今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。
「 いかに多くの物が余計な物であるかに気づくのは、それらがなくなりだした時です。
そのとき我々は、それが必要だからではなくて、それを持っていたがために使ってい
たにすぎないことを知る。我々はなんと多くの物を、他人がそれをやっているという
理由でやり、また他人がそれを所有しているという理由で所持していることか!
我々の不幸の最大の原因は、我々が他人の真似をして生き、理性によって身を処さな
いで、世間の慣習に従ってしているところにあります。
やっているのが少数の人間であるうちは真似しようと思わなかったことを、大勢の
人間がやり始めるやいなや、すぐ自分もやりだす。まるで頻繁に行われればそれだけ、
それがいいものになるかのように。そしてそれが一般的になるにつれ、正しさが占め
ていた場所に過ちが取って代るのです。
『手紙』123-6」
( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )
「 いかに多くの物が余計な物であるかに気づくのは、それらがなくなりだした時です。
そのとき我々は、それが必要だからではなくて、それを持っていたがために使ってい
たにすぎないことを知る。我々はなんと多くの物を、他人がそれをやっているという
理由でやり、また他人がそれを所有しているという理由で所持していることか!
我々の不幸の最大の原因は、我々が他人の真似をして生き、理性によって身を処さな
いで、世間の慣習に従ってしているところにあります。
やっているのが少数の人間であるうちは真似しようと思わなかったことを、大勢の
人間がやり始めるやいなや、すぐ自分もやりだす。まるで頻繁に行われればそれだけ、
それがいいものになるかのように。そしてそれが一般的になるにつれ、正しさが占め
ていた場所に過ちが取って代るのです。
『手紙』123-6」
( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )