今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。
「 いずれは去らねばならぬところを早く去ろうが遅く去ろうが、それがどうしたというのです?
長く生きることではなくて、我々が配慮しなければならぬのは、満足して生きることです。なぜ
なら、長く生きるかどうかを定めるのは運命ですが、満足して生きることは当人の心掛け次第だ
からです。充実して生きたのなら、その人生は十分に長い。しかし充実して生きたと言えるのは、
心がその善き素質を十分に育て上げ、完全に自分自身を支配しきったときです。
八十歳生きたところで、もし怠惰に過しただけなら、何になるでしょう? そんな人は生きた
のではなく、人生に在ったにすぎません。遅く死んだのでなく、長く死んでいたのです。『あの
方は八十年生きた』と言う。問題はいつから彼の死を数え始めるかです。
『手紙』93-2・3」
「 小さい体型の人こそ人間として完全でありうるように、期間の短いほど人生は完全でありうる。
寿命というのはつまらぬ外的な事柄だ。僕の人生の長さは、僕には決められない。いのちあるあ
いだ本当に生きることだけが、僕のやるべきことです。
『手紙』93-7」
( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )
「 いずれは去らねばならぬところを早く去ろうが遅く去ろうが、それがどうしたというのです?
長く生きることではなくて、我々が配慮しなければならぬのは、満足して生きることです。なぜ
なら、長く生きるかどうかを定めるのは運命ですが、満足して生きることは当人の心掛け次第だ
からです。充実して生きたのなら、その人生は十分に長い。しかし充実して生きたと言えるのは、
心がその善き素質を十分に育て上げ、完全に自分自身を支配しきったときです。
八十歳生きたところで、もし怠惰に過しただけなら、何になるでしょう? そんな人は生きた
のではなく、人生に在ったにすぎません。遅く死んだのでなく、長く死んでいたのです。『あの
方は八十年生きた』と言う。問題はいつから彼の死を数え始めるかです。
『手紙』93-2・3」
「 小さい体型の人こそ人間として完全でありうるように、期間の短いほど人生は完全でありうる。
寿命というのはつまらぬ外的な事柄だ。僕の人生の長さは、僕には決められない。いのちあるあ
いだ本当に生きることだけが、僕のやるべきことです。
『手紙』93-7」
( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )