「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・04・24

2006-04-24 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「たとえば馬は胎内ですでに馬で、生れるとすぐ(すこしよろめくが)脚をふみしめふみしめ歩くことはご覧の通りである。人は歩くまでに一年前後かかる。話すまでにはもっとかかる。胎内に二年以上いなければならないのに、早く生れすぎたのでそれだけ不完全でそれだけ手がかかる。
 人は他の動物にくらべてとても生き残れない存在なのに、こん日の繁殖を見たのはホモ・サピエンス、知恵あるおかげ、またホモ・ファベル、道具を持つようになったからだといわれている。
 知恵いでて大偽(たいぎ)ありと私は子供心にぼんやり知っていた。生きて甲斐ない世の中だと私は幼ないとき天啓のごときを受けたのである。
 私は他人と交って知るより自分を見て知ったのである。親友の幸運は一度は嬉しいが、二度三度かさなると嬉しくない、その友の悲運は気の毒だが見舞にかけつける足はおのずと勇む。そのことを私は自分のなかに見たのである。他人のなかに見たのではない。
 私のコラムのたぐいはその観察の記録で、決して他をとがめているのではない。その目で私は他の毛もの、他の虫けらを見て知ったのである。
 私はわがアパートのベランダに来る鳩や雀が、去年おととしの鳩と全く同じだと見てどれがどれの子孫だとは知るよしもない。あのおびただしい雀や鳩はその死体を見せない。ある日突然死期をさとって、去ってそこで眠るがごとく死ぬのである。人は禽獣に及ばず。」

  (山本夏彦著「寄せては返す波の音」新潮社刊 所収)
  
コメント
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