コロナウイルス抗原迅速検査キット「アルソニック® COVID-19 Ag」の販売開始』

2021年09月10日 15時39分11秒 | 医科・歯科・介護
 
当社は、アルフレッサ ファーマ株式会社(代表取締役社長:島田浩一、以下「アルフレッサ ファーマ」)及び株式会社オーダーメードメディカルリサーチ(代表取締役:村上康文、以下「OMR」)と3社で共同開発をしてまいりました新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)抗原迅速検査キット「アルソニック®COVID-19Ag」について、アルフレッサ ファーマが3月12日付で体外診断用医薬品として製造販売承認を取得し、3月18日より同社から販売開始となりましたのでお知らせいたします。

当該検査キットには、OMRが開発した新型コロナウイルスに対する「モノクローナル抗体」が使用されており、当社も開発に協力致しました。

当該検査キットは特別な分析機器を必要とせず、鼻咽頭拭い液又は鼻腔拭い液の検体中に含まれる新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)抗原について、 試料滴下後、5分で判定することができます。また、検体抽出液はアルフレッサ ファーマが既に販売している他のアルソニック製品と共通であるため、一度の検体採取でインフルエンザウイルス、RSウイルス、アデノウイルスなどの検査に用いることが可能です。

詳しくは、アルフレッサホールディングス株式会社(アルフレッサ ファーマの親会社)が発表したプレスリリースをご覧ください。

​https://www.alfresa-pharma.co.jp/news/get/NEWS_ID/1483/


すべての新型コロナ変異株に対応?「口内に噴霧」の非mRNA型予防薬、商品化へ

2021年09月10日 15時30分37秒 | 医科・歯科・介護

9/10(金) 13:00配信

Forbes JAPAN

JUAN GAERTNER/SCIENCE PHOTO LIBRARY/GettyImages

世界でもっとも早くワクチン接種を実施したイスラエルからの、「感染を防ぐ効果が6カ月で約60%、7カ月後には40%にまで低下した」という報告が世界を不安に陥れている。また同国では、入院患者の60%がワクチン接種済みであるというレポートもある。

その結果、同国ではすでに3回目の接種をスタートした。

しかし、同一の抗原で繰り返し免疫化を行った場合、5回目から死亡する例が激増。7~8回繰り返すと半分近くが死亡するという動物での研究結果もある。

生活習慣以外には「ワクチン」しか予防手段がない現在、複数の変異株に対して有効と考えられる「murak抗体(ムラック抗体)」が開発され、近く製品化される可能性があることがわかった。

この「ムラック抗体」は、東京理科大学名誉教授、村上康文氏(東京大学薬学系研究科 薬学専攻修了・薬学博士、オーダーメードメディカルリサーチ代表取締役)が率いる研究チームとDDサプライ株式会社が共同で開発した抗体だ。

村上教授のチームは昨年、アルフレッサ ファーマと共同で新型コロナ診断キットの開発に着手、PCR検査に代わる新型コロナウイルス抗原迅速検査キットの作成に成功している。このキットは今年3月に厚労省の承認を得て同社から販売開始された。この検査キットによって、従来15分間かかっていた判定が5分間に短縮されたことは大きく報道された。

現在、全世界的に感染拡大しているデルタ株では、感染者が生産するウイルスの量は従来型より格段に多いため(従来型の1000倍)、これまでのPCR法から抗原迅速診断法へと移行していく可能性が高い。実際、米国は2022年からPCRによる診断を取りやめることも報道されている。

以下、9月9日に行われたメディア説明会での、村上教授による説明を紹介する。

■デルタ「前」と「後」で世界は変わった

デルタ株出現までは確かに、ワクチンがパンデミック収束の切り札であるとされてきました。しかし、『デルタ株』の出現で、状況は変わってしまいました。

デルタ株の感染力は1人から8人にうつる、と強力で、しかも接種者でも非接種者でも、ウイルス感染を広げる能力は同等、という研究結果があります。

突然変異はランダムに生じますが、ワクチン接種が進めば、ワクチンに抵抗性のある変異ウイルスが「選択」されるようになります。

ウイルスはDNA型とRNA型に大別されますが、コロナウイルスはRNA型ウイルスです。DNA型ウイルスには、増殖の過程で生じたDNA複製のミスを修正する機構が備わっているので、RNAウイルスと比較すると遺伝子の変異が少ないといえます。

変異株を追いかけるようにワクチンを投与しても堂々めぐり
時間の経過とともに感染力が高い変異型が選択されますが、ワクチン接種が進むと、ワクチン回避効果の高い変異型が増えていきます。感染規模が小さければ変異型ウイルスに対応したワクチンの開発が追いつきますが、既に1億人以上に拡大、実際には数億人規模まで拡大している可能性も高く、多数の変異株が世界中で出現する可能性が大です。

収束させるには、実際の(生の)ウイルスでの感染が拡大し集団免疫に到達するか、特効薬の普及が必須です。

変異確率の高いRNA型ウイルスで起きたパンデミックをワクチンで収束させることは、困難であって、変異株を追いかけるようにワクチンを投与しても堂々めぐりとなり、収束は望めないという前提で、新しい抗体の開発に取り組みました。すでに細胞レベルの実験で高い中和活性を確認しており、今後、国際的臨床試験を開始する予定です。

われわれのチームで今回開発したのは、約7割の配列をヒト抗体に置き換えたマウス由来の治療注射薬、抗ACE2モノクローナル抗体と、口腔内などに噴霧して使用する予防薬、抗スパイクタンパク質ニワトリ抗体です。

