築しており仲間グループ以外との人間関係のつながりがない。

そのため、今ある人間関係から外れると自分の居場所はどこにもなくなってしまうという排除される不安やリスクが強いと指摘されている。


イチローという男

2019年03月27日 09時26分55秒 | 社会・文化・政治・経済

4376安打の軌跡(毎日新聞)

親交があった仰木彬監督の依頼で練習を視察した。
見た瞬間、「度肝を抜かれた」。
右足を高く上げたまま、その足を捕手側に大きく引いてから打つ「振り子打法」なのに、常にバットをボールに対して最短距離に出し、的確にボールをとらえる。
「飛んでいるトンボをつまえる時、自分が動きながらだと、自分が止まっている時よりつかまえるのははるかに難しい。打撃も同じなはずなのに、イチローは違った」。
すぐに仰木さんに伝えた。
「ヒットの記録は全部、彼が抜いてしまいますよ」
驚異的な動体視力を持ち、しかも、踏み込んだ後、両足の幅が狭く、上体を動きやすい。
加えて、膝に柔軟性があるから、どんなコースにも対応ができた。
張本勳さんは日本プロ野球最多3085安打記録保持者。
張本さんは、故・川上哲治さん(元巨人)を最も打撃が優れている「神様」だと尊敬していたが「ヒットを打つことに関しては、川上さんよりも、我々よりも、イチローの方が上かもしれない」と脱帽した。
2009年、自らの持つ最多安打記録をイチローさんが日米通算で抜こうとした時に渡米して観戦した。
試合前、イチローさんの元を訪れて「頑張れよ。日米通算で、ピート・ローズ(米大リーグ通算最多記録保持者・4256安打)を抜いてくれよ」と激励。
「普通は自分の記録を抜かれた時<あ、痛っ>と思う」はずだが、張本さんは幸福感に満ちていた。
今、「ずっと前から認めていた打者だから。本心から、ほっとしたというか、うれしかったね」と振り返り、こうも言った。
「イチローは野球先進国だと威張っている米国を、あっと言わせてくれた」。
引退後については「監督はしてほしくない。プロ野球12球団を巡回して、自分の技術を伝えてほしい」と要望した。(岩本悠さん)


どう決意し、どう行動を起こすか

2019年03月27日 09時12分00秒 | 社会・文化・政治・経済

今いる場所で、今の瞬間、何を思うか。
どう決意し、どう行動を起こすか。
それによって未来はいくらでも変えていける。
いま一度、自分の心に向き合いたい。
昨日より今日、今日より明日ね、どれだけ前進できたか。
自身の限界に挑み、わが拡大の金字塔を打ち立てる。


歴史を動かすのは、人間の強靭な意志の力

2019年03月27日 09時03分05秒 | 社会・文化・政治・経済

人間の精神の力によって、人類の融合と永遠の平和を開く。
異文化理解のための対話
同じ人間として、まず語り合える問題から、語り合っていけばいい。
人間として互いに認め合い、語り合っていく対話こそ異文化理解を深める上で最も大切な心構えなのだ。
高度に発達した文明をもった国々が滅び去った共通の原因は?
一国の滅亡の要因は、国のなかに、さらにいえば、常に人間の心のなかにある。
底流で歴史をつくり、歴史を動かすのは、人間の強靭な意志の力だ。
この視点で歴史を見るならば、「歴史は単に過去の出来事でなく、人間の生き方の、現在と未来を照らし出す道標として、光を放つ」のだ。
若い人には、探求心をもってほしい。
さまざな思想・哲学と比較相対する。
その結果、その真価が明らかになるだろう。

 


