今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、「花開いて風雨多し」という題のコラムの一節とその補足。
「昭和三十年ごろ私はタキシーで東京中の桜を見て歩いたことがある。上野九段飛鳥山、あまりの人出に辟易して青山墓地ならいいだろうと行ってもらった。墓地の桜は早や散るところで、春の日は暮れかけて人影もまばらだった。私は車を待たせて、道もせに散る花を踏んで歩いた。するとどこからかひそかにさんざめく声がする。
怪しんで近づくと、墓の前に緋もうせんを敷いた一族が、酒盛をして死んだ人と話をしているのである。それが花やいで聞えたのはなかに娘と幼な子の声がまじっていたからである。(略)
昭和十九年、敗戦の報しきりにいたるころ神楽坂の毘沙門の桜の前で深夜、うら若い女がお百度をふんでいるのを見た。女は血相が変っている。ああ結婚したばかりなのだなと分った。お百度まいりというものを見たのはこれが初めであり終りである。
花開いて風雨多しという。花を踏んで同じく惜しむ少年の春という。さまざまなこと思いだす桜かなという。私は待ってもらっていた車で帰った。
――私の記憶のなかには道も狭(せ)に散る山桜かなという歌がある。調べれば分るが私は調べるのがにが手である。花を踏んで同じく惜しむ少年の春は白楽天の詩で『和漢朗詠集』にある。さまざまなこと思いだす桜かなは芭蕉の句である。」
(山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
「昭和三十年ごろ私はタキシーで東京中の桜を見て歩いたことがある。上野九段飛鳥山、あまりの人出に辟易して青山墓地ならいいだろうと行ってもらった。墓地の桜は早や散るところで、春の日は暮れかけて人影もまばらだった。私は車を待たせて、道もせに散る花を踏んで歩いた。するとどこからかひそかにさんざめく声がする。
怪しんで近づくと、墓の前に緋もうせんを敷いた一族が、酒盛をして死んだ人と話をしているのである。それが花やいで聞えたのはなかに娘と幼な子の声がまじっていたからである。(略)
昭和十九年、敗戦の報しきりにいたるころ神楽坂の毘沙門の桜の前で深夜、うら若い女がお百度をふんでいるのを見た。女は血相が変っている。ああ結婚したばかりなのだなと分った。お百度まいりというものを見たのはこれが初めであり終りである。
花開いて風雨多しという。花を踏んで同じく惜しむ少年の春という。さまざまなこと思いだす桜かなという。私は待ってもらっていた車で帰った。
――私の記憶のなかには道も狭(せ)に散る山桜かなという歌がある。調べれば分るが私は調べるのがにが手である。花を踏んで同じく惜しむ少年の春は白楽天の詩で『和漢朗詠集』にある。さまざまなこと思いだす桜かなは芭蕉の句である。」
(山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)