ユゴーは「文句なしに今世紀(19世紀)の王者だった驚くべき男」と哲学者サルトルは評価した。
そのユゴーが小説「レ・ミゼール」の執筆を始めたのは、1845年の11月だった。
だが。1848年の「二月革命」まどのよって執筆は中断した。
さらに独裁者を糾弾したことで、亡命を余儀なくされる。
だが、亡命先で「「レ・ミゼール」を「レ・ミザルブル」に改題した。
ヴィクトル・ユーゴー(Victor Marie Hugo、1802-1885)は、フランスの詩人、劇作家、小説家、政治家で、ロマン派の旗手として知られる文豪で
小説家であるとともに、政治家としても活躍した。
七月王政時代には詩人として成功し、オルレアン家の保護を受けて生活し、『ノートルダム=ド=パリ』(1831)で人気作家となった。二月革命で成立した第二共和政では、はじめはオルレアン派の立憲君主政の立場だったが、次第に共和派に転じて行き、憲法制定議会や立法議会の議員にも選出されるようになる。議会で王党派が優勢になるとそれに反発し、大統領になったルイ=ナポレオンを支持した。
しかし、ルイ=ナポレオンがクーデタで議会を解散したてからは強く批判するようになった。
ナポレオン3世に抵抗
1852年12月、独裁権を握ったルイ=ナポレオン大統領が国民投票で皇帝ナポレオン3世になったことに強く反発し、武装蜂起を呼びかけ、それに失敗して英仏海峡の小島ガーンジー島に逃れ、その地で18年にわたる亡命生活を余儀なくされた。
この亡命生活中に代表作『レ=ミゼラブル』(1862)を書いた。
普仏戦争に敗れたナポレオン3世が退位すると、ユーゴーは国民の歓喜の中、パリに戻り、国民議会の議員となった。最後の小説はフランス革命を扱った『九十三年』(1872)であった。その死にあたっては国葬が営まれ、遺骸はパンテオンに埋葬された。
【ジャン=ポール・サルトル 現象学と自我 人間学 象徴主義と実存主義 行動
する知識人】