筋萎縮性側索硬化症(ALS)の徳田虎雄さん

2019年07月28日 01時16分10秒 | 医科・歯科・介護

徳田 虎雄(、1938年2月17日 - )は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。

医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長などを歴任した。
日本で最大規模の病院・医療事業グループを築くとともに、衆議院議員として政治にも関わった。2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退したが、その後も病床から徳洲会に指示を出し続けた。
衆議院議員
徳州会の全国展開を進める一方で医療制度の改革には政治改革が必要との認識に至り政治家を志す。

1983年(昭和58年)と1986年(昭和61年)の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、保岡興治の前に落選。

このときの選挙戦は選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた。
1990年(平成2年)の衆議院総選挙に無所属で初当選し自由連合を結成するが、この時点での自由連合は保守系無所属議員の寄り集まりであった。
1993年(平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党し、再選。しかし、日本医師会の意向でわずか3日で追放された。
その後、1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。1996年(平成8年)の衆議院総選挙で落選したが、2000年(平成12年)の衆議院総選挙で復活を果たし、2003年(平成15年)の衆議院総選挙でも再選された。
そのほか、日本体操協会会長、アジア体操連盟会長も歴任している。
病気療養
2002年(平成14年)4月1日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病に気付いた。

2004年(平成16年)2月ごろから病状が悪化し、そのため国会に出席できず、療養していた。

しかし、この時点では病名は公にしなかった。2005年(平成17年)8月8日の衆議院解散をうけ、体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。
後継として2005年(平成17年)9月11日の衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補、当選。

自由連合代表に就任した。その選挙の折、虎雄と交流のある川井宏之の元を訪れ相談したとされている。

しかし毅は2006年(平成18年)11月2日に自民党入りを表明。虎雄の現役当時とは違い、自民党入党への抵抗も薄れていたと見られる。自由連合の去就は再び虎雄の手に委ねられることとなった。だが、毅は11月29日、自民党への「入党願」を出した後で、「地方議員はいるので、自由連合を今後どうするかは父の判断だ。しかし、参院選に候補者を立てるのは難しいのではないか」と記者に語った。
同日、虎雄は日本ALS協会設立20周年記念式典に一患者として出席し、闘病中であることを初めて公にした。

協会から登壇を促されたが、人工呼吸器装着のため話すことができず、用意した文章を代読して貰った[9]。そのメッセージにおいて徳田は「これからが人生の勝負です」と語り、日本国内及び世界中に病院を設立する計画を明らかにした。
普天間基地移設問題に絡み、有力な移設先候補である徳之島に多大な影響力を持っている徳田に対し、2010年(平成22年)4月28日に内閣総理大臣鳩山由紀夫が面会。毅の立会う中、協力を要請したが徳田は拒否した。同年夏、自由連合は解散届を総務大臣に提出して正式に解散した。
2012年(平成24年)現在、2010年に新築された神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院最上階15階にある、電子錠付の富士山を望む特別室で治療を受けながら、文字盤を使ったコミュニケーションにより徳洲会を経営し最高決定権を掌握していた。2011年の青木理とのインタビューでは「私はいつ死ぬか分からない状態です」と語る一方、今後の徳洲会については「あと5年は私が体制を作る必要がある」と運営への執念を見せた。
2012年(平成24年)10月下旬、徳之島町から名誉町民を授与される。伊仙町政施行50周年記念式典に出席するため、9年ぶりに故郷である徳之島に帰郷した。

----------------------------------

 徳田氏がALSで引退し二男が地盤を継ぐころには、職員たちは「何で選挙運動をしなきゃいけないのか」と強く思ったでしょう。そして公職選挙法違反など一連の徳洲会事件が発火する。

ALSを患ってから一族の介入が始まる

──当初は公私のけじめを説いていたのに、組織巨大化の過程で集金装置としての関連会社を次々作り、要職に親族をすえる。一方で彼に尽くした右腕たちを切っていった。

自ら招聘したナンバー2の医師に対し、いつか自分に取って代わり、俺は徳洲会から完全に切り離されるんじゃないかという猜疑心の塊になる。ALSを患ってからは一族の介入が始まり、その絡みで事務方の最側近も追放する。多くの人から聞きました、徳田氏が病気になって徳洲会は変貌してしまったと。ある人が「ALSは非常につらい病気だけれど、ここらでもう一度医療に立ち返れ、という神様のおぼしめしだったのかもしれません」と言っていました。

 


筋萎縮性側索硬化症(ALS)の徳田虎雄さん

2019年07月28日 01時16分10秒 | 医科・歯科・介護

徳田 虎雄(、1938年2月17日 - )は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。

医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長などを歴任した。
日本で最大規模の病院・医療事業グループを築くとともに、衆議院議員として政治にも関わった。2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退したが、その後も病床から徳洲会に指示を出し続けた。
衆議院議員
徳州会の全国展開を進める一方で医療制度の改革には政治改革が必要との認識に至り政治家を志す。

1983年(昭和58年)と1986年(昭和61年)の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、保岡興治の前に落選。

このときの選挙戦は選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた。
1990年(平成2年)の衆議院総選挙に無所属で初当選し自由連合を結成するが、この時点での自由連合は保守系無所属議員の寄り集まりであった。
1993年(平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党し、再選。しかし、日本医師会の意向でわずか3日で追放された。
その後、1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。1996年(平成8年)の衆議院総選挙で落選したが、2000年(平成12年)の衆議院総選挙で復活を果たし、2003年(平成15年)の衆議院総選挙でも再選された。
そのほか、日本体操協会会長、アジア体操連盟会長も歴任している。
病気療養
2002年(平成14年)4月1日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病に気付いた。

2004年(平成16年)2月ごろから病状が悪化し、そのため国会に出席できず、療養していた。

しかし、この時点では病名は公にしなかった。2005年(平成17年)8月8日の衆議院解散をうけ、体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。
後継として2005年(平成17年)9月11日の衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補、当選。

