9/16(木) 11:12配信
文春オンライン
藤井聡太の勢いが止まらない。お~いお茶杯王位戦と叡王戦では豊島将之竜王とのダブルタイトルマッチを制して自身初の三冠に。さらに竜王戦挑戦者決定戦で永瀬拓矢王座を下して、こちらでも豊島との七番勝負が始まる。王将リーグにも復帰しており、目下のところ、指す将棋をすべて勝っているような状況である。
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1対局に最低3日は用意したいところだが…
藤井聡太三冠 写真提供:日本将棋連盟
そうなると、心配されるのはハードスケジュールだ。勝てば勝つほど忙しくなるのが将棋界の常なので、こればかりは仕方がないところだが、外野が気をもんでしまうところでもある。
筆者がいろいろな棋士に見聞きした限りでは、対局前日は空白にして翌日に備える。そして、対局翌日は疲労でほとんど使い物にならない、というケースが多いようである。無論、その対局に要した時間などでも状況は変わってくるだろうが、当日を含めて1対局に最低3日は用意したいというのが棋士のリズムだろう。
そうなると、1週間に2局以上指すペースはハードスケジュールと言えそうだ。最近の藤井は6月が7局、7月が7局、8月が9局、9月が叡王戦第5局終了時点で2局(未放映のテレビ棋戦を除く)となっている。この数字だけを見るとハードスケジュール一歩手前という感じだが、この夏の藤井はタイトル戦の対局が多かったため、1局に拘束される日数がより多くなっている。さらには、公式戦ではないとはいえ、ABEMAトーナメントの生放送もあった。
将棋界におけるハードスケジュールについて、改めて考えてみたい。
現在のタイトルホルダーの月間最多対局数
まず、現在のタイトルホルダー4名がもっとも忙しかった1ヵ月というのはいつだったのだろうか。それぞれの月間最多対局数及び勝敗、それを記録した年月は以下の通りである。
・渡辺明名人=8局
2008年12月(6勝2敗)、2020年2月(4勝4敗)
・豊島将之竜王=9局
2018年3月、6勝3敗
・藤井聡太三冠=11局
2020年7月、9勝2敗
・永瀬拓矢王座=9局
2020年10月、7勝2敗(同年9月に8局指し、4勝4敗)
こう見ると藤井の月間11局というのは出色だ。ちなみに敗戦2つの内訳は、棋聖戦第3局で渡辺に喫したものと、竜王戦決勝トーナメントで丸山忠久九段に敗れたものである。棋聖戦と同時進行の王位戦でも木村一基王位(当時)に2連勝し、二冠確保の橋頭堡を築いていた。この間、連戦が1度、中1日対局が2度、そしてTV棋戦収録による1日2局が一度あった。
渡辺、豊島、永瀬のハードスケジュール
渡辺の08年12月は、初代永世竜王をかけて羽生善治九段と死闘を繰り広げていたときだ。3連敗のがけっぷちから一番を返して、この12月を迎えた。果たして3連敗からの4連勝という大逆転で竜王を死守し、永世竜王の資格を得た。この防衛で力を使い果たしたわけでもないだろうが、12月の2敗は竜王戦終了後の2連敗である。
そして20年2月は勝敗だけ見ると平凡だが、対局の内訳は王将戦七番勝負の対広瀬章人八段戦(1勝1敗)、棋王戦五番勝負の対本田奎五段戦(1勝1敗)、叡王戦挑戦者決定戦三番勝負の対豊島竜王戦(1勝2敗)、順位戦A級の対三浦弘行九段戦(1勝)と、ものすごく濃密な一月である。そして、叡王戦の挑戦こそ逃したが、王将と棋王はいずれも翌月に防衛を決め、A級では名人挑戦を果たしている。
豊島の18年3月は、伝説の順位戦A級6者プレーオフが行われた時である。A級初参加の豊島は6勝4敗(この期は11人リーグ)と勝ち越しで終えたが、6勝4敗は豊島を含めて計6名いた。名人挑戦者を決めるプレーオフは3人以上だとパラマス形式で行われるため、順位が最も下位である豊島は、挑戦権に至るまでは「5人抜き」の必要があった。A級の猛者を相手にである。