ウイルスの感染は、スパイクタンパク質(ウイルス側の因子)とACE2タンパク質が結合したときに起きます。感染を防ぐには、ACE2タンパク質とスパイクタンパク質の二つがターゲットになります。

ACE2タンパク質は、新型コロナウイルスが感染する際の受容体、スパイクタンパク質は、ウイルス表面のトゲトゲした突起の部分です。

ACE2は宿主細胞(ウイルスに感染するヒトの細胞)側の因子なので、その抗体は、すべての変異ウイルスの侵入を阻害できます。しかし、ACE2タンパク質に結合してウイルスの侵入を防ぐ抗体の作成は非常に難しく、今回が初めてとなります。

われわれは細胞膜上にある、「ACE2と、コロナウイルスのスパイクタンパク質との結合を阻害」する抗体を選択取得しました。ACE2側の結合部位は、ACE2の活性中心から独立して存在していますが、今回、その酵素活性を阻害しない抗体を選択取得することに成功したのです。

なぜ、新型コロナウイルスワクチンは副反応が強いか
ちなみに、従来のワクチンは毒性を排除した抗原を使用してきましたが、新型コロナワクチンで抗原として用いているスパイクタンパク質そのものが「毒素」であるという論文が既に発表されています。そのためにワクチン接種後に強い副反応がひきおこされている可能性があります。

このような「スパイクタンパク質の全体」を抗原とすることにより、ワクチン接種者の中には抗体依存的感染増強(ADE)により重症化するという人が出てくる可能性が考えられます。実際、RNA型ウイルスの「デング熱」では、フィリピンで、200人以上の子供がワクチン接種後、ADEで死亡するという悲劇が起きています。

逆に受容体結合部位(RBD)のみ、いわば「はじっこだけ」を抗原としたワクチン、すなわち「組み換えタンパク質型」のワクチンは副反応が弱く、ADEがおきる可能性が低いものと考えられます。このようなワクチンは安全性が高いため、今後の主流になる可能性が高いと考えます。

■他の取り組みもあるが──

他企業でも抗体医薬の研究開発を進めていますが、ヒトから採取した遺伝子を実用化しようとしていることが多く、おそらく薬効が低い上、大量に接種する必要があります。そうなれば、1人あたりのコストが莫大にかかる可能性があるでしょう。また、有機合成で得られる薬は1万分の1くらいの成功確率であり、リポジショニング(他疾患で使われていたものを流用)のアプローチでもあるので、成功確率は低いとも予想されます。

村上康文◎東京理科大学名誉教授。東京大学薬学系研究科薬学専攻。東京大学大学院修了後、米国・ニューヨークスローンケタリング記念癌研究センターにて、3種のウイルス(SV40, アデノウイルス、ポリオーマウイルス)の研究に従事。癌ウイルス2種類の宿主域がDNA複製プロセスにあることを世界で初めて証明する。アルバータアインシュタイン医科大学(ニューヨーク)にてモノクローナル抗体作製法を習得。

Forbes JAPAN 編集部


旧ソ連を震撼させたアフガニスタン 侵攻失敗、帰還兵はPTSD…そして国家崩壊

2021年09月10日 14時32分30秒 | 社会・文化・政治・経済

迷宮ロシアをさまよう
2021.08.18

旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻(1979~1989年)で死亡した兵士の遺影を掲げるベラルーシ兵。撤退から丸11年を迎えた=2000年2月15日、ミンスク、ロイター

アフガニスタン情勢は、反政府武装勢力タリバンが15日に首都カブールを制圧し、政権を掌握した。今回の事態を招いた直接的なきっかけは、米バイデン政権がアフガニスタン駐留米軍の撤退を決めたことだ。

しかし、より長期的な視点で見るならば、少なくとも1970年代末以来この地で続いている紛争の文脈でとらえるべきだろう。とりわけ、1979年から1989年にかけてソ連が行った軍事介入は、今日につながるアフガニスタン情勢混迷の種をまいた。

アフガン侵攻はソ連の側にも大きなダメージを負わせることとなった。本稿ではアフガン侵攻がソ連・ロシアのその後をどのように左右したかを考察してみたい。
ソ連がアフガニスタン介入に踏み切ったのは、戦略的な要衝である同国における共産主義体制を維持することと、イスラム原理主義がソ連にも流入するのを阻むことが目的だったと考えられている。
軍事介入には、ソ連の政権幹部内にも慎重論があった。しかし、最高指導者のブレジネフ書記長は病気がちであり、アンドロポフKGB議長、ウスチノフ国防相、グロムイコ外相らが取り決めた短期介入の方針を追認した。
アメリカ軍機に乗り、カブールからカタールに向けて脱出する約640人のアフガン人=8月15日、ロイター

2014年にプーチン・ロシア大統領がウクライナ領クリミアを決然と併合したのとは異なり、ソ連のアフガン介入決定は、ためらいがちなものだったわけだ。こうして、ソ連軍は1979年12月24日にアフガニスタンに侵攻した。
そして、アフガン侵攻は結果的に大国ソ連が崩壊に向かう大きな転機となった。軍事介入は西側陣営から予想以上に強い非難を浴びた。ソ連は西側から経済制裁を発動され、モスクワ・オリンピックもボイコットを受けた。
東西デタント(緊張緩和)は頓挫し、冷戦が再燃した。1981年1月に成立した保守派の米レーガン政権は「スターウォーズ計画」を推進するなどして軍備を強化。経済が硬直化し行き詰っていたソ連にとって、米国との新たな軍備競争はあまりに重い負担となった。
アフガン侵攻も短期で限定的な作戦という思惑は外れ、長期化・泥沼化していく。10年近くに及んだこの戦争は、ソ連の国家体制を蝕(むしば)み、国の危機を加速した。結局、ソ連軍は1989年2月15日にアフガン撤退を完了するものの、その2年後にソ連は崩壊することになるのである。
さて、ソ連は自らの国益のためにアフガン介入を決めたのだから、それが一因となって国が崩壊したのも、いわば自業自得だろう。問題は、この戦争が社会に残した深い傷である。
アフガン侵攻によるソ連の戦死者は1万5000人ほどだったとされている。このほか、負傷者が5万人あまり、戦地で病気を罹患した者が42万人あまりに上った。
ソ連にとってのアフガン戦争は、米国にとってのベトナム戦争になぞらえられる。山岳地の戦場は兵士にとって過酷なものだった。帰国後も心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負い、社会に適応できない者が少なくなかった。

