「消臭力」でおなじみの会社「エステー」
その会長である鈴木喬氏は、時々「がっちりマンデー」という番組で見たことがあった。
面白い人だなあと思っていたが、月刊誌「致知」2月号では、「二十代をどう生きるか」という連載で語っていた。
読む前に内容を予想した。
この方は、きっと破天荒な考え方、常識破りの考え方で二十代を過ごし、しかし結果は残してきた方だろう・・・と。
読んでみたが、やはり面白い方である。
引用と感想を書いていたら、長くなりました。
こんな内容で以下、書いてます。
○ 鈴木氏の昭和観
○ 幼少期
○ 二十代
○ 営業の極意
○ 経営者の在り方と若い人へのアドバイス
はじめから「鈴木節」全開である。
○ 鈴木氏の昭和観
現在の日本は非常に恵まれた環境だと思うからだ。
第一、餓死する人がいないし、失敗しても命までは取られない。
僕ら昭和初期に生まれた世代は幼少期から常にお腹を空かせており、ドンパチドンパチ戦争が起こっていた。
戦後は傷夷軍人や戦災孤児があちこちにいて、皆が生きるか死ぬかの日々を必死に生き抜いてきた。
よく「昭和の時代はよかった」というが、僕は「嘘をつけ」と思う。
鈴木氏が二十代を過ごした昭和と比べても、現在の日本は非常に恵まれている。
それを実感として、本音で語る鈴木氏の言葉は心に残る。
それにしても「嘘をつけ」という表現は鈴木氏らしい。(失礼かな?)
○ 幼少期
幼少期については、次のように述べている。
僕は小学校も中学校もろくに通った記憶がない。
疎開者だというだけで、同級生や先生から執拗ないじめを受けていたし、戦後の混乱の中で学校どころではなかった。
これは私の想像だが、おそらく、鈴木氏は、子供の頃から他の子供とは少し変わっていたのではないか。
子供は(大人も)変わっている人に対して、違和感を感じる。時には恐怖を感じる。
同調圧力が強かった田舎の中では、疎開者であることに加えて変わっている子供であれば、なおさらいじめの対象となったのではないだろうか。(だからといっていじめることを肯定できない。先生からの執拗ないじめなどとんでもないことである。)
○ 二十代
二十代の頃の描写があった。
とはいえ、仕事は非常に面白く、成果も上げてきた。
ニッセイは個人保険では国内トップを誇っていたものの、法人保険では後塵を拝していた。
そこに目をつけ、持ち前の型破りな思考で、四十歳の時に法人事業を立ち上げた。
そして社員数一万人以上の会社をリストアップし、何度追い返されようとも訪問を続けた結果、年問一兆円超の企業保険契約を受注するトップセールスマンヘと駆け上がった。
やはり、予想したとおり、結果を残す人だった。やり方は変わっているけれども、目の付け所が他の人とは違うのだろう。
○ 営業の極意
トップ営業マンだった鈴木氏が、営業の極意を語っている。
営業力とはつまるところ調査と情報だ。
重要な人に会ったら、黙って相手の話に耳を傾ける。
そして「なるほど」「それで」「さすが」、この三言しか口にしない。
相手に話をさせることで相手が望む情報が何なのか、何を求めているのかを引き出すのだ。
できればその企業の社史や有価証券報告書、十年分の新聞記事を読み込んでから臨むといい。
相手以上に相手の企業を熟知できていれば、掴んだ情報を小出しにするうちに、「こいつは使える」と思ってもらえる。
結局、営業の極意はしゃペ喋らないことに尽きる。
どの業界を見渡しても、よく喋るトップセールスマンはいないだろう。
営業力の極意は、「聴くこと」と「調べておくこと」と言えるだろう。
○ 経営者の在り方と若い人へのアドバイス
続いて、経営者の在り方と若い人へのアドバイスを述べている。
経営者の仕事とは、畢覚「決断」だ。
加えて大切なのは「運と勘と度胸」、ドシッと肚(はら)を据えること。ちよっと図太いほうが、何事もうまくいく。
いまの若い人に必要なのは、根拠がなくてもいいから自信を持つこと。
最近は優秀な若者が増えたが、そういう人に限って失敗を恐れる傾向が強い。
失敗してもまた立ち上がる。
その繰り返しで度胸も自信もつくものだ。
だからちょっと図太くホラでも吹いているほうが案外うまくいくと、いまを生きる若者にアドバイスを贈りたい。
鈴木氏の、このタフさはいったいどんな経験から生まれたのだろう。
きっと、母親か誰かからとても慈しみ、愛されていたのではないだろうか。
その安心感から、このアイデアや行動力が生まれているような気がする。
