「ワーワーわめくだけで議員給与2200万円」自民がコロナ失政でも野党の支持率が上がらない根本理由

2021年09月05日 17時40分15秒 | 社会・文化・政治・経済

怒り散らして攻撃するだけの未熟さ

PRESIDENT Online
岡本 純子

コミュニケーション・ストラテジスト

コロナ失政で自民党の支持率は低下傾向だが、野党のそれが上がらないのはなぜか。コミュニケーション・ストラテジストで『世界最高の話し方』(東洋経済新報社)が12万部超のベストセラーになっている岡本純子さんは「コミュニケーションスタイルに問題があります。与党の揚げ足をとって怒りの感情をシャウトし攻撃するのみ。否定・批判偏重の手法は非アカデミックで古臭くて未熟であり、建設的な議論にもならないため人の心も動かせない」と指摘する――。
「コロナ失政の自民党を野放し」野党の支持率が上がらないワケ
政府のコロナ対策は迷走を続け、菅義偉首相の支持率も低下傾向にある。ところが、これだけの失政でも野党の支持率が上がる気配はない。与党もどうしようもないが、かといって野党も信用できない。しかたないから、布団かぶって我慢するしかないと国民はあきらめムードだ。

参院予算委員会で質問する立憲民主党の蓮舫代表代行 参院予算委員会で質問する立憲民主党の蓮舫代表代行=2020年11月5日、国会内(写真=時事通信フォト) 
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これまで、筆者は、菅首相や安倍晋三前首相など政権与党のリーダーのコミュニケーションについていろいろ提言してきたが、今回は、視点を変えて、なぜこの状況で野党の支持が伸びないのか、そして、これからも彼らが万年野党であり続けるだろう理由をコミュニケーションの観点から考察していきたい。

先日、家人の知人からコロナに感染したとの連絡を受けた。家人と濃厚接触の疑いもあるということで、慌てて、PCR検査を受けさせようと、調べてみると、私費で受ける場合は簡易的な検査であれば数千円で済むケースもあるが、通常は2~3万円かかるという。海外の多くの国では、無症状でも、いつでも公費ですぐに受けられる体制が整備されているのに、この国では、それも「自己責任でどうぞ」ということらしい。一部の医療機関はCMまで出して、この検査を商売の道具にしているが、まったくもって解せない話だ。

コロナ患者を受け入れる医療体制の拡充も一向に進まず、水際対策もゆるゆる。ワクチン接種は遅れに遅れ、リーダーはしっかりと自分の言葉で国民に納得するメッセージを伝えられない。この体たらくに国民の心は不満と不安と不信感で爆発寸前だが、じっと耐え忍んでいる。国民が与党を見限り、政権交代が起こってもおかしくない状況なのに、なぜか世論はあまり、そちらの方向に動いているようには見えない。

野党議員の話し方を一文字で表現すると「怒」
なぜなのか。その大きな要因が、現野党のコミュニケーションスタイルだ。彼らはやり方が決定的に間違っていることに気づいていない。いや、気づいていても変えることができない。彼らがこのやり方を続ける限りは、政権交代などありえない。詳しく述べていこう。

例えば、野党の立憲民主党や共産党の議員の話し方を一文字で表現してください、と言われたら、皆さんは何と答えるだろう。「怒」。これが多くの人の回答ではないだろうか。彼らは国会でもメディアの会見でも、男女を問わず、目を三角にしていつも怒っている。

労働組合の「アジる」が原型でやたらと叫び攻撃的
そもそも、そのスタイルが、労働組合の「アジる」を原型にしているからか、やたらと叫び、攻撃的だ。実際、ある野党議員経験者は筆者にこう認めた。

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「何かにコメントする時も、与党や政権をこき下ろしてけなすことに終始し、国会でもただ、ひたすらに攻撃する。そのやり方が染みついており、ほかのやり方を知らないんです」
「まさに労使交渉の労働組合の手法そのもので、例えば、選挙の出陣式も、自民党のやり方とは全く違うシュプレヒコール型です。労働者側が雇用者に向かって詰め寄る、気勢を上げる、賃上げを要求するというように、原点が抗議であり、プロテストでしかない」

結局は自らが建設的かつ能動的に動くというよりは、与党の行動を否定し、攻撃する。「受け身で揚げ足を取ることしかできない」というわけだ。ある霞が関官僚もため息交じりに言う。

「野党議員の多くが『そんな考えだからダメなんだ。だから変えようと言っているのだ』と否定から入り、対決姿勢で物言いをするんですよね。感情的なトーンでは、建設的な議論ができない」

Rally デモンストレーション 写真=iStock.com/chipstudio
※写真はイメージです
若者が野党の「コミュ障」的なふるまいを毛嫌いする
野口雅弘成蹊大学教授は、「『コミュ力重視』の若者世代はこうして『野党ぎらい』になっていく」という論考の中で、「コミュ力を重視する若者世代はスムーズな空気に疑問を呈したり、ひっくり返したりする振る舞いを『コミュ障』的なふるまいとし、毛嫌いする」と分析している。

これは、強い物言いをすることに対して「○○ハラ」といった批判が集まったり、お笑い芸人の中で人を傷つけずに笑いをとろうとする動きが出てきたりして、誰かを強く批判、攻撃することに嫌悪感を覚える人が増えていることにも呼応する。

そもそも野党とは、「抵抗勢力」であるとの考え方もあり、与党の方針に異議を唱えることには問題はない。しかし、今の野党のその「抵抗」の手法はあまりに古臭く、未熟だ。

 

 


日本のコロナ対策はなぜ今“大失敗”しているのか?『最悪の予感』が教える「危機の本質」

2021年09月05日 17時29分40秒 | 社会・文化・政治・経済

8/11(水) 8:01配信

現代ビジネス

〔PHOTO〕Gettyimages

 「マイケル・ルイスは、アウトサイダーの眼を通して、インサイダーにはわからないシステムの破綻を描くのがうまい」。そう言うのは、編集者時代4冊ルイスの本を担当したノンフィクション作家の下山進氏。その下山氏が、ルイスの新作『最悪の予感』が日本のパンデミックに投げかける意味を考える。

【写真】 新型コロナ、日本の満員電車で「クラスター」が起きない「意外なワケ」

アウトサイダーだから見えること

マイケル・ルイス〔PHOTO〕Gettyimages

 マイケル・ルイスのことを最初に意識したのは、私がコロンビア大学のジャーナリズムスクールにいた1993年 (もうはるか昔ですね)。フリーランスの書き手だったルイスが、コロンビア・ジャーナリズム・スクールを訪れ、『ニューリパブリック』誌に『Exclusive Story!  J-school ate my brain- (独占!  コロンビア・ジャーナリズム洗脳学校)』という記事を書いた時のことだ。

 雑誌が発売されると、ジャーナリズムスクールは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。ルイスはもともと、ソロモンブラザーズの営業マンだったが、80年代のウォールストリートの債券市場で、巨万の富を築いていた投資銀行の虚実を書いた『ライアーズポーカー』 (1989年)を書いて世に出た。

 つまり、ジャーナリズムスクールも出ていないし、アメリカの一流メディアに勤めた経験もない。そのルイスが、「ピューリッツァーの理想にもかかわらず、ジャーナリズムを教えることは、法律学や経済学のような学問にはならなかった」と書いたものだから、ジャーナリズムスクールは教授も学生も、法王は裸だと指摘されたローマのように、大騒ぎになった。

 学生の一人は、「ルイスの記事は、客観報道ではない。偏向報道だ。ジャーナリズム・スクールのあら探しばかりして、なぜいい面を書かない。アメリカのほとんど全部の新聞、テレビ局、雑誌社に卒業生を送り込んでいるんだ!」と息巻き、学部長のジョーン・コナーは「卓越した卒業生のリスト」なるものを、全学生のみならず、卒業生すべてに送って防戦した。しかし、私は、ルイスという書き手の資質に舌をまいたのだった。

