勾留百二十日  特捜部長はなぜ逮捕されたか

2021年09月06日 19時01分22秒 | 社会・文化・政治・経済

 大坪 弘道 (著)

検察を揺るがした「大阪地検フロッピーディスク証拠改ざん事件」。犯人隠避で逮捕された特捜部長・大坪弘道氏の獄中手記を出版。

内容(「BOOK」データベースより)

「逮捕する側」から「される側」へ墜ちたとき。最高検は私が隠ぺいを主導したとして「内部調査」の名のもとに9日間の捜査をおこない、前代未聞の元特捜部長逮捕へ踏み切った。
だがその間、私は密室内での緊迫感溢れる取り調べの模様を克明に記録していた。
また逮捕後は、拘置所に入って初めて知った被疑者の苦悩、家族への思いなど、胸に去来する事柄を日々ノートに綴りつづけた。―衝撃の獄中手記。
 
 
特捜有史始まって以来の大スキャンダルの当事者が、自身の無罪たる理由や部下の裏切りに対する無念やこれまでとは正極の現状におかれた心境、また、著者なりに真摯に職務に取り組んでいた組織の裏切りに対する憤り、事件後支えてくれ支援者への思いを日記のように記述しています、そして、今後も佐賀副部長とともに巨大な権力に対峙していく所存を表明しています。
作家ではない著者の初作品ということですが、支援者の励ましに涙、家族の言葉に涙などの記述が目立ち、日本の検察組織の中枢にいた著者の著作としては、いかがなものかなと思いました。
一番気になる点は、直接の問題は部下である検察官のあってはならない犯罪行為が、村木さんを無罪の罪で拘留し、彼女に対する人権を侵してしまった事件ですが、特捜部長として、その職責にありながら部下や検察組織に責任のすべてがあるような記述に終始し、彼女に対する謝罪はほとんどありませんでした。
自らも無罪を主張し、取り調べや拘留などが耐えがたい心境を感じ、読者に共感を求めるのであれば、まず彼女に対しての謝罪があってしかるべきではないかと期待していただけに読後残念な気持ちになりました。
 
 
 
録画も録音もせずに業務に従事して来て、散々自白を強要?して調書をとって来た現職の検察官が逮捕された場合に取り調べの可視化を求める。これが現代日本の捜査逮捕勾留取り調べの実態です。何しろ現職の検察官本人の逮捕と自供という話は重い発言です。
 
 
前半の自分自身が検察に取り調べられる部分は実際に事件を扱ってた当事者が
逆の立場で苦悩する様子が描かれており一気に読めたが、それ以降自分を
告発した部下の検事の話や、過去自分が扱った事件の話になるとなんとなく
歯切れが悪くなる。
人は嘘をつくものと書いておきながら自分だけは真実を
語っているという様にとれるし、検事として築いてきた人脈や、彼を支援する
元は検察のヤメ検察といわれる人々、保釈金や免職に伴うローンの返済など
やはり一般庶民とはかけ離れた利権の中で生きて来た人だなあという事を
強く感じる。
かって検察の裏金問題を実名での告発を鳥越俊太郎にしようと
して逮捕された同じく検察幹部の三井環氏(この逮捕の筋を描いたのがこの著者)
の事にまったく触れていないのはやはり保釈に絡む検察の裏があるからか。
 
 
 
「郵便不正事件」での主任検事による「フロッピーディスク改ざん」の責任を負わされた、元検事・検察幹部の手記である。
その村木さんの事件や後を絶たない冤罪事件について、同じように理不尽な目に遭った経験を持つ検察内部にいた人間から見た反省や検察の問題点が語られているかと思ったが、全くの期待はずれであった。
組織防衛のための逮捕という、自分への最高検の仕打ちに対する怨みに終始している。それは確かに気の毒に思うが、所詮、検察内部での泥試合にしか見えない。歴代の検察官の中でなぜ自分だけがと煩悶するだけで、一歩も外に踏み出していないからだ。
この試練が天意の導きだとか、人を逮捕・拘禁する立場から逮捕・拘禁される立場への落差は一般人よりも大きいなどということばが、外の世界が見えていないことを物語っている。
村木さんや冤罪に陥れられた一般人は、天意などではなく著者等、検察の人間によって過酷な人生に引き込まれたのであり、逮捕・拘禁される立場など、落差どころか本来知る必要もなかった異次元の世界に放り込まれたに等しかったに違いない。
被疑者に自供を迫るための人質司法について検察の特権のように書いているが、一般人から見れば拷問のように恐ろしいことであることを慮っていない。村木さんの手記からも、自分を励ますことしか学んでいない。
「フロッピーディスク改ざん」の主任検事に対し、「客観証拠に反する調書を取ってはならないのが鉄則」ということばを送っている。そうすれば検察ストーリーに矛盾は生じなかったのに、と言いたいかのようだ。
有罪のストーリーに都合の良い客観証拠だけを提示し、それに完全に合う調書を取れと言っているように聞こえる。「事実に反する調書を取ってはならない」のが正道ではないのか。検察の威信だけのためにこの身を捧げてきたというが、そもそもそのような著者の、あるいは多くの検察の人間の、検察のためにというあり方が、過ちを繰り返す温床となっているのではないのか。
出版時はまだ公判中でもあり、自分のことだけしか書けなかったのかも知れないが、その後陸山会事件を機に検察の批判もする気になられたようだし、「結論ありきの裁判」で結局自分は有罪判決を受けるという経験もされた。是非ご自分のことだけでなく、冤罪でもっと理不尽な目に遭わされた一般人のことも考えて、検察と裁判所に外からメスを入れていただきたい。
 
 
 
冤罪捜査で被疑者を百数十日も拘留しておいて
無罪判決について著書の中では「戦いに負けた」と表現している。
冤罪に戦いも何もない。

この元検察官は長く検察の職務に就くにつれ
真実発見よりも裁判を勝ち負けのゲームか何かと勘違いしているように思う。
一度起訴すると決めればストーリーを事実にしようとする種の人物
まず謝るべきは冤罪捜査を指揮したことだろう。

そもそも内部の告発によって冤罪が明るみに出たことも記載されていない。
責任逃れの内容しかない。冤罪事件の捜査を指揮していたのは著者本人である。
著書がかかれた時点で冤罪は確定しているというのに謝罪の一文もない。

