今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日引用した「蝉しぐれ 子の誕生日なりしかな 敦」と題した平成十年初出のコラムの続きです。
「やがて久保田万太郎が死んで、安住はそのあとを継いで旧に倍する結社に育てた。『安住敦百句』『古暦』など句集が出るたびに贈ってくれた。
しぐるるや駅に西口東口
『田園調布』という前書がある。この駅なら東京名物である。昭和十六年初めて私はこの駅に降りた。若年の編集者として岡鬼太郎翁に原稿を頼みに行ったのである。翁は名だたる劇評家で、画家の岡鹿之助の父君である。昭和初年には枯枝みたいだった(ろう)銀杏並木は既に大木になっていた。
春昼や魔法のきかぬ魔法壜
うぐひすや母は亡くとも母の家
共に百句のなかの秀句である。春燈同人には鈴木真砂女がある、渋沢秀雄がある。真砂女は安房鴨川の旅館の女あるじで、思ってはならぬ男を思い思われて家を捨てて東京に出た。やがて男と別れ、帰る家はなし銀座のはずれに『卯波』という小料理屋を開いて四十年になる。卯波は卯月のころ立つ波だという。故郷忘じがたく貧しい店にこの美しい名をつけた。『あるときは船より高き卯波かな』。
渋沢秀雄は渋沢栄一の晩年の子で、まかされて田園調布の都市計画に当った。実業家より文人で春燈同人の一人で『年賀状来る数減りし今年かな』(今年で九十歳になる)という句なら以前この欄に紹介したことがある。」
(山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)
「やがて久保田万太郎が死んで、安住はそのあとを継いで旧に倍する結社に育てた。『安住敦百句』『古暦』など句集が出るたびに贈ってくれた。
しぐるるや駅に西口東口
『田園調布』という前書がある。この駅なら東京名物である。昭和十六年初めて私はこの駅に降りた。若年の編集者として岡鬼太郎翁に原稿を頼みに行ったのである。翁は名だたる劇評家で、画家の岡鹿之助の父君である。昭和初年には枯枝みたいだった(ろう)銀杏並木は既に大木になっていた。
春昼や魔法のきかぬ魔法壜
うぐひすや母は亡くとも母の家
共に百句のなかの秀句である。春燈同人には鈴木真砂女がある、渋沢秀雄がある。真砂女は安房鴨川の旅館の女あるじで、思ってはならぬ男を思い思われて家を捨てて東京に出た。やがて男と別れ、帰る家はなし銀座のはずれに『卯波』という小料理屋を開いて四十年になる。卯波は卯月のころ立つ波だという。故郷忘じがたく貧しい店にこの美しい名をつけた。『あるときは船より高き卯波かな』。
渋沢秀雄は渋沢栄一の晩年の子で、まかされて田園調布の都市計画に当った。実業家より文人で春燈同人の一人で『年賀状来る数減りし今年かな』(今年で九十歳になる)という句なら以前この欄に紹介したことがある。」
(山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)