今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「願わくば畳の上で」より。
「さすがに昔の文人たちは、たいてい自分の家で死んでいる。漱石も子規も、家の中の何かを見ながら死んだはずである。牧野信一なんか、わざわざ小田原の生家まで帰って死んでいるし、荷風にしたって、一人で病院へ行こうと思えば行けたのに、面倒だからそのまま寝てしまったのかもしれない。二葉亭は家で死のうと思って船に乗り、間に合わなくてベンガル湾上で絶命した。だいたい鷗外や一葉が白い救急車で病院へ運ばれるなんて絵にならない。『うたかたの記』を書き、医者のくせに病院へも行かず、畳の上で死んだから鷗外は鷗外なのだし、『にごりえ』の女たちの部屋とよく似た破れ畳に敷いた薄い布団の上で細い息を引き取ったから、私にとって一葉は一葉なのである。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「さすがに昔の文人たちは、たいてい自分の家で死んでいる。漱石も子規も、家の中の何かを見ながら死んだはずである。牧野信一なんか、わざわざ小田原の生家まで帰って死んでいるし、荷風にしたって、一人で病院へ行こうと思えば行けたのに、面倒だからそのまま寝てしまったのかもしれない。二葉亭は家で死のうと思って船に乗り、間に合わなくてベンガル湾上で絶命した。だいたい鷗外や一葉が白い救急車で病院へ運ばれるなんて絵にならない。『うたかたの記』を書き、医者のくせに病院へも行かず、畳の上で死んだから鷗外は鷗外なのだし、『にごりえ』の女たちの部屋とよく似た破れ畳に敷いた薄い布団の上で細い息を引き取ったから、私にとって一葉は一葉なのである。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)