まさに有罪そのものを目的とし最高検察庁発表の「検察の理念」に反する人物であると著書の内容から伺える。

そもそも冤罪事件を指揮して証拠捏造を知らなかったでは済まされない。
冤罪と部下の証拠捏造が確定した時点で責任を取って辞任すべきだったのに異動先で指揮官はのうのうと生活していたのだ。

こういった検事は「検察の理念」発表後でも未だにいる。
被疑者が検事訴訟に無知であることに漬け込み、事実でないことを供述書にかき事実であったことにし、
供述書に判を押させるためにその場しのぎの嘘ばかりをいい、法廷では被疑者がいったことだと嘘をつく現役検事を私は知っている。

検察の理念に反する検察官とはいかなるものかということを教えてくれる一冊。
 
 
 
検察問題にいろいろ興味を持っていたので読んでみましたが、
そもそも自らが逮捕された端緒になっている村木事件について、
現場責任者であるにもかかわらず、ほとんど総括されていない
のは驚きです。

内容は、自分の組織へのこだわり(怨嗟)と家族への思い
(これは当然ですし、否定はしません)にほとんど終始して
いて、これは自費出版か・・・と思われるような内容です。

自分の上司(組織)を批判するくせに、事件の詳細について
は心の内では部下(前田検事ら)に責任を押し付けているのが
ありあり感じられます。

この内容のまま出版した文春担当者の神経も疑います。

検事経験者からの実態告白としては市川寛の「検事失格」の
方が数倍人間的で、一般人の感覚に響くと思います。
 
 
 

きっと冤罪を主張し、検察側のストーリーがいかにめちゃくちゃなのかを突いた一冊だと思っていました。
 ところが読んでみると全然違うのですね。
 自分の自己憐憫ばかり。これでよく本にしたなあ、というのが正直な感想です。全然反論になっていないからです。

 そもそも自分が検察の組織防衛のために行った三井環検事の口封じ逮捕事件について全然言及がありません。
 冤罪で逮捕された村木さん事件についても、捜査にどういう誤りがあったのか、その責任をどう感じているのか、まったく触れていません。

 あきれ返る男です。文芸春秋社もよくこんなの出したな、と思える一冊。
 
 
 
 
 
 
 

元特捜部長・大坪弘道さん(その1) 「割り屋検事」背負った十字架

2021年09月06日 16時45分43秒 | 事件・事故

迫る

毎日新聞 2021/9/5 
法務・検察合同庁舎を背に青空を見る大坪弘道さん。ここに来るのは2010年秋に最高検の聴取を受けた時以来のことだった=東京都千代田区で2021年6月、小川昌宏撮影
法務・検察合同庁舎を背に青空を見る大坪弘道さん。ここに来るのは2010年秋に最高検の聴取を受けた時以来のことだった=東京都千代田区で2021年6月、小川昌宏撮影
 スーツを着た白髪交じりの男性がいたのは、法廷や、東京・霞が関の法務・検察合同庁舎ではなかった。刑務所を出所した人たちの再就職を図るNPO法人「大阪府就労支援事業者機構」(大阪市)。6月、元保護観察官の松田慎一事務局長(73)と話し込んでいた。

 男性は、元大阪地検特捜部長の大坪弘道さん(68)。2010年に発覚した証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件を巡って犯人隠避罪に問われ、13年に執行猶予付きの有罪判決が確定した。当てのない暮らしのさなか、旧知の松田さんの依頼に応える形で、約3年前から出所者の就労先を開拓するボランティアを始めた。検事生活とは一変して経営者の友人らに頭を下げて回り、今年3月までに23社が協力雇用主になってくれた。

 松田さんが「助けられた出所者がたくさんいる」と水を向けると、大坪さんは「無報酬でも社会とつながっていたかった。今回、法的助言もできる人間になったので、もっと更生の仕事に関わりたい」と答えた。


宇野千代の婚姻歴が絶句

2021年09月06日 16時45分43秒 | 社会・文化・政治・経済
宇野千代
 
宇野 千代(1897年(明治30年)11月28日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。
作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。
 
岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)卒。
14歳で義母の姉の子(従兄)藤村亮一と結婚するが10日ほどで実家へ帰る。
小学校の代用教員となるが退職。
その後朝鮮京城へ行くがとんぼ返りで舞い戻り、元夫の弟・藤村忠と結婚。
京都に住んだあと上京。
本郷三丁目の西洋料理店・燕楽軒で給仕のアルバイトを18日間している間に久米正雄や芥川龍之介と知り合い、今東光とは親交を結んだ。
その後北海道へ行くが、1921年(大正10年)『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が一等で当選し作家としてデビュー。
 
文章がこんなに金になるのかと驚き、執筆活動に専念。
『墓を暴く』を中央公論に送ったが、いっこうに返事がないので上京したところ、すでに掲載されていたことを知り、その場で原稿料をもらう。
あまりの大金であったため、その足で岩国の実家に戻り、母親に原稿料の一部を渡す。
北海道に戻る途中、今後の打ち合わせとお礼を兼ねて中央公論に立ち寄った際に尾崎士郎を紹介され、ひと目惚れし、そのまま東京で暮らし始める。
 
1936年にはファッション雑誌『スタイル』を創刊。
表紙絵は藤田嗣治、題字は東郷青児が描き、のちに夫となる北原武夫とともに編集を務めた。
戦時中にいったん廃刊するものの、1946年に再び刊行し、成功を収めた。
着物のデザインも始め、スタイル誌で紹介、販売もした。
作家としては寡作で、戦後10年近く沈黙していた。1960年代からまた書き始め、1980年代からは女性向けの恋愛論・幸福論・長寿論などのエッセイを数多く書いた。
小説は10年かけて書かれた『おはん』、『色ざんげ』(『中央公論』1933年9月-1935年3月連載、4月刊行。
東郷青児との関係を描いたもの)、『或る一人の女の話』などがある。
 
『生きて行く私』は自伝的小説として以後宇野の代名詞となる。
 
晩年に到るまで旺盛な活動を続けた女性実業家の先駆者としても知られる。
結婚離婚を繰り返すたびに家を建て替え、「数えて見ると、十一軒建てた勘定になるから」と、それを『私が建てた家』という随筆にしてしまったり、長寿で、それを『私何だか死なないような気がするんですよ』という書名のエッセイにまとめてしまったりする愛嬌があった。
1996年6月10日、急性肺炎のため東京都港区の虎の門病院において98歳の生涯を閉じた。
 
