2021年9月16日 公明新聞
編集メモ
「暴力革命の方針に変更はない」。加藤勝信官房長官は14日の記者会見で、日本共産党への認識を巡る質問にこう答え、従来の政府見解に変更がないと表明した。これに対し、同党は「デマにデマを重ねるもの」(志位和夫委員長)などと猛反発している。
だが、同党が1950年代に全国で凄惨なテロ行動や“警官殺し”などの暴力による破壊活動を行ったことは厳然たる歴史的事実であり、裁判所も認定している。
こうした事実があるからこそ、共産党は①暴力革命唯一論に立つ方針を明示した「1951年綱領」などに基づいて武装闘争の戦術を採用し、各地で殺人事件や騒乱事件などを起こした②その後も暴力革命の可能性を否定することなく現在に至っている――との政府見解が、現在の立憲民主党幹部が要職を占めた民主党政権の時代も含め、長年貫かれているのである。
これに対し、共産党は、暴力主義的破壊活動を展開した基となった「51年綱領」について、最近では「党の正規の機関が定めた文書ではなく……分派が勝手に作った文書」(2019年3月2日付「赤旗」)と決め付け、「『暴力主義的破壊活動』の方針なるものを、党の正規の方針として持ったり、実行したりしたことは、ただの一度もない」(8月の講演で志位委員長)などと強弁し、躍起になって否定する。
しかし、「51年綱領」が正規の方針だったことは共産党自身が認めていた。
そのことを示す根拠は同党内の随所にあるが、例えば、1958年の第7回党大会で51年綱領を「一つの重要な歴史的な役割を果たした」などと高評価し、62年に出版された党中央委員会発行「日本共産党綱領集」には、「51年綱領」が一時期における党の正規の綱領・方針として登録されているのである。
ところが、それから三十数年もたってから、共産党は、93年6月25日付「赤旗」2面に突如として、51年綱領を「文書」に格下げする旨の記事を掲載した。
これをもってか、まるで50年代の一連の共産党が犯した軍事闘争・暴力主義的破壊活動は、もう「党の正規の方針」に基づくものではないとの論拠にし、しかも「分裂した一方の側がやった」との責任回避の姑息な言い逃れも繰り返している。
だが、それは誰が見ても党史をねじ曲げ、ごまかす茶番としか映らない。恥知らずで不誠実な態度だ。
結局、そのウソを守るために共産党を挙げて「デマにデマを重ねている」のである。(之)