 当時からルイスは、中にいる者にはわからないシステム自体の持つ危うさを、アウトサイダーの眼をもって描くのがうまかった。このコロンビア大ジャーナリズム・スクールの記事の場合は、アウトサイダーは、ルイス自身である。権威を批判しながら、自らが権威となってしまっていること、マニュアル化によって本来は自由なジャーナリズムの発想が、狭まってしまっていること、を記事はエピソード豊かに描いていた。

 その後もたとえば『マネー・ボール』では、ニューヨーク・ヤンキースの3分の1の予算しかないにもかかわらず、互角の成績をあげ続ける貧乏球団オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンというゼネラル・マネージャーを見つけ出す。オークランドなどという小都市の貧乏球団のことなど主流のメディアがどこも気にしなかったときに、ルイスはこのアウトサイダーが、スカウトの勘に頼って高額の選手を獲得するという大リーグのシステムに、風穴をあけようとしていることに気がつく。

 あるいは『世紀の空売り』では、格付機関が推奨し、投資銀行が売りまくっていたサププライムローンのまやかしを見抜き、それを「空売り」つまり世界経済が破綻することに賭けた一握りのアウトサイダーたちの視点から、リーマンショックを描いた。

 見事というしかない。

 どれも、その事件のインサイダーには取材していないにもかかわらず、システムの大きな危機をエピソード豊かに描き出すことに成功している。

「戦いの9割は、最初の数日間にかかっている」

〔PHOTO〕iStock

 そのマイケル・ルイスが、コロナ・パンデミックを描いたのが新刊『最悪の予感』 (中山宥訳、早川書房刊)だ。

 今回の作品もCDC (アメリカ疾病予防管理センター)やホワイトハウスの内部で何が起こったかを描いたわけではない。CDCやホワイトハウスがなぜ危機に対応できなかったかを、サンタバーバラ郡の保健衛生官チャリティ・シーンやアトランタの退役軍人保険局のカーター・メシャーといった無名の人物を見つけ出し描いている。

 だいたい保健衛生官などという職を知っている人がアメリカでもどのくらいいただろう。しかし、この保健衛生官というのは、アメリカの地方における感染症対策で大きな権限を持つ。自分の判断で不衛生な医療機関に業務停止命令をだすこともできる。C型肝炎蔓延のグラウンドゼロが、あるクリニックだということに実地調査のうえ気がついたチャリティが、独断で業務停止命令を出すエピソードからこのノンフィクションは始まる。

 アメリカは、新型コロナウイルスで、G7他の六カ国よりも桁外れの死亡率となってしまった。その大惨事がなぜ起こったか。

 「戦いの9割は、最初の数日間にかかっているんです。でも、始まりはきまって静かです。こちらとしては静かに矢継ぎ早の決断を下すわけですが、第三者からは何を大騒ぎしているのかと白い目で見られます」 (チャリティー・シーン)

 退役軍人保険局の医師カーター・メシャーも、早い段階で危機に気がついた医者の一人だ。オバマ政権の時代にホワイトハウスで働いていた縁で、ロンドンに本拠をおく「CEPI (感染症流行対策イノベーション連合)」の責任者のリチャード・ハチェットと話ができた。メシャーはリチャードに2020年1月の段階で「新たなパンデミックが起こっている」と警告を送り、その警報によって、リチャードはいち早くモデルナ社を含む様々な会社に10億ドル以上のワクチン開発資金を提供した。

 そのモデルナ社のmRNAワクチンによって今日のわれわれは救われているわけだが、そのカーター・メシャーが伝える「マン渓谷火災」の教訓を読むと戦慄する。

 1949年にモンタナ州で起こったこの山火事の現場におりたった15人の消防降下隊員の教訓だ。川を背にして退避すれば大丈夫だと考えた隊員たちは逃げ後れる。午後5時45分、火勢があっという間に退路をふさいだのだった。15人のうち13人が焼死したその事故で、生き残った一人は、猛烈な勢いで迫る炎に一分後には追いつかれるというぎりぎりの瞬間、登り切らなければならない前方の丘に向かって新たな火を放った。その火が焼き払った草の中に突進し、炎の本流が両脇を通りすぎていくことで、生き延びた。