自由に想像を広げて音楽を楽しんで

2019年03月27日 08時33分45秒 | 社会・文化・政治・経済

フランスの作曲家ラヴェルの作品。
どの作品も精巧に作り込まれていて、楽譜にも「こんなところまで」と思うくらい、演奏者に対する指示が細かく書かれています。
それなのに、そう感じさせず、エレガントで美しい。
これが、私が感じるラヴェルの作品の一番の魅力です。
おしゃれで完璧主義だった一面が表れているように思います。
音楽には演奏家の即興性やイマジネーションが必要ですが、再現芸術という部分では、作曲家が楽譜に残した意図をどこまで読み取れるか、感じ取れるか。
その努力が欠かせません。
緻密に作り込まれたラヴェルの作品を演奏する時は特に、楽譜と向き合うことを大切にしています。
<音楽は、人と出会い、世界と出合う機会を与えてくれますね>
言葉では伝えられないものも、これなら伝えることができる。
私にとっての音楽は、そんな存在です。
たくさの世界を見せてくれ、経験するきっかけを与えてくれたのも音楽でした。
私自身は作曲家に対する敬意を常に持ち、その作品の本来の姿に近づけていけるように誠実に向き合っていますが、演奏を聴いてくださる方々には、自由に想像を広げて音楽を楽しんでいただきたいと思っています。
ピアニスト 酒井有彩さん


生きた情報

2019年03月27日 02時56分28秒 | 社会・文化・政治・経済

 松下幸之助はなぜ成功したのか

部下が提案を持ちこんだ際、松下幸之助は真剣に耳を傾けた(撮影:高橋孫一郎)
「部下の話を聞くときに、心掛けないといかんことは、部下の話の内容を評価して良いとか悪いとか言ったらあかん、ということやな。部下が責任者と話をする、提案を持ってきてくれる、その誠意と努力と勇気を褒めんといかん」

私も社会的な問題から世間話まで、松下幸之助からさまざまなことを尋ねられた。
ときには会社の人事に関わる問題にまで話が及んだ。

そのようなとき、私がどんな答え方をしても、松下は一度も「それはつまらない」とか「自分も考えていた」とは言わなかった。

どんなことを言っても、「うーん、なかなかいい考え方しとるなあ」「いい意見やな」「そういう考え方もできるな」「きみの話は面白いな」と、感心した様子を示した。
また、部下が報告に来たとき、松下は忙しいときでも「今、時間がないから帰れ」とは絶対に言わなかった。

部下がどんどん情報を持ってくる
松下はいつもいたく感心した様子で褒める。

褒められた部下は喜び、これからどんな情報でも松下に持っていこうと心に決める。

自分が話を聞きたいのだという姿勢を見せれば、部下はどんどん情報を持って来てくれる。

松下は、そうしてたくさんの情報を手にいれていた。

部下からすれば、緊張の瞬間である。

そのとき「きみの話はつまらん」とか、「そういうことは以前やって無駄であった」とか、「もうそんな話ならわかっているから、聞かなくていい」と言われたら、どう思うだろうか。

部下はそのような上司のところに二度と情報を持っていこうとは思うまい。

部下の話を聞かない責任者は、それだけで責任者として失格である。
責任者より部下のほうがいつもいい提案をするようならば、部下のほうが優秀なのだから、そもそも責任者と部下は立場を入れ替えなければいけないではないか。

そうではない。部下の話は、何回かに一回いい提案があれば、それで十分なのである。

「それよりも部下が責任者のところへ話をしにくる、その行動を褒めんといかんのや。あんた、ようわしのところへ来てくれた、なかなか熱心な人や、と言うてまずそれを褒めんといかんわけや。その部下が持ってきた話とか提案の内容は、早く言えば二の次でいい。そうすると部下は、それからなお、勉強してどんどん責任者のところへ話とか情報とか提案とか、そういう知恵を持ってきてくれるようになるんや。なんでもいいから部下に知恵を持ってきてもらう。それが大事やね」
愛想でほめているわけではない