デビュー作『脂粉の顔』(1921年)
配偶者 藤村亮一(1911年 - 不明)
藤村忠(1919年 - 1924年)
尾崎士郎(1926年 - 1930年)
北原武夫(1939年 - 1964年)
パートナー 東郷青児(1930年 - 1934年)
 
年譜[編集]
1911年(明治44年) - 義母の姉の子藤村亮一に嫁入りするが十日ほどで帰宅する。
1913年(大正2年) - 父・俊次が57歳で没。
1914年(大正3年) - 岩国高等女学校卒、川上村小学校代用教員となる。
1915年(大正4年) - 鑓田研一らと回覧雑誌を作る。同僚教師との恋愛で退職、大池房代を頼って朝鮮京城に渡る。
1916年(大正5年) - 帰国し、亮一の弟忠が第三高等学校学生だったので頼って京都へ行き同棲生活をする。
1917年(大正6年) - 忠が東京帝国大学に入学、ともに上京。各種職業を転々とし、燕楽軒に働く。
1919年(大正8年) - 忠と正式に結婚し藤村姓となる。
1920年(大正9年) - 忠が大学卒業、北海道拓殖銀行札幌支店に勤務、北海道に暮す。
1921年(大正10年) - 「脂粉の顔」で『時事新報』懸賞で一等となる。2等に尾崎士郎、選外佳作に横光利一。
貧しく若い一人の女給が、ひいき客から競馬に誘われ、きおい立って勢一杯の期待で出かけたところ、その客は一人の美しい自信ありげな女性を連れていて、女主人公は自分にだけ分っている自分の気持で切なく苦しむという短編[10]。
1922年(大正11年) - 滝田樗陰に送った原稿の返事がないので上京、「墓を暴く」が『中央公論』に掲載されたことを知り、郷里岩国へ帰り、上京、尾崎士郎と同棲を始める。
1923年(大正12年) - 尾崎とともに馬込に住み小説を発表す。短編集『脂粉の顔』を上梓。
1924年(大正13年) - 忠と協議離婚、筆名を宇野千代に改める。吉屋信子と親しくなる。
1926年(大正15年) - 尾崎と正式に結婚。
1928年(昭和3年) - 梶井基次郎との関係が噂となり尾崎と別居。
1930年(昭和5年) - 東郷青児と知り合い同棲、尾崎と正式に離婚。
 
・・・眼の前に投げ出された、この夥おびただ しい札束は何であろう。あとで正気に帰ったとき、その札束が私の書いた原稿百二十二枚の報酬である三百六十六円だと知ったとき、私は腰も抜けるほどに驚いたものであった。
 私は樗陰に礼を言うのも忘れて、表へ飛び出した。「そこいらを通っているみなさん、あなた方は何にも知らないでしょうけれど、私はいま、その先の中央公論社から、もの凄い原稿料をもらって来たばかりの、偉い女流作家なのですよ」と、大声で叫び出したいのをこらえて、走って行った。・・・(宇野千代 『生きて行く私』 より)
 
賞金に続いて初めての原稿料を得て、宇野は、喜びのあまりその足で、岩国の母親と弟妹のところへ飛んでいきます。彼女はもう、夫のいる札幌へは戻りませんでした。
 
その後宇野は、懸賞小説で2位だった尾崎士郎と知り合い同棲、二人して、当地(東京都大田区南馬込四丁目 28-11)にやって来ます。札幌を飛び出して東京に出て来た年の翌年(大正12年)の3月頃。
 
宇野千代の若い頃から恋愛体質?
 
宇野千代は自身の作品でも恋愛を描きましたが
実は本人も4回の結婚に加え幾多の恋に身を投じる
恋愛体質だったと言われています。
 
昭和の恋多き女の代表格と言われた宇野千代は
とても惚れっぽい性分で、感性のまま後先を考えず
恋に走るタイプだったといいます。
 
岩国高等女学校を出て、小学校の同僚教師と
恋愛しますが、とがめられ教職を追われ故郷を
離れています。
 
その他、出会った当日に男性の家に出向き、そのまま
5年暮らしたり、東京で偶然会った男性に惹かれ家に
戻らないということもあったとか。
 
手あたり次第に恋に奔走し周囲に非難される
ほどでしたが、彼女は生涯にわたり積極的に
恋に生きる道を選んでいます。
 
「駆け出してしまって転んだなら、何かを掴んで立ち上がるだけ」
 
とその信条を伝えていますが、彼女の恋に彩られた
破天荒な人生は十分充実していたように思われます。
 
宇野千代の婚姻歴が絶句
 
宇野千代は山口県の裕福な家に生まれましたが
岩国高等女学校在学中の14歳の時、父が決めた
縁談で従兄の藤村亮一と結婚させられました。
 
ところが彼女は夫の弟の、忠のほうが好きだった
ためたちまち離婚。
 
小学校の代用教員をしますが代用教員との恋愛を
経て、藤村忠と京都、東京へ移り2度目の結婚をします。
 
宇野千代は大正十年、「時事新報」の懸賞小説に
藤村千代の名で一位当選し、『中央公論』に小説
第二作を送るも返事がないので上京。
 
この時、二位当選だった尾崎士郎と知り合い、
二人で東京の馬込に住みます。
(尾崎は流行小説「人生劇場」の作者)
 
藤村忠とは別れ尾崎と結婚した宇野千代ですが、
昭和五年に尾崎とも別れています。
 
同年、三十三歳で画家の東郷青児と知り合い
出会ったその日から同棲、5年を共にし昭和
九年には青児とも別れています。
 
昭和十四年に、10歳年下の作家の北原武夫と
結婚した時は、宇野千代は42歳になっていました。
 
そして北原と昭和三十九年、67歳で最後の
離婚をしています。
 
彼女の度々の結婚また離婚による絶句の婚姻歴
には驚くばかりです。

 


創作 退転 2)

2021年09月06日 14時43分12秒 | 創作欄

願うべきは<清浄な組織>である。
生真面目な人々によって構成されている信仰の組織であった。
金銭問題が絡むと人間関係が破綻するものだ。

「君には、見えない部分があるんだ。それは、何なんだろうね?」
信仰の同志である園田勇介が大坪源一郎の顔をじっと見詰める。
サラ金に200万円もの借金があった源一郎は沈黙した。
自身の名義で100万円。
仕事仲間の松川翼の名義で100万円。
松川にサラ金から代わりに借金をしてもらって、源一郎がカードを受け取り返済するカラクリだった。
愚かにも、それまでするほど毎月の返済に追い詰めれる。
自分で選んで住んだ船橋は中山競馬場に近かったので、土日は1レースから馬券を買っていた。