悲惨な戦場を経験した人間がPTSDを患うのは、どんな戦争でも多かれ少なかれ生じることである。しかし、ソ連のアフガン戦争の場合には特殊な事情がある。アフガン撤退直後に、国の価値観も体制も一変してしまったことだ。
高名な物理学者で人権活動家のサハロフ博士は1989年6月に開催されたソ連人民代議員大会で、「アフガニスタンにおける戦争は、犯罪的な冒険主義だった」と断罪した。その時の議場の様子は、まだ賛否が半々という感じであった。
しかし、ソ連人民代議員大会は結局1989年12月に「ソ連軍をアフガニスタンに投入した決定は道徳的・政治的非難に値する」とする決議を採択するのである。侵攻からちょうど10年後の大転換であった。ソ連が崩壊するのは、そのさらに2年後のことだ。
つまり、アフガン帰還兵は、それでなくてもPTSDに苛(さいな)まれがちであるのに、戦争の大義が否定され、そのために戦ったはずの国家すらも崩れ去ってしまい、より一層深い葛藤に苦しむことになったわけである。
周囲から「我々は誰もそんな戦争をしてくれと頼んだ覚えはない」などと言い放たれ、傷ついたアフガン帰還兵も多かったようだ。第二次大戦のナチス・ドイツとの戦争が、「大祖国戦争」として神聖視され、今日に至るまでその従軍者が英雄として扱われているのとは、あまりにも大きな差である。
アフガニスタン侵攻で死亡したソ連兵の民族別割合=ロシアの軍事関連ブログサイトもとに作成

ところで、アフガニスタンで戦ったのは、ロシア共和国(今日のロシア連邦)の人々だけではない。ソ連を構成していた他の共和国の人々も戦地に赴いた。上のグラフは、共和国別ではないが民族籍別の戦没者数を示している。
ロシア以外の共和国の人々の場合には、自分たちがソ連の後継国という意識が弱い分、「無益な戦争に駆り出された」というトラウマがより一層強いのではないかと想像する。
また、ソ連はアフガン介入当初、地理的に近い中央アジアの共和国からウズベク人、トルクメン人、タジク人などを主力として投入したという。その結果、上のグラフに見るこれら民族の比率は、ソ連における各民族の人口比よりも高いものとなった。
アフガニスタンの住民を敵に回すことは、イスラム教など文化的な親近性のある中央アジアの人々にとって辛いものだったはずだ。
さて、このようにソ連のアフガニスタン侵攻は、ロシアとその他の旧ソ連諸国に深刻な傷跡を残した。ところが、それと矛盾するような現象がある。ここに来て、ソ連軍のアフガン侵攻は必要だったと考えるロシア国民が増えているのである。
ソ連軍によるアフガニスタン侵攻の必要性を質問したロシアの世論調査の結果=民間の世論調査機関「レヴァダ・センター」のサイトより作成

ロシアのレヴァダ・センターが実施した世論調査によれば、グラフに見るとおり、ソ連軍のアフガン投入は必要だったという回答者は、2019年12月には25%まで拡大した。不要だったという回答者が依然として過半数に上るものの、見逃せない風向きの変化が生じている。
2019年12月の調査で目立ったのは、意外にも若い世代ほど介入は必要だったと答えていることである。18~24歳の年齢層では、ソ連軍投入が必要だったという回答が31%に上り、全年齢層の中で最も多かった。
ちなみに、2019年にはソ連軍のアフガン侵攻から40周年、撤退から30周年を迎えたわけだが、それに際してロシア政界には気になる動きがあった。連邦議会の下院で、共産党などを中心に1989年のソ連人民代議員大会決議を破棄しようとする試みがあったのである。
もっとも、国際的に物議を醸すことを恐れたのか、この時はロシア外務省が抵抗し、ロシア連邦議会がソ連時代のアフガン侵攻を正当化するようなメッセージを発する事態は回避された。
それではなぜ、ソ連軍のアフガン介入は必要だったと考えるロシア国民が増えているのか?管見によれば、それはやはり、プーチン政権の下でロシア世論が保守化している表れだろう。
とりわけ2014年のウクライナ危機以降は、ロシアは欧米と一線を画す独自の大国として処していくべきだという意識が強まり、それがアフガン戦争についての意見にも反映していると考えられる。
はっきり言って、市井のロシア国民がアフガニスタン問題や冷戦時代の国際政治について詳しく知っているとは思えない。単に「ソ連は米国と互角に渡り合った超大国だった。その国の歩みを否定したくはない」というニュアンスではないかと推察する。
したがって、今現在の泥沼のアフガニスタンにロシアが新たに軍事介入すべきかと問えば、大多数のロシア国民は反対するはずである。
それでも、ロシア国家・社会において、1979~1989年のアフガン戦争の苦い記憶が薄れ、状況によっては他国への軍事介入という手段も否定はしないという風潮が広がっていることは認識しておく必要がある。
アフガン侵攻に参加し、死亡した旧ソ連軍兵士の慰霊碑=ベラルーシ・ミンスク、服部倫卓撮影

