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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・07・28

2013-07-28 14:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「死ぬ気まんまん」より。

「 従姉妹のモモちゃんが、ピンクのバラたくさんたくさん持って来てくれて、千疋屋の

 メロン菓子ももらった。

 『何か欲しいものないの?もうお金があまっちゃっているのよ』モモちゃんはいつも

 そう言う。私も『モモちゃん、何か欲しいものない? 何でも言って』と言い合う。

 今日は、私はモモちゃんに、手刺しの白いレースに丸えりのブラウスを買ってあった。

 本当にモモちゃんは人品骨柄上等である。そう言い合うだけで、心がでっかくなって、

 おまけに楽しい。

 モモちゃんは、私より七歳くらい年上だけど、古き良き日本のエッセンスを全部持っ

 ている。

 まず姿勢が良く、居ずまいが美しい。

 『あなたねェ、もう私駄目だわ、お金あるのに、何にも欲しいものがないのよ。年取

 るって、欲がなくなっちゃうのねェ。欲って、若さなのねェ』

 急に、『ニコニコ堂の性欲はあるが、精力がない』を思いだしたが、ニコニコ堂はま

 だ若いのだろうか。

 モモちゃんは、下品な話題は絶対にしない。私も下ネタ話などしたことがないし、モ
 
 モちゃんにはそんなものは受け入れないオーラが発散している。たぶん一生に一度も

 そんな話は聞かずにすんだと思う。

 気品というも、別にモモちゃんの家柄血統が上等というわけではない。私の父がモモ

 ちゃんの父親の弟で、山梨のど田舎の百姓の出である。

 しかし、私の父も下品ではなかったし、モモちゃんの父親も堂々たる人格だったと思

 う。

 そしてつくづく、教育というものは重大だと思う。モモちゃんは、戦後民主主義教育

 を受けていない。

 私はどっぷり戦後教育である。

 戦争中で、学徒動員で、勉強どころではなくて、松ヤニ掘ったり炭かついでばっかい

 たというが、道徳とか作法の教科があったそうだ。

 同じ血統でも、私の方が下品だと思う。

 行儀も悪いと思う。

 言葉づかいもなっちゃいない。モモちゃんは日常生活の中で、自然に敬語を使い、きれいな日本語を話す。

 言葉は人間の中で、まことに重大である。それだけが人間の証明であるとも言える。

 言葉は民族の誇りである。世界中どこの国でも民族の誇りであらねばならない。

 たちの良くない人間はゴリラ以下、牛以下だと思う。

 何故なら、動物達は孤独に耐えている強く淋しい目をしている。

 言葉を話すと、あの動物の孤独な目が失われ、目はあらゆる欲望の表現ツールになり、物欲しげになる。

 私達は宿命としてそうなってしまった。

 モモちゃんは乱れまくる日本語にとても心をいためている。いや我ら一族はいかりまくるのである。

 さてどうしましょうということになると、モモちゃんは、戦前の教育に戻した方がいいと言う。

 もう私も同感である。

 日教組の中学の国語の教師が、『伯母と叔母の区別はない。同じだ』と言うので、私はモモちゃんにきい

 たら、『当り前でしょ、あるのが。日本語のすばらしいところでしょ』

 うん、私の日本語は正しかった。伯父さんと叔父さんは違うのが一目でわかる。

 英語はわざわざ、オールドとかつけるが風情がねェのう。

 日教組の組合会議に出かける間に、伯母と叔母の違いを勉強しろ。

 権利ばかり主張するな。

 権利には義務が袷(あわせ)の着物のようについているのだよ。

 単衣(ひとえぎぬ)の着物を一年中着るな。

 私は目上のモモちゃんにとても失礼なことをたくさんしていると思う。口のきき方だけでも。

 モモちゃんは無欲だった。一生無欲だったと思う。

 不思議なことに無欲な人には金が降りつもるのだ。そして、降りつもる金に大笑いしている。

 それから恥を知っている。何が恥であるか、教育の中に含まれていたと思うし、世の中が恥を知って

いた。

 恥しらずというのが、人の別の言い方だったと思う。

 資本主義と民主主義の中で、どうして人間の品格を保持すればいいのか、私は正直わからない。

 モモちゃんの世代もやがて消えてゆく。

 貧乏でもいい、品格とか誇りとかを持って、私は死にたい。

 でも、どうすればいいのかわからない。

 モモちゃん、私はお金で買えないものをあげたい。尊敬とか恩義とか。」

(佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊 所収)



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