源一郎は母親が余命半年と姉の詩織に告げられ時に、母の時子が急に優しくなった原因を悟った。

2年前のことであるが、母が源一郎が住む千葉県船橋の公団住宅に訪ねてきた。
「元気なの?」玄関に姿を現した小太りの母親は少し痩せているように見えた。
「津田沼のお友達の処へ来たから、お前のところについでに寄ったのよ」
大宮に住む母親に津田沼の友人が居るとは知らなかった。
母親は源一郎が押入れから出した布団に座る。
スナックのママをしている母親は赤く染めた髪をアップにして、50歳にしては色気が漂う。
半コートを脱ぐと赤いトックリのセーターで黒のミニスカート姿だった。
黒革のバックから煙草を取り出す。
息子が煙草を吸わないことを知っている母親は、携帯用の灰入れも持参していた。
「仕事はどうなの?」
「まあまあ」
「営業は大変よね。お客さんも言っている」
「お前、暗い顔だね。どうしたのよ?」煙草を消しながら見詰める。
源一郎はしばし言い淀む。
「競馬でね・・・」
「別れたお父さんのようなのね」濃い口の紅を取り出したティッシュで拭う。
母親はしばらく、5階の窓に視線を向けて沈黙していた。
「借金はあるのね?」
「そうなんだ」
「いくらなの?」瞳を見開く。
「180万円」
「そんなに!払う利子が大変じゃないの。お母さんが払ってあげる」
母親は立ち上がった。
だが突然、「背中が痛い」とうずくまる。
「どうしたんでしょうね。時々痛むので、お酒で誤魔化してのよ」
「一度、病院で診てもらうといいね」源一郎は悪い予感がして心配する。
「サラ金のカード預かる。今日は無理だから、明日、大宮まで来なさい。返済するからね」

「2度と息子にお金を貸さないでね」母親は息子に同行して懇願する。
サラ金の店員は複雑な表情を浮かべた。

それから1年後、姉の詩織が船橋の公団住宅へやってきた。
「お前、お母さんに心配ばかりかけて。大学を中退するは、2年で離婚するは、職は長続きしない。そろそろ、親孝行してね」姉は5歳年上、看護師をしていて、3人の子の母親だった。
「お母さんはね。余命半年よ」詩織はメガネを外して涙を拭う。
「ええ!余命半年?」源一郎は驚愕した。
「そうなの、肝臓がんで・・・」涙声となる。
「親孝行、どうすればいい?」源一郎は正座となる。
「お母さんはね、お前のことを毎日、祈っているのよ。それに応えることね。今こそ信仰するの」姉は毅然とした態度となる。
「分かった」源一郎は素直に応じた。
母親は息子を厳しく育てきた。
どしょうもない夫に失望しことから、息子に過剰に期待する母親の姿になっていたのだ。
源一郎はそうした母親に反発して、大学を中退している。
母親の期待を裏切って、彼は大宮の実家を出て、一人住まいとなる。

親孝行のための信仰は結局、長続きしなかったのだ。
禁じられていた同志からの借金問題が契機となる。


コロナ 医療体制の現状は 専門家の見解は

2021年09月06日 14時00分39秒 | 医科・歯科・介護

 NHK

新型コロナの感染拡大が続いています。感染状況や症状の特徴は? 医療体制の現状は? 専門家の見解は? 詳しい情報をまとめています。


岸和田競輪・S級シリーズ】北京銅メダリストの永井清史が新田祐大、脇本雄太に期待!

2021年09月06日 14時00分39秒 | 未来予測研究会の掲示板

2021年07月26日 15時55分 東京スポーツ

当時を振り返り新田祐大、脇本雄太に思いを託す永井清史
 岸和田競輪FⅠ「日本名輪会C第11回ヤマセイ杯」は26日に2日目を開催。4Rを制した永井清史(38=岐阜)はこの時期になると体がうずく。

 2008年北京五輪ケイリン銅メダリストとして気持ちが高ぶり、じっとしてはいられないようで「毎日、テレビで見ています。早く自転車競技が始まって欲しいですね」と身を乗り出している。

「僕の時は伏見(俊昭、45=福島)さんが注目されていて、自分はまったく期待されて

2008年北京五輪ケイリン銅メダリストとして気持ちが高ぶり、じっとしてはいられないようで「毎日、テレビで見ています。早く自転車競技が始まって欲しいですね」と身を乗り出している。

「僕の時は伏見(俊昭、45=福島)さんが注目されていて、自分はまったく期待されていなかったんです。陰に隠れて、ふいに(メダルを)取った感じ」と当時を振り返った。

 東京五輪では男子スプリントと男子ケイリンに出場する新田祐大(35=福島)と脇本雄太(32=福井)に期待がかかるが、銅メダリスト・永井の見立ては…。
「僕の時は競技を1日に全部やったんです。3時間で4本走ったもんだからきつくって。でも、今回は日程が2日間に分けられているからいいでしょう。今はギアがかかっているし、1日に何本もこなすのはきついですから。それに何より2人には地の利がある。僕と違って初めから期待されているわけだし、きっとやってくれるでしょう!」と待望のメダル獲得へ期待を寄せた。

 


【向日町競輪・GⅢ平安賞】脇本雄太が豪快パワーで向日町記念を制圧

2021年09月06日 13時52分16秒 | 未来予測研究会の掲示板

【向日町競輪G3結果】脇本雄太が突っ張り先行で後続を完封し完全優勝!/平安賞・決勝
9/5(日) 18:00配信

netkeirin

オリンピアンの力見せた…脇本雄太が完全優勝!(撮影:島尻譲)

 9月5日、向日町競輪場で行われた平安賞(GIII・最終日)の決勝は、突っ張って先行した脇本雄太(32歳・福井=94期)が1着、脇本をマークした村上博幸(42歳・京都=86期)が2着、3番手にいた瓜生崇智(26歳・熊本=109期)が3着に入った。3連単は①-⑤-⑥で2,930円という配当だった。