自由連合代表に就任した。その選挙の折、虎雄と交流のある川井宏之の元を訪れ相談したとされている。

しかし毅は2006年(平成18年)11月2日に自民党入りを表明。虎雄の現役当時とは違い、自民党入党への抵抗も薄れていたと見られる。自由連合の去就は再び虎雄の手に委ねられることとなった。だが、毅は11月29日、自民党への「入党願」を出した後で、「地方議員はいるので、自由連合を今後どうするかは父の判断だ。しかし、参院選に候補者を立てるのは難しいのではないか」と記者に語った。
同日、虎雄は日本ALS協会設立20周年記念式典に一患者として出席し、闘病中であることを初めて公にした。

協会から登壇を促されたが、人工呼吸器装着のため話すことができず、用意した文章を代読して貰った[9]。そのメッセージにおいて徳田は「これからが人生の勝負です」と語り、日本国内及び世界中に病院を設立する計画を明らかにした。
普天間基地移設問題に絡み、有力な移設先候補である徳之島に多大な影響力を持っている徳田に対し、2010年(平成22年)4月28日に内閣総理大臣鳩山由紀夫が面会。毅の立会う中、協力を要請したが徳田は拒否した。同年夏、自由連合は解散届を総務大臣に提出して正式に解散した。
2012年(平成24年)現在、2010年に新築された神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院最上階15階にある、電子錠付の富士山を望む特別室で治療を受けながら、文字盤を使ったコミュニケーションにより徳洲会を経営し最高決定権を掌握していた。2011年の青木理とのインタビューでは「私はいつ死ぬか分からない状態です」と語る一方、今後の徳洲会については「あと5年は私が体制を作る必要がある」と運営への執念を見せた。
2012年(平成24年)10月下旬、徳之島町から名誉町民を授与される。伊仙町政施行50周年記念式典に出席するため、9年ぶりに故郷である徳之島に帰郷した。

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 徳田氏がALSで引退し二男が地盤を継ぐころには、職員たちは「何で選挙運動をしなきゃいけないのか」と強く思ったでしょう。そして公職選挙法違反など一連の徳洲会事件が発火する。

ALSを患ってから一族の介入が始まる

──当初は公私のけじめを説いていたのに、組織巨大化の過程で集金装置としての関連会社を次々作り、要職に親族をすえる。一方で彼に尽くした右腕たちを切っていった。

自ら招聘したナンバー2の医師に対し、いつか自分に取って代わり、俺は徳洲会から完全に切り離されるんじゃないかという猜疑心の塊になる。ALSを患ってからは一族の介入が始まり、その絡みで事務方の最側近も追放する。多くの人から聞きました、徳田氏が病気になって徳洲会は変貌してしまったと。ある人が「ALSは非常につらい病気だけれど、ここらでもう一度医療に立ち返れ、という神様のおぼしめしだったのかもしれません」と言っていました。

 


ALS 宇宙兄弟は「せりか基金」

2019年07月28日 01時13分15秒 | 社会・文化・政治・経済
宇宙兄弟は「せりか基金」を立ち上げます。
シャロンが患って闘っているALS、せりかのお父さんが患って亡くなった病気であるALS。
未だに原因も治療法も解明されず、徐々に体の運動機能を失っていく恐怖や、知力、痛み、かゆみ、寒さなどの体の感覚が保たれたまま意志を伝えることができなくなる恐怖、自分の命の意味と闘うALS患者の方の、希望を叶える支援をしたいという想いがあります。せりかの夢の実現を現実のものに。

 こんにちは、せりか基金運営チームの佐伯です。

この前、SNS上でとある動画を観ていたら、偶然映像に映っていた方のTシャツの胸に青い「SERIKA FUND」という文字を見つけて、プロジェクトの広がりを感じ、嬉しくなりました。

せりか基金を通じて、ALSという難病を知った方も、いるかもしれません。

僕たち、せりか基金運営チームもはじめは『宇宙兄弟』を通して、ALSを知ったメンバーが多かったです。

「せりか基金を立ち上げよう。」
そう決まってから、今までよりももっとALSに対する理解を深めようと運営チームで決めました。

ALSとは、どんな病気なのか。どんな症状なのか。
患者は、患者の家族は、どんなことを想うのか。
ALSにまつわる本を買って、チームで共有しました。

今日は、ALSを知るために、
せりか基金運営チームで読んだ本の中から、
チームメンバーのコメントともに、6冊をご紹介します。

本の画像はAmazonの作品ページにそれぞれリンクします。
気になったものがあればぜひ手にとってみてください。

1:『生きる力―神経難病ALS患者たちからのメッセージ』(「生きる力」編集委員会 )

難病中の難病といわれるALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者みずからが原稿募集をして編集した本。患者とその家族が、発症間もないころや、告知前後の困難にどう向き合い、どう乗り越えてきたかなど、それぞれの経験を語る。

年齢や性別を問わず発症し、患者さんによって症状や進行具合が異なるALS。それぞれの体験をもとにした手記なので、診断をうける前後のこと、抱える悩み、家族や社会とのかかわり方など、たくさんの体験を知ることができます。コミュニケーションに制限がある中でこの手記を綴る患者さんたちの、生きることや表現することへの前向きさやパワーを感じることができ、より支援したい気持ちが強くなりました。
グッズ制作・ストアの運営担当:松岡(@108mlps)

2:『閉じこめられた僕 – 難病ALSが教えてくれた生きる勇気』(藤元 健二 )

「永遠の金縛り」といわれる病気を知っていますか—-?
ある日突然、ALSになった難病患者(53歳)が、“眼”だけで執筆、
動かない体と絶望のなかで、赤裸々に泣き、叫び、笑う!
いまだかつてない衝撃の“難病ノンフィクション”。

ALSという難病を発症し徐々に失われる動きや声、痛みや家族との問題などを冷静に正直に心情をさらけ出されている日記は心にとても響きます。症状が進行する中さらに胃がんと心筋梗塞まで患ってしまい、常に前向きに闘ってきた気持ちも折れそうになってしまうところは苦しいですが、全編通して藤元さんの明るさやユーモアや行動力にこちらが励まされ勇気をもらいます!
お問い合わせ担当:中谷(@yukohime29)

3:『99%ありがとう 』(藤田 正裕 )

