今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「私の生れた家――花のある家」より。
「 阿佐ヶ谷の家には、生れてから十年近く住んだことになる。私はいまでも、その家の間取りから
調度の並び具合まで、正確に描くことができる。それくらい馴れ親しんだ家だった。そしていま、
私は妙なことに気づく。――私の中にいまあるもののほとんどは、あの家に暮らしていた年月の
間に芽生えたのではなかろうか。――私はターナーが好きである。カンスタブルの細密な風景画
が好きである。それは、阿佐ヶ谷の家の玄関の脇にあった応接間に架かっていた絵であった。白
いレースのカーテンが作る縞模様の中で、それらの泰西名画は、私に遠い異国への憧れを呼び覚
ましてくれた。畏れもあったし、親しみもあった。美しさも見ただろうが、虚しさも知ったのだ
ろう。もしあの部屋に、ルドンやモローの絵が架けられていたら、私は別の人間になっていたか
もしれない。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「 阿佐ヶ谷の家には、生れてから十年近く住んだことになる。私はいまでも、その家の間取りから
調度の並び具合まで、正確に描くことができる。それくらい馴れ親しんだ家だった。そしていま、
私は妙なことに気づく。――私の中にいまあるもののほとんどは、あの家に暮らしていた年月の
間に芽生えたのではなかろうか。――私はターナーが好きである。カンスタブルの細密な風景画
が好きである。それは、阿佐ヶ谷の家の玄関の脇にあった応接間に架かっていた絵であった。白
いレースのカーテンが作る縞模様の中で、それらの泰西名画は、私に遠い異国への憧れを呼び覚
ましてくれた。畏れもあったし、親しみもあった。美しさも見ただろうが、虚しさも知ったのだ
ろう。もしあの部屋に、ルドンやモローの絵が架けられていたら、私は別の人間になっていたか
もしれない。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)