2019年8月2日 注目の発言集
女性3人強盗殺人罪の
平成16年12月から1か月余りの間に、福岡県内の路上や公園で通りすがりの3人の女性を次々に殺害し、現金を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われ、死刑が確定していた鈴木泰徳死刑囚ら2人に刑が執行されました。
死刑が執行されたのは、
▽鈴木泰徳死刑囚(50)、
▽庄子幸一死刑囚(64)の2人です。
鈴木死刑囚は平成16年12月から1か月余りの間に、福岡県飯塚市、北九州市、福岡市の路上や公園で、通りすがりの女性3人を次々に殺害して現金を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われ、その後、死刑が確定していました。
庄子死刑囚は平成13年に仲間の女と、神奈川県大和市で当時54歳と42歳の主婦を相次いで殺害して現金を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われ、その後、死刑が確定していました。
死刑執行 去年12月以来
死刑の執行は去年12月以来で、山下法務大臣のもとでは2回目になります。
第二次安倍内閣発足以降では、2日の執行は16回目で、合わせて38人になりました。
鈴木死刑囚 裁判の経緯
1審と2審はいずれも死刑を言い渡し、被告が上告しましたが、平成23年に最高裁判所は「1人で歩いていた被害者を見つけて追跡した計画的な犯行で、何の落ち度もない被害者3人の命を奪った責任は極めて重大で、極刑はやむをえない」として上告を退け、死刑が確定していました。
庄子死刑囚 裁判の経緯
1審と2審が死刑を言い渡したのに対し被告が上告しましたが、平成19年、最高裁判所も「周到な準備をしたうえで何ら落ち度のない被害者に暴行を加えて、惨殺し、金品を奪うなどしていて誠に凶悪だ。一瞬にして平和な家庭を崩壊させた責任は極めて重い」と指摘し、上告を退け、死刑が確定していました。
日弁連会長「再審請求中の死刑執行は問題」
法務省は、死刑が執行された2人が再審=裁判のやり直しを請求していたかどうかを明らかにしていませんが、日弁連=日本弁護士連合会によりますと、2人のうち、庄子幸一死刑囚(64)については、再審を請求中だったことが確認できたということです。
日弁連=日本弁護士連合会の菊地裕太郎会長は「1980年代には死刑が確定していた4つの事件が再審で無罪になるなど、現実的に誤判やえん罪の危険性がある中で、再審請求中の死刑執行は問題が残る。国際社会の潮流は死刑廃止に向かっていて、現実的に死刑を執行している国は、今や少数になっている。日弁連は、本日の死刑執行に対し強く抗議するとともに、東京オリンピック・パラリンピックが開催される来年までに死刑制度の廃止を求める」という声明を出しました。
#死刑
3人の女性を殺害した元死刑囚・鈴木泰徳の素顔「奪った携帯でアダルトサイトにアクセス」「パチンコやスナック遊びで夫婦生活を拒絶され…」
9/20(月) 11:12配信
文春オンライン
《1カ月間で三女性を殺害》福岡強盗殺人事件の全貌「顔が腫れあがり、鼻血を出していた」「わいせつ目的で襲われ、殺害された」 から続く
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
「蚊も人も俺にとっては変わりない」「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」。そう語るのは、とある“連続殺人犯”である。
“連続殺人犯”は、なぜ幾度も人を殺害したのか。数多の殺人事件を取材してきたノンフィクションライター・小野一光氏による『 連続殺人犯 』(文春文庫)から一部を抜粋し、“連続殺人犯”の足跡を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
◆ ◆ ◆
CASE3 鈴木泰徳
福岡3女性連続強盗殺人事件
配送中に殺人
©️iStock.com
「小野さん、福岡の事件で動きがありました。福田祥子さん(仮名)の携帯電話を持っていた直方(のおがた)市の男が、今日の未明に占有離脱物横領容疑で逮捕されたようです……」
大阪での取材を終えた私の携帯に、福岡市の事件で世話になった地元の記者から連絡が入ったのは、その年の3月8日昼のこと。殺人での再逮捕があるならば、行き先を福岡に変更したほうがいいと頭を巡らせていた私に、記者は言葉を重ねた。
「それで、その男は福岡の事件だけでなく、飯塚の事件と、あともう1つ、北九州で昨年末に起きた事件にも関与しているようなんです」
「ええっ!」
思わず声を上げた。それはまさに青天の霹靂ともいえる話だった。礼を言って電話を切り、新大阪駅では迷わず博多行きの切符を買った。
北九州の事件とは、04年12月31日の早朝、同市に住むパート主婦の大倉聡子さん(仮名・当時62)が、勤め先のスーパーに向かう途中の路上で、何者かに刃物で背中と腹を複数箇所刺されて死亡したというもの。発生時に取材はしていなかったが、大倉さんが持っていた現金(後に6000円と判明)の入ったバッグが奪われており、殺意が認められれば強盗殺人という事件だった。
そこで逮捕された男というのが、直方市に住む“土木作業員”の鈴木だった。彼には妻と幼い子供2人がいるという。
地図上では、事件が起きた飯塚市、北九州市、福岡市を線で結んだ三角形の中心に、鈴木の住む直方市がある。さらにそれぞれの犯行日を振り返ると、12月12日(午後11時半ごろ=犯行予想時刻、以下同)、12月31日(午前7時ごろ)、1月18日(午前5時半ごろ)と、ほぼ一定の周期だった。