30歳のある日、人生が狂った。
突然の診断から3年、左手指と顔しか動かせなくなった広告プランナーが綴る喜怒哀楽の極致、そして希望のメッセージ。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、感覚や知能ははっきりしたまま、次第に体中の筋肉が痩せ自由がきかなくなる難病で、原因も治療法もわかっていない。呼吸に必要な筋肉も弱っていくため余命は3~5年といわれている。誰がいつなってもおかしくなく、現在、日本の患者数は約9000人。2010年11月、突然診断を受けた著者は、想像を絶する感情の波に翻弄されながらも、厳しい現実と向き合い、闘う決意をした。ALS前/後で劇的に変化した生活、価値観、思考の有り様を、心に刺さる素直な言葉で綴る。

ある日突然、自分や周りの大切な人がALSと宣告されたらどうするか。せりか基金でALSという病気に関わるようになる中で、ずっと自分の中に対してこの問いを持ち続けています。実際にALS患者となった藤田ヒロさんは、自分のバックグラウンドである広告プランナーとしての職能を活かして、「END ALS」という団体を立ち上げ、様々なALS啓発キャンペーンを立ち上げ、世の中とALSとの接点を作るという行動を起こします。どんな時でも周りに思いやりを持って前を向いて生きる、というヒロさんの前向きな生き方に、日々を生きる力を貰うことができました。
PR担当:小西(@konishi36)

4:『トラオ―徳田虎雄 不随の病院王』(青木 理)

日本一の病院帝国を築いた徳洲会創設者・徳田虎雄氏がいま、己の「生」と向き合っている。ALSとは身体を動かす神経系が壊れ、全身の筋肉が縮んでいく難病だ。02年春に同病を患った徳田氏は、もはや全身の自由が利かない。
それでも眼球の動きで文字盤を追いながら、こう語るのだ。「これからがじんせいのしょうぶ」。
だがそんな徳田氏にも「運命の時」が近づいている。13年に徳洲会グループは、次男・毅氏の衆院選を巡る公選法違反容疑事件で東京地検特捜部の強制捜査を受ける。さらに徳田氏自身の病も進行し、眼の動きすらままならなくなる「完全なる閉じ込め状態」も、近く訪れるかもしれない。
窮地の徳田氏の「心奥」と徳洲会騒動の「核心」を気鋭のジャーナリスト・青木理氏が描く。

“稀代の病院王”であった徳田虎雄。ブルドーザーのような異様な勢いで、圧倒的熱量をもって生きていましたが、ALSにかかってしまい人生ではじめて止まります。彼の人生の物語を読んでいると、「俺には時間が足りない」と彼が思っていたことを凄く意識させられます。

「 しぬのは こわくないし しかたないが できるだけいきて びよういんを ひとつでもおおく つくりたい それで たすかるひとが ひとりでもいる いきてるあいだは やりたいことを ひつしにやる しかない 」この言葉に、彼の使命を感じて、胸が熱くなりました。
チラシ担当:佐伯

5:『しあわせの王様 全身麻痺のALSを生きる舩後靖彦の挑戦 』(舩後 靖彦 (著), 寮 美千子 (著))

「ALS はじめて耳に するその名 医師の宣告 余命三年」

不治の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の身でありながら
常に前向きに生きる男・舩後靖彦が、その生き様を短歌に謳う!

「治療法がない」「全身麻痺」「呼吸停止」「余命3年」
過酷な宣告に絶望し、どん底に落ちた船後は、
同病の共を支える「ピアサポート」をきっかけに大きく立ち直る。
人を支えることは、自分を勇気づけること! 人生どんな状況でも楽しめる!

全身麻痺の身で講演やコンサートをこなし、創作活動を続ける「しあわせの王様」生き方とは。

患者さんひとりひとりが発症前も発症後も自分の人生を歩んでいたということ。
どの本を開いてもその事実に心を打たれるが、短歌という短いことばで切り取られていくからこそ、感情や日常がリアルに感じられる。
発症してより一層、自分の思いを懸命に表現していく、そんな姿に畏敬の念を抱きながらもエネルギーを感じ、大きく励まされました。
せりか基金通信担当:鈴木(@seri258)

6:『逝かない身体―ALS的日常を生きる』(川口 有美子)

言葉と動きを封じられたALS患者の意思は、身体から探るしかない。
ロックトインシンドロームを経て亡くなった著者の母を支えたのは、「同情より人工呼吸器」「傾聴より身体の微調整」という即物的な身体ケアだった。
かつてない微細なレンズでケアの世界を写し取った著者は、重力に抗して生き続けた母の「植物的な生」を身体ごと肯定する。

「せりか基金」を立ち上げようと思った時に最初に読んだ本です。心のどこかで劇的な感動ストーリーを求めていた私は、あまりにありのままのALS患者と家族と取り巻く日常をみて、時間の流れを一緒に体験させてもらえたような気分になりました。一つ一つ、毎日、突きつけられる現実と決断。

尊厳死について私自身がどう思うのかを考えるヒントにもなりました。

「死んでしまいたいとはっきりと書いてある。でも、死なないでほしいと望まれていたかったのは間違いないのだ。」本文より
せりか基金代表:黒川(@krikuro)


「せりか基金」を運営する、僕たちがいる会社・コルクの代表、佐渡島も、『逝かない身体―ALS的日常を生きる』について、コラムを寄せています。

『偶然の出会いだから手伝う ALSの日』(佐渡島庸平)

短歌、小説、ルポルタージュ、など色々なかたちで、ALSが描かれていました。
彼らの人生の物語は、すべて実話です。
このプロジェクトをきっかけに、ALS自体を知った方や、
もっとどんな病気なのか知りたい方は、ぜひ、ご一読してみてください。

佐伯

 

「せりか基金」に賛同してくださる方は、是非ご支援をお願いします。
直接の寄付だけではなく、シェアやリツイートも力になります。
#せりか基金をつけて投稿してください!

どうぞよろしくお願いします。


さあ、はじめよう 想像ではうまくいってる byムッタ

「せりか基金」公式サイト:
https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/
チャリティーグッズ:

https://serikafund.stores.jp/

★小山宙哉とALS患者の方との対談をこちらに掲載してます。
★私の名前は酒井ひとみです ーALSと生きるー

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緊急参戦で決勝弾! 虎の新助っ人ソラーテは貧打のカンフル剤となるか

2019年07月28日 00時38分26秒 | 野球

 【トラとら虎】

 阪神の新外国人ヤンハービス・ソラーテ内野手(32)が26日の巨人戦に緊急参戦。「2番・遊撃」で先発すると、同点の7回に来日初本塁打の2ランが飛び出し、デビュー戦を決勝弾で飾った。

 入団会見からわずか4日。首脳陣が当初の予定を早め新助っ人を急きょ呼び寄せた背景には、深刻な貧打がある。後半戦に入っても得点力不足は解消できず、前日まで2勝5敗1分け。そのうち4敗まで2得点以下で、打開策を迫られていた。

 特に頭痛の種は、猫の目起用を余儀なくされる遊撃。前半戦のレギュラーだったルーキー木浪が打撃不振に陥り、最近は北條、鳥谷、植田を相手投手との兼ね合いで使い分けている。しかし3人とも期待に反し、レギュラー不在の遊撃強化が差し迫った課題だった。

 ソラーテはスイッチヒッターのうえ、どこでも守れるユーティリティープレーヤー。この日も8回からは二塁を守った。

 24日の2軍練習試合で「3番・遊撃」でテストしたところ無難にこなせることが分かった。矢野監督はその時点では「まだ体調も万全ではないし、いつ1軍に呼ぶかは分からない」と慎重に構えていたが、あまりの貧打に背に腹は代えられなくなったのが真相だ。

 メジャー歴6年、通算75本塁打。昨年まで4年連続2ケタ本塁打をマークしている中距離ヒッター。今季はサンフランシスコ・ジャイアンツで開幕を迎えたが、途中でマーリンズ傘下の3Aに移籍。日本行きを決断するきっかけになった。

 練習試合を見た球団OBは「パワーは感じないが、ツボにくれば一発もある。バットをしっかり振り切れるから楽しみ」と期待。危機的状況の貧打線に喝を入れるか。(スポーツライター・西本忠成)


阪神大山が成長V打 矢野監督と約束した4番の姿勢

2019年07月28日 00時30分19秒 | 野球

2019年7月27日日刊スポーツ

巨人対阪神 延長11回に決勝打を放ちヒーローインタビューを受ける大山悠輔

巨人対阪神 11回表阪神2死三塁、中前適時打を放つ大山

<巨人2-3阪神>◇27日◇東京ドーム

4番が激闘に決着をつけた。延長11回2死三塁。ここぞの場面で、阪神大山悠輔内野手(24)が決勝打を放った。「打つしかない。(勝負は)打つか、打たないかなので。大事な場面でできてよかったです」。

田口の真っすぐを中前へクリーンヒット。4時間37分のロングゲームを制して東都の猛虎ファンを沸かせた。

気合十分だった。「あのプレーが一番大きい。チームが救われた。何とか応えたいと打席に入りました」。直前の10回1死一、二塁。サヨナラ負けかと思われた炭谷の大飛球をドラフト1位の先輩高山が背走曲芸キャッチ。その姿に心打たれた主砲が燃えて打った。

プロ3年目の24歳。だが、ゲームに入れば年齢は関係ない。常々、大山は言う。「期待だけで終わってしまったら意味がない。結果を出さないといけない」。伝統球団の4番を任され、計り知れない重圧と戦っている。「4番だから、とかじゃなく。4番でも9番であっても、試合に出る以上は責任がある」。得点圏打率は3割4厘。勝利打点8は堂々のチームトップだ。チームを背負う自覚がある。だからこそ…。歓喜の瞬間には、感情が爆発する。

矢野監督は「4番は本当に苦しい打順。責任ある打順」と若き和製大砲候補を思いやった。続けて「でも、悠輔は何とかそこ(4番)で成長できると思って。アイツとは約束している。姿勢だけはしっかり。4番の姿勢はアイツも頑張ってくれている」と評価した。

素顔は24歳の青年だ。力強化や土台作りを軸にした昨秋の高知・安芸キャンプ。息が切れるほど走り込んだ練習終わりに、甘いモノが欲しくなった。大山は「抹茶オレ、飲もうか」とチームメートに提案。厳しい練習後は甘いモノで癒やしの時間を分かち合った。すごく美味しいと評判になり、芸西村の宿舎ロビーで販売されている「抹茶オレ」が頻繁に売れた逸話もある。プレーだけでなくチーム内の流行も、4番が引っ張っている。

負ければ再び自力Vが消えた一戦で巨人連倒を導いた。残り49試合。4位ながら首位巨人に7・5差に迫った。4番がネバーギブアップを体現し、白星を重ねる意気込みだ。【真柴健】


阪神高山「ザ・キャッチ」前進守備から背走ダイブ

2019年07月28日 00時12分03秒 | 野球

[2019年7月27日日刊スポーツ

<巨人2-3阪神>◇27日◇東京ドーム

阪神高山俊外野手(26)がビッグプレーで激闘勝利を呼び込んだ。同点の延長10回1死一、二塁。外野は前進守備を敷く。炭谷の大飛球が右翼へ上がる。阪神ベンチの誰もが思わず天を仰いだ。抜けた、やられた…。だが、7回裏から右翼で途中出場していた高山は、勝負を捨てていなかった。

我を忘れて必死に背走する。最後は身をよじらせてダイブ捕球。サヨナラ負けの窮地を救う「ザ・キャッチ」だ。大熱戦を制した矢野監督も「高山のプレーはちょっとあきらめたり、無理かなと思ったら捕れない打球。あきらめずに『何とか捕ってやる』気持ちで捕ってくれた。みんな頑張ったけど、あのプレーは一番大きかった」と絶賛した。

高山も言う。「『いかれた』と思いました。だいぶ前にいた。久しぶりのライトでした。打球が右打者で切れる。どれくらい切れたか分からなかったですが、最後に、追いつけてよかった」。プロ4年目。
福留や糸井らベテランが外野の一角を占める状況だが、狙うのは不動のレギュラーだ。試合前の守備練習。スタメンでなくても筒井外野守備走塁コーチに欠かさずにリクエストする。「後ろに打ってください」。自ら前進した守備位置へ。背走キャッチの練習を怠らず繰り返し、勝負どころで生きた。

劇的勝利に貢献したがニコリともせずに言う。「どっちみち打たないと出られない。それ(守備)はそれで良かったけど、全然、納得していません」。この日は2打数無安打で悔しさを隠さない。燃えたぎる闘志を胸に秘め、定位置だけを奪いにいく。【酒井俊作】


1点が遠い阪神が変身するのか?!

