「どんな戦いであれ、腹を決めて徹している人間は強い」
真田は、改めて思った。
「今日は、誰も買わない車券を買うぞ!」 海老原修治が思いついたように言う。
真田は海老原の性格を知っているので、「口先に終わるな」と冷笑を浮かべた。
2-3の車券が本命であり、オッズを見たら2.5倍であった。
「2.3でかたいな」と周囲のファンがつぶやくと海老原はもう「誰にも買えない車券」が買えなくなった。
真田は人気薄のラインの3番手の8番選手に着目した。
1-5-8の並びである。
もし、1番選手が玉砕的に逃げたら5番と8番で決まるとレース展開を脳裏に描く。
「1番をマークする番手の5ではなく、3番手の動ける8番が1着でゴール線を突き抜けるかもしれない」と確信した。
中断を取るのが9-7-4である。
3-2-6のラインは後方に置かれ、捲くり(追い込むこと)不発になるのではないか。
真田は小さな手帳にレース展開を万年筆で描いた。
この日はレースが荒れていた。
多くのファンは懐具合を寂しくしていくばかりであった。
「今度こそ、本命が来る」と思い込むファンが増えてきた。
同時に「何がなんだか分からない」と頭を混乱させている。
つまり冷静でいられなくなる。
真田は常に熱くならず、冷静に競輪のレース展開を見てみた。
レースが荒れることで、それは走る選手にも微妙に影響するだろう。
本命選手には必要以上のプレシャーがかかるはずだ。
真田が予想したとおり、1番選手は果敢に先行した。
しかも、追走する別線のラインの9-7-4ラインは3-2-6の本命ラインを牽制して車間を大きく開けた。
つまり走行を緩めたのである。
本来なら1-5-8-9-7-4ー3-2-6の一列棒状で走行するのに、1-5-8----9-7-4-3-2ー6の状態となる。
8番と9番の間が約10メートルの車間となる。
その車間を見て、ファンたちは騒ぎだす。
「おい、何やってるんだ。3-2は届くのか?!」
結局、レースは8-5で決着したのだ。
みんなが呆然としていた。
そして引き挙げて行く本命の2番、3番選手に「バカ野郎、帰れ!」「くたばれ!」と口汚く罵声を浴びせていた。
配当金を告げる場内放送を聞いて、大きなどよめきが場内に起こった。
8-5は7万8400の配当であり、真田をその車券を5000円押さえていたのだ。
真田が払い戻したのは392万円であった。
「マスターはやっぱい、尋常じゃねいな。すげい!」
ご祝儀に1万円もらって海老原はハンチング帽を脱いで何度も頭を下げた。
「マスター何時も、ご祝儀もらってすまんな」
特別観覧席からゴール前を見下ろすと喫茶店「たまりば」の常連客がたむろしていた。
真田はみんなを連れて、キャバレー「桃山」へ行こうと思い海老原に告げた。
「下に麻生君たちがいるから、声をかけてくれ、桃山へ招待するとね」
「マスター、いいですね。桃山ですね」 海老原は喜色満面となり特別観覧席から走りだして行く。
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