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ごく当たり前の日々が、「大切な日々だ」と気づかせてくれたエッセー

2022年04月01日 | 修養

 いまだに貸家住まいである。

 これまでも何回か引っ越しをしてきた。

 時々、以前住んでいた家の横を通ることがある。

 すると、その時の情景が次々と浮かんでくる。

 まだ長男と長女が小さくて、

 「夏は、庭でビニールプールの中で水かけっこをして遊んでいたなあ」とか、

 「この小道で年長さんだった長女が自転車の乗る練習をしたなあ」とか、

 「家の前の田んぼでは、お正月に凧揚げをしたなあ」とか、

 その当時は、ごく当たり前の日々だったが、そのどれもが今は懐かしい思い出である。

 

 当たり前だけれども、今このときも、数年後には懐かしい思い出になることだろう。

 平凡な日々だけれども、大事な毎日である。

 

 こんなことを書いたのは、昨日の産経新聞「朝晴れエッセー」を読んだからである。

 タイトルは、「空っぽの部屋 3月30日」

 書いたのは、東京都中野区の63才男性 

 転勤族だったこの方は、昨年3月に退職して社宅から退去し、最後の引っ越しを終えた。

 新婚で入居した社宅の思い出

 子育てに明け暮れた社宅の思い出

 そして、最後の社宅での思い出が綴ってあった。

 それぞれの社宅には、その時その時の大切な思い出が詰まっていることだろう。

 次の言葉が心に残った。私も同じことをしていたからである。

 

 空っぽの部屋にはその時々のさまざまな思い出が染み付いていた。退去の時はいつも「お世話になりました」と部屋にお辞儀をして鍵を閉めてきた。最後の引っ越しの時も同じことをした。

空っぽの部屋が目に焼き付いた。

 

 この「朝晴れエッセー」おすすめです。

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