 山火事における火勢の加速度的な高まりと「エスケープ・ファイア」を、パンデミックにあてはめるとどうなるのか、とカーターはこんな言葉を手帖に書き留める。

 (1)感染症より速いスピードで逃げることは不可能。逃げようと思う時点ですぐそこまで迫っている。

 (2)大切なものを見極め、それ以外はすべて捨てる。

 (3)「エスケープ・ファイア」に相当する何かを見つけ出せ。

 今の日本にあてはめれば、(1)はすでに手遅れだ。(2)については、多くの人が「人々の命」と「オリンピック」の選択を思い浮かべるだろう。オリンピックは、デルタ株の加速度的な広がりを考えれば「捨てる」べきだった。

 では、今の日本に「エスケープ・ファイア」に相当するものはなんなのか? 
 私はひとつにはパラリンピックの中止があり、いまひとつには、学校の閉鎖があると思う。

 パラリンピックの中止でオリンピックで緩んでしまった日本人はもう一度、事態の「緊急性」を認識するだろう。ワクチンは重症化のおそれのある40代、50代で間に合わなかった。そして現在の感染経路でもっとも多いのは家庭内感染だ。10代20代の感染者数が最も多いなか、まず学校を閉鎖する。

 『最悪の予感』では、アメリカの感染症初期の段階で、学校閉鎖が有効な手段と主張したアウトサイダーたちが描かれているが、今の日本でもそうだろう。

 『最悪の予感』とは優れたタイトルだ。

 感染症においては楽観ではなく、常に『最悪の予感』をもって臨め。

下山 進(ノンフィクション作家)

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アショーカ王碑文

2021年09月05日 14時24分39秒 | その気になる言葉

アショーカ王碑文 (レグルス文庫) by [塚本啓祥]

古代インド・アショーカ王の信条・業蹟を刻んだ碑文を集大成。原文に忠実で平易な和訳を示し、〈序説〉〈訳注〉でさまざまな側面から詳細に解説する。

マウリヤ朝南アジアの広い地域を征服したが、その3代目の王であるアショーカ王はカリンガ戦争で多くの犠牲を出したことを反省し、仏法のためにつとめるようになった。

自分の子孫が同じあやまちをおかさないようにするために、法勅を領内各地の岩や石柱に刻んだ。

王である自らが仏法を重んじ、動物の犠牲を減らすこと、薬草を備えたり木を植えるなどのつとめに励むことなどを記している。

一般に対して要求する法としては、父母の言うことを聞き、師やバラモン沙門を敬い、真実を語り、生き物を大切にするなど、ごく一般的な教えを述べている。また他の宗教を非難することを戒めている。

碑文の置かれている場所は古代の通商路や巡礼地に一致するという。

「世俗的国家のうちに宗教的奉仕の精神を具現しようとした点においてアショー力王は、人類の歴史において不滅の意義を有する」

宗教学者・中村元

▼世のすべての人の利益のために働くことより崇高な事業はない。
▼自ら民衆に親しみ、近づくことが、私になせる最上のことである。
▼法による勝利なるものこそ。これ、即ち、最上の勝利なれ・・・この法による勝利は、現世に関する勝利安楽にして、また、後世に関するそれなり。
人の凡ての安楽にして、法による安楽たらしめよ。
▼私は満足しない。
世のすべての人々が利益を得るまでは。
それまで私は政務に励む。
▼現世と来世(における利益と安楽)は最上の法に対する愛慕、最上の観察、最上の敬信、最上の怖畏、最上の努力がなければ、達成することは困難である。