 レースは脇本が前受け。村上が2番手で、3番手に単騎の瓜生が続く。残り2周で眞杉匠(22歳・栃木=113期)が抑えに行くが、脇本は突っ張って先頭をキープ。打鐘過ぎから大石剣士(25歳・静岡=109期)が勝負に出るも、脇本も踏み込んで主導権を譲らない。残り1周、スピードを上げていく脇本に対して後続はなすすべなく、脇本がそのまま逃げ切って見事完全優勝を飾った。

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【向日町競輪・GⅢ平安賞】脇本雄太が豪快パワーで向日町記念を制圧
9/5(日) 18:13配信
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絶対的人気に応えた脇本雄太が優勝カップを掲げてホッと一息

 向日町競輪GⅢ「開設71周年 平安賞」は5日、最終10Rで決勝戦を行った。

 レースは脇本雄太(32=福井)が前受けからの突っ張り、2周先行で別線をシャットアウトして完全優勝を達成。2020年7月の福井以来、通算8度目のGⅢ制覇となった。2着は脇本マークの村上博幸(42=京都)、3着は近畿コンビを追った瓜生崇智(26=熊本)。

 初手はけん制もあり前で受けて立ったが、残り2周の赤板に入っても誰も抑えに来なかった。こうなったら腹をくくった。

「来るのが早ければ下げても良かったけど来なかった。本当は踏みたいのは赤板過ぎの1角から2角のあたりだったけど。下げたらきついし駆けた。ギリギリでしたよ。あれ(2周突っ張り)はできればやりたくない作戦。体力的にきついしリスクとダメージがあるから。最後(決勝)だからやった感じ」と若手自力型の挑戦を力技でねじ伏せた。

 東京五輪を終えて〝中0日〟で挑んだ前回のいわき平GⅠ「オールスター」と違い、調整万全の今節は完全Vが絶対の使命と言ってよかった。それだけ注目を集めた大会だった。「〝勝って当たり前〟と言われるのはわかっていましたし、そう思っていた」と本人はさも当然といったところで、すでにこの先を見ている。

「GⅠを取って年末のグランプリへ、これがまず目標。すでに近畿に味方(古性優作)がいるし去年と違う。気持ち的には一発で(GPの権利を)取りたい」と、10月弥彦「寛仁親王牌」、11月小倉「競輪祭」へ向けて照準を定めた。

 

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GⅢ 向日町競輪 平安賞 10レース決勝戦 脇本の力が違いすぎる

2021年09月06日 13時33分37秒 | 未来予測研究会の掲示板

並び 9-3-4 7-1-8 6(単騎) 1-6

レース評
脇本の力が違いすぎる。完全Vは濃厚で次位争い。地元の牙城、村上が食い下がるとみたが、佐藤や内藤と別線も横一線。

結果
1-5 460円(2番人気)

1-5-6 2,930円(8番人気)

3 6 瓜生 崇智 3/4車輪 10.9      
4 2 内藤 秀久 3車身 11.0      
× 5 3 佐藤 慎太郎 1車輪 10.9      
  6 8 田中 晴基 2車身 11.0      
7 9 眞杉 匠 1/2車身 10.8      
  8 4 大森 慶一 3/4車身 11.0      
  9 7 大石 剣士 大差 12.1

戦い終わって

戦い終わって写真

 脇本雄太に圧倒的な人気が集まった、平安賞決勝戦。正攻法から突っ張った脇本が正に、横綱の走りを見せ付けた。真杉匠と大石剣士が互いを意識した為に、赤板過ぎに誘導を斬った脇本が後方を牽制。鐘から大石がカマしてきたが、ホームでは併せ切る。真杉も動けず、堂々と脇本が逃げ切った。マークの村上博幸が2着に食い下がる。
 一着の脇本は「牽制したら前受けしないといけない状況。想定はしてました。青板バックで、車間切って誰も来なかったら突っ張る事は頭に入れてた。自分が駆けたいのが赤板の一コーナーから二コーナーの間。あそこで下げると過ぎてしまうので踏んでしまおうと。変な言い方だけど勝って当たり前と思ってきてるのでホッとした気持ち。次につながる走りができたし、次のGⅠを獲ってGPを決めたい」。
 地元で唯一決勝に進んだ村上は「今日は、最後の地元記念の気持ちで走っていましたもし、脇本君に離れたら、来年以降の斡旋を辞退するくらいの気持ちでした。僕もだけど、皆さんも脇本君がカマシ、捲りなら離れると思っていたと思います。だから、突っ張る構えをした時にはまさかと。展開が向いたし、一瞬、夢を見たけど、直ぐに思い返して追走に専念。けど、最後は一杯だったし、後ろから抜かれたと思ったくらい。道中はとにかく、肩の力を抜きながら走っていました」。
 3着に続いた瓜生崇智は「スタートで遅れたけど、今日はあの近畿勢の後ろが欲しかった。本線ですから。道中から余裕はなかったし、後ろの気配とかは全く感じられなかった。3番手でも、まるでバイク誘導でした。内だけはしゃくれない様に走っていたし、最後は一杯でした」。


私の幸福論 宇野千代人生座談

2021年09月06日 13時17分06秒 | その気になる言葉

 宇野 千代 (著)

心の持ちようで人は誰でも幸福になれるのです―。仕事、結婚、趣味、おしゃれ…。つねに背筋をピンと伸ばして前向きに生きた著者が、幸せな人生をおくる知恵を語る。(解説・山本陽子)

内容(「BOOK」データベースより)

私は長い人生のなか、たったの一ぺんでも、自分を不幸な人間だと思ったことはありません。心の持ちようで、人は誰でも幸福になれるのです。
人間の能力は無限、おしゃれ上手は生き上手、全生涯が結婚適齢期、人生は行動することである、信じる心が人と人を結ぶ、自分流の暮らしを愉しむ、人間の寿命は125歳など、著者独特の幸福になる知恵を満載。
 
 
ただし幸福は幸福を呼ぶと内容が重なるので一部ですが・・でもはじめてよむかたにはおすすめです。私は宇野千代の本は中古で全部買いました。大型本も揃えて欲しかった。極度の近眼なので、、、
 
 
ただし幸福は幸福を呼ぶと内容が重なるので一部ですが・・でもはじめてよむかたにはおすすめです。私は宇野千代の本は中古で全部買いました。大型本も揃えて欲しかった。極度の近眼なので、、、
 
