今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「願わくば畳の上で」より。
「子供のころ、私が畳に海を感じたのも病気で寝ているときだった。小学校へ上がる前後まで、体が弱くて奥の六畳に寝かされてばかりいた私は、いつも自分が寝ている部屋や庭の様子を枕の上から眺めていた。私の部屋の縁側は西に向いていて、夕暮れになると赤い残照が隣りの家の銀杏の木越しに私の寝ている布団のところまで斜めに差し込んできた。もうじき嫌な夜になる。八時を過ぎるころになると、どうしてきまって熱が出るのだろう。重い気持ちで赤く染まった畳に目をやると、起きているときには気づかない畳の目がいやにはっきり浮いて見える。それは波のようだった。布団の際から縁側まで、そこは夕焼けの海だった。じっと見ていると、いつか無数の赤い波が動きはじめ、うねりながら布団の私に向って寄せてくるのだった。私の耳は、潮騒の音さえ聴いているようだった。私は海から生れてきたのかもしれない。もしこのまま病気が治らなかったら、私はこの紅い海へ還っていくのだろうか。汗ばんだ体を波に攫(さら)われそうな怖れに四肢を強(こわ)ばらせながら、それでも畳の海の美しさに見入っていた夕暮れを、私はいまも忘れない。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「子供のころ、私が畳に海を感じたのも病気で寝ているときだった。小学校へ上がる前後まで、体が弱くて奥の六畳に寝かされてばかりいた私は、いつも自分が寝ている部屋や庭の様子を枕の上から眺めていた。私の部屋の縁側は西に向いていて、夕暮れになると赤い残照が隣りの家の銀杏の木越しに私の寝ている布団のところまで斜めに差し込んできた。もうじき嫌な夜になる。八時を過ぎるころになると、どうしてきまって熱が出るのだろう。重い気持ちで赤く染まった畳に目をやると、起きているときには気づかない畳の目がいやにはっきり浮いて見える。それは波のようだった。布団の際から縁側まで、そこは夕焼けの海だった。じっと見ていると、いつか無数の赤い波が動きはじめ、うねりながら布団の私に向って寄せてくるのだった。私の耳は、潮騒の音さえ聴いているようだった。私は海から生れてきたのかもしれない。もしこのまま病気が治らなかったら、私はこの紅い海へ還っていくのだろうか。汗ばんだ体を波に攫(さら)われそうな怖れに四肢を強(こわ)ばらせながら、それでも畳の海の美しさに見入っていた夕暮れを、私はいまも忘れない。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)