全ての人がわが子である-この深き信念で万人の利益と安楽を求めたたのがアショーカ王の生涯。

宗教を公平に扱う。

民族や文化の違いを超えて、同じ人間として、一つの世界に生き、ともどもに幸福を願う-これこそがアショーカ王の行動を支えた人間観であり、世界観である。
世界市民の哲学といえるだろう。
アショーカ王は<行動の人>であった。

▼私は、正しいと思ったことは、すべて我が身で実現したい、そして、正義を実現したいと思う。

アショーカ王碑文とは、紀元前3世紀にアショーカ王が石柱や摩崖(岩)などに刻ませた詔勅である。
アショーカ王の法勅(ほうちょく)とも呼ぶ。
現在のインド・ネパール・パキスタン・アフガニスタンに残る。
インダス文字を別にすれば、アショーカ王の法勅はインドに現存する文字資料のうちほぼ最古のものであり、言語学的・歴史的・宗教的な価値がきわめて大きい。

マウリヤ朝は南アジアの広い地域を征服したが、その3代目の王であるアショーカ王はカリンガ戦争で多くの犠牲を出したことを反省し、仏法のためにつとめるようになった。自分の子孫が同じあやまちをおかさないようにするために、法勅を領内各地の岩や石柱に刻んだ。
王である自らが仏法を重んじ、動物の犠牲を減らすこと、薬草を備えたり木を植えるなどのつとめに励むことなどを記している。
一般に対して要求する法としては、父母の言うことを聞き、師やバラモン・沙門を敬い、真実を語り、生き物を大切にするなど、ごく一般的な教えを述べている。また他の宗教を非難することを戒めている。
碑文の置かれている場所は古代の通商路や巡礼地に一致するという。

 

 

 

アショカ王の金言

 アショカ王は不寛容(intolerance)に反対し、ある社会グループや宗派の人たちが他の人たちの考えに反していることがわかった場合でも、「他の宗派の人たちは、いかなる場合も、いかなる点でも、十分に尊重されるべきである(should be honored)」と主張した。
このような助言を与える理由の一つに、「他の宗派の人々もすべて何らかの理由で尊重される価値がある」という認識がある。
            (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.129)

●アショカ王(B.C268-232頃)インドのマウリア朝第三代の王で、インド亜大陸をほぼ統一した。仏教を守護した大王として知られ、法「ダルマ」による慈愛の政治を目指した。

<対話から>アショカ王の「寛容の精神」に対して、一人が「寛容は相対主義に陥るのではないか。
結局、相手を利することにつながるのでは」と寛容のマイナス面を指摘したことをきっかけに、さまざまな意見が交わされました。「寛容は共感とは違いますよね」「チャンドラーがこんなことを言っています。
強くなければ男ではない。やさしくなければ男として価値がない」「ぼくはいわば寛容の反対みたいな人間で、じれったくて我慢できない。すぐ、怒ってしまう。しかし、世の中には、どのような状況においても相手を怒らせることなく、うまくまとめていくようなひとがいる」「それは経験の蓄積がやらせるのではないか。豊富な経験がなくてもできるひとはいるだろうか」

★耳に心地よく響きやすい「寛容」に対する抵抗が出されたことで、議論が豊かな広がりを持ち始めました。ここで使われている「不寛容」の原語は「intolerance」です。

 tolerance はラテン語の tolerantia(忍耐)由来の言葉で、toler(ate)(耐える)+-ance(性質・行為)を意味します。翻って、つぎのような意味の広がりをもちます。
                      (電子版ジーニアス英和辞典)
1、(~に対する忍耐(力)、我慢 2、(宗教・人種・行為に対する)寛容、寛大さ;許容、容認 3、[医学]耐性、耐薬性、抗毒性
これに対して、日本語「寛容」の意味空間はかなり違った響きを奏でます。
1、寛大で、よく人をゆるし受けいれること。咎めだてをしないこと。
2、他人の罪過をきびしく責めないというキリスト教の重要な徳目。
3、異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人の差別待遇をしないこと。                           (電子版 広辞苑)