ところで、初めの頃、松下が私の話や意見に感心してくれるものだから、私は「天下の松下幸之助に影響を与えたんだ」と喜んでいた。

ところがしばらくして気がついてみると、いざ実行に移すときには私の意見など、どこにも取り入れられていない。

一向に採用されていないように思われた。

しかし、それでいいのだということが、だんだんわかってきた。

もちろん松下は、愛想で褒めてくれていただけではなかった。

表面的には採用されていないが、すべての人の意見や話が、松下の心のなかでは活かされていたのである。

松下は自分の考え方を推し進めていくとき、みんなの意見をできるだけたくさん聞き、衆知を集める。

その中には反対意見も多いが、しかし、見方を変えると、それは自分の進む道における落とし穴や水たまりを教えてくれているのである。

だから松下は、反対意見のほうこそ丁寧に聞いていたと言っていい。

よく聞いておくことによって、危険を回避することができるからである。

最終的な決断とは別に、松下の心の中では、あらゆる意見が採用され活かされていたのである。だから褒めてくれるのである。

松下は、よくテレビでまげもん(時代劇)を見ていた。

そこでわかりやすく銭形平次と、子分のガラッ八の関係にたとえてみよう。

「親分、大変だ、大変だ」といって駆け込んでくるガラッ八に、平次が「なんでえ、なんでえ」と聞く。

このとき、ガラッ八に“どんな情報でも持って来させること”が大事なのである。

もし平次が「おまえの持ってくる情報はつまらん」と言ったら、ガラッ八は来なくなる。

もうああいう親分のところには行きたくない。

そう思うのが人情だ。そう思わせたらおしまいである。

情報が集まってこなくなる。あるいは、内容の善し悪しを部下が判断するようになってしまう。

すると、いちばん大切な情報が漏れるかもしれない。

熱心に聞いてくれるから情報を持ってくる

ところがいつもいつも、親分が「何だ、何だ」と熱心に聞いてやるから、ガラッ八は喜んで飛んでくる。

つまらない情報でも、なにはともあれ持っていこう、まずとにかく親分に知らせよう、連絡しよう、報告しようということになる。

持っていけば、きっと親分は熱心に聞いてくれる。ガラッ八はそう考える。
その情報の内容がいいとか、つまらないということは、親分が心の中で判断する。

部下の目の前で吟味したり、ましてや部下自身のところで判断させないことが重要なのである。

指導者にとって大事なことは、そういったガラッ八を何人持っているかである。

何回かに一回いい提案があれば、それで十分なのである。

むしろ、ひとつの情報を手にいれるためには、それぐらいの努力をしなければならない。

「内容の吟味は責任者の心の中で、頭の中でやればよろしい。まあ、そういっても部下は部下なりに一生懸命考え、研究して提案したり、話をしたりするもんやから、そうアホなものはないよ。経営者は、たくさんの話や知恵の中から、頭の中で知恵を組み合わせ、自分で考え抜いて、ひとつの決断をしていく。そうすれば、たいがいは間違いなく経営を進めていくことができるんや」

また、一見したところ無駄だと思われる情報にも、実はいろいろな利用価値がある。

たとえば、このようにして部下の話を聞いていると、同じような話が繰り返し繰り返し届くことがある。

これをバカにしてはいけない。意外と難しいことで、私自身も3回くらい同じ話が来ると、「あ、聞いた、聞いた」とつい言ってしまうものだ。

しかし、同じような情報が繰り返し入ってくるということは、それだけ多くの人が関心を持っていると受け止めなければいけない。

今これが話題になっていると考えれば、新しいビジネスチャンスにつながるのである。
さて、あなたは何人の「ガラッ八」を持っているのだろうか。

東洋経済
江口 克彦さん : 江口オフィス 代表取締役

 


松下幸之助はなぜ成功したのか

2019年03月27日 02時49分06秒 | 投稿欄


商品の説明

内容紹介

史上最高の経営者に学ぶ最強のリーダー論
元側近の著者が成功の秘密を解き明かす決定版!