2019年07月28日 00時06分50秒 | 野球

守備のエラーが多い阪神。
しかも、残塁数も多く、1点が遠い。
ファンにとって、イライラが募るばかり。
今年も、阪神の応援のために球場まで行ったのは、海浜幕張へのロッテ戦の1度だけ。
長男が<母の日>のプレゼントでチケットを買ってくれた。
これまで、横浜、神宮、後楽園へは年に数度行っていた。
時には西武までも。
特に水道橋で30年以上も働いていたので、東京ドームが一番多かったのに、阪神が巨人に勝てないので、観戦にi行かなくなる。


阪神“ソラマル”コンビ連動、自力V消滅危機救った

2019年07月27日 23時30分14秒 | 野球

<巨人2-3阪神>◇27日◇東京ドーム

阪神新外国人のヤンハービス・ソラーテ内野手(32)が、反撃の弾丸二塁打など連日の活躍で巨人連倒を導いた。ド派手な「セクシータイム」パフォーマンスもチームを盛り上げ、ノッたジェフリー・マルテ内野手(28)も9号同点ソロ。負ければ再び自力Vが消えた一戦で延長11回、4時間37分の激闘を制す大山の決勝打を呼び込んだ。虎の“ソラマル”コンビが大逆襲を引っ張ってくれそうだ。

チームメートとタッチをかわす阪神ソラーテ

  ◇    ◇    ◇

左翼線の鋭い打球に東京ドームの虎ファンがこの日初めて沸いた。沈滞ムードを振り払ったのは、明るく陽気な新助っ人ソラーテだ。2点を追う5回1死。今村の初球カーブを振り抜き、会心の左翼線二塁打だ。

ソラーテ いいコンタクトをしようと思った結果だよ。

完全投球されていた左腕からチーム初安打。全力疾走で二塁に到達すると、縦に開いた両手をパチンッとたたく「クロコダイルポーズ」をさく裂させた。さらに両手の人さし指を突き上げ、ノリノリでコミカルなダンスを披露。ベンチも盛り上げ、北條の適時打を呼び込んで1点差に迫った。

タテジマデビュー2日ですっかり人気者だ。前日は「2番遊撃」で出場し、7回に左翼上段へ勝ち越しの来日1号をぶっ放した。この日は休養日の福留に代わる「5番左翼」と打順もポジションも変幻自在。初回に守備に就く際は、黄色に染まった左翼席の大声援に両手を突き上げ、虎党のハートをわしづかみにした。

誰よりも刺激を受けたのが、後ろを打つ6番マルテだろう。1点を追う7回1死で沢村の153キロをフルスイング。左翼席上段に9号同点ソロを突き刺した。ベンチに座っていたソラーテは、お祭り騒ぎでグラウンドに飛び出し、矢野監督よりも先にハイタッチ。その後は自分が打ったかのようにマルテより先にハイタッチを重ねてさらに盛り上げた。“ソラマル”コンビの活躍で終盤に追いつくと、延長11回に大山の決勝打が飛び出した。マルテが本塁打を打てば、9試合負けなし。不敗神話も継続だ。

マルテ 昨日は彼が打ってうれしかった。今日は彼が喜んでくれた。一緒に戦っている仲間としてうれしいよ。

ソラーテ マルテ選手が打って勝ててよかったよ。

矢野監督も2人の話題に会心の笑顔だ。「本当にチームの士気も上がる。ファンの人もソラーテの動きを注目して、それを見て喜んでくれている。2人はベンチでもよく話をして相乗効果はあると思う」。首位巨人を連倒してカード勝ち越しが決定。東京ドームは3連敗後4連勝だ。負ければ再び自力Vが消えた危機も脱し、首位まで7・5差に押し戻した。ラテンのリズムが、追い込まれた虎をよみがえらせた。【桝井聡】


阪神、延長11回の激闘を制す 大山V打 高山がサヨナラ阻止のスーパーキャッチ

2019年07月27日 23時24分02秒 | 野球

7/27(土) デイリー

 「巨人2-3阪神」(27日、東京ドーム)

 阪神が延長十一回の激闘で競り勝ち、2連勝とした。

高山が救った!スーパーキャッチ瞬間

 十回、1死一、二塁のピンチで炭谷が放った打球は右越えへの一打。外野手は前進守備を敷いていたが、高山が必死に背走。体を後ろ向きにねじるようにしながらスーパーキャッチした。倒れ込みながらもボールは離さず、サヨナラ負けの大ピンチをしのいだ。

 そして十一回、2死三塁で大山が決勝の中前適時打。その裏、巨人の反撃を守護神藤川がしのぎ、チーム一丸で勝利をもぎ取った。

 大山はヒーローインタビューで「勝てて良かったなと思います。本当にチーム全員でピンチを守り、ひとりひとりつないでくれたので何とか決めたいと思った」と振り返り、高山のビッグプレーについては「あのプレーが一番大きいと思いますし、あのプレーでチームが救われた。何とか応えたいと打席に入った」とうなずいた。

 両助っ人も存在感を示した。まずは緊急昇格し、1軍デビューとなった前夜に決勝2ランを放ったソラーテだ。2点を追う五回1死、鋭い打球を左翼線へはじき返し、二塁打とした。

 ソラーテの一撃に若虎も応えた。2死二塁で打席に立った北條。フルカウントからの6球目、低めのフォークを捉えた。打球は中前へ弾む適時打となり、1点を返した。

 大きな大きな同点弾を放ったのがマルテだ。1点を追う七回1死走者なし。3番手・沢村が投じた3ボールからの4球目、真ん中付近へ甘く入った153キロ直球を完璧に捉えた。鋭い打球は瞬く間に虎党の待つ左翼席へ到達。「チームの助けになるために、しっかり強いスイングをしようと思ったよ。追いつくことができて最高のホームランになったね」。23日のDeNA戦以来、4試合ぶりとなる一発で試合を振り出しに戻した。

 阪神先発の西は5回を6安打2失点。序盤から再三走者を背負う苦しい投球となったが、粘りに粘って2失点にまとめ、試合を作った。その後、リリーフ陣が必死に踏ん張り、西を含めた8投手で勝利を呼び込んだ。

