今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「死ぬ気まんまん」より。
「 火葬場のない富士川の縁(へり)の小さなで、母は兄を火葬にすると言ってきかなかった。
川っぷちの地面に兄の棺桶を薪(たきぎ)の上にのせ、たくさんの木を親戚の男の人達が集めて燃やした。
それに火をつけるのは親ではなく兄弟だそうで、私が兄に火をつけた。どしゃ降りの日だった。
母はその煙を遠くに見て、身をもんで泣いた。
私は七十でもうすぐ死ぬが、七十年の年月の中で、兄の死が最も大きい喪失感だった。
コロコロ目の前で人が死ぬと、死ぬってことは、実に単純で当り前になっていった。
私は恐ろしいとか、こわいとかを思わない人になっていた。
あの大雨の夜中に真っ暗な山道を走ったことで、暗い所がこわいと思わなくなった。あの時のことを
考えれば、どんな暗い所も軽ーいことに思える。
大人になって、男と惚(ほ)れた腫(は)れた、別れる別れないと大騒ぎしても、泣くことはなかった。
私が泣く時は、口惜(くや)しい時だけになってしまった。
口惜し泣きは何か開放感がない。
そしてタダシのことを思い出すと泣く。どんな時でも泣く。不憫(ふびん)なのだろうか。そしてタダシ
のことを覚えているのは、家族の中で私だけになった。
昨日、従姉のモモちゃんが来た。
モモちゃんは父方の従姉で、私より九歳年上である。
モモちゃんはタダシのことを覚えていてくれる。
『あの子は惜しかったわね。あの子は大物の面構えをしていたわよ。悪いけどあんたの兄弟の中にあんな
大物はいないわね。本当に惜しい人は死んじゃうんだねー』
すいません。しかし、私はモモちゃんの意見に賛成である。
私は、人は家で死ぬべきだと思う。
病院で死ぬのが当り前になっているけど、家の中で畳の上で死ぬべきである。
あの頃、人の命は地球より重いなどと言う人はいなかった。
日本人の子供よりイラクの子供の方が軽い命である。
タダシと兄ちゃんの命もフワーッと人魂になって消えるほど軽かった。命は皆、グラムで量れるものでも、
金に換えられるものでもない。
大人になるとなかなかコロッとは死ねない。
父は二年間、うすべったい布団と同じ厚さで天井を見続けて死んだ。
私もコロッとは死ねない。
もしかしたら死なないのかもしれないと思ってしまう。
昨日、病院で好(い)い男先生にきいた。『私、あとどれくらいで死にますか。いや正確でなくていいです。
例えば、月単位とか、週単位とか大ざっぱでいいですから』
『うーん、年単位』
『えっ!? 先生、あと二年くらいって言われて、すっかり私はその気になって、二年はとっくに過ぎましたよ。
私はジャンジャン金使っちまったじゃないですか』
『えっ、お金なくなっちゃったの。困ったねェ』
『ホスピスのお金だけ取ってあります』
『困ったねェ』と言って笑い出してしまったので、私も笑った。
先生がかわいそうになったので、『私やたら元気ですから、仕事しますから、大丈夫です』
好い男先生は四月に開業する。今通っている病院より私の家から近いので、私は好い男先生についてゆくことに
した。タクシー代が半分ですむ。
私は死ぬまで、どういうつもりで生きていけばいいのか分からない。
ただ、壮絶に闘うということだけは嫌だ。
死ぬまで舞台に立ちたいと言った新劇の役者が日々やせおとろえながら立っていた舞台は、嫌だった。お客に
失礼ではないか。私は痛くなったら、すぐ麻酔を打ってほしい。どんどん打ってほしい。
私は死ぬのは平気だけど、痛いのは嫌だ。痛いのはこわい。頭がボーッとして、よだれを垂らしていてもいい
から、痛いのは嫌だ。」
( 佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊 所収 )
「 火葬場のない富士川の縁(へり)の小さなで、母は兄を火葬にすると言ってきかなかった。
川っぷちの地面に兄の棺桶を薪(たきぎ)の上にのせ、たくさんの木を親戚の男の人達が集めて燃やした。
それに火をつけるのは親ではなく兄弟だそうで、私が兄に火をつけた。どしゃ降りの日だった。
母はその煙を遠くに見て、身をもんで泣いた。
私は七十でもうすぐ死ぬが、七十年の年月の中で、兄の死が最も大きい喪失感だった。
コロコロ目の前で人が死ぬと、死ぬってことは、実に単純で当り前になっていった。
私は恐ろしいとか、こわいとかを思わない人になっていた。
あの大雨の夜中に真っ暗な山道を走ったことで、暗い所がこわいと思わなくなった。あの時のことを
考えれば、どんな暗い所も軽ーいことに思える。
大人になって、男と惚(ほ)れた腫(は)れた、別れる別れないと大騒ぎしても、泣くことはなかった。
私が泣く時は、口惜(くや)しい時だけになってしまった。
口惜し泣きは何か開放感がない。
そしてタダシのことを思い出すと泣く。どんな時でも泣く。不憫(ふびん)なのだろうか。そしてタダシ
のことを覚えているのは、家族の中で私だけになった。
昨日、従姉のモモちゃんが来た。
モモちゃんは父方の従姉で、私より九歳年上である。
モモちゃんはタダシのことを覚えていてくれる。
『あの子は惜しかったわね。あの子は大物の面構えをしていたわよ。悪いけどあんたの兄弟の中にあんな
大物はいないわね。本当に惜しい人は死んじゃうんだねー』
すいません。しかし、私はモモちゃんの意見に賛成である。
私は、人は家で死ぬべきだと思う。
病院で死ぬのが当り前になっているけど、家の中で畳の上で死ぬべきである。
あの頃、人の命は地球より重いなどと言う人はいなかった。
日本人の子供よりイラクの子供の方が軽い命である。
タダシと兄ちゃんの命もフワーッと人魂になって消えるほど軽かった。命は皆、グラムで量れるものでも、
金に換えられるものでもない。
大人になるとなかなかコロッとは死ねない。
父は二年間、うすべったい布団と同じ厚さで天井を見続けて死んだ。
私もコロッとは死ねない。
もしかしたら死なないのかもしれないと思ってしまう。
昨日、病院で好(い)い男先生にきいた。『私、あとどれくらいで死にますか。いや正確でなくていいです。
例えば、月単位とか、週単位とか大ざっぱでいいですから』
『うーん、年単位』
『えっ!? 先生、あと二年くらいって言われて、すっかり私はその気になって、二年はとっくに過ぎましたよ。
私はジャンジャン金使っちまったじゃないですか』
『えっ、お金なくなっちゃったの。困ったねェ』
『ホスピスのお金だけ取ってあります』
『困ったねェ』と言って笑い出してしまったので、私も笑った。
先生がかわいそうになったので、『私やたら元気ですから、仕事しますから、大丈夫です』
好い男先生は四月に開業する。今通っている病院より私の家から近いので、私は好い男先生についてゆくことに
した。タクシー代が半分ですむ。
私は死ぬまで、どういうつもりで生きていけばいいのか分からない。
ただ、壮絶に闘うということだけは嫌だ。
死ぬまで舞台に立ちたいと言った新劇の役者が日々やせおとろえながら立っていた舞台は、嫌だった。お客に
失礼ではないか。私は痛くなったら、すぐ麻酔を打ってほしい。どんどん打ってほしい。
私は死ぬのは平気だけど、痛いのは嫌だ。痛いのはこわい。頭がボーッとして、よだれを垂らしていてもいい
から、痛いのは嫌だ。」
( 佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊 所収 )