能力は60点でいい。大事なことは、熱意。「熱意のない人の能力は増すことはないが、熱意のある人の能力は、その熱意に比例して増していく」。それが、松下さんの人材観でした。ですから、他社の経営者から見れば、無謀とも思えるほど、社員に、部下に、どんどんと大きな仕事を任せました。
権限を委譲して、責任を待たせて仕事をやらせる。そうすれば、「立場が人を育てることになる」ということでしょう。「60点の能力と滾る熱意」が、権限を委譲する時の目安だということです。(本文「能力は60点でいい」より抜粋)

内容(「BOOK」データベースより)

元側近の著者が解き明かす、史上最高の経営者に学ぶ、最強のリーダー論。

著者について

江口 克彦(エグチ カツヒコ)
前参議院議員/元松下幸之助・側近
1940(昭和15)年2月1日、名古屋市生まれ。

故・松下幸之助氏の直弟子とも、側近とも言われている。

23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり継承者。

松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。

現在も、講演に執筆に精力的に活動。

また、経済学博士でもある。

参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器理事、内閣官房・道州制ビジョン懇談会座長など歴任。

著書に『ひとことの力―松下幸之助の言葉』『部下論』『上司力20』(以上、東洋経済新報社)、『地域主権型道州制の総合研究』(中央大学出版部)、『こうすれば日本は良くなる』(自由国民社)など多数。


 
 

-初心者のための記号論-

2019年03月27日 02時28分04秒 | 社会・文化・政治・経済

Semiotics for Beginners

Daniel Chandler (University of Wales)

田沼 正也さん 訳

社会生活の一部分としての記号の役割を研究する科学を想定することができる。
それは、社会心理学また一般心理学の一部分を形成するだろう。
それを、記号学と呼ぼう(ギリシャ語のセミオン'記号’から)。

それは、記号の本質とそれを支配する法則を研究する。それは、まだ存在しないので、確かに存在するとは言えない。

しかし、それは存在する権利を有し、将来その居場所も用意されている。

言語学がその一分野となる記号学が見出す法則は、言語学に適用可能であり、このようにして言語学は人文科学分野に明確な位置を占めるであろう (Saussure 1983, 15-16; Saussure 1974, 16)
スイスの言語学者の フェルディナン・ド・ソシュール (1857-1913) は、このように記した。
彼は言語学だけでなく、記号論と呼ばれているものの創立者でもある(一般言語学講義、1916)。
 記号論は、学問上の一分野として余り広く認知されていない。

それは、多彩な理論的立場と方法論を含む研究の一分野である。

もっとも広い定義は、ウンベルト・エーコの、 ‘記号論は記号として捉えられる全ての事柄に関係する’である (Eco 1976, 7)。記号論は、毎日話すことのなかで ‘記号’と思われることに関するだけでなく、あるものの‘代わりをする’全てのものの研究でもある。

記号論的意味では、記号は言葉、画像、音、身振りそして物体の形をとる

。一方、言語学者のソシュールにとっては、‘記号学’は‘社会の一部分として記号が果たす役割を研究する科学’であり、哲学者チャールズ・パースにとっては‘記号論’は ‘記号の形式論’であり論理学と密接に関係している (Peirce 1931-58, 2.227)。

彼にとっては‘記号は人にとって、ある点からまたは機能に関してあるものの代わりをするなにかである(Peirce 1931-58, 2.227)。

彼は‘全ての思考は記号である’と宣言した(Pierce 1931-58,1.538:cf.5.250ff,5.238ff)。

現在では、記号学者は、記号を孤立したものとしてではなく、(メディアや範疇のような)記号論

的‘記号システム’の部分として研究する。

彼らは、意味がどのように作られるかを研究する:コミュニケーションとともに実在 (reality) の確立と保持に関する研究である。

記号論と、意味論として知られる言語学のその分野は、記号の意味に関連しているという点では共通している。

しかし、John Sturrock は、意味論は言葉が何を意味するかに焦点をあてるのに対して、記号論はどのように記号が意味するかに関するものであると主張している (Sturrock 1986,22)。

(次のような三重の分類をパースから導いた)C W モリスによれば、記号論は言語学の他の古典的な分野と同じく、意味論を包含している。
メディアという用語は、理論家ごとにいろいろな方法で使用され、そして次のような広い分類を含む。