■GLOBE+では、過去のアフガニスタン関連記事で紹介したアフガニスタン人留学生の帰国後の安全に配慮し、一部記事の公開を一時的に停止しています。
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元アパレル店長は男装で戦場へ行った アフガン密着28年の女性記者(上)


服部倫卓
一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 所長

 
  
 
 
 


戦争が女性兵士たちに残したトラウマ

2021年09月10日 14時18分50秒 | 社会・文化・政治・経済

配信

 
NHKテキストビュー

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アフガン従軍兵、心の傷 薬物に溺れ除隊 米帰国後、牧師に

2021年09月10日 14時13分00秒 | 社会・文化・政治・経済

「9・11」後の20年

あの日から アフガン従軍兵、心の傷 仲良い子供ら爆死

毎日新聞 2021/9/9 

村の子供たちと歩くトーマス・バークさん(中央)=アフガニスタン南部ヘルマンド州ナワで(バークさん提供)


薬物に溺れ除隊 米帰国後、牧師に

 黙々と子供たちの肉片をかき集め、飛び散ったからだの一部を拾って回った。砂ぼこりのなか、トラックの荷台に遺体を積み込み、駐屯地に帰ると両手を漂白剤で洗った。からだが鉛のように重かった。米海兵隊として「敵を殺す訓練」を受けてきた。得意でもあった。ただ、子供たちの遺体を片付けたトーマス・バークさんの心は、ばらばらに張り裂けていた。当時20歳だった。

 アフガニスタン南部ヘルマンド州ナワ。2010年1月のある日の昼下がりの出来事だった。犠牲になったのは駐屯地の近くの村に住む子供たち。村の外れで携行式ロケット弾の不発弾を見つけ、駐屯地に届けようと運んでいる途中で爆発した。調査のために駆けつけたバークさんが目にしたのが、弟のように可愛がっていた子供たち8人の変わり果てた姿だった。

 


アフガニスタン戦争終結と9.11テロから20年、内省のときを迎えた米国

2021年09月10日 14時10分14秒 | 社会・文化・政治・経済

9/7(火) 18:05配信

9.11米同時多発テロをきっかけに始まったアフガニスタン戦争は、20年後の今年、ようやく終結した。だが「米史上最長の戦争」に派兵された米兵たちが負った心の傷は計り知れない。

そうした帰還兵への支援を含め、アメリカは深く内省するときを迎えていると、ニューヨーク在住の作家・譚璐美氏が指摘する。

【画像】世界貿易センターにジャンボ機が突っ込んだ直後の写真

2001年9月11日の記憶
アメリカのジョー・バイデン大統領は8月31日、ホワイトハウスで国民向けに演説し、「アフガニスタンでの戦争は今、終わった」と述べ、20年間にわたる「米史上最長の戦争」の終結を宣言した。また、30日に完了した米軍の撤退と民間人の退避について、米軍が同盟国とともに12万人の人々を国外へ搬送したのは、「並外れた成功だった」と胸を張った。

だが、この戦争に対するアメリカ国内での評価は「成功」からは程遠い。国防総省の発表によれば、アフガニスタン戦争による米軍の犠牲者は2200人、負傷者は2万人以上にのぼる。また、戦闘資金を毎年数千万ドルつぎこんだが、アメリカの安全強化にはつながらなかったという。

アフガニスタン戦争のきっかけになったのは、2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロ事件である。あの日の衝撃は、多くのニューヨーカーと同様に、私も今でも鮮明に思い起こすことができる。

午前8時45分、ハイジャックされたジャンボ旅客機が、ニューヨーク・マンハッタンの金融街にある超高層ビルのツインタワー、世界貿易センタービル北棟へ衝突した。次いで9時3分、もう一機のジャンボ機が南棟に突っ込んだ。ワシントンのペンタゴン(国防総省)を第三のハイジャック機が襲ったのは、その直後だった。さらにペンシルベニア州南部にも、ハイジャック機が墜落した。

自爆テロによる一連の事件は世界を震撼させ、人々を恐怖のどん底に陥れた。しかし、それ以上に衝撃だったのは、世界貿易センタービル2棟が、ジャンボ機の激突による爆発と満タンの燃料から発生した火災で、人々の眼前で見る間に崩壊してしまったことだった。

ビル内に取り残された人々は、消火活動と救助に当たっていた消防士343人を含めて、合計2889人が消息不明になった。

私はかつて、同時多発テロ事件について、『私はあなたを忘れない 愛と哀しみのニューヨーク』(新潮社、2002年)という本を書いた。事件発生直後から半年間にわたるニューヨークのドキュメントだ。

日本では詳細に伝えられなかったその日の脱出劇。死臭と遺灰が漂う中での捜索作業と探索犬のストレス。アフガン攻撃が開始された日。そして半年後のクリスマスに、グラウンド・ゼロ(爆心地)に集まった人々の悲しみ……。

今、拙著を読み返しても、胸が痛み、涙があふれてくる。犠牲者の遺族にとっては、20年経った今でも、時間は止まったままだろう。衝撃と苦悩に打ちのめされた人々は、もがき苦しみながらも、互いに慰め合い、失意の中で生きてきた。

