「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・04・02

2006-04-02 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日引用した「さきだつ不孝をお許しください」と題した小文の続きです。

 「孝が決定的になくなるのは戦後である。『君には忠、親には孝』のうち忠は首尾よく退治できたが孝は始末に困った。自然の情だから心配するな、子は孝養を尽してくれると識者は言ったが、子は尽さなかった。禽獣の親は仔が一人前になるまでは実によく面倒をみるが、一人前になるとあかの他人である、それが自然で孝は自然ではない、教育なのである。
 だから支那では二千年以上かかって孝を教えこんだのである。いくら教えても自然でないものは一朝にして雲散霧消する。いま親の老後は子供の全員がみることになっているが、全員が見るということは誰も見ないことで、子は国に老人ホームをつくれという。
 いくら善美をつくした老人ホームでも幼な子のいないホームはホームではない。老若男女がいてはじめて浮世である。赤子がいるから老人は死ねるのである。あれは老人の生れ変りである。選手は交替するのである。
 いかにも孝はうそである。三年喪に服すといって、喪中の主人の前で客が親の諱(いみな)を口にすると主人は声をあげて泣かなければならぬと教えるが如きは大うそである。けれどもうそを全く滅ぼすと親兄弟が死んでもああ死んだか。あと遺産の奪いあいになる。うそはどこまで必要か私たちはいま宿題を課されているのである。」

   (山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)
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