困った存在でした
福岡入りして取材を始めてからわかったことだが、これらの犯行当時に鈴木は、土木作業員ではなく運送会社に勤め、トラックで生鮮食品などの配送をしていた。その配送エリアのなかに、彼が犯行に及んだ3つの地域が含まれていたのだ。
しかも、事件が起きた日のうち2日は鈴木の出勤日で、犯人だとすれば犯行後に何食わぬ顔で仕事をしていたことになる。鈴木がかつて勤めていた運送会社の関係者は言う。
「鈴木は12月13日の午前4時に福岡方面に向かって出発しているので、最初の事件は仕事前の犯行です。次の事件があった12月31日は休みでしたが、犯行現場は鈴木が仕事で使う、田川市から北九州市に向かうルートのすぐそばで、保冷車のタコグラフを見ると、その数日前から現場の近くで停車していた記録が残っています。さらに1月18日は午前3時過ぎに福岡市に向かい、納品作業をして午前5時から5時40分まで休憩。続いて午前6時から納品作業をしていますので、途中の休憩時間にやったのだと思います」
周囲で鈴木の変化に気付く者はいなかった。もっとも、鈴木が同社に入ったのは最初の犯行のわずか2カ月前の04年10月だったことから、それも無理はない。関係者は続ける。
「鈴木は事故を何度も起こしていて、困った存在でした。11月の試用期間中に“独り立ち(単独運転)”をしたのですが、そこでまず自損事故を起こしました。それで数日間謹慎処分を受けて、12月18日からふたたび独り立ちしたのですが、(05年)1月上旬には2度目の事故を起こしています。福岡市で事件を起こした18日は、謹慎処分後に運転を再開した日でした。しかしその翌日の19日未明にまた事故を起こしてしまい、22日に退職したのです」
以来、3月に逮捕されるまでの間は土木作業員をしていたため、逮捕時に発表された職業がそのようになっていたのだ。
底知れぬ無自覚
自宅周辺の聞き込みでは「子煩悩で、子供を連れてよく出かけていた」という話や、「腰が低くおとなしい感じだった」などという話も出てきたが、それ以外に聞こえてくるのは、ほとんどがネガティブな内容だった。それも“借金”と“女”にまつわる話ばかりだ。さらにそこに“キレる”という要素も加わる。
そもそも、鈴木が犯人として浮上したきっかけと、身柄確保時の状況からして異常だった。知人の記者は呆(あき)れ顔で話す。
「鈴木は祥子さんから奪った携帯を使い、出会い系サイトなどのアダルトサイトに頻繁にアクセスしていました。その理由は『通信料が惜しかった』というもの。携帯電話の電波で位置が特定できることを知らずに使い続けたため、2月中には容疑者として浮上したのです。ちなみに、パチンコやスナック遊びなどで多額の借金を抱えていた鈴木は、看護師の妻から愛想を尽かされ、夫婦生活を拒絶されていました。身柄を確保されたときも、借金のことで責められるのが嫌で自宅に帰れず、近くに停めた自家用車内で、祥子さんの携帯からアダルトサイトに接続している最中でした」
もしこれが下着泥棒の犯人がとった行動であるならば、“愚か”の一言で片付けることもできるが、3人の命を奪ったあとの行動なのである。私は鈴木のその底知れぬ“無自覚”に、ただならぬものを感じた。
鈴木は直方市の南に位置する町で、自動車整備工場を経営する家に生まれた。直方市内の中学校から鞍手(くらて)郡宮田町(現:宮若市)にある公立の農業高校を経て、自動車関係の専門学校を卒業してからは、04年5月まで実家の整備工場で働いていた。
高校時代の同級生によれば鈴木は「そんなに目立つタイプではなかった」そうだが、印象に残っていることがあるという。
同級生が語る鈴木の本性
「自分らとは腹かく(腹を立てる)場所が違うというか、どうでもないことで急にキレるタイプなんですよ。あいつはちょっとだけ柔道部に入ってたんですけど、冗談で足技をかけたりすると、腹ばかいて、手加減なく相手を投げ飛ばしたりするんです」
別の同級生の自宅を訪ねたときのことだ。彼、只野宏一郎さん(仮名)は戸棚から葉書を取り出して私に見せた。それは鈴木が2000年の正月に只野さんに宛てた年賀状だった。裏面を見ると、前年に行われた結婚式で、タキシードとウェディングドレス姿でケーキカットをする鈴木と妻が写っていた。只野さんは鈴木の顔を指差し語る。
「鈴木は奥さんが看護婦をしよるとよく自慢してました。何度か直方の繁華街で飲んだりしたんですが、結局は“ええかっこしい”なんですよ。あいつには馴染みの飲み屋が何軒もありました。そこに常連のような顔をして寿司折りとかを持って行き、店では大盤振る舞いをして、女の子の歓心を得たりするんが大好きやったんです」
鈴木は自分の身の丈以上にカネを遣い、無計画に借金を重ねていたとの、嘆息混じりの言葉が続く。
「友だちやら、消費者金融なんかにカネを借りまくってました。それで借金取りがやってきて、あいつの親父さんが肩代わりしたことも何度かありました。前に親父さんに会ったとき『(鈴木の借金が)たぶん1000万くらいあったんじゃなかろうか』という話も聞いてます。整備工場を辞めたのも、奥さんに内緒で自宅を抵当に入れて数百万のカネを借り、それがバレて勘当されたからなんです」
自宅を抵当にした借金は、鈴木の父親の援助で弁済した。只野さんによれば、鈴木は懲りずに、その後さらにもう一度、自宅を抵当に借金をしたのだそうだ。それが04年9月ごろにバレてしまい、夫婦関係は破綻していたという。
小野 一光/文春文庫
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