 英語のtolerance は「我慢」の色合いが強く、日本語の寛容は「赦し(許しゆるし)」さらには「受容」の意味合いが強い、といっていいでしょう。
「寛容」の意味の捉え方次第で、相対主義の泥沼から抜け出す方図が見えて来るかもしれません。チャンドラーの名言にある「やさしさ」は、「我慢」と「赦し」の綱引きに、一石を投じてくれるのではないでしょうか。
英語の「honor」(尊重する・尊敬する)から見えて来るものはどうでしょうか。次回以降の「寛容」をめぐる対話の発展が楽しみになりました。

 

 


アショカ大王(2001年製作の映画)

2021年09月05日 14時01分25秒 | 社会・文化・政治・経済

 

アショカ大王

アショーカ、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。
インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。
アショカとも表記される。アショーカの名前は花のアソッカ(無憂樹)を由来とする。

 

アショーカ王が即位し戦争で大殺戮を繰り広げた後に、改心するまでを中心に描く3時間弱の大作映画。

ストーリーの多くの時間が、アショーカと、その恋人カールヴァキーのラブストーリーで、他のバリウッド映画同様、恋愛の進行や女性の美しさなどを表現するのに歌と踊りが随所にもりこまれ、それが映画の時間を長くしている。歌のない最初の30分とラストの30分の展開の速さと面白さは素晴らしいので、長い映画が苦手という人には、まずは、中間の長い部分もバリウッド映画のお約束と捉えたらどうかと思う。
アショーカを演じるシャー・ルク・カーンは、前半のヒーローから後半の暴君まで見事に演じきっており、特典映像ではプロデューサーとしてのコメントも残している。相手役のカリーナ・カプールKareena Kapoorはカリンガ国の王女カールヴァキーという設定(歴史的には不正確)で、ラストのカリンガ戦争では戦闘にも参加し熱演。その弟の王子Arya(架空の存在)を演じるSooraj Balajiも涙を誘う名演技。
歴史的には正しいと言えないが、暴君のアショーカ王は、悲惨なカリンガ戦争を体験して、敬虔な仏教徒に変わっていく中心の部分に誤りはなく、反戦と非暴力のメッセージは強い。ラストの6000人の兵士と多くの馬と象を使った戦闘をはじめ格闘シーンもこの映画の見所。
ユニークなのは、カーンが前半のシーンで使うウルミUrumiという武器で、刃のついた金属製の鞭のようなものを振り回して使う。剣や徒手での闘いは、もっとも古い格闘技というカラリパヤットKalaripayattuが基本のようで、踊っているかのようなユニークなスタイル。
残念なのは多くのシーンがスローモーションになっているため、シーンとしての美しさはあるが、格闘としての迫力に欠ける。アショーカ王のもうひとりの相手で仏教徒の美しい妃デヴィを演じるHrishitaa Bhattは、これがデビュー作。

大女優のジューヒー・チャーウラーJuhi Chawlaは、プロデューサーで参加、残念ながら映画本編には出演していないが、映像特典でインタビューが入っており、映画本編の女優陣にまさる美人ぶり。以下は名言。
DVDの映像特典で、この映画の今日的意味はと聞かれて、シャー・ルク・カーンはダライラマの次の言葉を引用。


伝説のアショカ(発音はアショク?)王の半生を描いた歴史超大作
法のアショカと呼ばれる前の魔のアショカの部分

シャールクさんの長髪がべらぼうに格好良い
剣舞とか衣装とか凄く合っていて思わずうっとり
敵国となる国の王女を演じるカリーナさんも持ち前の高飛車な所がよく出ていてハマり役

ストーリーもしっかり組まれている
日本語字幕で観たい作品!


