幸・不幸のカギ

2018年02月27日 05時52分19秒 | 社会・文化・政治・経済
「失敗の隣は成功」

地区の活動の活性化へ

会合は、誰もが気軽に参加できるものとする。
参加して楽しい、良かったと喜ばれる会合が期待される。

「健康セミナー」や「弾き語りライブ」など、内容も趣向をこらす。

人材を<育てる>とは、<会う>ことである。

仕事で壁にぶつかるなか「自分が変わらなかければ何もかわらない」と決意する。

一緒に共に行動し、対話を重ねる。

自身の生き方や将来に悩んだ時、自身が成長するほかないと気づく。

周りより劣って見える自分がつらかった。
しかし、自身を変革すると決めた時、姿勢が変わった。

「ダイヤモンドはね、たとえゴミ箱に捨てられていてもダイヤモンドなんだ。キラキラ輝いているから、見る人が見れば、すぐ分かる」
そのとおり!
すごい例えだ、と感嘆する。

「あれになろう、これに成ろうと焦るより、富士のように、黙って、自分が動かないものに作りあげろ」小説「宮元武蔵」吉川英治

変化の時代である。
ぶれない<自分>を持つ人は強い。
周囲と比べ一喜一憂する必要はない。
うまくいかない時も、自分らしく全力の挑戦を続けることだ。
必ず自分にしかできない、自分だけの使命がある。

幸・不幸のカギは、自己自身にあると自覚することだ。

「筋書きのないドラマ」

2018年02月27日 01時28分09秒 | 未来予測研究会の掲示板
競輪は筋書きのないドラマ。
輪子は分かつていのに、本命の5-3-1-8ラインが4車で走るレースなので展開が有利と思って、3-5-1を買っていた。
筋(並び)で買う競輪ファンが多いのは競輪の常道です。
「固いレースだよ」と強気に言う人もいて「このレースは筋書きどおりね」と輪子は思い込む。
ところが、本命の5-3-1ラインと対抗の2-9-7が逃げ争いとなり、結果として共倒れとなってしまった。
2番選手と5番選手が意地となり、どちらか一方が引けばいいのに譲らない状態に。
輪子にとってまさかのレース展開。
でも競輪では珍しいことではないのです。
京王閣競輪の9レースの並び(ライン)
2-9-7 5-3-1-8 6-4
結果
1着7番松澤 敬輔
2着6番菅谷 隆司
3着1番原 誠宏
2車単7-6 2万7020円(45人気)
3連単7-6-1 59万3550円(429番人気)

これで、輪子のリズムも狂ってしまう。
次の10レースは1-7-9を2000円買って裏目になる。
7-1-9で3連単3800円
2-9 7-1-5 3-8の並びのレース。
「裏目で泣く」と競輪ファンは自嘲気味に言っているです。
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三原脩が残した名言「野球は筋書きのないドラマである」
三原の野球観をあらわすと同時に、野球の魅力の本質をあらわす言葉として好んで使われる。
「求心力野球・遠心力野球」: 選手個々の自主性に任せてその能力を最大限に引き出す、自身の放任的主義的な野球を遠心力野球と表現し、監督の指揮の下に選手が駒としての役割を全うする野球を求心力野球と表現した。 「まだ首の皮一枚でつながっている」: 日本シリーズで三連敗し、もう後が無くなったと記者に質問されたときに、こう切り返した。
三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、香川県仲多度郡神野村(現:同県同郡まんのう町)出身のプロ野球選手(内野手。右投右打)・監督・球団経営者。
選手としては、1934年に発足した大日本東京野球倶楽部(後の東京巨人軍→読売ジャイアンツ)の契約第1号(日本初のプロ契約選手として紹介される場合[1] もあるが、1920年代に日本運動協会などが発足していたため、厳密には誤りである)。