 
初めて読んだ宇野千代さんの本です。

すごく感動したのを覚えています。

こんな考え方があったのか。。。

いろんな自己啓発本など読みましたが、ダントツ宇野さんの本が

私の中で一番です。

今でも、時々読み返すと又新たな気持ちになります。

お守りのような一冊です。
 
 
宇野千代さんは行動力があります。
そして真面目です。真面目とは行動力が伴うこと、これは夏目漱石が本の中で語っていました。
宇野千代さんの活発な行動力に混在しているのは根気です。
そして静かで厳しい視線を読者におくっています。先を追いかけ続ける人生はスリリングですけれど自分と違った人生は魅力的ですね。
経験は自分の先生なんだなと先ずに感じました。今までに私の咲かせてきたお花はどんな色だったのでしょう。
これから咲く花も風に揺れ小さな淡い色の花だとは思います。でも強い根を持ちどこでも自由に咲かせることができれば幸せです
 
 
落ち込んだりしている時はお風呂に入りながら宇野千代さんのエッセイを読んで元気をもらいます。 明るさや、前向きさ、人に対する愛の深さに癒されます。三毒追放(妬まない、怒らない、ぐちらない)の姿勢や、何があっても幸せを感じられる強さを尊敬し憧れます。
 
 
本人は否定されているけれど、やはり恋多き女だと思う。でも、こうも常に前を向いて、快活に突き進む生き様は素敵だ。くよくよしない、過去をうじうじ振り返らない、まっすぐと。そんなパワフルな面に憧れる。
 
 
複雑な人生であることは間違いなさそうだけれど、とても物事を整理できている人だなという印象をうけました。読みやすいです。こんなふうに年をとりたいな。
 
ちょっぴり自慢げなところが…(^_^;) でも、本人が語っているような文章が読みやすい。共感できる部分がある。95歳になっても恋愛を語る宇野さんは、素敵な人生を歩んでいったんだろうなぁ。
 
 
大好きな宇野千代さん。だいぶ前に読んだ本ですが、アプリで記録を残したいので登録しました。 いつも前向きで同じ出来事でも、自分の捉えようによって変わるんだと思いました。どんなこともプラスに捉えて前向きに生きていきたいと思いました。
 
 
 

 


重症化防止効果は十分も…ワクチンで集団免疫獲得難しく

2021年09月06日 12時53分23秒 | 医科・歯科・介護

9/5(日) 22:45配信

産経新聞

新型コロナウイルス感染の第5波で圧倒的な感染力があるインド由来の変異株「デルタ株」が蔓延(まんえん)し、ワクチン接種による集団免疫の獲得が困難との見方が強まっている。接種後の時間経過による免疫低下も指摘され、流行収束までの長期化も指摘される。ただ、ワクチンには個々の重症化を防ぐ効果が十分にあり、当面は医療逼迫(ひっぱく)の改善に向け、接種率の向上と感染者数の削減が一層重要になる。

【イラストで見る】一般の方と専門家による感染症のイメージ

「ワクチンはかなり有効だが、何でも自由になるということはあり得ない」。3日の政府対策分科会終了後、尾身茂会長はこう指摘。田村憲久厚生労働相も8月、「ワクチンだけで必ずしも現状を克服できるとは考えていない」と述べ、対策の切り札としてきた「ワクチン頼み」からの脱却姿勢を明確にした。

感染症は通常、1人の感染者が平均1人以上にウイルスをうつした場合に拡大し、うつす人数が多いほど流行が加速する。逆に平均1人未満にとどめれば徐々にでも収束に向かう。

集団免疫はワクチン接種によって集団の中で感染する可能性がある人の割合を減らし、未接種の人が一部にいても収束していく状態を作り出すことだ。

昨年の流行当初、新型コロナの従来株は感染予防対策を取らない状態で、1人の感染者が2・5人程度にうつすと考えられていた。このためワクチン接種が人口の6、7割程度進めば集団免疫を獲得できるとの見方があった。ワクチンによる感染予防効果が100%なら、理論上、6割超の接種率で二次感染を1人未満に抑えられる。予防効果が90%程度でも7割の接種で感染は時間をかけつつ抑えられていく。

デルタ株の登場でこの想定は一気に崩れた。感染力が従来株の約2倍との推定が示され、1人が5人にうつす計算になった。さらに1人が8~9人に感染させるという米疾病対策センター(CDC)の内部文書も明らかになった。

デルタ株流行後は、ワクチン接種完了後の「ブレークスルー感染」の確認も相次ぐ。英スコットランドでの調査では、デルタ株に対する感染予防効果は米ファイザー製の2回接種後で79%となり、それ以前に主流だったアルファ株(英国株)の92%を下回った。

デルタ株の感染力が1人が5人にうつす程度の場合、ワクチンの予防効果が80%程度まで低下していると、国民全員が接種してもブレークスルー感染がじわじわと続くことになる。

厚労省専門家組織座長の脇田隆字(たかじ)・国立感染症研究所長は、ワクチンの発症・重症化予防効果は高いとしながら、現状について「6~7割が接種しても集団免疫は難しい。8~9割なら大丈夫かというと分からない」と述べている。

悲観的な見方の背景にはワクチン接種が進む海外での感染拡大がある。国内で2回接種を終えたのは現状で5割弱だが、接種率が約6割のイスラエル、約5割の米国でも感染者は増加の一途をたどる。その中でイスラエルなどは3回目を接種する「ブースター」を開始しており、日本政府もその効果を注視している。

国際医療福祉大の和田耕治教授(公衆衛生学)は「ワクチンは自分自身を守るためでもあり、集団免疫を期待して打たないという選択をすべきではない。感染拡大期には、接種の有無にかかわらず、誰もが感染対策を取ることが重要だ」と指摘する。

 


映画 スタンド・バイ・ミー

2021年09月06日 08時30分50秒 | 社会・文化・政治・経済

9月6日午前4時からCSテレビのムービープラスで観る。

1986年SCREEN12月号)
全米ナンバーワンヒットになった「スタンド・バイ・ミー」はパパやママと肩を並べながら鑑賞できるうれしくなってしまう秀作だ!── ニューヨーク在住 堤夏彦

