「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・04・16

2006-04-16 09:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、藤原正彦さんの「国語教育絶対論」から、「祖国とは国語である」という見出しの付いた小文の一節です。

 「これはもともとフランスのシオランという人の言葉らしい。確かに祖国とは血でない。どの民族も混じり合っていて、純粋な血などというものは存在しない。祖国とは国土でもない。ユーラシア大陸の国々は、日本とは異なり、有史以来戦争ばかりしていて、そのたびに占領したりされたりしている。にもかかわらずドイツもフランスもポーランドもなくならない。
 祖国とは国語である。」

 「祖国とは国語であるのは、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒などの大部分が包含されているからである。血でも国土でもないとしたら、これ以外に祖国の最終的アイデンティティーとなるものがない。」

 「グローバリズム、ボーダーレス社会と、世界の一様化が急速に進んでいる。一様化された世界は、何をするにも便利で、とりわけ経済繁栄には都合よいかも知れないが、実に味気ない。世界中の花がチューリップ一色になるようなものである。住むに値しない世界である。各国、各民族、各地方の人々は、その地に咲いた美しい文化や伝統を守るため、よほどしっかりと自らのアイデンティティーを確立しておかないと、一様化世界の中に埋没してしまう。
 国の単位で言えば、アイデンティティーとは祖国であり、祖国愛である。祖国愛は(中略)祖国の文化、伝統、自然などをこよなく愛すという意味である。愛国心に近いものだが、愛国心は歴史的経緯もあり、偏狭なナショナリズムをも含む場合があるから、私は祖国愛という語を用いる。
 英語では、自国の国益ばかりを追求する主義はナショナリズムといい、ここでいう祖国愛、パトリオティズムと峻別されている。ナショナリズムは邪であり祖国愛は善である。邪とはいえ、政治家がある程度のナショナリズムを持つというのは必要なことと思う。世界中の政治家がそれで凝り固まっている、というのが現実であり、自国の国益は自分でしか守れないからである。」


  (藤原正彦著 「祖国とは国語」 新潮文庫 所収)
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