 巨人は4連敗。2位DeNAに3・5差と迫られた。


柏まつりへ行く

2019年07月27日 15時30分33秒 | 日記・断片

午前6時、激しい雨が降り、家の前の道は
靴で通行できないほどになる。
午前4時40分、散歩に行った時には白雲で青空が広がっていた。
午後1時から柏まつりの開催が心配された。
午前12時55分の品川行き電車で柏駅へ向かう。
駅の周辺の商店街では、露天商の準備が進んでいた。
家人が予定していた回転すし店ではなく、当方が好む回転すし店へ入る。
当然のように、「この店じゃない」と家人は文句を言う。
我々は二人で16皿であったが、若いカップルの方たちは、40皿、50皿。
柏まつりは、何時来ても活況で気分も高揚してきた。
阪神と巨人戦のテレビ観戦もあるので、午後3時に帰宅した。


日本ALS協会

2019年07月27日 10時46分08秒 | 社会・文化・政治・経済

 日本ALS協会の概要

日本ALS協会の概要

日本ALS協会は「ALSと共に闘い、歩む」ことを趣旨とした非営利団体として1986年に設立。2012年に一般社団法人となり、2016年に設立30周年を迎えました。
2018年現在の会員数はおよそ4,400名、全国に42の支部を組織しています。

会員は患者・家族・遺族が中心ですが、医療専門職、介護関係者、行政職員、研究者、一般市民も数多く加入しています。会員は、ALS患者が社会的に埋没・人間的に孤立することなく、
共に暮らせる社会を目指して、各方面で活躍しています。

会長挨拶


嶋守 恵之会長の略歴

ALSの診断直後に、妻と「10年で治ろう」と誓い合い希望を持ち続けてきました。妻と二人で静かに療養生活を送っていましたが、治療研究を推進するためには当事者からの発信が欠かせないと思い立ち、患者活動に参加するようになりました。あわせて、患者仲間や障害者との交流も盛んに行うようになりました。日本ALS協会の理事となってからは研究者と積極的に接触して、国に治療研究の推進を働きかけています。

視線入力装置と自声保存の普及にも取り組んでいて、2016年には4か月かけて原稿用紙75枚のミステリーを書き上げ、北区内田康夫ミステリー文学賞審査員特別賞を受賞しました。

  • 略歴
    1967年 北海道釧路市生まれ
    1990年 外務省入省(対米、中東、国連外交などに携わる)
    2008年 赴任先のインドでALSを発症。東京で自宅療養を始める
    2011年 気管切開。呼吸器装着
    2016年 日本ALS協会理事。東京都支部運営委員
    2018年 日本ALS協会会長に就任

 「ALSを乗り越える日を目指して」

 ALSは苛酷な病気です。進行とともに、動くことも、話すことも、食べることも、
息をすることもできなくなります。治療法がないので、患者は絶望し、家族は介護で
疲れ切ってしまうケースも少なくありません。しかし、そんな病気でも、しっかりと
した医療体制の下、十分な介護・福祉サービスが受けられれば状況は一変します。患
者は動けなくても外出し、話せなくても自分の考えを発信できるようになり、家族は
それまでの生活を続けられるようになります。
視力が悪くなると昔は障害者と思われていたが社会が眼鏡をかけた人を受け入れるよ
うになって障害ではなくなった、と聞いたことがあります。ALSになっても同じよ
うに十分な支援の下社会の一員として自分らしく生きていくのが私たちの願いです。
もちろん患者や家族の夢はALSを治すことです。今ある薬は病気の進行を遅らせる
ものですが、根本治療に向けた有望な研究成果も見られつつあります。当事者の立場
から、治療研究の推進を後押しすることも大切です。
このように、日本ALS協会は治療法の確立と療養生活の向上を車の両輪として活動
しています。皆様のご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます。
2018年6月 会長 嶋守恵之(しまもりしげゆき)

ALSという病気の概略


浜松医科大学第一内科 宮嶋裕明先生

1.ALSという病気の概略

筋萎縮性側索硬化症は、身体を動かすための神経系(運動ニューロン)が変性する病気です。変性というのは、神経細胞あるいは神経細胞から出て来る神経線維が徐々に壊れていってしまう状態をいい、そうすると神経の命令が伝わらなくなって筋肉がだんだん縮み、力がなくなります。しかもALSは進行性の病気で、今のところ原因が分かっていないため、有効な治療法がほとんどない予後不良の疾患と考えられています。

外国ではルー・ゲーリック病(アメリカ)とか、シャルコー病
(フランス)とも呼ばれています。
ALSという病気の概略1

ALSではどこが障害されてくるかについて、図1で説明します。

脳で「口や手を動かしたい」と考えると、頭の中の運動神経細胞(上位ニューロン)からその命令が神経線維を伝わって下りてきて(この線維の束を錐体路といいます)、脳幹あるいは脊髄で次の神経細胞(下位ニューロン)に命令を伝えます。そしてこの命令は実際に口や手につながっている下位ニューロンの神経線維を伝わって行き、筋肉に到達します。ALSで障害される場所は、命令の乗り換えの場所(前角細胞)から始まる下位ニューロンと、脳から下りてくる上位ニューロンの両方です。両方が障害されると、結果的に筋肉を動かすことが出来なくなってしまいます。

ALSの意味ですが、Aはアミオトロフィック(Amyotrophic)の略で筋肉が縮むこと(筋萎縮)を云い、一般にこの病気がアミトロと呼ばれるのはここから来ています。Lはラテラール(Lateral)の略で側部を意味し、脳から下りてくる上位ニューロンの束(錐体路)が脊髄の左右の側面(側索という場所)を通ることから来ています。つまり側索は、脳から脊髄に運動をするようにという命令が下りてくる通り道のことなのです。Sはスクレローシス(Sclerosis)の略で壊れたあとが硬くなって働かなくなってしまうという意味です。したがって、ALSは筋肉自身の病気ではないし、手足に行っている細かい神経の病気でもありません。主に脊髄と脳の運動神経が変性し、脱落するために起こるものです。その結果、手が握れなくなる、舌がしわしわになって呂律が回りにくい、飲み込みにくい、立ち上がりにくい、歩きにくいなどという症状から始まり、徐々に手足が痩せていくことになります。