スピーチ、書物、印刷物、放送、または大衆メディア(ラジオ、テレビ、新聞、雑誌、本、写真、映画そしてレコード)としての特定の形態または個人間のコミュニケーションのためのメディア(電話、手紙、ファクス、eメール、ビデオ-会議、コンピュータを用いた対話システム)。

メディアを‘経路 (channel)’(視覚、聴覚、触覚他)によって分類する理論家もいる(Noth 1995,175)。

人間の経験はもともと多感覚的であり、経験の表現はそこに含まれるメディアにより制約され、アフォーダンスに従属している。全てのメディアは、それが用いる経路に制約される。

例えば、あの柔軟な言語においてさえ、言葉では表現できない経験がある。

そして、従来のメディアでは、匂いや手触りを表現する方法がない。


記号論は、'実在 (reality)’とは人間の理解とは独立な、純粋に客観的な存在を有する何物として認められていると考えるべきではない、ことを教えてくれる点で重要である。

実在とは記号のシステムであることを教えてくれる。
記号論を学ぶことは、構文としての実在や、その作成において我々自身と他の人が演ずる役割を知ることを助けてくれる。
また、情報や意味は、世界や本、コンピュータや視聴覚ビデオの中に‘含まれて’いないことを理解することを助けてくれる。
意味は、我々に‘伝えられる’のではない -通常気付いていないコードや慣習の複雑な相互作用により、我々が積極的に作り出す。
そのようなコードを知ることは本来、魅惑的で知的な力を与える。
記号論から、我々は記号の世界に生きており、記号とそれを組織しているコードを通さなくては何事も理解できないことを知る。
記号の研究を通して、記号とコードは通常は透明であり、それらを読もうとする我々の企てを欺こうとするにも気付く。
増大する視覚的記号の世界に生きている今、もっとも‘真に迫った (realistic)’記号さえもそうであるように思われるものと違うことを習得する必要がある。
記号が理解されるコードを明らかにすることにより、記号を‘変質’させるという、貴重な記号的機能を達成できるかもしれない。
実在を規定する際には、記号はイデオロギー的機能を果たす。
記号の実在性を解体し論争することは、誰の実在に特権が与えられ、誰の実在が抑圧されているかをはっきりさせることに役立つ。

記号の研究は、実在の構築と保持の研究である。そのような研究を衰えさせることは、我々が住んでいる意味の世界の管理を他人に任せることになる。


情報記号論

2019年03月27日 02時06分46秒 | 社会・文化・政治・経済

言語は観念を表現する記号のシステムであり、その点で、文字法とか、手話法とか、象徴儀式だとか、作法だとか、軍用信号だとかと、比較されうるものである。

ただそれらのシステムのうちもっとも重要なものなのである。

そこで、社会のなかにおける記号の生活を研究するようなひとつの学を考えてみることができる;それは社会な心理学の・したがって一般な心理学の一部門をなすであろう;われわれはこれを記号学(S émio logie。

ギリシャ語の sem êion「記号」から)とよぼうとおもう。
それは記号がなにから成り立ち、どんな法則がそれらを支配するかを教えるであろう。
それはまだ存在しないのであるから、どんなものになるかはわからない;しかしそれは存在すべき権利を有し、その位置はあらかじめ決定されている。
言語学はそうした一般学の一部門にほかならず、記号学が発見する法則は言語学にも適用されるにちがいなく、後者はかくして人間的事象の総体のうちで、はっきりと定義された領域に結びつけられることになる。
人間の生活にとっての情報の意味作用を研究するようなひとつの学を構想してみることができる。私たちはそれを情報記号論(information semiotics )と呼ぶであろう。
それはまだ存在しないのであるからそれがどのようなものになるかは分からない。
しかし、それは存在すべき権利を有し、その位置は予め決定されている。
こうした「認識論的身ぶり」について考えることからまず始めましょう。
記号の仮説という手形はなぜ振り出されたのか?
私の推理 

