今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「韓国人が日本人を憎んでいることは知られだしたが、それが度を超えていることは知られていない。
”朝鮮征伐”ということばが『広辞苑』にあるのを削れといってもめたことがある。韓国人は文禄慶長の役と
聞いただけで顔色をかえるという。だから加藤清正の虎退治の話なんかするのは禁物である。いつぞやの
光州事件というのはシラギとクダラの争いだと読んだことがある。光州育ちは差別されて絶対に出世しない
そうである。してみれば同じ民族の間の怨みも深いのである。
怨みを忘れないのは韓国人だけではない。スターリンは第二次大戦末期に参戦して、これで日露戦争の
怨みをはらしたと言ったと読んで私は驚いた。日本人は日露戦争の勝利に酔って他を忘れている。だから
怨みと言われて驚いたのである。
かれらとくらべるとわれらは怨むということを知らないに近い。なるほど韓国人に好意を持たない日本人は
多いが、それは韓国人が日本人を憎んでいるのとはくらべものにならない。
日本はアメリカと戦って敗けて占領されながらアメリカ人を憎まない。怨まない。マッカーサー元帥が解任
され日本を去るときなど『マッカーサー元帥萬歳』をとなえんばかりだった。ソ連の参戦とそのあとの強制連行
と過酷な労働によって何万という人が殺されたことを言う人は少い。したがって怨む人もまた少い。
蒋介石は怨みに報いるに徳をもってするといって日本人全員を早速送りかえした。賠償を求めないと声明を
発した。それを恩義に感じている人は稀である。
このぶんでは原爆許すまじも口さきだけで、本気で憎んでいる人はないのではないか。日本人は恩怨ともに
忘れる。千年前の怨みを忘れないのはよいことではないが、すぐ忘れるのもまたよくないのではないか。そして
忘れる国民は忘れない国民に犇とかこまれているのである。」
(山本夏彦著「良心的」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)