「金融商品の売れ行きより、生涯にどれだけ子供と過ごせるかのほうが大切だ」

そう語ったのは、幸いにも一命を取りとめた金融マンの言葉だ。あの事件以来、アメリカでは、平凡でも充実した毎日を願う人が増えた。

クーリエ・ジャポン

帰還兵のPTSDと自殺の増加
ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が、「これは21世紀の新たな戦争だ!」と宣言して、アフガニスタンへの報復攻撃に出たとき、人々は反対しなかった。

9.11の首謀者とされるテロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンが米海軍特殊部隊によって殺害されたのは、2011年5月2日。これによりアメリカの報復攻撃はひとつの節目を迎えた。

だがアフガニスタン戦争は終息せず、「同時多発テロ事件20周年」を迎える直前になって、ようやく5代目に当たるバイデン大統領が「戦争終結」を宣言したのである。

ここ数年、アメリカのテレビでは、帰還兵に対する医療促進のコマーシャル映像がよく流れている。

戦争からアメリカへ戻ってきた元兵士が大都会の雑踏を歩いている。ふと立ち止まった時、突然「敵」が襲ってきて、必死で格闘する。よく見れば、「敵」は帰還兵自身だ。我に返った元兵士は呆然となり、人々が行き交う街の中で立ちつくす──。

これは戦闘任務に伴う外傷後ストレス障害(PTSD)である。PTSDは、2001年に始まったアフガニスタン戦争と2003年に始まったイラク戦争により急増した。

2004年7月、米陸軍省は、イラクやアフガニスタンから帰還した陸軍と海兵隊の兵士を対象に、メンタルヘルスに関する調査を実施した。その結果、イラクに派遣された兵士のうち、6人に1人がPTSDを発症したことが判明した。

また、米シンクタンクのランド研究所が2008年にまとめたレポート「戦争の見えない傷」でも、サンプル調査に応じた1965人のうち、約14%がPTSD、約14%が深刻なうつ症状を示した。そして、この割合をイラクとアフガニスタン両国に派遣された米兵総数約164万人に当てはめると、約30万人の帰還兵がPTSDを発症している可能性があると分析した。

ロイター通信など複数の報道では、帰国後に自殺する元兵士は後を絶たず、毎年数千人にのぼり、イラクとアフガンで13年間に戦死した米兵約6500人を上回るとみられる。

ところで、ノンフィクション作品『チャーリー・マイク』(2015)は、イラク、アフガニスタン戦争へ参加して心に傷を負った元兵士が、帰国後、地震の被災地へ救援ボランティアに向かい、他人を救うことで自分自身も救われ、深い内省の後にトラウマを乗り越えていく「再生の物語」だ。筆致はやさしく、視線はあくまで温かい。

著者のジョー・クレインは政治評論家で、タイム誌のコラムニスト。ビル・クリントンの1992年の大統領選挙キャンペーンを匿名で描いた小説『プライマリー・カラー』で政界の内幕を暴き、世界的なベストセラーになった。

今、アフガニスタン戦争は終結した。だが、戦争の「災禍」は帰還兵の心の傷となって内面に巣食い、その家族や友人を含めた社会全体の問題となった。今後は、帰還兵に対する適切な治療とともに、彼らが生きる希望となる新たな目標を見出すために、アメリカ社会全体が深く内省するときを迎えている。

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心的外傷後成長ハンドブック: 耐え難い体験が人の心にもたらすもの

2021年09月10日 13時16分56秒 | 医科・歯科・介護
 
 宅 香菜子 (監訳), 清水 研 (監訳)
 
災害や事故、大切な人の死などは人生にとって過酷な体験であり最大の苦しみであるが、一方でそこから精神的な成長がもたらされることは古くから経験的には知られてきた。本書は学術的には20年ほど前から研究されてきたPTG(Posttraumatic Growth)についての入門書。
原著者はこのテーマの第一人者であり、PTG評価尺度の考案者でもある。
 
災害や病気といった予期せぬ出来事に見舞われ、家族や恋人、地位を失うことがある。
だが長い悲しみの中で次第に「今の自分は過去と違う。あの出来事があって今の自分がある」と感じることもある。
痛みが消えなくても人の心は成長すると考える「心的外傷後成長」。
 
 
 

PTGの可能性と課題

PTG(Posttraumatic Growth)とは、大変つらい出来事や突然の不幸な出来事に直面した人が、さまざまなストレスを経験しつつ、苦悩と向き合う中で生じる人としてのこころの成長を表す。その国内の最先端の議論を一冊に集約。

内容(「BOOK」データベースより)

PTGについて27名が語った「PTG(Posttraumatic Growth)とは、大変つらい出来事や突然の不幸な出来事に直面した人が、さまざまなストレスを経験しつつ、苦悩と向き合う中で生じる人としてのこころの成長を表す。」その日本国内の最先端の議論を一冊に集約。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

宅/香菜子
2005年名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期課程修了。博士(心理学)。ノースカロライナ大学シャーロット校心理学部客員研究員を経て2008年よりオークランド大学心理学部アシスタントプロフェッサー。2014年より同アソシエイトプロフェッサー。専門は臨床心理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
複数の研究者による論考集です。
それぞれの臨床領域における用語や概念の説明も丁寧で、
門外漢でも読みやすかったです。

トラウマ後の成長は、社会生活上もままみられる現象であり、
考えてみれば、逆境的経験を多角度に検討する上では、
もっと探求されてよいように思われます。

PTG自体は、日常的な現象とも言える側面があることから、
かえって素朴心理学的に扱われる側面もありますが、
実際には、その作用機序をある程度概念的に理解しておかないと、
かえって外傷体験を深めてしまいかねないので、注意が必要です。
論者も度々述べているように、
安易に治療のゴールへすべきではないでしょう。