‐19世紀末に何が起こったか?
マラルメStéphane Mallarmé (1842-1898)
• 「世界は一冊の書物に到達するべくできている」
• 「文芸=文字のようなものは存在するか。」
文字/書物の危機
文字/書物ベースの知の「終わり」の予感
cf. 「書物の終わりとエクリチュールの始まり」
(デリダ『痕跡学』第1章)
メディオロジー的考察 1
Ishida’s hypothesis
「ソシュール革命もまたひとつのテクノロジー
革命である。」
(cf. キトラー「グラモフォン フィルム タイプライター」)
ソシュールの切断
• 「共時態言語学 (la lingustique
synchronique) 」による言語学の歴史の切断は、文字と書物によって言語を書き取り
研究するという「文献学(philology) 」の方法の終わり、そして音声記録(phonograph)
の知とテクノロジーの時代の到来を意味する。

音声記録メディアによる記録と解析、
そして、脳の言語中枢の発見
<文字>の発明以来何度目かのメタ言語の「テクノロジー革命」(シルヴァン・オールー Sylvain Auroux)に相当する。
(ルロア・グーランのいう、<手>が発達させた
<技術>が言語中枢の働きを書き取るというメタ言語の関係が、新たな転回を迎えた。)
音韻論の誕生と音声記録装置

エディソンによるPhonographの発明 1877
エディソンは電話のしゃべり口にむかって大声で「ハロー」と叫んでいた。
振動板がふるえ、そこにとりつけられていた尖筆が動きだし、その尖筆が少しずつ移動するパラフィン紙に書き込みをしてゆく。
ときは1877年7月。
ときは1877年7月、移動する紙テープならチューリングもコンピュータに用いたものだが、それよりもさらに87年も前のことだ。
したがってエディソンの書き込みはまだ当然アナログである。・・・(キトラー 前掲書 39頁)
Phonograph・脳・電話音声記録装置が書き取るコトバ、脳への書き込み場所の解明、そして脳と脳をつないで書き込むコミュニケーション図式としての
電話という技術+知の分節化がおこなわれたときに現代言語学は誕生した。

音声学と音韻論
「音声学 phonetics」: phonationの研究
「音韻論phonology」: phonemes の研究
もうひとつの人工言語: 「発音記号」
「etic/emic」問題の発生
意味の構成単位の研究として音韻論

推論としての<人間>
人間が使っている言葉や記号こそ人間自身である。
なぜなら、すべての思考は記号であるということが、生は一連の思考であるということと一緒になって、人間は記号であるということを証明するように、すべての思考は外的な記号であるということは、人間は外的な記号であるということを証明するからである。
つまり人間と外的な記号とはhomoとmanという言葉が同一であるのと同じ意味において、同一である。
こういう訳で、私の言語は私自身の総体である。
というのは私は思考であるから。

