「いじめ」は絶対に許さないとの気風

2017年01月26日 11時46分04秒 | 社会・文化・政治・経済
★「現場第一主義」
「社長になったとき、現場に近い社長でありたい」トヨタの豊田章男社長。
「販売台数」至上主義から現場重視。
「現地現場主義」重視へ。
★誰もが「あっ!そうだ。こうすればいいんだ」とひらめいた経験はあるはず。
雑談なムダでも暇つぶしでもない。
雑談をうまく使えば、思わぬアイディアも生まれる。
いきなりすごいアイディアは生まれない。
ひらめきを生むコツは、まず相手が必要なのだ。
★教育の原点は、子どもの幸福にある。
しかし、子どもにとって楽しく学ぶ場であるはずの学校が、いじめの深刻な問題により、生きる喜びが奪われてしまう。
昨年の調査でいじめなどの認知件数が22万4540件と過去最多。
「いじめ」は絶対に許さないとの気風を社会全体に確立することが、いじめの根絶につながる。
★雇用の安定や賃上げの上昇をもたらす。
経済成長一辺倒では格差が生じる。
中小企業の所得拡大の促進や、設備投資、イノベーション創出による生産性の向上。
働き方の改革。
「成長と分配の校循環」を。
★「短時間労働大国」のドイツは、労働者1人あたりの年間平均労働時間が経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も短いにもかかわらじ、生産性は日本を大きく上回っている。
企業の業績低下が長時間労働を必要とする理由にはならない。

「ミスキャスト」

2017年01月26日 06時55分55秒 | 創作欄
典子は同僚の甲子郎に恋心を抱いた。
不思議なもので、新宿の「桜の園」で甲子郎に出会ってから特別な感情を宿していたのだ。
縁であろうか、身近に恋の相手がいたのだ。
「典子さん、パチンコに行こうか?」
「パチンコですか?!」典子は驚いた。
午後5時30分、この日は取材の予定もなかったので2人は揃ってタイムレコーダを押して、社内を出た。
神田駅前のパチンコ店には、別の薬業界新聞の記者も来ていた。
多くの専門紙・誌は本町界隈に集まっていたので、ライバルでありながらプライベートで親しく交流していた。
この日はも数人が来ていた。
「皆、パチンコが好きなのね」典子は店内を見回して目を丸くしていた。
パチンコが終わって、度々麻雀屋へ移行していた。
初めてのパチンコで典子はかなり玉を出した。
玉は当時、現金に換えることはできなかったので、チョコレートや菓子類などに換えていた。
「典子さん、案外、パチンコの才能あるんじゃない」甲子郎は微笑んだ。
典子は甲子郎の優しい微笑みに好感を抱いていた。
それから二人は神田駅ガード下のバー「サンフランシスコ」へ向かう。
ママの園子は東京女子大を出て、アメリカ留学の経験もあっり、知的な女性であった。
32歳、独身であった。
甲子郎はママに惚れ込んだが、相手にされなかった。
「あら、甲子郎さん、彼女ができたのね」と園子は微笑んだ。
「会社の同僚なんだ」甲子郎が典子を彼女として紹介しなかったことに、典子は多少不満であった。
甲子郎はまだ、園子に未練を持っていたのだ。
店の女性である貴美が「甲子郎さん、ママの恋人みたいね」と言ったことがある。
ママの誕生日に花束を持って訪れた時である。
甲子郎は気分を良くした。
「私なんかに、惚れたらダメよ」と園子に言われた時は、突き放された思いがした。
1度だけ、甲子郎は園子の神楽坂のアパートに泊めてもらってことがある。
「いい、お友だちでいましょうね」と釘を刺されて泊めてもらったのである。
園子をタクシーで送って行った日であった。
「電車はもうないわね。泊まっていく」と言った時には甲子郎は驚いた。
九段下の旅館に泊まるつもりでいたのだ。
タクシーで小岩まで帰るより泊まった方が朝が楽だと思ったのだ。
厚生省の中央薬事審議会は度々、審議が深夜まで及んだ。
その度に、甲子郎は九段下の旅館に泊まった。
水道橋の記者仲間と麻雀をやってから、九段下の旅館を利用することになっていた。
近くのバー「桃」が記者仲間の溜まり場になっていた。
日刊の工業関係の専門紙の記者も来ていた。
甲子郎は「桃」のママの妹の絹子にも惚れたが、「彼氏がいるのよ」とママの陽子に告げられて、ガックリしたことがある。
「好きになる人はどこかに、きっといるはずよ。よく見たら、案外、身近にいるものよ」と陽子に励まされた。
「そうかな?それがいないんだ」と甲子郎は弱気となっていた。
「男は強気よ、積極的にならなければね」
劇団時代「ミスキャスト」と監督から言われたことで、甲子郎は劇団から離れた。
「弱気がいけなかったのか」甲子郎は挫折をパチンコで紛らわす日々となった。