監督としては、選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で数々の名勝負を演出し「三原魔術」と驚嘆され「魔術師」「知将」の異名をとった。日本プロ野球史上、日本野球連盟、2リーグ分立後のセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグ両リーグ加盟球団での日本選手権シリーズ(日本シリーズ)といった、3種類の優勝を経験した唯一の人物(セ・パ両リーグでの日本シリーズ優勝経験監督は、水原茂、広岡達朗がいる)。
監督としての3,248試合出場は日本プロ野球記録である。
また監督としての5球団在籍も藤本定義、石本秀一と並ぶ日本プロ野球タイ記録である(監督代理を含めず)。
記者として、報知新聞社→読売新聞社に勤務していた時期があるほか、晩年には日本ハム球団株式会社(日本ハムファイターズ)の代表取締役社長兼球団代表→相談役を歴任した。
巨人総監督退任までの表記は「三原 修」。
長女の敏子は中西太の妻であり、三原は中西の義父にあたる。



完全燃焼するために 元阪神エースの井川慶

2018年02月27日 00時23分07秒 | 社会・文化・政治・経済
毎日新聞が4面の全面を使い元阪神エースの井川慶(39)投手を田中将隆記者が取材し掲載している。
まず1面で38歳 まだ投げ続ける
井川が貫く「野球道」
の見出しで紹介し、4面につづく

栄光と挫折を味わい
歩み止めぬ異端児
日米の球団を渡り歩いた元阪神エース

阪神、米大リーグ・ヤンキース、オリックスと渡り歩き、日米通算95勝を挙げ、2015年にオリックスを退団し、昨年は関西の独立リーグに在籍。
11勝無敗、防御率1・10の好成績でリーグ制覇に貢献。
それでもキャンプインを前に、プロ野球12球団から声がかかることはなかった。
約20年にわたるプロ野球人生で名誉も大金も手にしながら、そこまで現役にこだわるのはなぜか。
今なを模索を続ける井川の「野球道」に迫った。
井川が現役にこだわるのは、メジャー移籍以降は自分の役目(先発ローテーションを守る)を果たせない不完全燃焼の気持ちに加え「まだ投げられる」と思える限り諦めない意思がある」からだ。
これはヤンキース時代に見たロジャー・クレメンス(55)の影響が大きい。
メジャー通算354勝、4672奪三振を挙げた米球界を大表する投手である。
2007年ヤンキースを退団したクレメンスはその後、50歳で独立リーグに挑戦した。
井川はそんな姿に自らを重ねているのだろう。
あるプロ球団のスカウトは言う。
「(井川が)まるで通用しないとは思わないが、能力が同等なら将来性の若手を取るのが常道だ」
現実は厳しいことは井川も承知している。
「僕は勝負事が大好き。中でも野球は、やればやるだけ結果が自分に返ってくる。そんな満足感を得るために、今は現役でいたい。やめることはいつでもできる」

自分の意思によって人生を

2018年02月26日 12時00分57秒 | 社会・文化・政治・経済
「私は今、悩んでいることがあります。どちらの道に進めばいいか答えが出ないのです。判断に迷うとき、どのように決断しますか」
「どっちの道に進んだっていいのよ。やりたいことを夢中にやっていれば自然とキラキラして生きていけるの。ただし、周りにどう思われようと自分を貫いていく覚悟が必要ね」作家・瀬戸内寂聴さん
講演会で、質疑応答の際にある女性が質問した。
この時、私は雷に打たれたかのようにハッとしました。
まるで私自身に向けて投げられた言葉のゆに感じたのです。
当時の私は離婚して、傷ついた心で実家に身を寄せていました。
出戻ってきた私に晩年の面倒を見てもらえると父は嬉々として元気を取り戻したいました。
そんな父を見て、このまま親孝行して喜んでもらえるのならそれも悪くないか。
けれど、本当にそれでいいのか。
もう一度仕事にチャレンジしたくはないのか。
そう悶々としていた私の心に作家の言葉が突き刺さりました。
そうだ、いい人を演じるのはやめよう。
私は自分の意思によって人生を歩んでいきたい。
翌日、両親に「一人暮らしする」と宣言し、手ごろな物件を借り、愛犬と実家を出て心身を整え、1年後に一般社団法人手紙文化振興協会を設立しました。
むらかみ かずこさん