一般的には、はじめに手足が動きにくくなるタイプと、しゃべったり飲み込んだりという、口の中が先に動かなくなるタイプとがあります。手足から先に動きにくくなる場合が4分の3くらい、4分の1くらいの方は口から始まります。最終的には手足と口の両方に障害が進みます。

ALSという病気の概略2 次に脊髄の断面写真を示します。図2(a)は交通事故で亡くなった正常な40歳の男性の脊髄(頸髄)です。組織は染色してあるので、神経線維があるところが青く見えます。脊髄というのは首から腰のところまで脊椎という骨に囲まれていて、太さは親指くらいです。命令は脊髄の側索を伝わって来て、前角で一度神経を乗り換えて手足に行っています。脊髄の真ん中から左右の下側あたりに広がっている部分を前角といいます。図2(b)の脊髄は50代のALS患者さんの頸髄です。側索がかなり白く見えるのは、運動ニューロンが壊れて硬くなっているからです。正常な人では脊髄の前角は蝶の羽を広げたように大きく左右に広がって見えますが、患者さんでは白くなって縮んできているのが分ります。脊髄全体の太さも、細くなって小指くらいになってきています。

ALSという病気の概略3 図3は筋肉の横断面を染色して比較したものです。図3(a)の正常な方の筋肉は、同じ太さの細い筋肉の束(筋線維)が集まっているのが分かります。図3(b)はALSの方の筋肉です。ひとまとまりの筋線維がグループになって細くなっているのが分かります。正常なところも残っていますが、集団で細くなったところはさらに細くなって壊れていってしまうので、力が出なくなります。もし、筋肉自身に何か問題があるなら、いいところも悪いところも全体的にバラバラにいろいろな太さの筋線維が見えるはずですが、筋肉に命令を伝えている神経はグループの筋線維を支配しているので、もし神経が壊れるとその先にある筋線維のグループが細くなり、筋肉は縮んでいくことになります。

症状の典型的なパターンとしては、どちらかの足の力がだんだん弱くなってきて、反対側の足に広がり、次に手の力がなくなってくるというものと、手から始まって徐々に足に広がるものがあります。しかも手足では、からだから遠い部位の筋肉の力がまず弱くなってきて痩せて来ます。そして、そのうちに食物を飲み込みにくくなってくる、しゃべりにくくなってくる、という症状が出てきて、からだ全体の筋肉の力が2-4年くらいで弱くなるために息苦しさを感じるようになります。さらに進行すると、呼吸が困難になり、人工呼吸器をつけるというのが一般的な経過です。また、手足の力がなくなるのと同時くらいに言語障害、飲み込みが悪くなるという場合もあります。

ALSは全身が動きにくくなる病気ですが、出にくい症状というものが6つほどあります。そのうち4つを4大陰性徴候といいます。筋肉の問題では、手足やからだ・顔が全く動かなくなっても目を動かす筋肉が最終的にある程度は残ることが挙げられます。また、尿道や肛門をキュッと締める括約筋も筋肉ですが障害は受けにくいのです。すなわち尿や便が勝手にもれて、垂れ流しにはなりにくいということです。動き以外では、知覚障害・感覚障害が起こりにくいことが挙げられます。すなわち見たり聴いたり、あるいは冷たさや痛さなどを感じる感覚は最後まで残ります。ですから自分では動けないけれども全て周囲の状況が分かってしまうということで精神的なストレスは大きくなります。ただ、徐々に寝たきりになって行きますが、いわゆる“床ずれ”が出来にくいという特徴もあります。

ALSの推定人数は、今のところ日本で大体6,000名から7,000名くらい、難病登録をしている患者さんの数は、平成16年度末のデータでは7,000名くらいと言われています。発症年齢は平均59歳、男性の方が1.5倍くらいの割りで多いという統計が出ています。以上、ALSの概略を述べました。

 

 


巨人、エース菅野でも勝てず…DeNAと4・5差に…8試合で1勝7敗と大失速

2019年07月27日 06時42分07秒 | 野球

「巨人2-4阪神」(26日、東京ドーム)

 巨人が大量10人を入れ替えるテコ入れも実らず、エース・菅野で落として3連敗。2位DeNAとの差が4・5に縮まった。

 菅野は立ち上がりピリッとせず、先頭・近本に死球を与えると、。続くソラーテには四球。この後、1死二、三塁とされると、大山に左犠飛を献上し、先制点を許した。

 続く二回にも無死からマルテ、糸原に連打を浴びると、坂本の併殺打の間に2点目を失った。

 五回に坂本勇の右前適時打で1点を返すと、六回には菅野の代打・阿部が押し出し四球を選んで同点に追いついた。

 しかしそれもつかの間。2番手の田口が七回2死から安打を許すと、続くソラーテに特大の決勝2ランを浴びた。

 この日はマシソン、ヤングマン、ビヤヌエバ、陽岱鋼、中島の5人を抹消し、代わって戸根、田中俊、石川、ゲレーロ、クックの5人が再昇格。原監督は「チームで動いているわけだから」と再浮上の起爆剤にともくろんだが、これで、ここ8試合で1勝7敗と大失速。一時はセ・リーグの貯金を独占するなど独走状態から一転、混戦ムードになってきた。


矢野監督、遊撃ソラーテ「動きは悪くない」一問一答

2019年07月27日 03時01分26秒 | 野球


[2019年7月26日日刊スポーツ]

巨人対阪神 7回表阪神2死一塁、勝ち越しの左越え2点本塁打を放つヤンハービス・ソラーテ
巨人対阪神 6回途中から登板する島本浩也

<巨人2-4阪神>◇26日◇東京ドーム

-2番ソラーテはクリーンアップを動かしたくないからか

矢野監督 打撃も全部分かっているわけじゃない。どこがいいか分からない。日々探しながらというところで2番でスタートしたということ。

-外国人遊撃は珍しい

矢野監督 今日も数は少なかったけど、動きは悪くない。まだ今日の試合ですべては見えない。ある程度、ショートはこなせる。いろいろ試しながらやっていきたい。

-7、8回の投手起用は流動的か

矢野監督 そうやね。まあ、優(岩崎)も、すごいいい球を投げてくれた。良かった。

-高橋遥はよく投げた

矢野監督 福原も「代えた方が」と言ってくれていた。総合的になかなか俺がその判断ができなくて島本が踏ん張ってくれた。中5日で初めてのところでよく投げてくれたし、ホントはアイツに勝ちをつけてあげたかった。