存在脅威管理論や認知行動療法等、別理論からの考察もあって、
PTGの臨床における意義や適用について、イメージがしやすいように思いました。
入門書としては、最適ではないでしょうか。
 
 
 

 


9月9日 17時時点感染者: 2億22,55万9,803人 死者: 459万6,394人

2021年09月10日 12時45分58秒 | 社会・文化・政治・経済

中国本土

中国本土での感染者数は減少傾向にあり、平均で1日26人の新規感染者が報告されている。1日平均人数のピークだったFebruary 13の1%になる。

パンデミック(世界的大流行)開始以降、同国では感染者9万5,111人、死者4,636人が報告されている。

 
 

世界の感染者数・死者数(累計/多い順)

    • アメリカ

      40,45万6,711

      65万2,657

      インド

      33,13万9,981

      44万1,749

      ブラジル

      20,92万8,008

      58万4,421

      イギリス

      7,09万4,592

      13万3,674

      ロシア

      6,96万4,595

      18万6,224

      フランス

      6,70万2,711

      11万3,385

      トルコ

      6,56万6,538

      5万8,913

      アルゼンチン

      5,21万5,332

      11万2,962

      イラン

      5,21万0,978

      11万2,430

      イタリア

      4,58万5,423

      12万9,707

      インドネシア

      4,14万7,365

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新型コロナ 細胞侵入の抑制物質発見 重症化予防に期待

2021年09月10日 12時36分39秒 | 医科・歯科・介護

毎日新聞 2021/9/9 東京朝刊 有料記事 943文字
 <ピックアップ>

 新型コロナウイルスが細胞内へ侵入するのを抑制する物質を細胞実験で見つけたと、国立国際医療研究センター(東京都新宿区)などの研究チームが米微生物学会誌に発表した。感染者にこの物質を投与することでウイルスの細胞への侵入を抑えられれば、体内でウイルスが広がるのを防げるため、重症化予防につながることが期待できるという。

 脂質の二重膜で包まれた新型コロナウイルスは体内に入り込むと、二重膜がヒトの細胞と融合し、ウイルスの遺伝子が細胞内へ送り込まれることで増殖を始め、感染症を引き起こす。ウイルス増殖を免疫反応などで抑えられなければ、ウイルスがさらに多くの細胞に入り込んで重症化する。

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新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の細胞内侵入を抑制する薬剤を発見
~COVID-19の重症化治療への適応に期待~

2021年7月1日
帝京大学
国立研究開発法人 国立国際医療研究センター
東京大学医科学研究所

帝京大学薬学部生物化学研究室講師の林康広と同教授の山下純は、国立国際医療研究センター研究所レトロウイルス感染症研究室室長の前田賢次氏、同センター病院エイズ治療・研究開発センター治療開発専門職の土屋亮人氏、東京大学特命教授で名誉教授の井上純一郎氏、東京大学医科学研究所アジア感染症研究拠点特任准教授の合田仁氏、同特任講師の山本瑞生氏らとの共同研究により、宿主細胞膜の流動性を低下させることで新型コロナウイルスSARS-CoV-2の感染を抑制する薬剤N-(4-Hydroxyphenyl) retinamide (4-HPR)を同定しました。これにより、4HPRは抗ウイルス剤、そしてサイトカインストーム抑制剤としてCOVID-19の重症化治療への適応が期待されます。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の細胞内侵入を抑制する薬剤を発見

研究の背景

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) は新型コロナウイルスSARS-CoV-2により引き起こされる感染症です。多くの感染者は無症状か軽症で経過しますが、約5%は致死的な急性呼吸促迫症候群(ARDS: Acute Respiratory Distress Syndrome)を発症します。特にARDSは致死率が高いことから、治療方法の開発が求められています。COVID-19におけるARDSはサイトカインストーム(注1)によって生じていると考えられており、ARDSの治療には単に抗ウイルス薬のみでは不十分で、サイトカインストームを抑制することが必要であると考えられています。

研究の概要

新型コロナウイルスSARS-CoV-2は外側が脂質二重膜で覆われたエンベロープウイルスです。
宿主細胞とSARS-CoV-2の脂質二重膜が膜融合することで感染が成立することから、脂質はSARS-CoV-2感染が成立するために必要不可欠な因子であり、脂質代謝酵素は新たな抗ウイルス剤のターゲットになり得ると考えられます。そこで、林講師らの研究グループは、ウイルスと宿主細胞の膜融合を安全かつ迅速に測定できる細胞膜融合アッセイ(参考文献1)を用いて、 SARS-CoV-2 のスパイクタンパク質を介した膜融合を抑制する脂質代謝酵素の阻害剤を探索しました。その結果、ジヒドロセラミドデサチュラーゼという脂質代謝酵素の阻害剤であるN-(4-hydroxyphenyl) retinamide (4-HPR:別名フェンレチニド) で処理した細胞において細胞膜融合が抑制されました。さらに、4-HPRは膜融合のみならず臨床分離したSARS-CoV-2感染も抑制することが分かりました。感染を抑制する機構を調べたところ、ジヒドロセラミドデサチュラーゼを遺伝子破壊した細胞では細胞膜融合が抑制されなかったことから、4-HPRによる細胞膜融合の抑制はジヒドロセラミドデサチュラーゼに非依存的な機構であることが分かりました。
興味深いことに、4-HPR処理した細胞では細胞膜の流動性が低下することが分かり、膜の流動性の低下がSARS-CoV-2感染の抑制に関わっているのではないかと考えられます。