予想外のヒットに配給会社は大アワテ

画像: 4人の少年たちの物語にあらゆる世代の観客が共感を示し大ヒットした

4人の少年たちの物語にあらゆる世代の観客が共感を示し大ヒットした

「スタンド・バイ・ミー」のヒットを予想した者は、関係者の中に一人もいなかったと言われる作品だけに配給会社は上を下への大騒ぎ。何しろ、アメリカ興行界で連続トップの座をひた走っているのである。内容については前号でお伝えしているので、今回はそのフィーバーぶりと、主人公である人の少年たちをご紹介しよう。

この「スタンド・バイ・ミー」が名作の独占公開を看板にするアート・シアターの名門コロネット劇場(520席)に登場したのは、夏場も終わりに近い8月8日。テレビのスポット宣伝もなければ新聞広告のスペースも控えめな、ひそやかなスタートであった。

ところが、客足は第一回目の上映から、サボリ風な男女会社員タイプ、大学生タイプ、近くに住むシニア・シチズン(ご老人)、夜勤タイプ、それに私自身も含むオトナたちばかりで、それもワンワンという状態。

初日の金曜日、続く土曜日、日曜日における客の入りと反応の良さを見極めた配給会社は、アート・シアターでスタートした作品としては殆ど異例の拡大公開に踏み切ることを決め、映画のラストシーンにも憎たらしいほどの好ムードで描き出されている〝勤労の日〞を含む3連休に合わせて、8月日、一挙に劇場数をにふやした。「トップガン」(これも息の長い大ヒット)「ベスト・キッド2」「エイリアン2」「ザ・フライ」などを軽く抑えてガサゴサ稼いで改めて話題になり、熱いその人気は今も続いている。

4人の少年のアンサンブルが成功

画像: 少年俳優たちのアンサンブル演技が素晴らしい

少年俳優たちのアンサンブル演技が素晴らしい

軽率に断定することはできないが、少なくともアメリカとの比でいえば、何かと世界一を誇るくせに、日本はオトナが映画館へ行かないことにかけてもまた世界有数の国だ。

「スタンド・バイ・ミー」が4人の主要人物と同じ世代の共感と支持を得て人気作品になっているのは、否定できない事実。しかし今年有数のヒット作に押し上げたのは、オトナたちの足も多かったからにほかならない。それぞれ鮮やかに描き分けられた4人の少年たちの上に自分の幼き日を重ねながら、懐かしみ、或いはチョッピリ悔いを噛みしめることになる、その味付けが実にうまく行なわれているからだ。

原作者スティーヴン・キングの少年時代がモデルになっているゴーディ(ウィル・ウィートン)は、両親の愛を兄(ジョン・キューザック)のようには得られず、早々と孤独の辛さを味わいながら、しかし豊かなイマジネーションをあやつって頭の中で小説を書き綴っている少年。

このゴーディに頭の良さでは劣らないがアル中の父、札付きの不良の兄がいるために、「どうせ、あそこんちの子じゃないか、いい子でいられるわけないさ!」と白い目で見られていることに反発、故意にワルぶっているのが体もシッカと大きいクリス(リヴァー・フェニックス)。

コリー・フェルドマン扮するテディはゴーディやクリスのように進学するつもりはなく、初年からブルーカラー(肉体労働者のこと)になることを考え、戦争で精神を傷つけたままで世間からは異常者扱いを受けている父を愛してやまない少々依怙地な少年。

最後のバーン(ジェリー・オコネル)は、頭の回転も体のこなしも他の人に比べるとスローながら、敵をつくることはまずありえないオットリ型。それに根っからのこわがり屋だ。

画像: それまであまり映画では描かれなかった少年時代の悩みや苦悩も登場

それまであまり映画では描かれなかった少年時代の悩みや苦悩も登場

4人の少年俳優たちが文字通り役を生きる演技を展開して見事な出来を示していることは前号でも触れたが、互いにでしゃばることなく、むしろ競演によるアンサンブルを生み出そうとして

4人の少年俳優たちが文字通り役を生きる演技を展開して見事な出来を示していることは前号でも触れたが、互いにでしゃばることなく、むしろ競演によるアンサンブルを生み出そうとしているかの如きプロフェッショナルぶりが何ともあっぱれ!なのだ。

彼ら扮するこの4人組が、有名になりたくて列車事故に遭った死体を捜して旅に出かけるという話を主軸に、彼らが少年期に訣別する姿が感傷ムードいっぱいに描かれるのだ。

大人も子供も大喜びで家族中の話題

配給会社の調査によると、ハイティーンから20歳前後までの女性層にも極めて熱い支持があり、これもヒットになった要素の一つとされている。「あの年頃の男の子にこのような悩みや苦しみがあるなんて、考えたこともなかったわ!」ということだそうだ。つまり母性本能への刺激があってカワユーイ!わけなのですよ。

画像: 若き日のキーファー・サザーランドも出演

 

9月6日午前4時からCSテレビのムービープラスで観る。

1959年オレゴンの小さな町。文学少年ゴーディをはじめとする12才の仲良し4人組は、行方不明になった少年が列車に轢かれて野ざらしになっているという情報を手にする。死体を発見すれば一躍ヒーローになれる!4人は不安と興奮を胸に未知への旅に出る。
たった2日間のこの冒険が、少年たちの心に忘れえぬ思い出を残した・・・・・・。

スタンドバイミーの主な出演者

ゴードン・ラチャンス(ウィル・ウィトン)、ゴードン〔大人〕(リチャード・ドレイファス)、クリストファー・チェンバーズ〔クリス〕(リヴァー・フェニックス)、セオドア・ドチャンプ〔テディ〕(コリー・フェルドマン)、バーン・テシオ(ジェリー・オコンネル)

スタンドバイミーのネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①弁護士のクリスが死んだ。死亡記事を読んだ作家・ゴードンは12歳の時のことを思い出す。クリスとゴードンは幼馴染みで、テディ、バーンと共に「死体を探す旅」に出たことがあった。ゴードンは昔を振り返る。 ②死体探しの旅は、小さな町・キャッスルロックしか知らない4人にとっては大冒険だった。死体を見つけた4人はその後疎遠になったが、ゴードンはあれ以上の友情はないと思い、作品に仕上げた。