創作 退転

2021年09月05日 10時55分35秒 | 創作欄

日本の石炭鉱業は、昭和30年以降かつてない合理化を強行した。
世界的な原油過剰を背景にした国際石油資本が、日本のエネルギー市場へ急速に進出して きたことと、伝統的低賃金労働の強制と国家への極端な寄生によって発展してきた日本の石炭 鉱業が,生 産方法の停滞性ゆえに石油 の進出に対抗 しえなか ったことされている。
解雇は、希望退職の形で進められたが、実 際はこのときだけ停年を55歳から52歳に切り下げた様に、かなり強引に行なわれたのだ。

52歳の山岸悦男は、常磐炭鉱の離職者として、取手市の在住者となる。
この3年前に彼は信仰を始めていた。
「幸福になりたいためである」
だが、彼の信仰心が揺らいだのは、会合に遅れた時に、担当幹部から叱責されことが契機となる。
「大事な会合に遅れるとは、何事だ!この信心を疎かにしている証拠だ。帰れ!立ち去れ!」と追い返される。
彼は労働組合役員の立場で会社側と闘って、会合時間に10分ほど遅れていた。
「信仰も大切であるが、仕事も大切なはず」彼は会場の皆の視線を背に感じながら、心のなかで呟き外へ出た。
会場を振り返ると朗らかな笑い声が起こった。
何時ものように面白い信仰体験が報告されたのだろう。
「会合は来て良かった。ためになった。明日も頑張ろうと皆が心から思え、讃え合い、歓喜する全員参加の場」
彼は有意義な信仰体験を聞くことを大いに期待して会合に参加していた。
だから、心が躍るような足取りで馳せ参じたのに、追い返されてからの足取りは重い。
空を見上げると満月の夜であった。

彼は離職してから、取手駅前の銀行の用務員に採用された。
労働組合の役員を経験していたので、発足した自治会の会長に推された。
住宅の大半が常磐炭鉱の離職者であった。

不運は続くものだ。
3年後に大腸となる。
自治会の会長も退いたが、生真面目な彼は顧問として自治会運営に携わっていた。
器用な彼は、夏祭りのために子ども神輿を製作し、子どもたちを喜ばせた。
大工の住民も居て3台の神輿が町内を練り歩くことになる。
温厚な彼が一度、怒りを露わにしたことがあった。
神輿の製作の傍らで、自治会館内で麻雀が行われていたのだ。
麻雀は自治役員と管理人も加わっていた。
「囲碁・将棋なら、許されます。麻雀とは何事ですか。止めなさい!」と皆を怒鳴りつける。
「山岸さん、囲碁・将棋クラブに次いで、親睦として麻雀クラブを我々が発足させたんですよ」副会長の寺崎豊は平然と言う。
温厚な山岸がこの時、既にがんに蝕まれていたのだ。
「どうしただろうか?背中がとても痛い」と顔をしかめながら、山岸は会館を出て行く。

彼の病状を聞いて、信仰の仲間の田川裕也が病院に見舞いに行く。
「祈りましょうよ」ベッドの傍らで諭す。
激痛に苛まれている山岸は布団の端を握りしていた。
両手がブルブル震えていた。
「あなた、痛いの」山岸の妻の由美子が額の油汗をタオルで拭う。
「う~う!」唸り声も震えていた。
歯を食いしばると歯が数本欠け落ちたのだ。
「今だよ。祈るのは、山岸さん祈ろうよ。救われるからね」
田川は山岸の右手を握り締めた。
「退転した私が、今更祈る?」山岸に死が迫り来て、うつろな彼の目で訴えるを、田川に同行した香川竜治は空しく感じ取った。
「田川さんまた、来るからね。祈りしかないよ」田川は重い空気に包まれた病床に言い放つ。
「祈らないのなら、もっともっと、苦しめばいいんだ!」病院廊下での田川の言葉は理不尽に響いた。
翌日、山岸が死を迎えた取手駅前の路地に面した胃腸病院は今は存在しない。

退転とは
1 仏語。修行を怠り、一度得た悟りを失って低いほうに落ちること。
2 落ちぶれて他の地へ移ること。