研究の将来性

4-HPRは抗ガン剤としての臨床研究が進んでおり、肺癌、膀胱癌、前立腺癌などの臨床データおよび安全性のデータ蓄積によって、抗SARS-CoV-2剤として早急な実用化が期待できます。そして重要なことは、臨床試験での4-HPRの血中濃度は21μMであり(参考文献2)、私たちの研究成果では 4μM付近でSARS-CoV-2感染を効果的に抑制することから、4-HPRは生体内でもSARS-CoV-2活性を保持することが示唆されました。また、私たちが発見した抗SARS-CoV-2感染作用のみならず、他の研究グループらにより4-HPRはCOVID-19におけるARDSのサイトカインストームを抑制する機能を持つことが示唆されています(参考文献3)。これにより、4HPRは抗ウイルス剤、そしてサイトカインストーム抑制剤としてCOVID-19の重症化治療への適応が期待されます。今後は、SARS-CoV-2感染モデル動物を用いて有効性と安全性を検証し、迅速な実用化を目指します。

用語の説明

(注1)サイトカインストーム:感染に対する体の応答として炎症を誘発します。免疫の暴走により、免疫系細胞から分泌されるタンパク質(サイトカイン)が制御不能な量で放出され、その作用が全身に及びます。その結果、ショック・播種性血管内凝固症候群・多臓器不全にまで進行し、この状態をサイトカインストームといいます。

参考文献

  1. Yamamoto et al. Viruses (2020) 12:629.https://doi.org/10.3390/v12060629.
  2. Maurer et al. Pediatr Blood Cancer (2013) 60:1801–1808. https://doi.org/10.1002/pbc.24643.
  3. Orienti et al. Int J Mol Sci (2020) 21:3812. https://doi.org/10.3390/ijms21113812.

 

論文掲載

本研究成果は米国微生物学会誌Journal of Virology (オンライン) に掲載されました。

  • 掲載日:2021年6月19日(日本時間)
  • 著者名:Hayashi Y, Tsuchiya K, Yamamoto M, Nemoto-Sasaki Y, Tanigawa K, Hama K, Ueda Y, Tanikawa T, Gohda J, Maeda K, Inoue J, Yamashita A.
  • 論文タイトル:“N-(4-Hydroxyphenyl) retinamide suppresses SARS-CoV-2 spike protein-mediated cell-cell fusion by a dihydroceramide Δ4-desaturase 1-independent mechanism”
  • URL:https://journals.asm.org/doi/10.1128/JVI.00807-21

お問い合わせ先

  • 【本研究および報道、帝京大学に関するお問い合わせ】
    帝京大学 本部広報課
    〒173-8605 東京都板橋区加賀2-11-1
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    〒108-8639東京都港区白金台4-6-1
    TEL:090-9832-9760
    E-mail:koho@ims.u-tokyo.ac.jp

上智大生殺害事件から25年 「今ならば間違いなく逮捕できた」捜査員が嘆息

2021年09月10日 12時31分50秒 | 事件・事故

9/9(木) 11:40配信

デイリー新潮

警視庁亀有署捜査本部が2021年8月下旬に新たに公開した情報。事件直前に現場近くで目撃された「黄土色のコートを着た不審な男」の似顔絵を公開した (画像は「警視庁ホームページ」より)

 平成8(1996)年9月9日、朝からの雨が激しく降り続いたその日、東京葛飾・柴又の民家から火の手が上がったのは午後4時40分頃だった。近隣からの119番通報で消防が出動、木造モルタルの居宅は全焼したものの午後6時には鎮火した。しかし、一部、床が抜けるほどにまで焼損した、その2階の焼け跡で消防署員が見たものは、粘着テープで縛られた女子大生の遺体だったのである。そして、その日から25年が経った……。

【写真】事件に使用された「ガムテープ」 “800円”と効果な価格が特徴

 ***

「八王子スーパー強盗殺人」(平成7年7月)、「世田谷一家4人強盗殺人」(平成12年12月)、そしてこの「柴又・上智大生殺人放火事件」を合わせて、平成の「三大コールド・ケース(未解決凶悪事件)」と巷では総称する。いずれも物証に乏しく、犯人像にすら遠く及ばない。それぞれ、600万円、2千万円、800万円の懸賞金が付き情報提供を呼びかけるも、犯人逮捕に結び付く新たな情報は、残念ながら皆無といってもいいだろう。

 柴又の事件で殺害されたのは、上智大学外国語学部の4年生(21)だった。米国留学を2日後に控え、自宅で一人、荷造りをしていたところ、凶行に襲われた。粘着テープで口を塞がれ両手両足を縛られた遺体は、頸部右側に集中して数カ所の切創があった。凶器は残されていなかったが、傷痕の形状から、刃渡り8センチ程度の小型ナイフ(果物ナイフかペティナイフ)と特定されている。

遺留品は二つ
 当時、取材した記者が、メモを片手にこう語る。

「両手には刃物傷が複数残されていました。これを防御痕(ぼうぎょこん)といい、つまり被害者はナイフで襲われた際、激しく抵抗したことがわかる。火は殺害後につけられ、被害者は下半身に火傷を負っていた。私が当時、引っかかったのは、犯人はどうして被害者が横たわる2階6畳間からもっとも離れた1階の和室に火を放ったかという点。証拠を消すための放火ならば、殺害現場に火をつけるはず」