【起】– スタンドバイミーのあらすじ1

現在。

大人になった作家ゴードン・ラチャンスは、車中で考え込んでいました。

ゴードンを考えさせていたのは、新聞記事の見出しでした。

そこには『弁護士クリストファー・チェンパーズ刺殺される』という文字が、でかでかと書かれています。

ゴードンは、幼馴染みのクリスと親しくしていました。

ゴードンは自分が少年時代のことを、思い返します…。

1959年、夏。

アメリカ・オレゴン州キャッスルロック。

キャッスルロックは、人口1281人の小さな町です。

ゴードン改め、幼少期にはゴーディと呼ばれた12歳の彼には、その小さな町・キャッスルロックが、世界のすべてでした。

ゴーディには親しい友人が3人おり、木の上に組み立てた秘密基地の中に集まり、いつも一緒に遊んでいます。

・ゴーディ…線の細い少年。主人公。真面目だが内気で、物語を作るのが趣味。兄・デニーを4月に亡くしている。

・クリス…短髪の少年。ゴーディの親友で、メンバーの中でリーダー格を務める。ワルぶってはいるが、本当は賢く優秀である。


スタンドバイミーのネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①弁護士のクリスが死んだ。死亡記事を読んだ作家・ゴードンは12歳の時のことを思い出す。クリスとゴードンは幼馴染みで、テディ、バーンと共に「死体を探す旅」に出たことがあった。ゴードンは昔を振り返る。 ②死体探しの旅は、小さな町・キャッスルロックしか知らない4人にとっては大冒険だった。死体を見つけた4人はその後疎遠になったが、ゴードンはあれ以上の友情はないと思い、作品に仕上げた。

【起】– スタンドバイミーのあらすじ1

現在。

大人になった作家ゴードン・ラチャンスは、車中で考え込んでいました。

ゴードンを考えさせていたのは、新聞記事の見出しでした。

そこには『弁護士クリストファー・チェンパーズ刺殺される』という文字が、でかでかと書かれています。

ゴードンは、幼馴染みのクリスと親しくしていました。

ゴードンは自分が少年時代のことを、思い返します…。

1959年、夏。

アメリカ・オレゴン州キャッスルロック。

キャッスルロックは、人口1281人の小さな町です。

ゴードン改め、幼少期にはゴーディと呼ばれた12歳の彼には、その小さな町・キャッスルロックが、世界のすべてでした。

ゴーディには親しい友人が3人おり、木の上に組み立てた秘密基地の中に集まり、いつも一緒に遊んでいます。

・ゴーディ…線の細い少年。主人公。真面目だが内気で、物語を作るのが趣味。兄・デニーを4月に亡くしている。

・クリス…短髪の少年。ゴーディの親友で、メンバーの中でリーダー格を務める。ワルぶってはいるが、本当は賢く優秀である。

 

私の住まいはブルックリンのダウンタウンに近いボーラム・ヒルと呼ばれる住宅地の一角にある。子持ち家庭が大半を占め、マンハッタンとはまるで異なって、結構近所づき合いも行なわれている通りだ。その角にある食料、雑貨の店の主人とは友達で、店頭でしばしば「ただ今のオススメ映画は何だい?」と訊かれることがある。このひと月余、私はひたすら「スタンド・バイ・ミー」だね、と言い続けてきたが、つい先日或る家の奥さんから「有難う!主人と子供二人と揃って観て来たのよ。私自身も大変気に入って、親類や友人、知人に会ったり、電話をする時は必ず話題にしている程なの。主人もね、子供と積極的に会話を持ちたい気分にさせる映画だって!」とお礼をいわれて嬉しくなったばかりだ。

日本公開は現時点では来年2、3月が予定されていて、キミたちは正月映画を先にコナさねばならないのが順序。でも、それまで忘れないで待っていて欲しいと思う。今まで知るチャンスもなかったパパの少年時代の話が出て来るかもしれないし、ついでにママも誘って観に行ったら楽しい日になる筈だよ。

ロブ・ライナーの演出がひと色で、それが残念!という声も少なくはない。しかし私にはそれが無いものねだりに思える。何しろテーマがキチンと描かれているからだ。

 

映画グーニーズ

2021年09月06日 08時26分30秒 | 社会・文化・政治・経済

9月6日午前5時45分~CSテレビのムービープラスで観る。

オレゴン州の港町アストリア。13歳のマイキー・ウォルシュ(ショーン・アスティン)は、兄のブランド(ジョシュ・ブローリン)と家でくすぶっていた。

画像1

その頃、警察からフランシス・フラテリ(ジョー・パントリアーノ)が脱獄、母親のママ・フラッテーリ(アン・ラムジー)の運転する車で弟のジェイク(ロバート.ディヴィ)とともに逃走した。マイキーの家へ、友達が続々と集まってくる。スペイン語ができて口のうまいマウス(コリー・フェルドマン)、ドジでいつも腹をすかしているチャンク(ジェフ・コーエン)、発明家のデータ(キ・ホイ・クワン)の3人である。

彼らとウォルシュ兄弟は、自分たちをグーニーズと呼んでいた。ウォルシュ家は借金のかたに家屋をゴルフ会社に差し押さえられ、明日には家を出なくてはならない。屋根裏部屋で見つけた古地図に書かれているスぺイン語をマウスが解読したところ、海賊片目のウィリーが隠した宝の地図らしい。

宝を見つけて借金をかえそうと、とめるブランドをしばって、マイキーらは岬に行く。そこには古ぼけたレストランがあり、あやしげな人物たちがいた。それがフラテリ一家だった。後を追ってきたブランド、そしてチア・リーダーのアンディ(ケリー・グリーン)、ちょっと変わった女の子ステフ(マーサ・プリンプトン)と一緒にレストランの地下に入り込んだ。

中には死体と贋札の印刷機があり、暖炉の下に秘密の入口が見つかった。フラテリ一家がもどってきたので、みんなは入口から地下の洞窟へ。とり残されたチャンクから話を聞いた一家が後を追いかけてくる。チャンクは一家の末弟で、地下に鎖でつながれていた奇形のスロース(ジョン・マツザック)と仲良くなり、鎖をちぎって、2人も地下へ

。地下洞窟にはウィリーがさまざまな罠をしかけていた。それらの罠をかわして、ついに海賊船を発見、なかの宝石を手に入れた。と思った時、フラテリ一家が来て、みんなは追い出される。がウィリーの罠はまだ終ってなくフラテリ一家も船から逃げ出すはめに。

グーニーズは洞窟のすき間から外へ出て、心配していた家族と再会した。宝石で借金もかえすことができる。フラテリ一家はつかまった。そして、海上に海賊船が漂い出てきて、グーニーズの話を信じようとしなかった保安官たちを驚かすのだった。