東京大学大学院情報学環・学際情報学府
石田英敬さん


「エンジニアから見た記号論」情報は記号である

2019年03月27日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

論題 「情報と記号論:その相性は?」
「エンジニアから見た記号論」
「記号論は記号の表現と意味を探求する学問であること。」
「意味は、自然発生的でも中立的でもなく、必ずバイアスがかかったもの。
実体がきっちりとあると思い勝ちであるが、社会の権威者たちが自分の都合のよいように人工的に作り上げているものと捉える。
だから、私たちは、意味の作られ方を誰かに任せるな!
自分なりに理解することが記号論の目指すものである。」という考え方が記号論の基本的視点である。
学問分野としての記号論は、20世紀初頭に急に台頭し、偶然にも同時期に生きたが互いに知り合うことのなかった二人の記号論の巨人(フェルディナン・ド・ソシュールとチャールズ・サンダース・パース)によって確立された。
二人の巨人がそれぞれに確立した「記号論へのアプローチ方法」を簡潔にご紹介する。
従来、情報処理関係者たちは、いかにして性能よく情報を処理するかという立場から語ってきたが、情報に対する視点として、むしろ人間はそれを処理できるのか、社会として受け止められるのか?という視点を「重視」することが私の基本視点である。
様々な情報に関する定義がある中で、私は、「情報は記号である」と考える。
これらの考え方の出発点は、情報システム学会の掲げる理念などへの理解も踏まえての提示でありました。
その上で、講義の前半で解説された記号論で確立されてきた理論的枠組みと手法(「アプローチ方法」、「様相」、および「構造分析」)を「道具概念」として適用して、情報システムに関する考察とご意見を提示されました。
特に力点を置かれた論点は、(意味を考慮しない)統語情報に対して意味情報をどのように考えるかという点。
(意味)情報と記号とを対比して、受信者にとって意味があることを共通点として捉え、
一方、相違点として、状態としては、(意味)情報を動的な記号、記号を静的なものと
捉えたらどうか、という基本的スタンスを披瀝されました。
記号体系は我々の中に生成・構築されていくが、物理的世界と主観的世界を結びつけるものが意味情報ではないか。
そこに差があるからどんどん流れていく。
主観的世界を広げるのが情報ではないか、という考え方を指摘した。
田沼正也氏(記号工学研究室主宰)(工学博士、制御)は、Web 上の研究室として記号工学研究室を開設している。


 【意味情報】

2019年03月27日 01時24分31秒 | 社会・文化・政治・経済

【意味情報】は主観世界を育てるための駆動力
動的な実在世界と静的な主観世界
 外部とまったく隔絶された部屋に入れられたと想定してみましょう。
外部世界を見ることもできませんし、TVも見ることもできません。
また、他の人とコミュニケーションすることもできません。
このような環境では外部世界に関する知識つまり主観世界を拡げることはできません。
つまり、主観世界はそれ自身では成長できない静的世界と言えます(逆に、縮小していくかもしれません)。
 一方、我々の肉体も含めて、現実に存在するもの(これを実在、それの集合を「実在世界」と呼ぶことにします)は時々刻々と変化していきます。
つまり、動的世界です。
 生きていくためには、主観世界を外部世界に合わせて変化させていかなくてはなりません。
主観世界を変える原動力つまりエネルギーになるのが、我々に中に意味を生み出す【意味情報】です。
【意味情報】の中から、自分にとって価値のあるものを残し、記号体系つまり知識に変換していきます。
知識が増えることは、主観世界をより拡げることにつながっていきます。
実在世界を離散化する【意味情報】
 【意味情報】は、それが指示している実在世界そのものでなく、それに代わるその世界の表現です。
また実在世界の全体ではなく、部分の表現です。
TVでの事件のニュース報道でも、そこで流されている映像は空間的にも、時間的にもその事件全体でなく、あくまでを部分的なものです。
 実在世界は、時間的にも空間的にも連続的です。
その1部分を切り取った【意味情報】は、空間的にも時間的にも、離散的なものです。
旅行へ行って、周りの情景をカメラに撮ったとします。
その写真が空間的にも時間的にも、離散的なものであることは、直感的にも納得できるのではないでしょうか。
 では、【意味情報】はどのように実在世界を離散化するのでしょう。
【意味情報】の特徴を次のように纏めてみました。
【意味情報】は、ある視点からある時点の実在世界の事象を切り取った離散情報である
実在世界の切り取り方は恣意的である。
【意味情報】は純粋に客観的なものではなく、それを生成する人や組織の意図が入ったものになる
切り取られた事象は部分的であり、当然、【意味情報】から抜け落ちている部分も多い。
【意味情報】の最大の発信媒体の一つは新聞です。
マスメディア等から流されてくる【意味情報】は、それぞれの漁場で魚群探知機に映った魚影に喩えられます。
ある程度、大きな魚群でないと探知機の画面に映りませんし、そこに映らない魚の存在を知ることはできません。
しかし、探知できないことは、魚がいないことを意味していません。
実在により近づくためには、その場に飛び込んでいくしかないのかもしれません。

<記号と情報>
田沼正也さん(記号工学研究室主宰)