 遺留品は二つあった。一つは拘束に使用された布製ガムテープだ。静岡県内の工場において製造されたことまで判明しているが、全国に広く流通している商品で、犯人を絞り込める物証にはならなかった。大量物流時代の罪(ざい)、どこにでもある製品はもはや「犯人像」を語らない。以前は商品の流通範囲は小さく、偏っていた。たとえば「ゲソ(足跡)」の紋様から靴製品の製造工場、製造年を割り出し、販売店舗を絞り込み、地域から犯人を炙り出すという時代は終わったのである。

 さて、もう一つの遺留品は「A型の血液」だった。「それは犯人逮捕の決め手になる物証ではないのか」と色めき立つ読者がいるやもしれないが、血液や体液、あるいは毛髪など、それだけでは捜査上何の役にも立ちはしない。DNA鑑定の上、同一人物だと判定される際には決定的な証拠となりえるが、その容疑者が不在とあってはまったくの無価値と言わざるをえない。

「私が娘の身代わりになりたかった──」
 かつて被害者の父親は、取材に対し次のように語っていた(以下、〈〉内引用は『殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件』より)。

〈誰かが犯行をおかし、今もこの地球上で同じ空気を吸っている。そう思うと、ちょっと人間不信に陥ってしまいますね。できうることなら私が娘の身代わりになりたかったと、今でも思うことがあるんです〉

 このインタビューが行われたのは、事件から3年後の平成11年夏。父親は、膠着した捜査状況を憂い、次のように心境を明かしていたのだった。

〈事件直後はマスコミへの接触も禁じられ、お断りするのが精一杯だったが、今回は前向きに対応しますとお答えした。なぜなら、3年経(た)ってこういう状況になった今、事件が風化してしまうことが遺族にとっては一番辛いんです〉


あの殺人鬼たちはどこへ消えたのか……。市民という仮面の下で、人間の業深き本性が嗤う。男と女の情痴殺人から、自壊していく家族の惨劇、どす黒い邪欲に溺れた鬼畜の凶行、さらに、ほくそ笑む凶徒の姿が見え隠れする未解決事件――

 ***

 捜査は当初から、怨恨説と行きずり説とに二分された。前出の元記者が解説する。

「が、被害者には暴行の跡もなく、現金も手付かず。同居家族も含め恨まれるような人たちではなかった。今ならばストーカーということになるのでしょうが、その線も早々に消えた。つまり動機すらわからない。犯人がどのような人物なのか、その像が皆目、浮かばなかったのです」

 この事件ではいくつかの目撃情報が得られている。(1)出火直前、傘もささず柴又駅方向に走り去った20~30代の白いシャツの男、(2)午前中から現場付近をうろついていた中年の男、(3)昼ごろ、現場付近で使い捨てライターをいじっていた40歳前後の男……といった具合だが、冷静になって見つめ直せば、「よくある町の一コマ」にしか過ぎない。だが、「これが現在だったら」と嘆くのは、当時の捜査関係者だ。

「聞き込みを捜査の要とした“地どり捜査”は、点となる情報を集め線にして繋げ、犯人に辿り着く。この事件では延べ10万5千人を超える捜査員を投入しましたが、“線”が紡げなかった。これが今ならば、防犯カメラのシステムがある。現場からの逃走経路も含め、追って行けたはずです」

 令和元年(2019)に発生した「京都アニメーション放火殺人事件」でも、カメラの眼は事件前の犯人の姿を克明に捉え続けていた。その能力を遺憾なく発揮した格好だが、今や商店街、駅、公共施設、個人住宅、共同住宅、さらには自動販売機にまで防犯カメラが設置されている時代。また、「あおり運転暴行事件」でも注目されたように、乗用車搭載のドライブレコーダーには歩行者が写り込んでいる。そうした記録媒体に何の痕跡も残さず生活していくのは、もはや不可能とさえ言える。

「現在、警視庁刑事部には捜査支援分析センターが置かれています。ここには常時、100人余の捜査員が詰めている。事件発生後、その近隣から提供された録画資料を借り受け分析、服装や身体の特徴から、特定の人物の行動経路もずっと追尾していくことができます。しかも録画資料は証拠能力も高い」(警察関係者)

 時は残酷にも25年目の秋を告げたのである。

デイリー新潮編集部

2021年9月9日 掲載

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日大本部など捜索 背任容疑の関係先 病院建設工事めぐり・東京地検

2021年09月10日 12時27分33秒 | 事件・事故

9/8(水) 15:08配信

時事通信

東京地検特捜部による家宅捜索が行われた日本大本部=8日午後、東京都千代田区

 日本大付属病院の建設工事に関連した契約をめぐり、大学関係者が大学側に損害を与えた疑いがあることが8日、関係者への取材で分かった。

 東京地検特捜部は同日、背任容疑の関係先として、東京都千代田区の日大本部などを家宅捜索。押収した資料を分析し、同大をめぐる不透明な資金の流れについて実態解明を進める。

 日大本部の他に捜索されたのは、日大が出資して設立した関連会社で、物品の調達や施設の管理・運営を担う「日本大学事業部」(世田谷区)や、田中英寿同大理事長の自宅(杉並区)など。

 関係者によると、不正の疑いがあるのは、日大医学部付属板橋病院(板橋区)関連の契約で、日本大学事業部が関わっていたという。

 同病院は1970年に完成。地上8階、地下2階で1000床以上の病床を抱える。老朽化が進み、地震による倒壊の危険性もあることなどから、数年前から建て替えの計画が検討されていたという。

 日本大学事業部には午後1時10分ごろ、段ボール箱を持った地検の係官数人が入った。田中理事長の自宅があるビルでは、午後5時半ごろに係官が段ボール数箱を車に積み込んだ。

 捜索について日大広報課は「地検が捜査中であり、事実関係を把握していないことからコメントは控える」としている。 

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