その会長である鈴木喬氏は、時々「がっちりマンデー」という番組で見たことがあった。
面白い人だなあと思っていたが、月刊誌「致知」2月号では、「二十代をどう生きるか」という連載で語っていた。
読む前に内容を予想した。
この方は、きっと破天荒な考え方、常識破りの考え方で二十代を過ごし、しかし結果は残してきた方だろう・・・と。
読んでみたが、やはり面白い方である。
引用と感想を書いていたら、長くなりました。
こんな内容で以下、書いてます。
○ 鈴木氏の昭和観
○ 幼少期
○ 二十代
○ 営業の極意
○ 経営者の在り方と若い人へのアドバイス
はじめから「鈴木節」全開である。
○ 鈴木氏の昭和観
現在の日本は非常に恵まれた環境だと思うからだ。
第一、餓死する人がいないし、失敗しても命までは取られない。
僕ら昭和初期に生まれた世代は幼少期から常にお腹を空かせており、ドンパチドンパチ戦争が起こっていた。
戦後は傷夷軍人や戦災孤児があちこちにいて、皆が生きるか死ぬかの日々を必死に生き抜いてきた。
よく「昭和の時代はよかった」というが、僕は「嘘をつけ」と思う。
鈴木氏が二十代を過ごした昭和と比べても、現在の日本は非常に恵まれている。
それを実感として、本音で語る鈴木氏の言葉は心に残る。
それにしても「嘘をつけ」という表現は鈴木氏らしい。(失礼かな?)
○ 幼少期
幼少期については、次のように述べている。
僕は小学校も中学校もろくに通った記憶がない。
疎開者だというだけで、同級生や先生から執拗ないじめを受けていたし、戦後の混乱の中で学校どころではなかった。
これは私の想像だが、おそらく、鈴木氏は、子供の頃から他の子供とは少し変わっていたのではないか。
子供は(大人も)変わっている人に対して、違和感を感じる。時には恐怖を感じる。
同調圧力が強かった田舎の中では、疎開者であることに加えて変わっている子供であれば、なおさらいじめの対象となったのではないだろうか。(だからといっていじめることを肯定できない。先生からの執拗ないじめなどとんでもないことである。)
○ 二十代
二十代の頃の描写があった。
とはいえ、仕事は非常に面白く、成果も上げてきた。
ニッセイは個人保険では国内トップを誇っていたものの、法人保険では後塵を拝していた。
そこに目をつけ、持ち前の型破りな思考で、四十歳の時に法人事業を立ち上げた。
そして社員数一万人以上の会社をリストアップし、何度追い返されようとも訪問を続けた結果、年問一兆円超の企業保険契約を受注するトップセールスマンヘと駆け上がった。
やはり、予想したとおり、結果を残す人だった。やり方は変わっているけれども、目の付け所が他の人とは違うのだろう。
○ 営業の極意
トップ営業マンだった鈴木氏が、営業の極意を語っている。
営業力とはつまるところ調査と情報だ。
重要な人に会ったら、黙って相手の話に耳を傾ける。
そして「なるほど」「それで」「さすが」、この三言しか口にしない。
相手に話をさせることで相手が望む情報が何なのか、何を求めているのかを引き出すのだ。
できればその企業の社史や有価証券報告書、十年分の新聞記事を読み込んでから臨むといい。
相手以上に相手の企業を熟知できていれば、掴んだ情報を小出しにするうちに、「こいつは使える」と思ってもらえる。
結局、営業の極意はしゃペ喋らないことに尽きる。
どの業界を見渡しても、よく喋るトップセールスマンはいないだろう。
営業力の極意は、「聴くこと」と「調べておくこと」と言えるだろう。
○ 経営者の在り方と若い人へのアドバイス
続いて、経営者の在り方と若い人へのアドバイスを述べている。
経営者の仕事とは、畢覚「決断」だ。
加えて大切なのは「運と勘と度胸」、ドシッと肚(はら)を据えること。ちよっと図太いほうが、何事もうまくいく。
いまの若い人に必要なのは、根拠がなくてもいいから自信を持つこと。
最近は優秀な若者が増えたが、そういう人に限って失敗を恐れる傾向が強い。
失敗してもまた立ち上がる。
その繰り返しで度胸も自信もつくものだ。
だからちょっと図太くホラでも吹いているほうが案外うまくいくと、いまを生きる若者にアドバイスを贈りたい。
鈴木氏の、このタフさはいったいどんな経験から生まれたのだろう。
きっと、母親か誰かからとても慈しみ、愛されていたのではないだろうか。
その安心感から、このアイデアや行動力が生まれているような気がする。
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