それでも久保利明、佐藤康光、広瀬章人の強敵を連破したが、4局目で羽生善治に屈し、名人挑戦はならなかった。また、この3月は並行して久保との王将戦も戦っていたが、こちらも敗れてタイトル奪取はならず。豊島が自身の悲願を実現したのは、この4ヵ月後だった。
20年秋の永瀬は、まずコロナ禍の影響やタイトル戦史上初の2局連続持将棋などもあり、叡王戦を長期にわたって戦うことになった。七番勝負が第9局にて決着を見たのが9月。そして叡王戦と入れ替わる形で始まった王座戦五番勝負でもフルセットの死闘となり、からくも久保利明を下している。そして10月には、王将戦の挑戦者決定戦リーグが3局あったのも大きい。その結果は2勝1敗だが、藤井聡太を下したのが大きかったか、自身初となる王将挑戦に結びつけている。一連のハードスケジュールについて「表現を求められたら、精神修行、としか言いようがないですね」と語ったのが永瀬らしい。
息つく間もなく死闘が繰り広げられた2000年度の羽生
では「過去に最もハードスケジュールだったのは?」と考えると、まず思いつくのが年間最多対局の89局(68勝21敗)を記録した2000年度の羽生である。中でも7~9月の3ヵ月が凄まじい。
・7月、10局(連戦が1度、中1日が2度)8勝2敗
・8月、11局(連戦が1度、中1日が5度)9勝2敗
・9月、11局(連戦が2度、中1日が2度)8勝3敗
上記ではいずれにも含んでいないが、8月31日と9月1日も連戦している、そして7月31日と8月2日を中1日で指している。この間、棋聖戦と王位戦ではいずれも谷川浩司九段を相手にフルセットの激戦を繰り広げ、挑戦者決定トーナメントを勝ち上がった竜王戦では佐藤康光九段と挑戦者決定戦を争い、谷川との死闘が終わったと思ったら息をつく間もなく、藤井猛九段との王座戦及び竜王戦の十二番勝負が始まるという按配である。
藤井聡太が最も破りにくい羽生の記録
ちなみに、羽生は自身が持つ記録の中で藤井聡太が最も破りにくいであろう記録として、この年の年間89局を挙げている。その理由は、現在なくなっているオールスター勝ち抜き戦の存在だ。勝てば勝つほど対局が増えるこの棋戦で、この年の羽生は16連勝を達成しているが、上記の7~9月の3ヵ月で8つの白星を稼いでいる。
今年度ここまで31局(26勝5敗)の藤井が今後、年度末までにどこまで対局を積み重ねられるかを概算してみたが、最大でも50局ちょっとなので、89局には至らなそうである。
なお、羽生九段は、藤井が対局数を破れないであろう理由のもう一つに「タイトル保持者となったので予選を指す機会がない」ことを挙げているが、当時の羽生が予選と名のつく対局を指した回数は「ゼロ」なので、こちらはちょっと説得力がない。
そして、過去の年間80局を達成した棋士と、その中で一月に10局以上指した例は以下の通りだ。
・米長邦雄、1980年度、88局(55勝32敗1持将棋)
7月、10局、7勝3敗
・谷川浩司、1985年度、86局(56勝30敗)
11月、12局(連戦が2度、中1日が3度)、6勝6敗
12月、10局(連戦が2度)、6勝4敗
・佐藤康光、2006年度、86局(57勝29敗)
12月、10局(連戦が1度、中1日が5度)、5勝5敗
・中原誠、1982年度、82局(52勝30敗)
12月、12局(連戦が2度、中1日が5度)、6勝6敗
・羽生善治、1988年度、80局(64勝16敗)
月10局以上は1度もなし
忙しすぎて大みそかに対局が組まれた谷川
歴史に名を残す名棋士ばかりだが、さすがに月間10局を超えると負担も大きいのか、高勝率を挙げるというわけにはいかない。だが、月間12勝1敗というとんでもない成績が残っている。1991年12月の谷川だ。