-1、2軍で大量入れ替えは空気を変えたいから

矢野監督 それもあるけど、能見もちょっと疲れもあった。まだまだ頑張ってもらわなあかん。ファームで頑張っている選手や、高野もトレードで来てチャンスをどこかで与えて見てみたい。


ソラーテが阪神史上初の途中入団助っ人デビュー戦弾

2019年07月27日 02時53分29秒 | 野球

[2019年7月27日日刊スポーツ]

<巨人2-4阪神>◇26日◇東京ドーム

阪神の新外国人、ヤンハービス・ソラーテ内野手(32=マーリンズ傘下)が勝ち越しの来日1号を放った。

   ◇    ◇    ◇

浮沈の鍵を握る新助っ人が衝撃デビューを飾った。同点で迎えた7回2死一塁。右打席に入ったソラーテが巨人田口のスライダーに反応した。打球は大きな放物線を描き、左翼席へ。来日から6日目でスピード合流し、いきなりの1号アーチ。しかもそれが決勝弾になった。

「信じられない気持ち。鳥肌も立った。まるで自分の国で応援されているかのような大歓声の中で(プレー)できたのは幸せ。今まで聞いたことがないような大歓声の中でダイヤモンドを1周できて最高の気分でした」

途中入団の助っ人が日本デビュー戦でアーチを放つのは球団史上初。左翼4階席への着弾を確認しても、全力疾走を続けた。大きく両手をたたき、三塁を蹴るとステップを踏む。最後は華麗にポージングを決め、一気に虎党のハートをつかんだ。「セクシータイム」の愛称で呼ばれる理由だ。

揺れる心をついに固めた。昨年に阪神からオファーを受けていた。守るべきは家族。悩みに悩んだ転職は、大切な存在のため。32歳で覚悟を持って、海を渡った。「感情を出すことも、ホームランを打った後に何かすることも野球に対してのリスペクト。自分の子どもたちのためにと思ってやりました」。試合中も娘3人が写った「♯1DAD」と刻まれたペンダントをつけている。

「自分の全エネルギーを使って、これからもやっていきたい。全力でどのポジションを任されてもやりたい」。遊撃の守備も軽快にこなした。27日は左翼でスタメン予定。貧打にあえぐチームにとって、強烈なカンフル剤になった。さあ反撃開始だ。ソラーテが猛虎の救世主になる。【真柴健】

▽阪神矢野監督(ソラーテの劇的アーチに)「2死からだった。一振りで決めてくれるのは、本当に理想的な形。(点が取れず)同じような負け方で変わらなかった。そういう部分できてもらった選手。わからない部分も多いけど、やってみて判断すればいい」

▽阪神浜中打撃コーチ(ソラーテについて)「この球場は本塁打で試合が決まることが多い。最高の形。右打席は苦労すると思っていた。かなり実戦での対応力がある」

<データ>

▼阪神外国人の先発2番は、07年6月6日楽天戦でのシーツ以来12年ぶり。来日初戦となると、00年5月6日広島戦ハートキー以来、19年ぶり。

▼阪神の外国人が遊撃を守ったのは、07年10月3日ヤクルト戦シーツ以来、12年ぶり。来日初戦での先発遊撃に限ると、球団初。

▼阪神の外国人が「2番・遊撃」で先発出場したのは、63年6月26日大洋戦でのヤシック以来、56年ぶり。

▼阪神の外国人が来日初戦で本塁打を放ったのは4人目。過去3人はいずれも開幕戦で、89年4月8日広島戦フィルダー、91年4月6日大洋戦オマリー、95年4月7日中日戦グレンに続いた。なお決勝本塁打となると、89年フィルダー以来、30年ぶり。

▼途中入団した阪神の外国人の初戦本塁打は、前西武のブラゼルが09年6月5日オリックス戦で記録して以来、10年ぶり。阪神にシーズン途中入団した外国人が日本デビュー戦で本塁打を記録したのは、ソラーテが初となった。



阪神藤川が初セーブ「球児につなごう」ブルペン一丸

2019年07月27日 02時45分12秒 | 野球

[2019年7月26日日刊スポーツ]

巨人対阪神 最後を締めセーブをあげる藤川球児

<巨人2-4阪神>◇26日◇東京ドーム

猛虎史上最高の守護神が帰ってきた。4-2の9回2死二塁。フルカウントから巨人丸のバットが147キロ直球に空を切った。その瞬間、マウンドの藤川はグラブをポンとたたき大きく息を吐いた。「2点差はあったので、ランナーは気にせずにいきました」。先頭の代打立岡に中越え二塁打を浴びたが、坂本、丸ら主軸に仕事をさせず。中継ぎ陣がつないだゼロのバトンを落とすことはなかった。18年9月12日中日戦以来、317日ぶりとなる今季初セーブだ。

緊急事態だった。球宴明け3試合登板のうち2試合で失点していた今季19セーブの守護神ドリスが出場選手登録を抹消された。矢野阪神の命綱とも言えるストッパー。指揮官が最終回を託したのは経験豊富な藤川だった。ブルペンを預かる金村投手コーチは試合前に中継ぎ陣を集めて「球児につなごう!」と号令。その言葉通り虎のブルペン力が結集した。

培った経験と実行力は20代の選手が多いブルペン陣の「教科書」になっている。金村コーチは「練習だけで強くするんじゃなくて、シーズンを通じて強くすることを教えてくれる」と話す。いつ出番が回ってくるか分からない持ち場。登板が続くこともある。時には身体のケアに時間を割く。時にはランニングメニューを増やす。用意されたメニューだけではなく自分の状態を考慮し、ベストな調整法を探る姿は、まさに生きた教材だ。

「新しい戦い方になってくる。ドリスのこととかあるけど、勝負に私情を挟んではいけない。これから慣れてくると思う」。藤川は前を向いてそう話した。「チームにとっても新たなスタート。そういう試合になった」とうなずいた矢野監督は「抑えは球児っていうのは決めているけど、その前は状況を見ながら」と方針を示した。NPB通算226セーブ。名球会入りも見据えるレジェンドが窮地のチームを救う。【桝井聡】