苦難を新たな飛躍の好機に変えていく

2018年02月26日 11時25分28秒 | 社会・文化・政治・経済
まっしぐらによい道を進んでいくべきだ―ゲーテ

<学ぶ>とは自分自身をつくりあげることだ。
<学ぶ人>とは挑み続ける人だ。
その人に行き詰まりはない。

あらゆる課題に対して<自分のこと>として捉えられるかだ。

苦闘は即<栄光>となる。

人は苦労の中でこそ磨かれる。

人生は永遠に挑戦であり、闘争である。

<勝つ>と決めて進む。

いかなる行き詰まりにも忍耐と希望をもって解決策を模索し、問題を克服する。
苦難を新たな飛躍の好機に変えていく。

最終的に人のために尽くせるかだ。

<見えない真実>

2018年02月26日 11時10分33秒 | 社会・文化・政治・経済
「<声なき声>というものは現場でしか聞けない」
学校現場の問題に加え、児童施設の問題。
親の虐待や貧困、介護問題など。
<見えない真実>に気づいてほしい。
―切実な問題が埋もれている。

子どもの持つ将来の可能性は、親の所得格差に大きな影響受けているのは確かだ。
企業や社会全体としても、教育の振り向けるお金を増やす努力が求められる。

輪子の競輪日記

2018年02月26日 05時42分15秒 | 未来予測研究会の掲示板
「目がウルウルしてますね」
解説者の一人に女子アナが声をかけた。
「心に残る奈良記念レースでした。決勝レースは最高でした」
地元選手が記念レースに優勝したのは18年ぶり。
地元奈良の元競輪選手であつた解説者の目に「涙が溜まるのも分かる」と輪子は思った。
「それぞれの選手が持ち味を発揮しして、自分らしさ出して手を抜くことがなかった。とても良い開設記念でした」と専属解説者の山口幸二元選手。
「そうだった。何もせずに終わった選手はいなかった」
輪子はファンである3番武田豊樹選手(茨城88期44歳)を軸に車券を買っていたが、「胸を熱くするのもがった」とレース結果を率直に認めた。
今までなかった三谷兄弟連携。
3番手は稲垣選手が固め、完璧な決まり方だった。
人間臭い競輪には「感動させるものがある」と輪子は改めて思った。
表彰式に自転車ではなく、プロ野球のように若い女性の脇に座りカートに乗って登場した三谷竜生選手。
地元記念制覇は兄弟でワンツー。
「絶対に優勝するぞと臨みました」と涙を溜めて語った。
今後も村上兄弟のように三谷兄弟連携が増えることだろう。
手抜きしないという選手の「振る舞いが共感を呼んだ」優勝戦であったのだ。

春日賞争覇戦 ライン 2-6 1-5-9 3-4 8-7

1着1番三谷 竜生(奈良101期30歳)
2着5番三谷 将太(奈良92期32歳)
3着9番稲垣 裕之(京都86期40歳)
車単1-5 850円(1番人気)
3連単1-5-9 1700円(1番人気)

9着2番早坂 秀悟(宮城90期32歳)
7着6番竹内 智彦(宮城84期40歳)

5着3番武田 豊樹(茨城88期44歳)
4着4番河野 通孝(茨城88期34歳)

8着8番永井 清史(岐阜88期34歳)
6着7番香川 雄介(香川76期43歳)