副腎が腫れているかもしれないな

2017年01月26日 05時10分00秒 | 日記・断片
午後3時予約の北柏の慈恵医科大病院の腎臓高血圧内科へ行く。
前回、血圧が210 110でびっくり、余りの血圧の高さで、お腹のCT検査となる。
CT検査は取手東病院とJAとりで総合医療センターでも受けている。
3度目で、放射線で体内に被曝の影響は?と心配になり、聞く。
若手の放射線技師は、「大丈夫、ドアを閉めて衣服を脱いで、これに着換えて下さい」と撮影のための衣服を渡される。
CTは取手東病院と仰向きで撮影する同じ装置。
JAとりで総合医療センターの装置の方が大がかりなもので、あらゆる角度から撮影した。
血液から造影剤を入れての撮影で、「液が漏れるかもしれないので」と初めてオムツを着用した。
今日は、1時間ほど待ち、5分くらいで撮影は終わる。
内科医は、「もしかして、副腎が腫れているかもしれないな。ホルモンのバランスの問題で、半年後、再検査だな」とパソコンで色々入力しながらつぶやく。
血液検査の解析でかなりのことが分かるようだ。
パソコンに血液検査の結果が取り込まれていた。
外科で分からない血液検査なのだろう。
「他の臓器には異常はない」と外科医は言っていたが・・・
今日の血圧は、薬剤の効果で161 67となっていた。
1月20日は165 58 下が低すぎるので気持ちが悪くなる。
210 110の高血圧よりましだが・・・
別の患者は、「体に水が溜まっていますね。検査します。血圧が高すぎて心配なので、車椅子に乗ってください」
と看護師に言われ、「車椅子?! 自覚なまるでないけど、車椅子ですか」と驚いていた。
「ともかく、歩くのは危険ですから、車椅子で移動してください」と言われた。
見た目にも普通の顔色で、異常な感じがしない。
「水が溜まっているのなら、相当悪いんだね」と家人が言う。
「健康食品・サプリメントは止めてください」と言われてから、高血圧となる。
つまり、サプリメントの効果で、11月25日頃、東取手病院で測定した時点では血圧は167、94であったのだ。
JAとりで総合医療センターで血圧を測定した記憶はないので、血圧は問題にされなかったようだ。
次回の腎臓高血圧内科の予約は、2月15日。
入院しているのか、退院しているのか。
できれば、1週間くらいで退院したいものだ。
2月1日入院の予定、2日に大腸がんの手術。




富士山:1月25日午後5時23分~
取手・利根川堤防から撮影












取手市内 刃物切りつけ事件について

2017年01月26日 04時32分44秒 | 社会・文化・政治・経済
平成29年1月25日


取手市ゆめみ野地内で発生した刃物切りつけ事件について

1.事件発生  
平成29年1月25日(水)午前8時20分頃 取手市ゆめみ野地内

2.事件概要
20歳ぐらいの男性が首を切りつけられ病院に搬送され、意識はあるが重傷を負った。犯人は現在も逃走中である。(14時 現在)

3.市の対応
(1)保育園・幼稚園・小中学校・高校・大学へ事件発生の件を連絡。
   小学校・・・先生付き添いで、集団下校。
   中学校・・・部活、明るいうちに早めに切り上げる。

