1998年10月、韓国の金大中大統領(当時)は日本の国会で次のように演説をした。
「わずか50年にも満たない不幸な歴史のために1500年にわらる交流と協力の歴史全体を無意味にするということは、実に愚かなことであります」
668年に高句麗が滅ばされた。
このとき、じつに朝鮮半島から大量の難民が日本に入ってきた。
815年(弘仁6年)に天皇の命令で「新撰姓氏録」が編纂された。
当時の人々の名字のルーツを調査した。
その結果、1182の名字のうち326が渡来人だった。
これだけ多くの渡来人が、日本人と同じ文化圏、同じ生活習慣のもとで暮らした。
これは重要な歴史的事実である。
日本に仏教を伝来させたのは、中国大陸であり、朝鮮半島である。
仏教なくして日本文化はありえない。
つまり、朝鮮半島のおかげで、日本の文化と思想の骨格が形づくられた。
仏教伝来については、百済経由と高句麗経由の二ルートがあると言われている。
仏教伝来へ極めて平和的に進められた。
一方、キリスト教の伝道・布教は、帝国主義、植民地主義と結びやすい負の側面があった。
「彼らは植民地支配の危険とともなう人たちなのだ」と認識されていたらこそ、戦国末期や江戸時代にキリスト教徒への大弾圧が起きたのだ。
イエズス会の布教方式にも宣教師の組織構造にも、ピラミッド型の上下関係が明確にあった。
その構造が、大名支配の構造と対立したのは当然。
秀吉や家康はそれを一番恐れキリスト教弾圧に乗り出した。
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