中断から出て行った武田選手は竹内選手に押し上げられ失速。
その外側を一気に三谷竜生が追い込む。


輪子の競輪日記

2018年02月25日 23時05分26秒 | 未来予測研究会の掲示板
負ける要因は自分の中にある」
輪子は勝負の本質を突いたこの言葉、「そうなのね。すごいことを言う人がいるんだ」と感嘆した。
輪子自身を含め多くの競輪ファンたちは、「とれない、とれない」と愚痴をこぼすばかり。
しかし、「不思議な負けなどない。だから、徹して負けない自分をつくる」と元プロ野球の往年の名選手(捕手・大打者)で名監督の野村克也さんが言っている。
奈良競輪記念最終日、輪子は10レースだけに的を絞った。
8-2 4-9-3 5-1-7 6(単騎)
前日準決勝で敗退した松谷秀幸選手を買うつもりでいた。
出走表を見て、松谷選手(神奈川96期35歳)には先行する蒔田英彦選手(千葉93期34歳)がおり、3番手は林雄一選手(神奈川83期39歳)。
これで、固く収まると確信した。
つまり機関車を得て松谷選手は断然有利な展開となるレース。
ちなみに、奈良競輪場は直線が短い33バンク。
ライバルは竹内翼選手(広島109期26歳)の後ろを回るベテランで実績のある北野武史選手(石川78期45歳)と考えた。
野球ファンでもある輪子は、元プ野球選手だった松谷選手のファンの一人なのです。
はじめは、2車単9-3車券を3000円買おうと思った。
でも、280円×3000円より、3連単9-3-1の750円×2000円とした。
押さえは9-1に1000円。
勝負を確信しても、やはり胸がドキドキするもので、レース展開を不安交じりで見守った。
輪子は久しぶりにワクワク感を味わった。
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2車単9-3 280円(1番人気)
3連単 9-3-1 750円(1人気)

1着9松谷 秀幸(競争得点112.77)
2着3林 雄一(競争得点107.51)
3着1北野 武史(競争得点109.70)

食道楽は家人の家系

2018年02月25日 11時39分16秒 | 沼田利根の言いたい放題
家人に誘われたが、取手ひなまつりや田中酒造を優先。
家事はすっかり東京大衆歌謡団に惚れこんで、浅草へ。
これで、歌を聴きに行くのは4度目であろうか。
帰りに和菓子の「徳太楼」へ寄るので、地図を調べてほしいと言う。
地図を確認できたが、日曜日は休み。
観音様の裏手の元花柳街で今は観光客とは無縁の場所に店がある。
だから日曜は休みなのだろう。
言問通りの向こう。
家人はテレビの番組で店の存在を知ったのだ。
食道楽は家人の家系。
母親、3人の兄さんも会えば、和菓子やケーキ、グルメの話題が多かって。
二人の兄はホテルマン(当時)。
もう一人の兄(当時)は魚河岸で働いていて、魚には職がら精通していた。
何でも食べていた当方は、高級な食べ物に彼らほど拘っていなかった。
「あんたに、味わかるの?!」家人は貧乏育ちの当方を侮蔑している。
だから、観るテレビ番組も食べ歩きやグルメの紹介、旅行番組が多い。
料理学校出身で、料理を工夫するは趣味を超えて生きがいの一つ。
糖尿病にもなるはず。

「何のために」

2018年02月25日 11時15分21秒 | 日記・断片
病気に負けないこと

今朝の取手は雲空で寒い。
昨日の温暖さとずいぶん落差がある陽気だ。
午前8時40分、富田さんが迎えに来て、小堀(おおほり)の赤峯宅に向かう。
車中,五輪の話となる。
比率的にメダルの数は女性選手の方が多い。
特にスケートの分野では。
長野五輪の男スケート選手の活躍と比べて。
今日の支部の会合は、ご婦人1人を含む15人の参加者。
足が悪く椅子に座っている方は4人。
実は当方も椅子席に座りたかった。
セミナーでテーマは病気。
病気と戦い、負けないこと。
病気は不幸ではなく、人間的に成長するチャンスともなる。
つまり、病に立ち向かう姿勢の問題。
医師だって病気になる。
闘病体験は人励ますことにもなる。
くよくよするのではなく、堂々と勇み立って、病に対していくことが説かれた。
心身の苦労から、命に及ぶ重病を患うこともある。
自身も病を患っているのに、友人、知人の身を心配して励ます、その姿勢、生き方に感動がある。
病を治すことが目標。
では、目的は何か?
「何のために」という目的が問われているのである。