(2)11時55分頃 防災無線放送、メールマガジン発信。
   【放送内容】
「こちらは防災とりでです。取手警察署からのご協力をお願いします。本日、午前8時20分ころ取手市ゆめみ野地内で、男性が刃物で刺される事件が発生しました。犯人は現在のも逃走中です。不審者を見かけた場合には110番通報してください。」
(3)青色パトロール4台にてゆめみ野地内巡回実施。
(4)ゆめみ野付近の公園点検と公園利用者に注意喚起の呼びかけ(水とみどりの課職員3名)
(5)各防犯団体へ巡回協力依頼。
   以上。

絶対に事件に巻き込まれない
地域内の安全を祈って参りましょう!
よろしくお願い致します〓

地元茨城県の稀勢の里が横綱に

2017年01月25日 11時43分23秒 | 医科・歯科・介護
涙の初優勝で
“不器用”に綱とり


小学校4生から野球を始め、地元・長山中学時代はエースで4番。
自身の性格を「不器用」「神経質」と評する。
18歳3か月での新入幕は貴花田(のちの横綱貴乃花)に次ぐスピード出世。
そんな逸材が、不器用なりに粘り強く歩んで大願成就。
30歳で綱をたぐり寄せたのは、元隆の里の先代師匠と同じ。
15歳で入門して以来、その恩師に言葉遣いや食事の取り方など、力士の素養を叩きこまれた。
「忘れることはない。本当にたくさん。一つ一つ実行することが一番」
2011年11月に急逝した先代は生前、まな弟子を叱咤続けた。
「もっと泥臭く雑草魂で。目先の一勝でなく人生の勝利を」。
土俵の外では「謙虚さが美徳。分析と自分を鼓舞する力が必要」と心の成長を求めた。
2014初場所、右足を痛め休場。
「常に上を目指している。挑戦する気持ちは変わらない」と再起した。
重圧に弱いとの指摘も受けた。
「まだまだ自分も間違っていないという気持ちで、一生懸命やるしかない」
「結果を残してこそ、あのときはあったからと言える。そうでなければ、ただの過去。夢は見るもんじゃない。一番上での景色を見たい」。
試練を乗り越えての綱取りであった。

「生活不活発病」

2017年01月25日 11時08分39秒 | 社会・文化・政治・経済
「動かない」が原因。
1人暮らし。
食事は近くにあるコンビニの弁当類で済ませ、ソファに寝転んで本を読む毎日。
やがて1年ほど過ぎると、立ち上がるのが難しくなり、疲れやうくなったのを実感。
「これが『年を取る』ということか」
「年がから仕方ない」と考えるようになった。
実は、これが「生活不活発病」の始まり。
年のせいではなく、日常の生活が不活発になったことで、体や脳の機能が低下しているのだ。
「体も頭も使わないとなまる」と言われるが、高齢者がそれが想像以上に起きやすく、寝たきりにすらなるかねない怖さがある。
毎日あまり「動かない」ことで、生活動作が困難で疲れる「動きにくい」状態となる。
そこで、ますます「動かない」悪循環に。
友人との交流や地域活動等の「社会参加」が少ないことが原因で、結果的に生きがいも減る。
生活不活発病のサインは、「家庭での役割や社会との関わりが少なく“すること”がない」
「立ち上がり等の日常生活での動作が鈍い」の大きく二つ。
趣味もなく「仕事が生きがい」の、特に男性は要注意。
配偶者に先立たれるなどして「一人になったら、めっきり衰えた」と言われる人や、不安で閉じこもりがちになる人もいる。
充実した活発な生活は「残された人の使命」と考えるべきだ。
本人の「動く目的」が大切。
もっと生活を活発にして、楽しく充実した日々が送れるにしたいものだ。