当時の谷川は、森下卓九段が挑戦してきた竜王戦七番勝負の防衛戦(12月だけで3勝0敗)を戦うと同時に、当時は年2期制だった棋聖戦五番勝負でも南芳一棋聖(当時)に挑戦し、こちらも2勝0敗。さらに王将リーグでも2勝して(リーグ成績は4勝2敗)、中原誠十六世名人とのプレーオフに持ち込んだ。
プレーオフが行われたのは、なんと12月31日。いうまでもなく谷川がハードスケジュール過ぎて、この日以外に対局がつけられなかったのである。将棋の公式戦が大みそかに行われたのは前代未聞で、その後もイベントが行われたことはあったが、公式戦の大みそか対局はない。
この大みそか対局は王将戦の挑戦権だけでなく、谷川の通算600勝と中原の通算1000勝が同時に掛かっていたという意味でも大一番だった。結果は谷川が勝って王将挑戦を決めたが、「大みそかに取材に来る羽目になるとは……」とボヤいていた方が多かったらしいというのは、筆者が先輩記者に聞いた話である。
月間の対局数ではさらに上が
谷川の月間12勝は、羽生の年間89局68勝に匹敵するほどの不滅の記録と言えそうだが、月間の対局数ではさらに上がいる。1975年12月の大山康晴十五世名人だ。なんと15局(9勝6敗)も対局がついているのである。そのうちの1局は大山の不戦勝だが、対局が予定されていたことには違いない。
中でも12月9日がすさまじい。この日は午前中に東京の芝公園スタジオで行われていた早指し選手権で真部一男四段(当時)を破ると、午後には赤坂のホテルオークラに移って名将戦決勝三番勝負の第3局を中原名人と戦っているのである。さすがに対中原戦は敗れているが、早指し選手権の対局開始が午前10時37分で、終局が午前11時40分。そして名将戦の対局開始が午後1時半で終局が午後5時50分。現在でも持ち時間の短い棋戦を連闘することはあるが、まったく異なる棋戦を同一の日に行ったのはこの時の大山くらいだろう。
戦っていたタイトル戦番勝負は十段戦(竜王戦の前身棋戦)と棋聖戦、そして王将リーグでプレーオフにもつれこんだというのは前述の谷川と同一のケースだ。大山の場合は、大みそか対局こそないが、18日に順位戦A級を指すと、19日に王将リーグ。これが不戦勝の1局だが、以降は21日、23日、25日、27日、29日と中1日の対局を5連闘(3勝2敗)である。十段戦は中原相手に0勝4敗で負かされていた(12日に決着)が、ここで1勝でもしていたら、それこそ対局のつけようがなかったのではなかろうか。
谷川の91年は75局(53勝22敗)、大山の75年は73局(48勝25敗)と、年間対局数としては多いほうだが、80局には至っていない。それでもこのような超ハードスケジュールの月が出てきてしまった。当時の大山は、まだ日本将棋連盟の会長にこそなっていなかったものの、現在の将棋会館の「将棋会館建設委員長」も務めていた。一体どうやって時間を作っていたのだろうか。まさに超人である。
今後、藤井に求められる「将棋界の顔」としての働き
現在の藤井聡太に話を戻すが、師匠の杉本昌隆八段に聞いた限りでは、将棋以外の仕事はほとんど入れていないそうである。ただこれからも勝ち続ければ、今以上に「将棋界の顔」としての働きが求められるであろうことは容易に想像がつく。コロナ禍が収まれば、将棋まつりなどのイベントも復活することが予想され、そちらへの出席も求められるだろう。
そして、現在のプロ将棋は、昭和あるいは平成時代の将棋と比べて、特に事前の準備が求められている。ただでさえ多忙な中でどうやって研究時間をひねり出すか。凡人からみると勝てば勝つほど悩みは尽きなそうだが、そのようなことを考える時間も藤井にとっては楽しいひと時なのかもしれない。
※藤井聡太三冠の2021年8月の対局数を「8局」としておりましたが、正しくは「9局」です。お詫びして訂正いたします(2021年9月16日18時追記)。
相崎 修司