ヴィクトル・ユーゴーは政治家としても活躍

2024年11月20日 11時04分21秒 | その気になる言葉

ユゴーは「文句なしに今世紀(19世紀)の王者だった驚くべき男」と哲学者サルトルは評価した。

そのユゴーが小説「レ・ミゼール」の執筆を始めたのは、1845年の11月だった。

だが。1848年の「二月革命」まどのよって執筆は中断した。

さらに独裁者を糾弾したことで、亡命を余儀なくされる。

だが、亡命先で「「レ・ミゼール」を「レ・ミザルブル」に改題した。

ヴィクトル・ユーゴー(Victor Marie Hugo、1802-1885)は、フランスの詩人、劇作家、小説家、政治家で、ロマン派の旗手として知られる文豪で

小説家であるとともに、政治家としても活躍した。

七月王政時代には詩人として成功し、オルレアン家の保護を受けて生活し、『ノートルダム=ド=パリ』(1831)で人気作家となった。二月革命で成立した第二共和政では、はじめはオルレアン派の立憲君主政の立場だったが、次第に共和派に転じて行き、憲法制定議会や立法議会の議員にも選出されるようになる。議会で王党派が優勢になるとそれに反発し、大統領になったルイ=ナポレオンを支持した。

しかし、ルイ=ナポレオンがクーデタで議会を解散したてからは強く批判するようになった。

ナポレオン3世に抵抗

 1852年12月、独裁権を握ったルイ=ナポレオン大統領が国民投票で皇帝ナポレオン3世になったことに強く反発し、武装蜂起を呼びかけ、それに失敗して英仏海峡の小島ガーンジー島に逃れ、その地で18年にわたる亡命生活を余儀なくされた。

この亡命生活中に代表作『レ=ミゼラブル』(1862)を書いた。
 普仏戦争に敗れたナポレオン3世が退位すると、ユーゴーは国民の歓喜の中、パリに戻り、国民議会の議員となった。最後の小説はフランス革命を扱った『九十三年』(1872)であった。その死にあたっては国葬が営まれ、遺骸はパンテオンに埋葬された。

【ジャン=ポール・サルトル 現象学と自我 人間学 象徴主義と実存主義 行動
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1 コメント

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マルテンサイト変態千年リスペクト (サムライ鉄の道グローバル)
2024-11-27 07:56:03
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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