言葉は心を動かす

2017年01月25日 10時43分23秒 | 社会・文化・政治・経済
★「あなたの人生を意味あるこのにすることができるのはあなただけです。なぜなら、その人の人生は、その人が作りあげる『作品』だからです。
他の誰も手助けすることはできません」作家・高橋源一郎さん
★言葉は心を動かす。
★生命尊厳の希望と正義の言論。
★法のため、友のため、社会のため、未来のための言論戦。
★新たな一日の始まりと共に、新しい力と考えが生まれる―アメリカの人権の母・エレノア・ルーズベルト
★前向きで、希望が湧いてくる文章、言葉。
★「陰の苦労」に徹して寄り添い、光を当てている。
陰の労苦とは人間主義の哲学そのものある。
★諦めかけた若者にアドバイス。
「大変な時こそ、成長のチャンスだよ。君の心が負けなければ、成功できる」
★自身の弱さ、臆病、怠惰、逃避、あきらめの心―それらを制してこそ、あらゆる勝利の扉が開かれる」
★環境に負けず、自分に負けず、勇気を奮い起して挑戦し抜く人が人生の勝利者と輝く。

1月24日(火)のつぶやき

2017年01月25日 02時12分30秒 | 医科・歯科・介護

賢く生きる知恵

2017年01月24日 11時58分56秒 | 社会・文化・政治・経済
★「人間教育」ともいうべき、“心の修練”が大切だ。
★「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」
★“人生の骨格や血肉”は、即席ではなく、十分な時間をかけてつくりあげるものだ。
★真の人生の財産は「心の財産」
★自分の可能性を信じ抜き、鍛練の日々を重ねるなかで幸福の軌道は着実に築かれる。
★一方的に話すリーダーは成功しない。
★大人にこそ絵本を。
絵本から感じたことに、優劣も善悪も正解もない。
絵本は人をつなぐ“架けけ橋”になり得る。
その先に“平和”な世界が待っていると信じています。
絵本のソムリエ・岡田達信さん
★我々の組織には「地域に根差す力」「小さな声をくみ取る力」「励まし続ける力」がある。
★我々は「地域を大切にする」存在でありたい。
★深い人生観から人間性を育む示唆を与える立場に。
★勝負は必ず勝たなければならない。
★青年なら社会の第一線で実証を示すことだ。
★体温が下がると、人の免疫力も低下しがちで、感染しやすくなり、インフルエンザにももなる。
★日々、賢く生きる知恵を発信していきたい。

 
 

喫茶店&スナック 「桜の園」

2017年01月24日 10時38分05秒 | 創作欄
奥田五月は薬剤師として病院の薬局に2年間勤務していた時に、取材に来た典子の生き生きとした姿に接してから、「薬業界の新聞社に勤めるものいいかな」と思うようになった。
典子の取材を受けた薬剤部長の小沢甲子郎の机に典子が書いた記事が掲載されている新聞が乗っていた。
「部長、この新聞お借りしたいのですが」と申し入れたら「どうぞ」と快諾してくれた。
タブロイロ版の1面の約半分のスペースに部長のインタビュー記事が載っていた。
五月は薬科大学時代、地域の文学仲間の同人誌にエッセーや創作を投稿しており、文章を書くことが好きであった。
そこで、典子に会って新聞社の様子を聞いてみることにした。
午後6時30分ころ典子と五月は神田駅前の喫茶店で落ち合ったのだ。
典子は五月と同じように青年を中心とした同人誌の同人であった。
主宰者の佐々木は詩人であり、新宿2丁目で喫茶店&スナックを経営していた。
その店・「桜の園」は夜は劇団員や詩人、画家などの溜まり場となっていて一種独特な熱気に包まれた。
妻の里美は劇団員であった。
典子は女子大の先輩の木島洋子に誘われ同人に加わっていた。
木島洋子は文学の新人賞を取ってから2度、芥川賞の候補にノミネートされていた。
洋子は新宿の図書館に勤務しながら創作を続けていた。
神田の喫茶店で30ほど二人は懇談した。
「良ければ、これから新宿のお店・桜の園へ行きませんか?」と典子は五月を誘った。
「面白そうなお店ね。是非、お願いします」と五月は応じた。
「もしかいたら、先輩の洋子さんに会えるかもしれない」と典子は期待した。
その店で典子は会社の同僚の真田守に会ったのはまさに危惧であった。
聞けば、真田は元劇団に所属していて、佐々木の妻の里美と親しい関係にあったのだ。
「この店で、君と会うとはね」同僚の真田は目を見開いていた。
「そうですね。私も驚きまいた」典子は改めて真田に親近感を抱いた。
そして典子は今までにない心の高鳴りを感じ初めていた。

