「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・07・25

2013-07-25 06:30:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「死ぬ気まんまん」より。

 「 変な夢を見るようになった。かいだことがない、くさーい匂いだけがする夢を二度見た。二度とも

  同じ夢だった。私は夢の中で、これが死の匂いか、死体の匂いではなく、死の匂いかと思っていた。

  この間は、死んだ父さんが、ぴらぴらした単衣(ひとえ)の紺色の大島を着て、七人も八人もぐるぐる

  私の周りを忍者のように音もなく動いていた。

   昨夜は兄さんが、白黒のサッカー生地のブラウスに半ズボンをはいて、消えたり現れたり、実にデ

  ジタルに出て来た。

   私は、あの世があるとは思っていない。

  あの世はこの世の想像物だと思う。

   だから、あの世はこの世にあるのだ。

   不幸にして若くして同級生が死んだりする。同級生は皆驚き、『えっ、嘘』とか言って、葬式で泣く。

   それぞれ思いはこもごもで、喪服に白いハンカチがちらちら動く。

   久しぶりの同級生の大人のなり方に感心したりし、『せっかくだから、ごはんでも一緒に食べようか』

  とゾロゾロ、二階に座敷がある店に入り、しんみりと『早すぎたよなあ』『何であんな好い奴がなあ』

  と、しばし遠い目で、あの世のかつての友人の姿を思い出したりしている。

   そして一時間後、もう誰も死んだ人のことなど忘れて、『バカヤロー、先生にちくったのお前だろ』

  『俺じゃねぇよ』。青白い秀才が『いや実は俺が参謀だった』『えーっ』などと実ににぎやかに楽しい

  同窓会になってしまう。

   そんな時、私はにわかに覚醒し、思う。他人の死は一時間しか続かない。親族と他人は違うんだ。特に

  仲が良かった人以外は、時々思い出して淋しい目になれれば上等なのかもしれない。

   子供の時から仲が良かった孔(こう)ちゃんが五十代半ばで死んだ時は、ショックだった。

 そして孔ちゃんは、きれいな茶色い箱の中に、ぎっしりと思い出として詰まってしまった。

   時々、ふたを開けて、記憶を選ぶ。

   ディカプリオをつぶしたような頑丈な顔をして、他の誰とも違う味わいは、子供の時から互いに尊敬し

  合っていたことだった。他に誰もそういう感覚を持つことはなかった。

   大人になると私はひがみっぽくなって、私を尊敬する人など見つからなかった。

   私はバカ丸出しで、そのくせ人の欠点にいやに目ざとくなっていた。

   年下だったけど、がっしりしたロバート・デ・ニーロのような体格に安心感があった。

   私が孔ちゃんに一目置いたから、孔ちゃんも私に優しかったのかもしれない。
 
   死なない人はいない。

  そして死んでも許せない人など誰もいない。

   そして世界はだんだん淋しくなる。」

  ( 佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊 所収 )


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