「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

人間は何をつくってきたか 2005・10・05

2005-10-05 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「NHK教育テレビ特別番組『人間は何をつくってきたか』――夜八時から毎回一時間、連続六回のうち三回と半分を見た。

 人間はこれまで何をつくってきたかというのは永遠のテーマで、私たちは小学校以来なじみである。人はこれまで汽車を

 汽船を自動車を飛行機をつくった。スチーブンソンがフルトンがライトがつくったと、戦前の教科書も戦後の教科書も、

 まるで自分がつくったように自慢した。

  昔は夜は暗かったが、今は明るい。昔は歩いて旅したが今は自動車で飛行機で旅する。昔は不便だったが今は便利だと

 教科書はいうから、しぜん子供は信じた。

  今回の特別番組はそのテレビ版で、全く同じ精神に貫かれている。私たちは自分の生れた時代が、一番いい時代だと

 思わなければいられないように教育されている。

  だから私たちは二千年前の墓を発掘して、なかに高い文化があるといって驚くのである。絹がある文字がある漆器が

 ある竹牌がある。

  そんなもの、あるにきまっている。彫刻家平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)翁は百七歳で死んだ。二千年は平櫛翁二十

 人分にすぎない。一弾指である。一弾指は二十瞬だという。

  二千年前はシナでは孔孟老荘、ギリシャではソクラテスプラトンの時代である。我らは彼らの知恵に加うるに何を

 持つというのだろう。

  だから新幹線がある自動車がある飛行機があるというのだろうが、むかし私たちは二本の足で一里(約四キロ)を

 一時間で歩いた。今自動車で一里を五分で行くとすれば、今は昔に勝るか。自動車を独占してひとり五分で行けるなら

 勝るが、皆さん五分で行くのだから、歩いた昔と同じではないかと、私は旧著のなかで笑ったことがある。

  『人間は何をつくってきたか』は好評でさらに続編を製作する予定らしいが、それは『原水爆をつくった』で結んで、

 被爆者のあの写真を並べるがいい。自動車や飛行機をつくった知恵の極にはこれがある。その知恵の末端の自動車を

 享楽して、先端の原水爆だけ許さないと叫んでも、それは出来ない相談である。自慢話の最後はこれでしめくくるがいい。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)




                      
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