女性の編集者・取材記者が誕生

2017年01月24日 08時15分19秒 | 創作欄
昭和40年代当時、薬業界には10社もの専門紙・誌があった。
堀内浩一は薬科大学時代に学内新聞の編集・取材に携わった経験から薬剤師としての勤務経験がないまま、薬業界新聞の記者となり、5年目には編集長になっていた。
前の編集長が独立して薬業雑誌を創刊したのである。
男の世界であった専門紙・誌にも女性の編集者・取材記者が誕生していた。
堀内は時代の流れを感じていた。
堀内には京都訛りがあった。
それがソフトな語り口で、女性たちの心を引き寄せていた。
優しさは彼の武器でもあった。
有楽町の都庁別館での薬業部長の定例会見の後、新人女性記者の熱心な質問に興味をもち誘った。
「お茶でも飲みますか?」人柄を表すような柔和な笑顔が人を警戒させない。
「はい」と返事をした戸沢典子は顔を赤らめた。
女子大学で学んだ典子には男性との付き合いが全くなかった。
高校も女子校であったのだ。
「どう、仕事になれましたか?」
「何とか」
「今日のあなたの質問は良かったですよ」
「そうでしょうか、編集長から積極的に質問しないさい、と言われて来ました」
銀座4丁目の喫茶店の2階窓から道行く多くの人々が見られた。
「皆どこへ向かうのだろう」典子は素朴に想った。
カップの男女の姿を目で追った。
22歳の典子は恋を欲していたのである。
目の前にいる堀内には妻子がいたが別居状態にあった。
堀内の浮気が別居の原因になっていたのだ。





「美人は美男を好まない」?!

2017年01月23日 23時06分35秒 | 創作欄
木村悟が酒を毎日のように飲むようになったのは、27歳の時であった。
それまでは、自ら酒を飲むことはなく、会社の同僚や仕事関係の知人たちに誘われ週に何回か酒を飲んでいたのだ。
悟は恋愛らしい恋愛をしたことがなかった。
自意識過剰で、心を動かされた女性に何度か出会ってきたが、自ら心を開くことが出来ずに居たのだ。
臆病であったのかもしれない。
彼は比較的面食いであったが、多くの場合、それなりに魅力的な女性には既に彼氏が居たのである。
あるいは、相手の女性は多くの場合、悟を眼中に置いていなかったのだ。
つまり、悟るは女性から見て魅力的な男性ではなかったと思われる。
悟の同僚の佐野孝作は、男が惚れ込むほどの端正な容貌であった。
しかも、営業マンとして際だった実績をあげており上司ばかりではなく、女性社員からも好意的に見られていたのだ。
悟は佐野の前で卑屈になっていた。
「君はハンサムでないから、美人に好かれるよ」と唐突に佐野が言うのだ。
「美人は美男を好まない」と佐野は持論を述べ、悟るを揶揄する。
社員食堂で二人は時々、文学談義をした。
佐野は大学でドイツ文学を専攻し、ドイツ語を話せた。
悟は国文学を専攻したが、ただそれだけのことであった。
古典文学や中世文学などを専攻していれば、それなりの専門知識を誇れただろう。
だが、近代・現代文学を専攻した悟には、何ら誇れるものはなかった。
大学で学ばなくても誰もが近代小説、現代小説を読んでおり、それなりの知識があり、文学談義もできるのである。
佐野は文学談義では、谷崎潤一郎、三島由紀夫、志賀直哉、有島武郎などについて語り、「それぞれの文体で創作ができる」と豪語していた。
佐野は営業マンであったが、社内報の編集責任者をしており、編集後記には格調のある文章を毎月掲載していた。
その佐野は悟が投稿した文章にかなり手を加えたのである。
悟なりに拘りのある文章を書いていたので、手直しは屈辱であった。
悟は一人、新宿のバーで酒を飲むようになっていた。
ウイスキーのロックを飲みながら、「店の女と親しくなれないか」などと目論んでいたのだ。