取手ひなまつつり

2018年02月24日 19時48分32秒 | 日記・断片
取手ひなまつつりは、午前11時に取手駅東口の広場の坂東太鼓の演奏ではじまった。
横笛を交えて太鼓の演奏で、ひな祭りの演奏。
そして、ひなパレードがカラオケの店の「うたんだ村」前辺りからスタートした。
取手商工会館の広場(駐車場)で浦島の1000円の鰻を買い、設けられたテーブルでソバを食べる。
柚子入りで香ばしいソバだ。
11時35分の順回バスで、商工会館前から、川口自動車の藤代ギャラリーへ向かう。
お茶とお菓子の接待を受けた。
その後、キリンビール取手工事を経て、白山ギャラリーへ向かう。
この会場でも甘酒を飲む。
日舞があるが、それを見ずに会場をのぞいただけで出る。
そして、10分前到着、に午後1時の会合へなんとか出ることができた。
つまり、午後1時間の取手文化会館での会合をにらんで、循環バスの最短コース・時間(コース)を選択した。













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負印した慕情

2018年02月24日 18時32分26秒 | 創作欄
「徹さんすね」とご婦人から声をかけられた。
彼はその時、大師通りから新道へ向かうところだった。
取手ひなまつりが行われており、漬物の新六の蔵の前の歩道にテントが設営されていた。
徹は新六が無償で提供する甘酒の紙コップを口に運んでいた。
「私のこと分かります」と笑顔で相手が訪ねる。
どれほどの歳月が流れていたであろうか?
「幸枝さんですね」と徹が言う前に、「幸枝です。分かりますか?」と大きく瞳を見開いた。
初めて会ったのは、彼女が17歳の時であった。
水村虎吉と競輪場で意気投合した徹は、「寿司でも食べに行きませんか?」と水村を誘った。
その日、競輪で金を失った水村は「では、言葉に甘えて寿司のご馳走になるか」と応じた。
水村にとって、15歳も年下の徹に奢られることは屈辱であっただろう。
競輪ファンは同じような夢を追っている。
同時に常識的には考えられない、負の遺産も背負っているのだ。
いずれにしても、懲りない連中なのだ。
選手たちにそれぞれの思い入れをして、車券を買っている。
そして、勝負に敗れれば自分を責めるし、期待どおりに入ってくれなかった選手への恨み節ともなる。
ある日、「俺の家で飲み直そうや」と水村が徹を誘った。
5年前に妻を亡くしていた水村は当時、高校生であった娘に、「おい幸枝、焼酎買ってこい。それに刺身もな」と促した。
だがその日、水村は競輪で負けていたのに娘に酒の購入を命じた。
徹は咄嗟に、「このお金で買ってきて」と1万円札を出す。
だが幸枝はコンビニでアルバイをしていて、焼酎や刺身を買うくらいの金は所持していたので、「お金は引っ込めてください」と言った。
気丈な性格である幸枝、父親に対する健気さが彼女の表情に出ていた。
「幸枝のやつ、だんだん母ちゃんにてきたな」と水村は頭をかくような仕草をした。
それから徹は、水村に何度も自宅に誘われた。
幸枝は21歳になっていた。
徹は幸枝に特別な感情を抱くよになっていた。
父親の立場で水村は、徹の心の動きを敏感に察知していたのだ。
「これまでの、おまえさんの気持ちは十分に分かるが、娘にだけは手出してくれるな。いいかい」とスナック7(セブン)で釘を刺された。
徹はウイスキーのストレートを一気に飲み干した。
徹は当時、自分に対して幸枝がどのような気持ちでいたのかを聞いて見たくなった。
だが今更、そんなことを聞いてどうなるのか、と自分にブレーキをかけた。
「昨年は父の7回忌でした」
「そうでしたか。ところで亡くなったお父さんに似てきましね」
「そうでしょうか?叔母や叔父たちは、母に似てきたと言ってます」
「幸枝さん元気で!」
「お互いにいつまでも、お元気に」

「賭博者」あやしい心の戦慄

2018年02月24日 10時20分31秒 | 未来予測研究会の掲示板
ドストエフスキー「賭博者」
「私にとって貴いのは金ではない」
賭博場に飛び交う声や音を「あやしい心の戦慄と、胸が痺れるような思いなしに聞くことができない」。
賭博台をめざして急ぐ時は、「私はほとんど全身に痙攣が起こりそうになるのだ。
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賭博場には退廃、異常、狂気が混沌として渦巻いているよう徹には思われた。
伝説のギャンブラー東剛志のニヒルな笑みが徹の夢にも度々出てきた。