それは愚然というものであった。
ビルの下で、店(インフィニティー)のボーイ二人とともに、フィリッピンホステス二人がチラシを配布していた。
高原雄一がチラシをホステスの一人から受け取ると5000円とあった。
数日前に通りかかった時は3000円のサービス券も配っていた。
もう一人のホステスが帰国したアグネスのルームメイトのテスであったので、無視できない気持ちとなる。
アグネスのサヨナラパーティーの日、高原は同僚が急病となり代わりに福岡に出張となる。
同僚は早朝、異常なまでの腹痛に堪え難くなり、救急車で病院に運ばれた。
胆石による激痛であったのだ。
店は3階で、テスが高原を案内する。
「タカハラさん、アグネス泣いていたよ。サヨナラパーティーこなかったね。仕事だったの?」
「悪いことしたな。アグネスがっかりしたろうな」彼には疑似恋愛を演じたことの後ろめたさもあった。
広い店内に客の姿はまばらだった。
テスが何時もの正面の席に高原を案内する。
高原は、店の奥からアグネスが出て来るよな、不思議な感情に支配された。
ある日は、上野公園、忍ばずの池、アメ横などへアグネスを連れて行く。
また、日比谷公園、皇居方面、銀座へ足を向けた。
アグネスの帰国が決まった日には、浅草を案内した。
彼女が選らんだお土産は数人の妹たちのために買ったもので、彼は5000円余を奮発する。
「エミリーお別れだね」と浅草寺の参道で言ってしまう。
「わたし、エミリーでない。エミリーはだれ? わたしのなまえは?」
高原は沈黙して、アグネスの手を握る。
「アグネスね。わたしの名前わすれた?」
こころの優しいアグネスは、エミリーのように嫉妬深くなかった。
<エミリーの二の舞は、もう嫌だ。アグネスとはあくまで淡白でいこう>という思いでデートを重ねた。
だから、一度もアグネスを抱こうとはしなかった。
アグネスのルームメイトのテスが言っていたことが頭から離れなかったのだ。
「千葉の店で男にだをまされた。もうだまされない」
知的に見えたテスはフィリッピンの国立大学の医学部出身の産科医あったのだ。
「たかはらさん、わたし、日本の病院で働きたい」と言っていた。
高原は、この時イラン人のハミードのことを重ねて想った。
ハミードはイランからフィリッピンに移住して、偶然にもテスと同じ大学の医学部を出て、フィリッピン在住の日本人の恩師の伝手で日本の医療機関で何とか働けなかいかと来日した。
高原たちは、ハミードが研修医をして勤める道を模索してみたが実現せず、結局ハミードはカナダに移住して願いを叶えていた。
「テス、カナダに行けば」と高原は言ったが、テスは日本人の妻となった千葉に住む姉を頼りに来日していたのだ。
「生活」を感じさせるフィリッピンホステス達に高原は親近感と好感を抱いていた。
離婚して独り身の高原は、あくまでも疑似恋愛を演じ切ろうとしていた。
日本の男に中には<いい人>も存在するのだと・・・
「アグネスの写真ある?」右に座るテスが言う。
高原はソファーの脇に置いたバッグを引き寄せた。
その時の様子をララが隣の席で見ていた。
ララも映っている十数枚の写真をテスに手渡した。
「アグネスに、わたし写真送るよ。たかはらさん手紙書く」
「いや、書かない」彼は疑似恋愛を演じているのであり、特別な感情をこれ以上、引きづるまいと思う。
「あなた、優しいね。わたし好きになるよ」左側に座るミカが言う。
アグネスと同様にスペイン系の風貌である。
ボディコンスーツの身を寄せ、ほとんで抱きつくような姿勢になる。
浅草橋店(ワクワク)のエミリーと同様のサービスだった。
エミリーは甘えて身を寄せる猫のようなイメージだった。
ところで、エミリーは店で常に高原を一人じめする態度だったので、段々嫌気がさしてきた。
エミリーが店を休んだ日に、他のホステスを指名していた。
「指名はわたしだけね。いいね」性格が強いところは、別れた妻と似ていたのだ。
父親はスペイン人と言っていた。
高原が来店した日に、一度の挨拶もなくエミリーはこれ見よがしに他の客とチークダンスを踊っていた。
それ以来、エミリーとの関係に見切りをつけた。
「二人とも、場内指名していい」テスが問う。
「ああ、いいよ」
「一人、千円ね」
「いいよ」
高原は初めの体験の店フィリピンパブ・ワクワクで、5000円では帰れないことを知り尽くしていた。
結局、その後のドリンクと二つのオードブルの注文にも応じた。
「賞与が出たばかりだ。まあ、いいか」と鷹揚になる。
オードブルを見てキャサリンもやって来た。
「わたし、アグネスの代わりにテスのルームメートになった」エキゾチックな横顔のキャサリは歌手であった。
アグネスも歌手で、テスとララはダンサーとして来日していた。
「あのお客さん、タガログ語うまいね」ララが感嘆する。
舞台でホステスとデュエットするのは商社マンの新田浩平だった。
ショータイムとなり、7人のダンサーが踊り、その後、キャサリンが高原がリクエストした「慕情」を英語で歌う。
高原には、キャサリンが疑似恋愛を演じる対象になるような予感がしてきた。
参考:疑似恋愛
「疑似恋愛」とは、妄想や想像の中で恋愛を楽しむこと♡ 自分の頭の中で恋愛を進めていくので、好きな芸能人やマンガの主人公など憧れの人物との恋愛を謳歌できるほか、実在する好きな人との将来の恋愛をシミュレートすることもできます。
ただしリアルな触れ合いがないので、あくまでもバーチャルな世界での恋愛にとどまります。
「疑似恋愛」はどんなに長期間にわたって恋愛を楽しんだとしても、想像の世界の話。恋愛は、リアルな相手がいるのが大きな違いです。
人見知りな性格の人は、現実社会で誰かと出会っても、なかなか心を開くことができず距離が縮まりにくい傾向に。すると、リアルな人間関係が面倒くさくなってしまい、脳内だけで完結する疑似恋愛へと走りがちなようです。
(2)恋愛下手
恋愛をしてもすぐに振られてしまう、自分が相手に飽きてしまって長続きしない……など、「恋愛下手」と呼ばれる特徴のある人も、現実の恋愛を億劫に感じて疑似恋愛にハマってしまうことが少なくありません。