創作 心の原点 2)

2025年01月07日 00時39分25秒 | 創作欄

佐野昭は、26歳まで酒を飲まなかった。
そして、タバコも吸わなかったのであるが、それは酒乱であった父親孝蔵への憎しみの反映でもあった。
昭は、大学時代に交友に誘われたが、麻雀にも加わることが無かったのである。
それも、麻雀に明け暮れ、競馬競輪、競輪好きの父親への強い反発の表れでもあった。
越後湯沢の旅館2代目の父親は、女好きであり愛人となった仲居の木村愛と新潟へ度々行っていたのだ。
それは、新潟競馬や弥彦競輪が主な目的だった。
母親の美祢は、粗暴な夫から度々暴力を振るわれていて、仲居の木村愛の存在を黙認されいた。
だが、借金を重ねて新潟の暴力団員に追われた挙句に、父親は木村愛とともに家を出て行くここになる。
結局、湯沢の伝統ある旅館は、金融機関の斡旋で人手に渡るこことなる。
昭は、皮肉にも大学時代に府中競馬場で、ガードマンのアルバイトをする。
それは親密な交友で、画家の息子であった宗像修司の斡旋だった。

そのバイトは、1年生から3年生まで続けることとなる。

2人は、同じ大学のマドンナ的な存在である後輩の伊藤紀子を密かに恋していた。

その人は子役時代から映画に出ていて、高校生のころに映画俳優から身を引いていたことを他の友人の一人から知る。

「どうりで、あの人綺麗なんだね」宗像は納得する。

昭は父親に似て面食いであっので、改めて彼女に惚れこむ。

映画界とはほとんど無縁な2人は、後輩の伊藤紀子の映像を一度も観ていなかった。

彼女は医師の娘で、当初は医学部を目指していたのだが、心理学科へ進学する。

そして、友人との2人にとって言わば高嶺の花の人は、卒業後にアメリカの大学院へ向かうのである。

昭はサラリーマンとなって数年後の26歳の時に、会社の同僚に誘われて、中山競馬場へ向かっていたのだ。

 

 


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