今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「永井荷風は少年のころ、子供は新聞なんか読むものではないと親に禁じられていたという。今も昔も新聞は売るに急で、好んで醜聞をあばく。当時『蓄妾実例』と題して、妾を持つ名士の私行を連載してよく売れた新聞があった。
そのころだって蓄妾はいいことではなかったから、あばかれれば一家は世間に顔むけできなかった。妾は持たないが持つ力のあるものは新聞を憎んだ。持つ力のないものは持てるものが槍玉にあげられているのを見て快哉を叫んだ。
新聞は読者の嫉妬心をあおって、それを正義だと自分も思い読者にも思わせた。
のちに荷風は職業を選ぶに当って、新聞記者になろうか、いや自分はあるいは泥棒にはなっても、正義と人道を売りものにするものだけにはなるまいと思ったと書いた。
私の父は昭和三年五十にならないで死んだが、やはり子供たちに新聞を読むことを禁じた。禁じられたからかえって私は読んだのである。記事ばかりか広告の文句まで読んだのである。昭和初年の新聞は総ルビ付だったから小学生にも読めた。
なぜ禁じたかと今にして思うと、新聞は誇張する欺く誤るからで、大人はそれを承知して割引いて見るからいいが、子供はうのみにする。
以来なん十年、今の子供は新聞を全く読まなくなった。それは小学校の先生が読め読め特に社説を読めと強いるからで、それで見るのもイヤになったのである。読ませたいならきびしく読むことを禁じるがいい。
『新聞はきょうの目あすの目未来の目』というのが昭和五十五年の『新聞週間』の標語である。新聞週間の標語には『新聞で見る知る正しく批判する』(四十一年)『新聞は記事に責任主張に誇り』(五十年)などというのがあって、いずれも噴飯ものである。さすがに気がとがめるのか今年は鳴物入りで書かないで、いつ始まったとも知れないうちに終った。」
(山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
「永井荷風は少年のころ、子供は新聞なんか読むものではないと親に禁じられていたという。今も昔も新聞は売るに急で、好んで醜聞をあばく。当時『蓄妾実例』と題して、妾を持つ名士の私行を連載してよく売れた新聞があった。
そのころだって蓄妾はいいことではなかったから、あばかれれば一家は世間に顔むけできなかった。妾は持たないが持つ力のあるものは新聞を憎んだ。持つ力のないものは持てるものが槍玉にあげられているのを見て快哉を叫んだ。
新聞は読者の嫉妬心をあおって、それを正義だと自分も思い読者にも思わせた。
のちに荷風は職業を選ぶに当って、新聞記者になろうか、いや自分はあるいは泥棒にはなっても、正義と人道を売りものにするものだけにはなるまいと思ったと書いた。
私の父は昭和三年五十にならないで死んだが、やはり子供たちに新聞を読むことを禁じた。禁じられたからかえって私は読んだのである。記事ばかりか広告の文句まで読んだのである。昭和初年の新聞は総ルビ付だったから小学生にも読めた。
なぜ禁じたかと今にして思うと、新聞は誇張する欺く誤るからで、大人はそれを承知して割引いて見るからいいが、子供はうのみにする。
以来なん十年、今の子供は新聞を全く読まなくなった。それは小学校の先生が読め読め特に社説を読めと強いるからで、それで見るのもイヤになったのである。読ませたいならきびしく読むことを禁じるがいい。
『新聞はきょうの目あすの目未来の目』というのが昭和五十五年の『新聞週間』の標語である。新聞週間の標語には『新聞で見る知る正しく批判する』(四十一年)『新聞は記事に責任主張に誇り』(五十年)などというのがあって、いずれも噴飯ものである。さすがに気がとがめるのか今年は鳴物入りで書かないで、いつ始まったとも知れないうちに終った。」
(山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)