今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「NHK教育テレビ特別番組『人間は何をつくってきたか』――夜八時から毎回一時間、連続六回のうち三回と半分を見た。
人間はこれまで何をつくってきたかというのは永遠のテーマで、私たちは小学校以来なじみである。人はこれまで汽車を
汽船を自動車を飛行機をつくった。スチーブンソンがフルトンがライトがつくったと、戦前の教科書も戦後の教科書も、
まるで自分がつくったように自慢した。
昔は夜は暗かったが、今は明るい。昔は歩いて旅したが今は自動車で飛行機で旅する。昔は不便だったが今は便利だと
教科書はいうから、しぜん子供は信じた。
今回の特別番組はそのテレビ版で、全く同じ精神に貫かれている。私たちは自分の生れた時代が、一番いい時代だと
思わなければいられないように教育されている。
だから私たちは二千年前の墓を発掘して、なかに高い文化があるといって驚くのである。絹がある文字がある漆器が
ある竹牌がある。
そんなもの、あるにきまっている。彫刻家平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)翁は百七歳で死んだ。二千年は平櫛翁二十
人分にすぎない。一弾指である。一弾指は二十瞬だという。
二千年前はシナでは孔孟老荘、ギリシャではソクラテスプラトンの時代である。我らは彼らの知恵に加うるに何を
持つというのだろう。
だから新幹線がある自動車がある飛行機があるというのだろうが、むかし私たちは二本の足で一里(約四キロ)を
一時間で歩いた。今自動車で一里を五分で行くとすれば、今は昔に勝るか。自動車を独占してひとり五分で行けるなら
勝るが、皆さん五分で行くのだから、歩いた昔と同じではないかと、私は旧著のなかで笑ったことがある。
『人間は何をつくってきたか』は好評でさらに続編を製作する予定らしいが、それは『原水爆をつくった』で結んで、
被爆者のあの写真を並べるがいい。自動車や飛行機をつくった知恵の極にはこれがある。その知恵の末端の自動車を
享楽して、先端の原水爆だけ許さないと叫んでも、それは出来ない相談である。自慢話の最後はこれでしめくくるがいい。」
(山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
「NHK教育テレビ特別番組『人間は何をつくってきたか』――夜八時から毎回一時間、連続六回のうち三回と半分を見た。
人間はこれまで何をつくってきたかというのは永遠のテーマで、私たちは小学校以来なじみである。人はこれまで汽車を
汽船を自動車を飛行機をつくった。スチーブンソンがフルトンがライトがつくったと、戦前の教科書も戦後の教科書も、
まるで自分がつくったように自慢した。
昔は夜は暗かったが、今は明るい。昔は歩いて旅したが今は自動車で飛行機で旅する。昔は不便だったが今は便利だと
教科書はいうから、しぜん子供は信じた。
今回の特別番組はそのテレビ版で、全く同じ精神に貫かれている。私たちは自分の生れた時代が、一番いい時代だと
思わなければいられないように教育されている。
だから私たちは二千年前の墓を発掘して、なかに高い文化があるといって驚くのである。絹がある文字がある漆器が
ある竹牌がある。
そんなもの、あるにきまっている。彫刻家平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)翁は百七歳で死んだ。二千年は平櫛翁二十
人分にすぎない。一弾指である。一弾指は二十瞬だという。
二千年前はシナでは孔孟老荘、ギリシャではソクラテスプラトンの時代である。我らは彼らの知恵に加うるに何を
持つというのだろう。
だから新幹線がある自動車がある飛行機があるというのだろうが、むかし私たちは二本の足で一里(約四キロ)を
一時間で歩いた。今自動車で一里を五分で行くとすれば、今は昔に勝るか。自動車を独占してひとり五分で行けるなら
勝るが、皆さん五分で行くのだから、歩いた昔と同じではないかと、私は旧著のなかで笑ったことがある。
『人間は何をつくってきたか』は好評でさらに続編を製作する予定らしいが、それは『原水爆をつくった』で結んで、
被爆者のあの写真を並べるがいい。自動車や飛行機をつくった知恵の極にはこれがある。その知恵の末端の自動車を
享楽して、先端の原水爆だけ許さないと叫んでも、それは出来ない相談である。自慢話の最後はこれでしめくくるがいい。」
(山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)